第二章:出会いは夢の続きを紡ぐ②
トゥルクがコルニスの街の宿屋に帰り着くと、カウンターキッチンで夕飯の仕込みをしていたエルカが二人を出迎えた。エルカはベージュのエプロンで手を拭いながら、
「トゥルクくん、おかえりなさい。今日は早いのね。って、そちらのお嬢さんは?」
「この子はソラ。今日行った先で一人でいたところを見つけたんですけど、行くところがないっていうので連れてきたんです」
嘘にならない程度に適当に事情をぼかしながら、トゥルクはソラと出会った経緯をエルカに説明する。夢の話など、とてもではないがエルカには言える気がしない。あらまあ、とエルカはオリーブグリーンの目を丸くしながら、
「ソラちゃんだったかしら? 私はエルカ。この宿を切り盛りしているの。ところで、ソラちゃんはご両親は一緒じゃないの? もし迷子とかだったら、自警団の人に相談して探してもらうけれど」
いえ、とソラは首を横に振ると、
「両親はずっと昔に亡くなったので。だから、私一人なんです」
「そうなの。ソラちゃん、お金は持ってる? それよりもご飯とか着替えとかは大丈夫?」
「私、お金は持ってなくて……」
おずおずとソラがそう言ったとき、きゅうと彼女の腹が小さく鳴った。くすり、とエルカは笑うと、
「何はともあれ、まずはご飯ね。ソラちゃん、何か好き嫌いはある?」
「それは大丈夫ですけど、私、お金が……」
「子供がそんなこと気にしないの。それじゃそうね、すぐできるものでキノコのリゾットにでもしようかしら。
あと、トゥルクくん。料金はそのままでいいから、向かい側の二人部屋に移ってちょうだい。この街にいる間はソラちゃんと二人でその部屋を使ったらいいわ」
ありがとうございます、とトゥルクとソラはエルカへと頭を下げる。どういたしまして、と朗らかに笑いながらエルカはカウンターキッチンの向こう側へ戻っていった。
まだ夕食どきには少し早い時間帯だからか、食堂には他の宿泊客の姿はない。エルカは食材の入ったカゴから、何種類かのキノコや玉ねぎ、ニンニクなどを取り出しながら、
「トゥルクくんは一旦部屋に荷物を置いていらっしゃい。今朝まで使ってた部屋に置いてある荷物は、後で息子に運ばせるからそのままでいいわよ。
ご飯、ソラちゃんと同じのをトゥルクくんにも用意しておくから、すぐ戻ってくるのよ。冷めたリゾットなんて美味しくないからね」
はい、とトゥルクは返事をすると、二階への階段を登っていく。客室が並ぶ廊下を進み、突き当たりの左側の扉をトゥルクは開ける。綺麗に整えられた部屋に並べられた二つのベッドに天然木のテーブルと椅子二脚が彼を出迎えた。
トゥルクは手前側のベッドの脇に、リブレの背に乗せていた荷物と背負っていたナップザックを下ろす。荷解きや道具の手入れをしてしまいたかったが、エルカがすぐに戻ってくるように言っていたのを思い出し、トゥルクは部屋を出た。
トゥルクが一階の食堂へ降りていくと、ちょうど出来上がったリゾットをエルカが皿によそっているところだった。カウンター席のスツールに腰掛けたソラは何だか肩身が狭そうな顔をしていた。
チーズとキノコの美味しそうな匂いに思わず顔を緩めながら、トゥルクはソラの横のスツールに腰を下ろした。
「はい、トゥルクくん、ソラちゃん。おまちどうさま」
エルカは二人の前へとリゾットの入った皿とスプーンを置く。いただきますと両手を合わせると、トゥルクはスプーンへと手を伸ばす。ソラは本当に食べていいのかとまだ躊躇っているようだった。
「気にしないで食べなよ。エルカさんの料理、美味しいよ」
トゥルクが声をかけると、ソラはこくりと頷いた。リゾットの皿の前でソラは手を合わせると、スプーンを手に取り、料理を口に運び始めた。
「……おいしい」
口の中に広がる幾重にも重なったキノコのコクとチーズのクリーミーさにソラは思わず声を漏らした。ともすれば濃厚すぎるようにも感じられるそれを仕上げにかけられたブラックペッパーがピリリと引き締めている。
ぱくぱくとソラが夢中でリゾットを食べ進めているのを見て、トゥルクは自分の分のリゾットに口をつける。濃厚さの中に同居するガーリックの存在が食欲を刺激する。美味しそうに自分の料理を食べる子供二人をエルカは調理器具を洗って片付けながら、嬉しげに口元を綻ばせた。
「ソラちゃん、そういえば着るものもないんだったかしら? 私が若いころに着ていたものが残ってるから、よかったら使ってちょうだい」
洗ったフライパンを布巾で拭いて片付けながらエルカがそう言うと、ソラはスプーンを動かす手を止め、申し訳なさそうに、
「こうやってご飯を食べさせていただいた上に、寝泊まりする場所まで用意していただいたのに、これ以上甘えるわけには……」
いいのいいの、とエルカは顔の前でひらひらと手を振りながら、
「子供が遠慮なんてしないの。それに着替えがなくて困っているのは事実でしょう? それに服もこのままじゃ箪笥の肥やしになるだけだし、ソラちゃんみたいなかわいい子に着てもらえたほうが私は嬉しいわ」
それでもまだ躊躇する様子を見せるソラにエルカは仕方ないわねと苦笑すると、
「ソラちゃん。じゃあこうしましょう。服をあげる代わりに、食べ終わった後の二人分のお皿を洗っておいてくれないかしら?」
エルカの提案にそれなら、とソラはようやく首を縦に振った。
「それじゃあ、ソラちゃん。早くそれ食べちゃいなさい。私はソラちゃんが食べてる間に、服を取ってきちゃうから」
エルカに促されて、ソラは再びスプーンを動かし始める。それを見てエルカは満足そうな顔をすると、その場を離れ、裏口から外へ出ていった。
二人がリゾットを食べ終えたころ、綺麗に畳まれた服が入ったかごを抱えて、宿の外からエルカが戻ってきた。かごの中には小花柄のワンピースや、レースとフリルが可愛らしいブラウス、刺繍が美しいスカートなどが入っている。
「ソラちゃん、これ、ここに置いておくわね。ソラちゃんの趣味に合うかはわからないけれど」
いえ、ありがとうございます、とソラはリゾットの皿をカウンターキッチンの中で洗いながら頭を下げた。
食器を洗い終わったソラが、エルカが持ってきた籠に入れられた服を見ていると、チャリンというベルの音が鳴った。ドアが開き、入ってきたのは恰幅の良い豪気そうな髭面の中年男性――オーレンだった。
「あら、オーレンさん。おかえりなさい」
エルカがオーレンを出迎えると、おう、と彼は手をあげる。とりあえずビール一杯くれ、と言いながら、彼は背負っていた荷物を床に置いて、手近な席に腰を下ろす。
「まったく、オーレンさんてば空きっ腹にお酒は体に良くないわよ」
小言を言いながらもエルカは、氷水を入れた大きな木桶で冷やしていたビールの瓶を取り出し、ジョッキへと中身を注いでいく。チーズをナイフで切って、小皿へと盛り付けると、エルカはビールとチーズをオーレンがいる客席へと運んでいく。
「ほら、オーレンさん。仕方ないからチーズはサービスしとくわ」
サンキュ、とオーレンはビールとチーズを受け取ると、服を広げて見ているソラとトゥルクへと視線をやり、
「なあ、エルカさん。あの変わった服を着ている女の子は何なんだ? トゥルクの彼女か?」
耳に入ってきたオーレンの言葉に慌てふためいたトゥルクは、顔を真っ赤にしてオーレンを振り返り、
「オーレンさん! ソラはそんなんじゃないから!」
「お、じゃあどんなんなんだ?」
オーレンはビールを啜りながら、顔をにやつかせた。
「今日行った先で偶然出会ったんだよ。それで、家族もいないし、行く先もないっていうから連れて帰ってきたんだけど」
ふうん、と言いながらオーレンは再び、ソラへと視線を向ける。惰性で皿に盛られたチーズへと手を伸ばしながら、
「それで、何で服?」
オーレンが疑問を口にすると、ソラは服から顔を上げ、
「私が着替えを持っていないのを知ったエルカさんが、昔着ていた服をくださったんです」
「ふうん、道理でデザインが妙に古くさいと思ったら」
「悪かったわね」
エルカが筒状に丸めた本日のディナーメニューが書かれた紙でオーレンを小突いた。しかし、オーレンはさして気にしたふうもなく、
「トゥルク、明日は月に一度の大市の日だ。その子と服でも見に行ってきたらどうだ?」
「でも、私、お金が……」
「それはトゥルクに立て替えてもらえばいいさ。それでもって、服代は今後のトゥルクの仕事を手伝うなりして、稼いで返せば何も問題ないんじゃないか?」
妙案とでも言いたげにオーレンはがははと笑うと、ビールを煽る。それいいね、とオーレンの言葉を肯定すると、トゥルクはソラを振り返り、
「どうかな? ソラが嫌じゃなかったらそうしない?」
「いいの?」
戸惑っている様子のソラにトゥルクはもちろんと力強く頷く。
「ところで、トゥルクの仕事って何なの?」
ソラの当然の疑問に、そうだよねとトゥルクは苦笑すると、
「僕はトレジャーハンターをしてるんだ。いろんなところに行って、見つけた宝物の類を買い取ってもらったお金で暮らしてる。今日、ソラとあそこで会ったのも、ドバシアの森に隠された財宝を探しに行っていたからなんだ」
そうなんだ、とソラが相槌を打とうとしたとき、ぱんぱんと手を叩きながらエルカが割り込んできて、
「二人とも。そろそろ、本格的に宿泊のお客さんが増えてくる時間だから、その辺りを片付けて上に戻ってちょうだいな」
そう言われてトゥルクが食堂の隅にある古時計に目をやると、午後六時を回りかけていた。確かにそろそろ、腹をすかせた利用客たちが増えてくる時間だった。
トゥルクはソラと協力して、テーブルの上に広げた服の数々をたたみ直してカゴの中に片付けていく。
よいしょ、と、服の入ったかごをトゥルクは持ち上げると、ソラと共に客室のある二階へ続く階段を上がっていった。