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現代逆転移物語  作者: 柚子式


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第4話

会議室の扉が閉じると、室内の音が一段落ちた。

椅子が引かれ、資料が揃えられる。誰かが咳払いをし、視線が一点に集まった。


霧島澪は、窓際に立っていた。

席は用意されていたが、腰を下ろす気配はない。話し始める前から、場の呼吸が揃っていく。


「進捗、共有してください」


担当者が答える。


「はい。先週分まで反映済みです」


澪は頷き、資料に目を落とす。

ページをめくる指は早いが、急かす様子はない。読み終えると、視線を上げる。


「この点、補足はありますか」


別の担当者が答える。


「現状では、想定内です」


短い沈黙。

誰も言葉を継がない。


「では、このまま進めましょう」


声は静かだった。

決定は簡潔で、余白を残さない。異論が出ないことを確認するより先に、次の項目へ移る。


会議は長引かなかった。

澪が話す量は多くない。だが、話題が切り替わるたび、空気が整っていく。

終わりが見えると、誰もがそれを理解した。


廊下に出ると、人の流れが動き出す。電話を取る者、足早に去る者。

澪はその中を、歩調を変えずに進み、横にいるスタッフに声をかけた。


「次は、どちらへ?」


「移動になります。車は下に」


「分かりました」


澪は足を止めずに答える。

振り返らない。呼び止める声もない。


この場所で、彼女は特別な存在ではなかった。

ただ、必要な場にいて、必要な言葉を置いていく。

それが日常であるかのように。


車内は静かだった。

走行音が均一に続き、外の景色だけが流れていく。


霧島澪は、膝の上に置いたタブレットを一度閉じた。

確認すべき項目は残っているが、今は画面を見ない。窓に映る街の輪郭を、ただ追っている。

車が走り出してからしばらくして、

助手席に座るスタッフが控えめに声をかけた。


「共有先、追加しますか?」


澪は窓の外から視線を戻し、即座に答える。


「いいえ。今の範囲で十分です」


即答だった。

理由を添える必要はないと判断したのだろう。スタッフはそれ以上聞かなかった。


澪は、必要以上に説明しない。

だが、何かを省いたまま決めることもしない。

判断に必要な情報が揃っているかどうかを、常に見ている。


「こちらの調整は、午後に回します」


「はい」


会話は短く、簡潔だった。

車内に沈黙が戻る。


移動中にも、連絡は入る。

通話を受け、数言で切る。相手の声が上ずっていても、澪の調子は変わらない。

落ち着かせる言葉も、強める言葉も使わない。ただ、要点だけを返す。


「……承知しました。では、その条件で」


通話を終えると、タブレットを再び開く。

書き込まれるのは、結論だけだ。


車が止まり、扉が開く。

澪は先に降りた。待たせることを、当然のようにはしない。


建物の入口で、何人かが立ち止まった。

澪が近づくと、自然と道が空く。

挨拶の声が重なり、彼女は一つずつ頷いて応える。


「お疲れさまです」


「こちらこそ」


立ち話は続かない。

必要な言葉だけが交わされ、場はすぐに流れる。


この場所で、澪は中心に立っているわけではない。

だが、外縁にいるわけでもない。

動線の上に、静かに存在している。


誰かが彼女を呼び止め、

誰かが距離を取る。

そのどちらも、澪にとっては特別なことではなかった。


それが、この立場にいるということだと、

彼女はすでに受け入れている。


建物を出ると、空気が少しだけ軽くなった。

夕方に近い時間帯で、人の流れは昼よりも穏やかだ。


霧島澪は、歩きながら上着の袖を整えた。

誰かに見せるためではない。そうしておくと落ち着く、ただそれだけの動作だった。


「本日の予定は、ここまでです」


「移動はこのまま直接で?」


「ええ。問題ありません」


澪は足を止めない。

確認は必要だが、立ち止まる理由にはならない。


車に乗り込む前、短く声をかけられる。


「お疲れさまでした」


建物の外に出ると、警備担当の一人が一歩前に出た。

形式張らない距離で、短く状況を伝える。


「本日も特に問題はありません」


「そうですか。ありがとうございます」


言葉はそれだけで、立ち止まることもなかった。


礼は簡潔だった。

感謝を強調することもしなければ、形式だけで済ませることもしない。

その距離感が、彼女の立場をそのまま表している。


車内に入ると、外の音が遠のいた。

澪は背もたれに身を預け、目を閉じる。


仕事が終わった、という実感は薄い。

一日の中の区切りが、一つ過ぎただけだ。


タブレットを開き、明日の予定を確認する。

新しい項目はない。

変更もない。


それでいい、と澪は思う。


特別なことは、起きていない。

特別な判断も、していない。


ただ、決めるべきことを決め、

言葉を置くべき場所に置いてきただけだ。


創業家の一員であることも、代表補佐という肩書きも、彼女にとっては説明の要らない事実だった。


それらを背負っているという感覚はある。

だが、それを意識して振る舞うことはない。


車が動き出し、街の灯りが流れていく。

澪は窓の外を見ていた。


この世界には、

自分が関わらなくても動くものが多い。

それでも、関わるべき場所があることも、彼女は知っている。


だから今日も、そこに立っていた。

それだけの話だった。


信号で車が止まり、街の音が一瞬だけ近づいた。

歩行者の足音、遠くの会話、店先の明かり。どれも澪にとっては見慣れた風景だ。


運転席越しに、控えめな声がかかる。


「到着まで、少し時間がありますが」


「ええ」


それだけで会話は終わった。

澪は必要以上に言葉を足さない。沈黙が許される場では、沈黙を選ぶ。


タブレットを閉じ、鞄に収める。

仕事の区切りは、端末の電源を落とすことではない。次の判断までの間に、余裕を作ることだ。


車が再び動き出す。

澪は窓に映る自分の姿を一瞬だけ見て、すぐに視線を外した。

確認はそれで十分だった。


この街で、彼女は特別な存在ではない。

ただ、役割を持っている。

その役割を、今日も静かに果たしていた。

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