ボルケーノ・キラウエア
なんでも「梅雨の晴れ間は五月晴れ」というらしい。
日本でいうところの旧暦新暦の違いにより、6月の梅雨の晴れ間をさして「五月晴れ」と呼ぶのが本当のところだ、という。
そんな「五月晴れ」のその日…食堂には、朝からカレーの香りが立ち込めていた。
カレーの匂いって、なんというか……人を無条件に前向きにさせる力がある。
駅の立ち食い蕎麦屋でも朝から普通にカレーがあるくらいだし、朝カレーを拒絶する人間はそう多くない。
俺は「どちらかといえば納豆飯」くらいがいいのだが、それでも「朝カレー」を拒むほど頑固ではないし、もちろん視界も狭くはならない(はず)
この食堂の普段のおかず構成からすれば、むしろ「今日は当たりだな」と思えるくらいには嬉しい。
研修生たちのテンションが少し高いのも、そんな部分が手伝っているのか…今日は「おはようございます」の声も大きめだ。
俺は、ずらっと並ぶ配膳列の最後尾につくと、後ろから「30代近い社員」が並びかけてきた。
…見かけない顔だな
そう思った俺は「おはよう」と声をかける。
彼は屈託のない笑顔で「おはようございます」と返事をする。
聞いてみると、彼は「中途採用」で入社したらしく、今日から始まる「雇入研修」に参加する、とのことだった。
それは、俺が担当するものだったので「じゃ、今日から3日間、みっちりになっちゃうけど、よろしくね」と告げた。
「へぇ、カレーですね…カレー大好きなんですよ」と彼は一人にやける。
そうか、と思い俺は「じゃ、先にどうぞ」と順番を譲る。
「なんか申し訳ないですよ」という彼に「いいよいいよ、ここは研修所、研修生たちが優先だよ」と言いながら列を離れる。
その後ろにさらに2名ほど並んでいたが、別にカレーは逃げやしないし…と最後尾に回り込んだ。
中途採用の彼は…配膳担当のオッサン(推定70歳)に「気合の入った大盛りでオネシャス!」と大きな声を出した。
他の研修生がフリーズする。俺ももちろんフリーズする。
…おい、やめれ、そいつにそんなこと言うと、うるち米で餅作るがごとく、だぞ!
だが、ちょっと遅かった。
オッサン(推定70歳)と東南アジア女性コンビは…全力で盛る。
カレー用の30㎝で深さのある皿を取り出し、白米を盛り付けだす。
「よっ!」
パン!
「ほいっ!」
パパン!…「キアイー」今日は合いの手まで入る。
「よいしょっ!」
パパパンパン!…「キアイキアイ」…やめたげて
合いの手付きで全力に盛られた白米は、直径30cmの大皿に山盛り。
いや、山盛りなんて生易しいものじゃない。「ただの山」だ。2名後ろから見ても「山」と認識できる。
そしてカレーが上から「どさーーーーーーっ」とかけられる。
東南アジア女性コンビは「コボレル」と言いながらも、その手は止めない。
…その姿…もはや…噴火したキラウエア火山…
…カレー、もう、溶岩流にしか見えない
山頂から溶岩のようにカレーが流れ落ち、皿全体を覆い尽くしている。
東南アジア女性コンビが、皿のわきにチョイと盛った福神漬けとラッキョウが「逃げ惑うハワイ島住民」にしか見えない。
オッサンは「はい、気合の入った大盛り一丁!」とつぶやき、かわいげのある東南アジア女性コンビは「ドゾー、ハーイ」と微笑む。
「ここ一番」って時に食べるのか?というカレー屋さんの2kgカレーが…なんとも小さく見えるその盛り付け。
俺は思わず「……これ、災害レベルだろ……」つぶやいてしまった。
彼は呆然としながら…それを受け取り…着席をする。
心配になった俺は隣席に座り、固唾をのんで様子をうかがう。
気丈にも彼は「いや、行ける…とは思います」と口をつけた。
だが、全く量が減らないキラウエアの山…カレーの量も合わない…最初の数口で悟ったらしく…
「……先生……これ……やばいっす……」
そりゃそうだ…いくら好きでも、朝からキラウエアは無理だ…そもそも胃袋が観光客のままなんだ…
それでも彼は、涙ぐみそうになりながら、一口、また一口と食べ進めた。
だが、途中で限界が来たらしい。
「味変します……」
そう言って、まずソースをかけた。
味が変わらない上に、カレーがどんどん減ってくる。でも、それでも追いつかない。
「……先生……次、醤油いきます……」
いや、やめろ…カレーに醤油、わからんではないが…そこまで行くと、もう“味変”じゃなくて“味迷子”だ。
それでも彼は、醤油をかけた。
カレーの海に、醤油の黒い波紋が広がる…ハワイの海に、タンカーが原油こぼしたがごとく…黒い波紋がどんどん広がっていく。
呆気に取られていた周囲の研修生たち…ここにきて、なぜか応援し始める。
「いける!」
「まだいける!」
「カレーは飲み物!」
「ご飯は勢いで!」
「先生も…応援してあげてください……!」
いや、俺…教員かつ管理職なんだ…無理を止めるならばいざ知らず、さすがにこれは応援できない…
そしてついに、彼は俺のほうを見て、「先生……ご飯だけが……どうしても残るんです……ごはん…だけが…」とつぶやいた。
俺は「無理しないで残せばいいよ」と強く言うのだが「実家がコメ農家であり、コメはホントに粗末にしたくない」と泣きつかれた俺は…「対納豆ヒミツ兵器(改)である、青唐辛子なめたけ」をかばんから取り出し、彼にそっと手渡した。
彼は震える手でなめたけを受け取り…残った白米にかけて、なんとか完食した。
完食した瞬間、彼は椅子に沈み込み、まるで「火山の噴火を止めた英雄」みたいな顔をしていた。
だが、その日の研修…彼は散々だった。集中力は切れ、動きは鈍く、ほとんど話を聞ける状態ではなかった。
午前中は「先生……ちょっと……胃が……」と青ざめていた…俺はそっと肩を叩いた。
昼飯に至っては「食堂に姿を現さない」に至った。
そんな研修室の窓から外を眺めると、雲の切れ間から光が差していた。
まるで「次は気をつけろよ」と、彼に言っているようだった。
うちの学食…田舎だけあって、食堂管理会社も食堂スタッフさんもホント優しい。でも、その「やさしさ」とうまく距離を取らないと…狙ってやっていない「事故」はたまに起きたりします…話に載せてはいないけど「お昼」にも、こういう「やさしさ大爆発事故」は起きています でも、食堂スタッフさん、ホントいい人ばかりです




