第二章:出会いは夢の続きを紡ぐ③
トゥルクがベッドの上に仰向けで横たわり、今日訪れたドバシアの森の地図を眺めていると、ドアの外からとんとんと誰かが階段を上がってくる音が響いてきた。足音は段々と近づいてきて、トゥルクのいる部屋の前で止まった。こんこん、という軽いノックから一拍遅れてドアが開き、ソラが部屋の中に入ってきた。
レースとリボンが可愛らしい淡いグリーンのネグリジェに身を包んだソラは、湯を使った後なのか、ほのかなせっけんの匂いを漂わせていた。エルカのものを貸してもらったのか、少し緩い胸元を押さえているのが、何だか艶かしく見えて、トゥルクはなるべく見ないように目を逸らした。どくどくと心臓が鳴っている。こんな可愛い子と一晩同じ部屋で過ごすのかと思うと、気が気ではない。
「トゥルク、何見てたの?」
ソラはトゥルクの向かい側のベッドに腰を下ろすとそう聞いた。トゥルクはベッドから体を起こすと、
「今日行ったドバシアの森の地図。ソラも見る?」
見せて、と言うとソラは立ち上がり、トゥルクの隣へと移動してきた。肩のあたりに感じるソラの体温にどぎまぎとしながらも、トゥルクは地図を隣に座る彼女へと見せてやる。
「この印の辺りがリブレを待たせていたところで、しばらく南西にいったこの辺りにあるのがソラが眠っていた遺跡があった場所。……って、ソラ?」
トゥルクの説明を聞いているのかいないのか、ソラは地図に記された印の近くにある書き込みをまじまじと見つめている。どうしたの、とトゥルクがソラへ声をかけると、彼女は何でもない、とかぶりを振る。そんなまさかね、とソラは一人ごちると、
「ちょっと知り合いの字に似てただけ。でも、多分気のせいだよ」
「似てた、って……ソラは昔の文字が読めるの?」
「そうみたい。代わりにトゥルクたちが使っている文字はさっぱりだけど。看板とか見ても、何が書いてあるのか全然わからなかったもん」
そうなんだ、とトゥルクは相槌を打つ。やはりソラは不思議な子だとトゥルクは改めて思った。彼女に聞きたいことはいくらでもある。しかし、出会って間もない今の状態でどれだけ踏み込んでいいものかもわからない。それでも、とトゥルクは心を決めると、口を開く。
「ねえ、ソラ。聞いてもいいかな。もし、話したくないことだったら、話さなくても大丈夫だから」
「うん、何?」
「ソラは、どうして一人であの場所で眠っていたの? あの遺跡は一体何なの?」
一息にトゥルクがそう問うと、そうだよね、とソラは苦笑する。そして、彼女は表情を消してすっと真顔になると、
「あのね、トゥルク。今日、トゥルクが私を見つけたあの場所はウチュウセンなの。
笑わないで聞いてね。私、この星の人間じゃないの。私の住んでいた星はね、疫病とか環境汚染とかで住めなくなってしまって、あのウチュウセンで逃げてきたの。でも、この星まではとても時間がかかるから、仮死状態のまま、ずっとずっと眠ってた」
トゥルクにわかるように言葉を選んでくれているようだが、それでもソラの話はトゥルクには難しい。トゥルクにはウチュウセンというのが一体何なのかわからない。それにそもそも、ソラがこの星の人間ではないというのは一体どういうことなのだろう。
いまいち話が伝わっていないことをソラは察したのか、
「ねえ、トゥルク。トゥルクは宇宙ってわかる?」
「ウチュウ?」
「地上から見える空よりもずっとずっと上には真っ暗でとっても大きな空間が広がっているの。夜になると空に星が見えることがあるでしょう? あれらは全部宇宙にあるもので、場所によってはここみたいに人が暮らしていたりもするの。私が住んでいた星もその一つだったんだけど、人間が住める環境じゃなくなっちゃったんだ」
どうして、とトゥルクが問うとソラの黒瞳が悲しげに揺れた。そうだなあ、と自嘲気味に微笑む顔は泣き出す寸前の表情によく似ていた。
「科学の進歩による自然破壊に大気汚染、それに温暖化。戦争で使われた細菌兵器による病気の蔓延。すごく数が少なくなってしまった人間は、住んでいた星を捨てて、他の星に移住することを考えたの。自分たちを破滅に追いやった科学の力を総動員して、ね」
ソラの話にトゥルクは言葉を失った。ソラの話は聞いたこともないようなもので、想像はしづらかったけれど、ソラの言葉の端々からそれがひどく辛く悲しいことであるのは理解できた。
「私のお父さんとお母さんは科学者だったの。ムジンタンサキによる調査で、いくつも銀河を超えた先の宇宙の果てに人が住める星があるってわかったから、移住のために必要な研究――宇宙空間におけるワープの技術や、長時間の航行に耐えるためのコールドスリープの研究をしてた」
「ソラ、ムジンタンサキってなに?」
「無人探査機っていうのは、宇宙の調査に使う、人が乗れない小型のウチュウセンのことだよ」
ふうん、とトゥルクは頷いてはみせたが、一体それがどんなものなのかまったく想像がつかない。この世にはまだまだ自分が知らないことがたくさんあるのだとトゥルクは思った。
「それじゃあ、ワープとコールドスリープっていうのは?」
「ワープっていうのは簡単に言うと、本来かなり距離があるところに短時間で移動することかな。コールドスリープは、人間を本来の寿命を超えて生きながらえさせるために仮死状態――長期間半分死んでいるような状態で眠らせておくことかな。そうしたら、人間って歳を取らないの」
ソラの話から、彼女の住んでいた星の科学水準はトゥルクの想像を絶するレベルであったことが窺えた。ソラは訥々(とつとつ)と話の続きを薄桃色の唇から紡いでいく。
「住んでいた星がもうこれ以上は本当に駄目だってなったとき、まだコールドスリープのキカイは実験中の段階で、実用に足るものじゃなく、試験用のものが七台あるだけだった。
これらの研究を主導していた私のお父さんとお母さんは、一つの決断をした。自分たちの部下だった七人の若い研究者を被検体としてコールドスリープマシンの中に眠らせることを。そして、隠し持っていたカイハツキのコールドスリープマシンに一人娘の私を眠らせることを」
そう話すソラの黒い目はどこか寂しそうだった。長い眠りから覚めると、どことも知れない場所で一人きりだったわけだから仕方ない。
「私が眠っていたあの場所は宇宙船――宇宙を移動するための乗り物なの。研究者の人たちと私を眠らせた後、たぶんお父さんとお母さんは暮らしていたところに残って、まだ研究途中だったワープ装置を使って宇宙船を遠い宇宙空間に転移させたんだと思う。あの場所はもう生き物が暮らせる状態じゃなかったから、きっとそれからすぐにお父さんとお母さんは死んじゃったはずだよ」
ソラの話はトゥルクの理解の範疇を超えていた。しかし、ソラがきっと両親を恋しく思っているであろうことは理解できた。
「ソラは……お父さんとお母さんに会いたい?」
ソラはうん、と静かに頷いた。トゥルクが彼女の表情をそっと窺うと、彼女は泣き出す直前のような顔で唇を噛み締めていた。
「僕がトレジャーハンターをしているのはね、未知のものに出会いたいからなんだ。僕の死んだおじいちゃんが学者だったんだけど、この世界に関するいろんな面白い話をしてくれて、僕は自分で探しに行きたいって思ったんだ。中でも一番印象的だったのは、この世界にはいくつか、七賢人の遺産が残されているらしいって話」
「七賢人って?」
「この世界を作ったって言われている人たちだよ。皆、常識では考えられないような、神様みたいな力を持っていたって言われてる。そんな人たちが残したものが、いくつかこの世界には眠っているらしいんだけど、そのどれもが超常的な力を持っているって言われてるんだ。七賢人の遺産の力をもってすれば、それこそソラがお父さんやお母さんにもう一度会うことだってできるかもしれない。
だからさ、ソラ。オーレンさんがさっきあんなふうにいったからってわけじゃないんだけど。しばらく、僕と一緒にトレジャーハンターの仕事をしてみない?」
トゥルクがソラへと誘いの言葉をかけると、彼女は不安そうに瞳を揺らしながら、
「迷惑じゃない?」
「そんなことないよ。僕だって、七賢人の遺産なんていうものが本当にあるなら見てみたいから」
だから僕と一緒に行こうよ、とトゥルクはソラへと右手を差し出した。うん、と頷きながらソラはおずおずと自分の右手をトゥルクの手に重ねる。トゥルクはにっと笑って見せながら、ソラの白い手をしっかりと握る。
「それじゃ、ソラ。よろしくね」
「うん、トゥルク。よろしく」
そう言うと、ソラもトゥルクの手を握り返す。
テーブルの上のキャンドルの灯りが、ぱちぱちと炎がはぜる音と甘い蜜蝋の香りとともに、手を握り合う少年と少女の姿を温かく見守るように照らしていた。