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現代逆転移物語  作者: 柚子式


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第5話

街は、いつも通りに動いていた。

横断歩道を渡る人の流れがほどけ、信号が変わるたびに別の色へ塗り替えられていく。

路肩に並ぶ車は、行き先の違いだけを抱えたまま、同じ方向を向いていた。


霧島澪は、歩道の端を進んでいた。

周囲との距離は保たれているが、特別に囲われているわけではない。

同行者は数名。足取りは揃い、会話は短い。立ち止まる理由がない、という歩き方だった。


次の目的地は近い。

それだけの確認が済むと、澪は前を向く。街の音は均一で、どこか落ち着いている。

人の声、遠くのクラクション、建物の隙間を抜ける風。どれも、ここでは珍しくない。


通りを曲がった瞬間だった。


空気が、押し返された。

衝撃が先に来て、音が遅れて追いつく。

視界の端で、何かが弾けたように見えたが形を確かめる余裕はない。


悲鳴が重なる。

人の流れが一方向に崩れ、足がもつれる。誰かが転び、誰かがそれに引っかかる。

澪は反射的に足を止め、すぐに位置を変えた。


次の音は、乾いていた。

一度では終わらない。間隔を空けて、同じ質の音が続く。

街の均一だった気配が、瞬時に裂ける。


「下がって」


短い声が背後から届く。

澪は振り返らず、示された方向へ半歩だけ動いた。

視界の先で、建物の外壁が削られ破片が散る。


何が起きているのかは分からない。

だが、起きていることが日常ではないことだけは誰の目にも明らかだった。


通りは、二つに割れた。

逃げる人の流れと、立ち尽くす人の塊が、互いに干渉し合って動けなくなる。

誰かが叫び、誰かが腕を引く。

視界は人の背で塞がれ、足元の感覚だけが頼りだった。


澪は、同行者と離れた。

誰かに押され、半歩ずれたその瞬間、視界から背中が消える。

呼び止める声は、音に紛れて届かなかった。


前方で、車が横倒しになる。

衝突音と同時に、進路が塞がれた。左右には逃げ場がない。

建物の壁が近く、通路は人で詰まっている。


乾いた音が、近くで鳴った。

壁に当たった何かが弾け、粉塵が舞う。澪は反射的に身を縮めた。

次に来るものが、避けられない距離にあると理解する。


足が止まる。

進めない。戻れない。


人の影が、澪の前を横切った。

誰かが倒れ、別の誰かがそれを越えようとして転ぶ。

視線の先で、同じ音が続いている。

規則性はない。

ただ、向けられている方向だけが一定だった。


澪は、息を吸った。

逃げ場を探す時間は残っていない。


その瞬間、衝撃が来なかった。


代わりに、空気が静まる。

音が途切れたわけではない。周囲では同じ混乱が続いている。

それでも、澪のすぐ近くに限って何かが届いていない。


壁に当たるはずだった破片が、軌道を失う。

足元に落ちるはずの衝撃が、途中で止まる。

視界の端で、意味を失った動きだけが残る。


澪は、動けなかった。

恐怖ではない。理解が追いつかなかった。


すぐそばに、人が立っていた。

いつからそこにいたのかは分からない。

近づいてくる気配もなかった。

ただ、そこにいる。


視線が合う。

言葉はない。

その距離は近すぎず、遠すぎない。

澪の周囲だけが、切り取られたように静かだった。


次の瞬間、腕を引かれる。

強くはない。だが迷いがない。


人の流れの外へ、一歩。

そこを越えた途端、背後で再び音が弾けた。


澪は振り返った。

さきほどまで立っていた場所に、同じものが届いている。

偶然ではない、と身体が先に理解する。


引いた手は、すでに離れていた。

視線を戻したとき、そこにいたはずの人影はもう人の流れに紛れている。


澪は、その場に立ち尽くしたまま、息を整えた。

自分が、生きている理由を考える余裕はない。


ただ、確かに――

守られた、という感触だけが残っていた。


音は続いていた。

だが、澪のすぐ周囲だけが、切り取られたように落ち着いている。


人影は、まだ近くにいた。

背を向けるでもなく、前に立つでもない。澪の視界に、横顔が入る位置に立っている。

年齢は分からない。服装も目立たない。

ただ、周囲の動きに対して、その人だけが遅れも乱れも見せていなかった。


澪は、思わず声を出していた。


「――あなたは……」


言葉は、届かない。

返事もない。


それでも、その人は澪を見る。

視線は短く、確かめるように一度だけ。

次に、通りの向こうへ目を向け、手のひらで小さく制止の動きを示した。


来るな、ではない。

今は動くな、という合図だった。


直後、少し離れた場所で、また衝撃が起きる。

破片が散り、悲鳴が重なる。

だが、澪の位置には届かない。偶然ではない、と分かる距離だった。


澪は、その人を見た。

近くで見ると、表情は静かだった。緊張も高揚もない。

周囲の混乱とは無関係に、澪と、澪の立つ場所だけを見ている。


澪は、もう一度口を開いた。


「……助けて、くれたんですか」


通じない。

だが、その人は一瞬だけ、頷いたように見えた。否定でも肯定でもない、確認に近い動きだった。


次に、その人は一歩下がる。

背後を確かめ、澪の視線を通りの反対側へ導くように、顎で示す。


ここから先は、来ない。

そう告げる代わりに、その人は距離を取った。


澪が何かを言う前に、群衆が流れ込む。

視界が遮られ、音が戻る。


次に見えたとき、その人影は、もういなかった。


誘導の声がかかり、澪は建物の陰へ移される。

水を渡され、座るよう促される。身体は従うが、視線だけが通りを探していた。


見つからない。

だが、はっきりと覚えている。


自分だけが、確実に守られていた距離。

自分だけに向けられた、あの短い視線。


説明はできない。

だが、偶然でも、錯覚でもない。


澪は、静かに息を整えた。

あの人を、見失ったままでは終われない――そう思った理由を、まだ言葉にはしなかった。


この出来事は、やがて「大規模な無差別テロ」として整理されるだろう。


だが、澪にとっての核心は、そこにはない。


守られた、という事実。

そして、守ったのが“誰か”だったという確信。


それだけで、十分だった。


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