珍しく夕飯を学食で食べた日
かわいらしいうろこ雲が空を支配していた秋の夕暮れ。
16時を大きく超え、17時近くになると、少し気温が下がってくる。
寒い、ということもなく…実に秋らしい、過ごしやすい1日だった。
今日は入社4年目対象の「模擬工事実習」
研修生を4班に分けて「同一のものを、同一の材料を使い、同一の時間設定で成果物を作り上げていく」…そんな研修だが…俺はどうしようもなく空腹を抱えていた。
朝は「準備のために早めに食堂に行ったおかげで、まさかの主菜ナシ定食」
昼は「研修体制を維持していたら、まさかの閉店時刻15分オーバーで、欠食(それでも給与天引き)」
…「目覚まし時計」をモチーフにしたあの朝の情報番組の占いじゃ、今日は2位、って言ってたよな
俺はすきっ腹を、自販機のミネラルウオーターでやり過ごしながら、午後の研修を進めていた。
そんなところに配膳担当のオッサン(推定年齢70歳)と、東南アジア女性スタッフが夕食準備のためにやってきた。
「おお、センセ、こっちきてよぉ(北関東風)」とオッサンは、研修生がびっくりして振り返るほどの大声で俺を呼ぶ。
おれは「なんだ?」と思いつつ、オッサンのもとに向かった。
「今日、うちの会社に、センセの話したらさ、気の毒がっちゃってさ…良かったら、夜飯、無料で食ってかない?って、言ってるんだよ」とオッサンが誘いをかけてくる。
東南アジア女性スタッフも「ムリョー、イイネー」とサムズアップをする。
「おかずとか、人数決まってるじゃない?」と思い返事をためらっていると「今日はカレーだから、たくさんあるんだよ」と畳みかけてくる。
「夕飯は、18時から19時30分だから、よかったら来てよ」「キテヨーオネガイー」…ここまでされると断りにくい。
俺は日課として「品ぞろえがカオス気味なスーパーに立ち寄り自炊をし、寶焼酎25度ウーロン茶割を飲む」があるのだが…今日は思い切って甘えることにした。
「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて、立ち寄ります」と告げ、俺はその足で「研修所の責任者(部長)」のもとに向かい、事情を話しておく。
責任者も「総務から聞いてるよ、ホント気の毒したね。管理会社のせっかくの厚意、嫌じゃなければ受け取ってください」と笑いをこらえている。
…なにがおかしいっ!
俺は空腹も手伝ってか…視界が一気に狭まる…が…責任者に罪はない。
ここで妙なことをして、単身赴任期間が伸びたりしても困るし、会社を首になれば、住宅ローンの支払いだって困る。
俺は、ありがとうございます、と頭を下げて研修現場に戻った。
17時30分…本日のすべての工程が終わり、講評を述べる。
「出来は素晴らしい、安全対策もしっかりと出来ている。」とまずは褒めておいて「時間の管理をもう少し厳格にすると、もっとよりよくなる。明日はそこにも注意を払おう。」と、伝える。
研修生たちは「はいっ!」「ありがとうございましたっ!」と深々と頭を下げる。
…まぁ、ね…自分が今日そこで失敗してるんだけどね…こんなの研修生には言えないけどさ
18時を15分ほど超えたころに、俺は学食に向かった。
研修生は思い思いの格好で、夕食の配膳を受けている。
俺はその配膳列の最後尾に並ぶ。
「あれ、先生、今日は夜もすか?」
「ばわー(としか聞こえない)、夜来くんの、珍しくないすか?」
俺は「たまにはね、みんなと同じものを食べて、意見交換でもと思って」と、お茶を濁す。
食堂内はカレーのいい匂いで満ち溢れている。
オッサンは「おっ、センセ、来てくれたんだね」と言いながら「どする? 気合の入った大盛りにする?」ととんでもないことを言い出す。
「いやいや、普通でいいからさ、普通で」と慌てて打ち消しておく。
今夜の献立を現物で確認する。
『今夜の献立』
主菜:カレー(おかわりOK)
副菜①:大きく切ったトマトが入ったサラダ
デザート①:季節の果物
普通にしては少し量が多めのカレーライスを受け取り、俺は着席した。
さすがに空腹が過ぎて、目が回りそうだ。
…いただきます
匙をカレーの海に突っ込み、白米と合わせて一口目。
万人向けにするために、辛みは抑えてあるカレーだが、決してまずくはない。
…なかなかいい
そう思っていたところに、研修生が書面をもって俺の目に前に立つ。
怪訝に思っていると「お食事中すみません、ちょっと教えてください」と話しかけてくる。
「この書面の、ここの記載なんですけど」と差し出された書面を覗き込むと、それは研修関連ではなく、自分の職場の実際の工事数量表だった。
「この表記の意味がつかみにくて」という問いに対し「ああ、これか。これさ…」と解説する。
研修生は納得したようで「ありがとうございます!」と深々と頭を下げ、その場を立ち去った。
カレーと白米と合わせて二口目…うまい。
三口目を食べようとすると、別の研修生が目の前に立つ。
別の研修生に「先生、ちょっといいスか?」と話しかけられる。
「夕方使った工具、あれ、使用前のセットがムズくて…コツとかないスか?」と尋ねられ「あれさ…力じゃないんだよ。左手は添えるだけ、だよ」とどこかのバスケ監督みたいに解説する。
研修生は納得したようで「そか、力押しダメって、先生言ってたっスね。あざっス!」と深々と頭を下げ、その場を立ち去る。
さて、四口目を…と思った瞬間、また研修生が目の前に立つ。
同様に質疑に答える。
五口目…六口目…そのたびに研修生が現れる。
…おい、なかなかカレー食えないんだけど…
カレーはどんどんと冷めていく。
俺は掻き込むようにして食べ始めた時、またもや別の研修生が目の前に立つ。
ほかの研修生の質問に答えても、この研修生の質問には答えられない、ということなど、あってはならない。
同様に質疑に答えていく。
カレーはどんどんと冷めていき、表面が少し固まり出している。
…もう大丈夫だろな?
周りを見渡すと、研修生の数はまばらになっている。
時計を見ると19時を軽く超えている。
サラダのトマトは水を吐き…果物はゆっくりと渇きだし…カレーは完全に…冷えていた。
カレーに匙を突っ込む。
なんだか、水の足りないセメントを練っているような気がする。
ダマになった白米と、固まり出したカレー…俺は食べ進める。
俺は「今日は二位のはず…二位でこれなら…ビリならどうなるんだろな」と思い、無になって食べ進める。
オッサンと東南アジア女性スタッフは、こちらを怪訝そうな顔で見ながら、食堂内の清掃を始めている。
「センセ、こっちも残業になっちゃうからさ。」…オッサンは、カレー同様冷たいことを言い出す。
慌ててダマカレーをすべて食べ、俺は食堂を後にする。
宿泊設備のロビーでは、研修生たちが大型モニタを使ってゲームに興じている。
…しあわせって、なんだっけ
大昔の、ポン酢的な醤油のCMフレーズが頭をよぎった。
きれいごと、ではなく…研修生って、研修しか受けに来ていないから「細かいことに気が付く」んです
「こちらが矛盾したことしたり、アンバランスな行動をとったり」すると、そういった印象を持って職場に帰るし、それを喧伝もするし、どうかすると「違うことをそのまま現場に適用する」んで、本当に「ご飯食べていても気が抜けない」です。今回、偶然が偶然を呼んで「たかだか、普通の大盛り(と言わなきゃいけないのが、ここの食堂の特徴)のカレーライスを食べるのに、1時間くらいかかった」んですが…まぁ、彼らにしたら必死なんでしょうし…できるだけ付き合うようにしています。実際夜は、よほどのことがない限り食堂は使わないようにしていますが、たまにはいいかな、とも思っています。




