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第四章:水底に眠る秘密⑤

 追い風に恵まれた二人を乗せた小舟が沖合に出ると、トゥルクとソラは協力して重たい(いかり)を下ろし、小舟をその場に係留した。

えい、と何の躊躇いもなくソラが海の中へと飛び込んだ。派手に水飛沫が上がり、がくんと大きく反動で小舟が揺れる。

 しばらく水の中に潜っていたソラは、海面から顔を出すと、

「トゥルク、やっぱりこれがあれば水の中でも大丈夫みたい。息、全然苦しくならないよ」

「本当に?」

 トゥルクが聞き返すと、ソラは(うなず)いた。自分の目論見が見事に当たり、ソラは(うれし)しそうな顔をしている。

 小舟が転覆しないように気を配りながらトゥルクも海中にその身を躍らせる。塩辛い水の中へ潜っても、ソラの言う通り、呼吸が苦しくなることはなくトゥルクは茶褐色(ちやかつしよく)の目を丸くした。ね、と片目をつぶってみせるソラに「すごい!」トゥルクは興奮気味に(うなず)いた。

 エメラルドグリーンに光る海の中を泳ぎながら、トゥルクとソラは海底へと向かって下降していく。普段なら重くまとわりついてくるはずの水が髪や体を()でるようにしてすり抜けていくのを感じる。

 頭上で銀色に光る魚の群れが回遊しているのが見えた。その圧倒的なスケールにソラは息を呑む。

 下を見れば、思い思いの色鮮やかな衣装に身を包んだ魚たちが無邪気に水の中を舞い踊っている。青い体に黄色の尾を持つナンヨウハギ。白と黒のストライプ模様が個性的なイシダイ。オレンジ色と白の小さな体が色鮮やかなクマノミ。海上から差し込むきらきらとした光を浴びながら、ふわりふわりと半透明の体を漂わせているクラゲ。元の世界ではあり得ない、生命が息づく美しい光景にソラは目を奪われる。

「綺麗……」

 思わず呟いたソラへそうだね、とトゥルクは同意する。ゆったりとした動きで水をかきながら、ウミガメが二人の後ろを通り過ぎていった。

 この世界にはたくさんの美しいものがある。その事実にソラはなんだか泣きそうになる。自然が生み出した美しいものも、人の手が作り出した綺麗なものも、ソラにとってはすべては人の技術の進歩によって失われてしまったものだ。記録映像などで目にしたことはあっても、自分の目で実際に見てみると、喜びと悲しみが入り混じったものが胸を迫り上がってくる。

 何かがじわじわと込み上げてきて、ソラはさりげなさを(よそお)ってグローブをはめた手で目頭を押さえた。一瞬の後には、何事もなかったような表情を浮かべると、ソラは少し前を泳ぐトゥルクを追いかけて、手足を動かした。

 グロテスクな造形がチャーミングな深海魚が縄張りを主張する、海上の光が届かない深さまで到達したころ、先端が真っ二つにへし折られた赤い鉄塔のようなものを視界に見つけ、トゥルクは何あれ、と疑問の声を上げた。

 ぼそり、とソラがトゥルクの横で何かを呟いた。何、とトゥルクは聞き返したが、その言葉が届いているのかいないのか、眼下の光景を目にしたソラは目を見開いて、顔を強張(こわば)らせていた。

 海底に広がっていたのは、オーレンやリーウェの人々に事前に聞いていた通りの廃墟(はいきよ)だった。しかし、それはソラが生まれ育った風景と酷似(こくじ)していた。

(あれは、東京タワー……!)

 折れた鉄塔を取り巻く崩れた高層ビル。街中を駆け巡るところどころ崩落(ほうらく)が見受けられる道路のようなものは首都高速だろうか。朽ちて倒壊しかかっているあの寺のようなものはきっと増上寺、その隣の海藻に覆われた空間は芝公園だった場所に違いない。

 ひび割れた道路に転がっている水色の標識はきっと遥か昔にその仕事をやめた地下鉄のものだ。首都高速の上に散らばるコンクリートの破片はかつては空港へと向かうモノレールが走っていたレールだったものだろうと思われる。ばらばらになって地上に散らばった鉄骨はきっと、この辺りを山手線が走っていたときのもので、その向こうにはおそらく浜離宮庭園だったのだろうと思われる水草と(こけ)にまみれた空間が広がっていた。

 ソラはトゥルクと出会ってから感じていた違和感に対して確信を得た。記録映像などで見覚えのある異国の美しい景色。かつてソラが住んでいた星で使われていたものに酷似(こくじ)した古い文字。ソラを可愛がってくれたリノアによく似た賢人の像。コールドスリープマシンで眠り、宇宙へと送られた若き研究者たちとこの世界で(まつ)られている賢人たちの名前と人数の一致。そして、今二人のことを守ってくれている二つの指輪。

 おそらく、この場所はかつてソラたちが暮らしていた星――人がいなくなった後も温暖化による海面上昇が止まらずにすべてが水没してしまった後の地球だ。自分が目覚めたとき、リノアたちの姿がなかったことから、ソラは彼らはコールドスリープマシンの不具合で死んでしまったのだとばかり思いこんでいた。しかし、それはきっとソラの思い違いで、宇宙の彼方へと送られたはずのリノアをはじめとする七人の研究者たちは、どうにかしてこの惑星へと舞い戻り、今のこの世界の(いしずえ)を築いたに違いない。だからこそ、この世界には遠い昔に地球に存在していた美しい景色やかつて使われていた言語などが残されているのだろう。

 自分の中にことりと音を立てて着地したこの世界の真相に、ソラは体が勝手に震えるのを感じた。自分が生まれ育った遠く離れた惑星は、ソラの記憶とは変わり果てた形で最初からここに存在していた。

 トゥルクの言う七賢人(ななけんじん)の遺産というのは、おそらくかつてリノアたち研究者が残した科学技術による産物なのだろう。しかし、ソラの生きていた時代の科学水準では、時を超えるための技術など、確立されてはいなかった。つまり、それはこの海の底で七賢人の遺産が見つかったとしても、ソラが自分の生きていた時代へ戻れるわけではないということを意味していた。

 ソラはこれまで自分が抱いていた淡い希望が打ち砕かれるのを感じた。すうっと顔が冷たくなっていく。

「ねえ、トゥルク。私……」

「どうしたの、ソラ。さっきから様子が……」

 思わず弱音を吐きかけたソラは何でもない、とかぶりを振る。ソラはかつて大きな市場が存在していたという築地(つきじ)の辺りに半ば崩れかけた、外壁を苔と水草に覆われた大きな施設――以前のソラがよく出入りしていた両親の研究所を見つけ、指差した。

「トゥルク、あそこ。あそこにたぶん、七賢人(ななけんじん)の遺産が……この世界ができる前の失われた技術が眠ってる」

「ソラ……どうしてそんなことがわかるの?」

 トゥルクは戸惑いを露わにしてソラへと問うた。ソラは寂しそうな表情を浮かべると、

「行けばわかるよ」

 ソラは半ば強引にトゥルクの手を掴むと、潮の流れに乗って泳ぎ出す。ソラの視界では仰向(あおむ)けになって泳ぐ大きなダイオウグソクムシの姿が二重になって(にじ)んでいた。

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