第2話
通りの空気が、突然張りつめた。
人の声が揃って途切れ、次の瞬間には別の方向へ流れ始める。
歩いていた者が足を止め、立ち話をしていた者が身を低くする。
乾いた音が響いた。
一度きりではない。間隔を空け、何度も重なる。建物に反射し、位置が掴みにくい。
悲鳴が混じる。
意味は分からなくても、切迫していることだけは明確だった。
人の流れは、音から遠ざかる方向へ集中している。
逆向きに進む者はほとんどいない。建物の影、車の陰、開いた扉の内側。
逃げ場になりそうな場所へ、人々が散っていく。
流れの外側で、立ち止まらずに進む影があった。
目的地があるわけではない。ただ、音の密度が高い方へ近づいていく。
通りを抜けると、視界が一気に開けた。
広い道路と、その正面に建つ建物。出入口付近に人が固まり、車両が不自然な位置で止まっている。
再び、音。
今度は近い。
現場は、すでに動いていた。
数人の男が、建物の外へ押し出されるように現れ、その周囲を取り囲むように距離を取った集団がいる。姿勢が低く、同じ向きを向いている。
その間に、人が挟まれていた。
腕を掴まれ、前へ引き出される。
背後から身体を密着させられ、逃げ場を失っている。
破裂音が鳴るたび、周囲の人間が伏せる。
撃つ側と、包囲する側。
そのどちらでもない者が、最前面に押し出されていた。
盾だ。
言葉がなくても、その構図は分かる。
盾が成立する理由は、単純だ。
前に立たせた人間が「撃てない理由」になるからではない。
撃てば結果が出ると、全員が信じているからだ。
引き金を引けば、相手は止まる。
前に誰がいようと、その事実は変わらない。
だからこそ、盾は意味を持つ。
だが、その前提が崩れた。
破裂音は鳴っている。
撃っているという事実も変わらない。
それでも、結果が出ない。
当たるはずのものが当たらず、
倒れるはずの相手が倒れない。
前に立たされた人間が、何も防いでいない。
その瞬間、盾は役割を失う。
前に置かれた身体は、防御ではなく妨げになる。
視界を遮り、動きを制限し、逃げ道を塞ぐだけの存在だ。
支配が、成立しなくなる。
掴んでいた腕が緩むのは、判断ではない。
反射だ。
「使えない」と理解した道具を、手放す動きと同じだ。
前提が壊れれば、構図も壊れる。
撃つ側と撃たれる側。
守る側と守られる側。
その区別が、一気に崩れ落ちる。
周囲の空気が変わったのは、その直後だった。
距離を保っていた人間たちが、同時に前へ出る。
躊躇が消え、動きが揃う。
盾が成立しなくなった瞬間、
この場の主導権は、完全に失われていた。
盾にされていた人間の身体は、崩れ落ちる前に支えられる。
すぐに引き離され、別の方向へと運ばれていく。
その動きは速く、訓練されたものだった。
包囲する側の緊張が、一段階だけ下がる。
だが、警戒は解かれない。
まだ終わっていないと、全員が理解している。
破裂音が止む。
それだけで、周囲の空気が変わった。
耳鳴りのように残っていた振動が、徐々に薄れていく。
現場には、奇妙な静けさが残った。
騒音が消えたわけではない。
ただ、次に何が起きるか分からないという感覚だけが、共有されている。
警官の一人が、周囲を見回す。
遮蔽物の影。車両の下。建物の入口。
だが、目立つ動きは見当たらない。
映像記録は回り続けている。
数秒ごとに更新される時刻表示だけが、確実に進んでいた。
「……負傷者、なし」
確認の声が上がる。
その事実が、最初に共有された。
通常なら、考えられない結果だ。
あれだけの発砲があり、人が盾に使われていたにもかかわらず、致命的な被害が出ていない。
理由は、分からない。
だが、記録には残る。
異常は、映像の中にだけ存在していた。
現場の誰も、それを再現できない。
事件は終結し、現場は引き継がれる。
人々は再び動き出し、通りは日常へ戻っていく。
ただ一つだけ、戻らないものがあった。
数値と結果の不一致。
それが、この場に確かに存在したという事実だ。




