第三章:青白の島④
洞窟の中に入り、外の光が届かなくなると、トゥルクはナップザックからランプと火口箱を取り出した。火打ち石と火打金を打ち合わせて火花を起こすと、ほぐした麻紐へと着火させる。附け木で火種を麻紐からランプの中のろうそくへと移してやると、暗闇を温かくゆらめく炎が照らし出した。
「ソラ、ランプ持ってもらっていい?」
火の始末をしながらトゥルクが聞くと、いいよ、と頷いてソラはランプへと手を伸ばす。トゥルクが火口箱をナップザックにしまうと、二人は洞窟の中を歩き出した。
進み始めてすぐに二人は分かれ道にぶつかった。右の道は大きな岩で塞がれ、左の道には何やら小さな祠のようなものがある。
「トゥルク、どうするの?」
どちらにも進めなさそうな状況を前に、ソラはトレジャーハンターとしての場数を踏んでいるトゥルクへと判断を委ねた。トゥルクは右の道を塞ぐ大岩に手を触れ、簡単には動きそうにないことを確認すると、今度は左の道の祠を丁寧に観察していく。トゥルクはジャケットの袖口をまくり上げた両腕を組むと、ふむ、と一瞬思案げな顔をする。腕をほどき、後ろをついて回るソラの名をトゥルクは呼ぶと、
「これは火に反応するタイプのギミックだよ。そこの祠に火を灯してあげると、右の道を塞ぐ岩が外れて通れるようになるんだ。この稼業をやっていると、割とよく出くわすタイプのギミックだから、ソラも覚えておいて。
そうだ、ソラ。せっかくだから、このギミックの解除、やってみない?」
「いいの? やってみたい!」
トゥルクは腰のベルトに吊るした黒いポーチから、蝋燭を一歩取り出すと、乗り気な返事をしたソラへと渡す。ソラは蝋燭を受け取ると、手に持ったランプのふたを開けた。ランプの中でゆらめく炎に蝋燭の先端を近づけて火をつけると、ソラは蝋燭を祠の中へと置いた。
ほどなくして、ゴゴゴという重量感のある音を響かせながら、右の道を塞いでいた岩が外れた。岩はそのままごろごろと道の奥へと転がっていき、やがて闇の中へと消えていった。
「よし、っと。ソラ、行こう」
トゥルクはソラを促すと、障害物のなくなった右の道へと足を踏み入れた。
岩壁に手をつきながら、しばらく奥へと進んでいくと、突然、バサバサっという羽音が響くのをトゥルクの聴覚が捉えた。ソラが持つランプでぼんやりと照らされた空間に、コウモリのものと思しき小さなシルエットが大量に浮かんでいる。トゥルクは振り返りざまに腰に吊るしたナイフを鞘から抜きながら、
「ソラ、コウモリだ! 気をつけて!」
ソラへと警告を発すると、トゥルクは自分のほうへと飛んでくるコウモリに向けてナイフを閃かせる。ナイフの刃先に軽い手応えを感じると同時に、動かなくなったコウモリがぼとりと地面に転がる。仲間を殺されたことで激昂したコウモリたちが、改めてトゥルクを敵として認識し、大挙して迫ってくる。トゥルクはナイフを構え直すと、再びそれを一閃し、コウモリの群れを迎え討った。二閃、三閃とトゥルクのナイフの動きに合わせて、ぼとぼとと足下に死体となったコウモリが落ちていく。
しかし、トゥルクの攻撃をかわした何匹かのコウモリが、彼の背後にいたソラへと襲いかかる。キィキィと鳴きながら自分へと迫ってくるコウモリに、ソラは悲鳴をあげた。
「きゃっ……きゃぁぁぁぁ!」
恐慌状態に陥ったソラは手に持ったランプをぶんぶんと振り回してコウモリたちを追い払おうとする。トゥルクは噛まれないように気をつけながら、ソラをコウモリから引き剥がす。振り回されるランプに驚いたのか、コウモリたちは散り散りになって逃げていく。
「ソラ、ソラってば、落ち着いて! それにそんなもの振り回したら危ないから!」
トゥルクはランプを持つソラの左腕を掴んだ。大丈夫だから、とトゥルクは宥めるようにもう一方の手でほんの少し低いところにある彼女の肩へ触れる。
ソラが次第に落ち着きを取り戻していくと、大丈夫、とトゥルクは彼女へと聞いた。
「トゥルクー、何なのあれ! あんなのがいるなんて聞いてないよ!」
大きな黒い目でトゥルクの顔を見上げながら、そう訴えてくるソラのかすかに花のような甘い香りがする髪を彼はよしよしと撫でる。すると、彼女は触らないでよ、とまだ少し強張りの残る顔で軽く笑った。半分強がりであるようにもトゥルクの目には映ったが、先程まであんなに怖がっていたというのに、もう笑えるというのはなかなかに肝が据わっていると彼は思った。
「せっかく早起きして、髪の毛ちゃんとしてきたんだから、ぐしゃぐしゃにしないで。それはそうと、あんなのが出るんなら先言っといてよ。心の準備っていうものがあるでしょ」
ごめんって、とトゥルクはソラへと詫びる。こういう洞窟にコウモリだのなんだのといったものがいるのはトゥルクにとっては常識で、ソラに話しておくのをすっかり忘れていた。
「こういうところには結構、コウモリとかヘビとかがよく出るんだ。なるべく僕が気をつけてはおくけど、今みたいなことがあったら、落ち着いて対処して。この前、コルニスの大市で買ったロッド、持ってるでしょ?」
トゥルクは出先で何かあったときにソラが一人でも身を守れるように、先日のコルニスの大市でソラ用に取り回しやすい武器を購入した。見るからに武器を扱い慣れていなさそうな彼女に、トゥルクは軽くて扱いやすそうなロッドを見立ててやっていた。殺傷能力はあまりない初心者向けの得物ではあるが、何もないよりはずっといい。
それじゃ行こうか、とトゥルクはさりげなくランプを引き受ける。しかし、二人の進路には等間隔に並べられた銀色の棒のようなものが光っていて、何だあれはとトゥルクは目を凝らした。
(鉄格子か……)
錆びついた鉄格子が二人の行く手を遮っていた。先程の大岩といい、このように意図的に侵入者を阻むためのギミックが仕掛けられていることから、この洞窟は過去に盗賊かなにかの根城にでもなっていたのかもしれないとトゥルクは思った。
トゥルクはランプを掲げて、左右の岩壁を調べていくと、岩の凹凸の陰に小さなレバーが隠されているのを見つけた。これは左右のレバーを同時に操作することで通れるようになるタイプのギミックだ。少しでもタイミングがずれると、ギミックが解除できないだけでなく、矢やら毒針やらが降ってきたりする厄介なものである。
「ソラ、せーのでそこのレバー上げてくれない? これ、ちょっとでもずれると、多分上から何か降ってくるから気をつけて」
ソラはわかったと頷くと、左側の岩壁のレバーに手をかける。トゥルクも同様に右側のレバーを掴む。トゥルクはソラと視線を交わし合い、互いの準備が整ったことを確認すると、
「それじゃあいい? ソラ、いくよ。せーの!」
二人は掴んだレバーを同時に引き上げた。がらがら、と錆びついた鉄格子がごつごつと不規則な凹凸が刻まれた上壁へと吸い込まれていく。トゥルクは視線を上にやり、何かが落ちてくる様子がないことを確かめると、
「大丈夫そうだね。それじゃあソラ、行こう」
うん、と頷くとソラは前を歩くトゥルクのオリーブグリーンのジャケットの背中を追いかける。
ぴちょん、ぴちょんと時折奥の方で水が滴り落ちる音が響く。奥へと進むにつれて、道の分岐が増えてきている。ともすれば迷子になってしまいそうな洞窟の中を歩きながら、トゥルクが岩壁に時折ナイフで傷をつけているのを見て、
「トゥルク、何してるの?」
「ああ、これ? さっきからだんだん道が複雑になってきてるじゃない? こうやって印をつけておくと、どっちから来たかわかるでしょ?」
なるほど、とソラは感心したように言った。そんなでもないよ、と言うとトゥルクは水音や靴音の反響と、ランプの灯りを頼りに洞窟の奥へと歩みを進めていく。
何かが見つかるとしたらそろそろかななどといったことを考えていると、トゥルクはいきなり何かに足を取られてつんのめった。足元を手に持ったランプで照らすと、一匹の太い蛇が足に巻き付いている。
「やっ、へ、蛇っ……!」
ソラは顔を引き攣らせながらも、腰へと手を伸ばす。先程、コウモリに襲われたときのトゥルクの言葉を思い出したように、ソラはロッドを抜くと、力任せに蛇へと振り下ろす。鬼気迫る表情で何度も何度もソラがロッドで殴り続けると、じきに蛇は動かなくなった。
「トゥルク、大丈夫?」
ロッドを腰のベルトで固定し直しながらそう聞いてきたソラへ、うん、とトゥルクは頷いた。蛇に絡まれることくらいは、トレジャーハンターなんていう仕事をしていれば、まあまあよくあることなのでどうということはない。そんなことよりは蛇を殴るソラが少し怖かったということは、助けてもらった手前言わないでおいた。
「ねえ、トゥルク」
あれ、とソラが指差す先に何かがあるのが見えた。ランプを持ってトゥルクが近づいていくと、そこには古ぼけた小さな箱が置かれていた。
「何かトラップが仕掛けられていたら危険だから、ソラはちょっと離れていて」
トゥルクは腰に吊るしたポーチを開けると、ルーペや針金を取り出していく。ルーペで入念に小箱を調べ、おそらく危険はないであろうことを確認すると、ふう、とトゥルクは息をつく。鍵穴に針金を突っ込んで、中を探りながら、
「妙なトラップはなさそうだしおいで。何が出てくるか見たくない?」
見たい、とソラは近づいてくると、肩越しにトゥルクの手元を覗き込む。背中に押しつけられる、男のトゥルクには存在しないほんのりとした脂肪の感触にトゥルクは内心でどぎまぎしつつ、溜め息をつくと、
「ソラ、いくらなんでもくっつき過ぎ。影になっちゃって手元見えないから。……っていうか、ソラ、わかっててやってるでしょ?」
「バレた?」
「まったく、こんなところでふざけないの。というか、女の子なんだからそういうはしたないことしないでよ」
はあい、と舌を可愛らしく出しながら、ソラはトゥルクから体を離すと、
「何かトゥルク、お父さんやお母さんと同じこと言ってる」
「……」
ソラは第一印象こそ大人しそうで神秘的な少女だったが、蓋を開けてみるとそんなことはまったくなかった。さぞかしソラの両親は彼女に手を焼いていたことだろう。トゥルクはまだ十三歳で育児の経験などないにも関わらず、ソラの両親に同情と尊敬を覚えた。
かちり、と手元で箱の鍵が開く音がした。ソラ、とトゥルクは背後の相棒の名を呼ぶと、
「ほら、ここ持って。せーの、で一緒に開けよう。今日はソラの記念すべき初めての冒険だもんね」
促されるままにソラは黒い革のグローブをはめた右手を箱の蓋へと伸ばす。せーの、と二人で声を合わせながら、蓋を掴むトゥルクの左手と共に箱を開けた。
「トゥルク、何これ? 紙?」
二人が開けた箱の中には、手のひらと同じくらいの大きさの古びた紙の束が入っていた。宝石や金銀財宝のようなわかりやすい感じのお宝が入っているものだと思っていたソラは拍子抜けした。
トゥルクは紙の束をぺらぺらとめくって見ながら、己の見解を述べていく。
「うーん、昔の占いの道具の一部か何かかな? 街に戻って鑑定してもらわないと詳しいことはわからなさそうだけど」
今日のところは街に戻ろうか、とトゥルクは紙の束を自分のナップザックへとしまい始める。
トゥルクは立ち上がると、ソラを伴って来た道を戻り始めた。