第二章:出会いは夢の続きを紡ぐ①
「君は……君は、誰?」
トゥルクが少女に尋ねると、少女は黒く大きな双眸を瞬かせた。すう、と少女の形のよい薄桃色の唇が空気を吸い込む音がやけに大きく室内に反響する。
「私は、ソラ。ええと……あなたは誰?」
「ごめん、そうだよね。僕はトゥルク。トゥルク・ツェイラー」
当然の疑問をソラにぶつけられて、トゥルクは苦笑しながら名乗った。トゥルク、と小さく口の中で繰り返すと、ソラは何かを思い出そうとするかのようにじっとトゥルクを見つめる。そして、ソラは何かに思い当たったのか、はっとしたような表情をその端正な顔に浮かべると、
「ねえ、トゥルク。私たち、会ったこと……ある?」
目の前の少女の問いにトゥルクは茶褐色の目を見開く。自分は昔から何回も何十回もソラに夢の中で会っていたが、まさかソラの側もそうだとは思ってもみなかった。馬鹿馬鹿しいって思うかもしれないけれど、とソラは前置きすると、
「私、ずっとずっと夢を見てたの。同じくらいの年の男の子が出てくる夢。夢の中でなぜか私は誰だか知らないその男の子のことを呼んでいるの。私を見つけて、って。その男の子はここに来て、私に何かを話しかけてくれるんだけど、私には男の子が何を言っているのか聞こえないの。トゥルクは……夢に出てきた男の子にとってもよく似てる」
ソラの顔はとても真剣で、嘘をついている様子はない。実はね、とトゥルクは信じられない気持ちでいっぱいになりながらも、幼いころから繰り返し見てきた夢のことを初対面の少女に告白した。
「僕も小さいころからずっと、ソラみたいな女の子が出てくる夢を何回も何十回も繰り返し見てた。その女の子はちょうどここみたいなところで眠りながら、僕を呼んでるんだ。私を見つけて、って」
トゥルクとソラは顔を見合わせた。もしかして、とあり得ない想像が頭の中に広がっていく。
「ねえ、ソラ。僕たちってもしかして、夢の中でずっと……」
「ずっと、お互いに呼び合っていた、ってことなのかな……?」
尻すぼみになりかけたトゥルクの言葉尻を引き継ぎ、ソラがその可能性をはっきりと言葉にした。普通なら馬鹿馬鹿しいとしか思えないはずなのに、なぜかそうとしか思えなかった。どうしてなのか理由などわからない。けれど、幼い頃から見続けた少女の夢は、ソラとこうして出会うためにあったに違いないと根拠はないけれどトゥルクは確信を覚えた。
「ねえ、ソラ。聞いていい? どうしてソラはこんなところで一人で眠っていたの? お父さんとお母さんは一緒じゃないの?」
「一人……?」
ソラは聞き返すと、何かを考え込む様子を見せた。やがて、何かが腑に落ちたのか、そっか、とソラは寂しげな表情を浮かべた。彼女のその顔はやけに大人びて見えると同時にトゥルクの目には迷子のように映って、何だかたまらない気分になった。聞くべきじゃなかった、とトゥルクは後悔した。
「たぶん……お父さんとお母さんは、ずっと昔に死んじゃった。だから、私は一人」
そうなんだ、と相槌を打った自分の声がやけにそっけなく聞こえた。きっと一人でこんなところに放り出されて心細いであろう彼女を元気付けるにも、親と死別したという彼女を慰めるにも、どんな言葉を選べばいいのかトゥルクにはわからなかった。その代わり、それならさとトゥルクはある提案をした。
「ソラ、これから近くの街に戻るんだけど、僕と一緒に来ない? 行くところ、ないでしょう?」
「いいの?」
少し不安そうな顔をするソラへ、もちろんとトゥルクは笑みを浮かべてみせる。戸惑うソラのひんやりとした白い手をトゥルクはぎゅっと握る。細く滑らかなソラの手はいかにも女の子という感じがして、トゥルクは少しだけどきりとした。
「それじゃ、ソラ。行こうか」
なんてことはないふうを装いながら、トゥルクはソラに声をかける。うん、とソラが頷くと、トゥルクは彼女の手を引いて部屋を出た。
トゥルクがソラを連れて遺跡を出ると、太陽が傾きかけていた。リブレを繋いでいる小川のそばまで戻ると、ソラはトゥルクの愛馬を見て首を傾げた。
「これは……馬?」
「そうだけど……ソラ、馬って見たことない?」
「ドウガとかシャシンで見たことはあるけど……本物をこんなに近くで見るのは初めて」
「そうなんだ? 触ってみる?」
ソラの言うドウガやシャシンがなんのことかはわからなかったが、トゥルクはそれは一旦置いておくことにする。一人で心細い思いをしているに違いない彼女に、今細かいことを根掘り葉掘り聞く気にはなれなかった。
「ソラ、この子はリブレ。女の子だよ。この子、ちょっと怖がりだから、名前呼びながら首の辺りを撫でてあげて」
トゥルクがリブレとの触れ合い方をソラに説明してやると、彼女はわかったと頷いた。「リブレ」
優しく名前を呼びながら、ソラはリブレの首筋へと手を伸ばす。しかし、ソラの手が触れるよりも早く、リブレはぐっと後ろに耳を倒し、ソラに噛みつこうと威嚇してきた。
「ほら、リブレ。この子はソラ。怖くないよ」
ソラを怖がるリブレの鼻面をトゥルクは宥めるように撫でてやる。主人の声を聞いて少し落ち着いたのか、リブレはトゥルクの肩へと顔を擦り寄せた。
今度こそ、とソラがもう一度リブレに近づこうとすると、リブレは再び耳を後ろに倒す。どうやら、リブレはソラに触られるのを拒んでいるようだった。
「ソラ、ごめんね。いつもはこんなんじゃないんだけど。慣れてきて、ソラは怖くないってわかったら、たぶんそのうち触らせてくれるようになると思うよ」
そうかなあと、疑問に思いつつもソラはリブレを眺める。額の白いハート模様は可愛らしいが、態度がいまいち可愛くない。なぜか女として敵対視されているような気すらする。
「もうすぐ夕方になっちゃうし、街まで戻ろうか。ソラは高いところとか大丈夫?」
「大丈夫だけど、どうして?」
「歩いて帰ると時間かかっちゃうから、一緒にリブレに乗って帰ろうかと思って」
ソラの疑問にトゥルクがそう答えると、ソラはえ、とあからさまに顔を引き攣らせた。
「ねえ、トゥルク……私、この子に嫌われてる気がするんだけど、本当に乗せてくれるかな? 振り落とされない?」
「大丈夫だよ。僕も一緒に乗るからそんなことにはならないよ」
そう言いながら、トゥルクはリブレを繋いでいた紐を解くと、ナップザックへとしまった。トゥルクは鞍の左側から鐙を吊るしている革の長さを調節して伸ばすと、
「ソラ、手綱とリブレのたてがみを掴んだら、左足を鐙にかけて体を持ち上げて。そしたら、リブレのお尻を蹴らないように気をつけながら、右足を向こう側に持っていって」
「わかった……けど、たてがみなんて掴んでリブレは痛くないの?」
「馬はその辺りは掴んでも痛くないから大丈夫だよ」
そうなんだ、と相槌を打ちながら、ソラはトゥルクに言われた通り、手で手綱とリブレのたてがみをまとめて握る。左足を鐙に引っ掛けると、弾みをつけて体を上へ持ち上げる。右足を回して鞍の向こう側に下ろすと、ソラは鞍の上へ腰を下ろした。
「ソラ、鞍の前に持ち手みたいなものがあるはずだから、そこ持っててくれる?」
ソラはそれらしきものを見つけて指差すと、「これ?」「うん、それ」トゥルクもリブレの上に跨り、前に座るソラを抱きかかえるようにして手綱を握る。
左手を伸ばして、ソラが乗る前に伸ばした鐙を自分の足の長さに直すと、トゥルクはリブレへと動くように指示を出す。リブレが動き出すと、ソラは思わずといったふうに、
「わっ、動いた!」
「そりゃ動物だしね。少しスピード出すからちゃんと捕まっててね」
余裕ありげにトゥルクはそう言ったが、内心では前に座るソラの存在にどぎまぎとしていた。密着した背は細く華奢なのに、トゥルクが手を置いている彼女の太腿は柔らかく弾力がある。なるべく意識しないようにしながら、トゥルクは手綱を短く持ち直すと、左脚で合図を送り、リブレを走らせ始めた。