第一章:祈りは出会いを繋ぐ④
先程目にした不思議な文章の内容に従って、トゥルクが小川から南西の方角へ千五百歩ほど進んでいくと、小川の辺りから見えていた大木の根元へとたどり着いた。
遠目には大樹に見えたそれは、よく見るとツタがびっしりと巻き付いた建物だった。この辺りは木々が密集しているため、間近で見ない限りは大きな木が生えているようにしか見えない。コルニスではこの森にこんなものがあるなどという話をとんと耳にしなかったのも頷ける。ここまで周囲の風景に溶け込んでしまっていては、建物の存在に気づく人間はそういないだろう。
光の反射ではっきりとは見えないが、はるか頭上で屋根と思しき鋭くとがった円錐の先端が顔をのぞかせている。細長い形状から察するにこれは塔だろうかと思いながら、トゥルクは緑に覆われた建物を見上げる。この感じでは以前に誰かがここを調査した様子はないし、これは前人未踏の遺跡である可能性が高い。まだ見ぬものへの期待でわくわくとトゥルクの胸は躍った。
トゥルクはここを訪れた目的を半分忘れながら、建物を覆うツタを手でかきわけていく。建物の外壁に触れた指先に伝わるつるりとした手触りに、あれ、とトゥルクは違和感を覚えた。
(何だこれ……? 土とか石じゃなさそうだし、レンガでもなさそうだ)
この世界の建築物は木造や土を塗り固めたもの、石やレンガを積み上げたものに大別される。しかし、トゥルクの指先に伝わる感触はそのいずれのものでもなさそうだった。トゥルクは腰のベルトからナイフを抜くと、塔を覆うツタを切っていく。外壁があらわになると、トゥルクは茶褐色の目を丸くした。
(ガラス……? それとも金属かな……? いや、これは……たぶんどっちでもない)
見れば見るほどに不思議な材質の建物だった。トゥルクが知る限り、これは現代の建築様式によるものではない。
(まさか……まさか、ね)
もしかしたらこれこそがかつて祖父から伝え聞いた、自分が探し求めていたものの一つなのではないかと思うと、トゥルクはどきどきした。目の前にある、未知のものの存在にトレジャーハンターとしての感覚が疼いてたまらない。
入り口がないか調べてみよう、とナイフを手にしたままトゥルクは歩きだす。少し傾いた塔の外周を半分ほど進んだとき、トゥルクの腰の黒いポーチが内側から発光した。それに呼応するように、ツタの内側からピピっという無機質な音が聞こえてきた。
(何だ……?)
疑問を覚えつつもトゥルクは手に持ったナイフで、音がした辺りのツタを切り払っていく。
(これ……この塔の入り口かな?)
ツタの下では闇を湛えた空洞がぽっかりと口を開けていた。中を覗き込もうとすると、ジジっという音とともに遺跡の内部が白い光によって照らし出され、トゥルクは反射的に身を引く。しかし、それ以上何かが起きる様子はなく、罠や仕掛けの存在に気を配りながら、もう一度トゥルクは戸口から中を塔の中を覗き込んだ。
トゥルクの視界の範囲内には落とし穴もなければ、上から何かが落ちてくる気配もないし、毒針が飛んでくるような様子もない。この分ならこの辺りには妙な罠や仕掛けはないと思っていいだろう。
蝋燭や松明によるものではない白い明かりが時折ちかちかと明滅を繰り返しながら、遺跡の中を照らしていた。一体どういう仕組みなのかもわからないし、恐らく現代の文明によるものではないだろうと思いながらも、一旦はランプの準備は不要と判断し、トゥルクは遺跡の中へと足を踏み入れた。
トゥルクは壁に手をつきながら遺跡の中を進んでいく。手に伝わる壁の感触はつるつるとして冷たい。何の素材によるものなのかは見当もつかないが、やはり今の文明レベルによるものだとは思えない。
(……あれ?)
トゥルクは目に映る風景に既視感を覚えて、足を止める。ここを訪れるのは初めてのはずなのに、知っているとトゥルクは思った。彼は記憶の中から既視感の正体を探っていく。そして、それの正体に思い至ると、トゥルクはあっと声を上げた。
(夢の遺跡……!)
トゥルクは昔から同じ夢をよく見る。夢の中のトゥルクはいつもどこだかわからない遺跡を歩いている。その遺跡はちょうどトゥルクが今いるこの場所に酷似していた。
まさか、と思いながらもトゥルクは再び歩き続ける。不思議な材質の壁や床。ジジジと音を立てながらゆらゆらと揺れる白い明かり。近づくとひとりでに開く扉。あまりにも長年繰り返し見てきた夢の内容との符合が多すぎる。夢で見たのと同じ角で通路を曲がると、夢で見た通りに扉が待ち受けており、トゥルクは偶然で済ますにはあまりにも無理がある状況に頬を引き攣らせた。
(ということは……いつも、夢で見るあの女の子がもしかして……?)
そんなことを思いながら、トゥルクは夢の中で歩き慣れた順路に従って、通路を進んでいく。夢の通りにいくつも扉をくぐり抜けるうちに、トゥルクは遺跡の最奥にたどり着いた。
最奥の部屋は繰り返し夢で見てきたように、大小様々なガラスの板が壁のそこかしこに貼り付けられていた。巨大な金属製の円柱やよくわからない液体が満ちたガラスの水槽のようなものが異様な存在感を放ちながら壁際に佇んでいるのが見える。天井の長い棒状の白い明かりの下、部屋の中央に蓋がガラス張りになったぼんやりと光る棺のようなものを見つけると、トゥルクの心臓はどくりと鳴った。
トゥルクは棺に近づくと、そっと中を覗き込む。やはり、棺の中には夢で見たのと同じ、長い黒髪の少女が横たわっていた。
美しい少女だった。どこかの富豪の息女か何かなのか、その肌は白く滑らかだ。祈るように胸の前で組んだ指先にも傷ひとつない。長い黒髪もさらさらとしてつややかだ。しかし、その服装はだぼっとした丸襟の白いシャツのようなものに青色の長ズボンという娘らしからぬ風変わりなもので違和感があった。
どうして彼女はこんなところで、たった一人眠っているのだろうか。何回も何十回も夢の中で彼女のことを目にしてきたはずなのに、トゥルクはその理由を知らない。
(だけど、いつもこの子は僕を呼んでた。見つけてって言ってた……!)
彼女を目覚めさせよう、とトゥルクは棺の蓋を持ち上げようとする。しかし、ぴったりと張り付いているかのように、ガラスの蓋は微動だにしない。
何か仕掛けがあるのかとトゥルクは棺の周りを調べていく。棺の足元の辺りに小さな金属の箱を見つけ、よく見ようとトゥルクがしゃがみ込んだとき、腰のポーチが再び内側から発光した。腰のポーチを開くと、先程川辺で手に入れた棒の上部のガラスの花が光を放っていた。
『ジュンカンリユーザをニンショウ。カイハツキ、システムをテイシします』
金属の箱から感情も温度もない女の声が発され、ピーという長い音が響き渡った。その音にトゥルクはなんだか嫌な予感を覚える。壁に貼り付けられた全てのガラス板に光が灯り、白い文字が浮かび上がり始めた。こういうときは逃げるべきだと、トレジャーハンターとしての勘が警鐘を鳴らしていた。ポーチに棒を押し込み直すと、トゥルクは立ち上がる。逃げよう、とトゥルクが踵を返しかけたとき、棺からカチリという音がした。唐突に室内に静寂が戻り、誰が何をしたわけではないというのに、勝手にガラス張りの蓋が開いていく。いつの間にか、壁のガラス板群や棺に灯っていた光も消えている。
え、とトゥルクは目を見張った。棺の中に横たわっていたはずの少女が体を起こし、こちらを見ていた。
「君は……君は、誰?」
トゥルクの口をそんな言葉がついて出た。それは長年、トゥルクが夢の中の彼女に聞けずじまいになっていたことであり、知りたくて仕方なかったことだった。
天井の白い明かりが、少女の白い顔を照らしている。こうして、トゥルクが長年の間、繰り返し見続けてきた夢の続きが始まった。