第4話 砂浜の邂逅、星屑の約束
ナウル島を揺るがす「銀河帝国使節団おもてなし大作戦」は、予想外の成功を収めつつあった。 連日繰り広げられる宇宙人との異文化交流ドタバタ劇は、戸惑いと混乱の連続だったが、日本の温泉旅館チームと島民たちの渾身の「おもてなし」は、銀河帝国の面々を確実に楽しませているようだった。
僕、ボウイも、女将さんの檄を受け、このおもてなしの最前線で文字通り駆け回っていた。 慣れない仕事、宇宙相手というプレッシャー…正直、ヘトヘトだった。
でも、お客様(相手は宇宙人だけど!)が喜んでくれる顔を見るたびに、ナウルのために、地球のために役立っているんだという、これまでにない確かな充実感が胸に広がっていた。 パンフレットの在庫確認だけでは決して得られない、生きた手応え。
そんな、慌ただしい一日の終わり。 少しだけできた隙間時間を見つけて、僕は一人、いつもの場所──夕暮れ時のビーチへと足を向けた。 熱を失いつつある砂の感触、波の静かな囁き、そして空の色が刻々とオレンジから紫、藍へと変わっていく様。 この時間だけが、張り詰めた心と体をゆっくりと解きほぐしてくれるようだった。
砂浜をゆっくりと歩いていると、少し離れた場所に、一人静かに海を見つめている人影があるのに気づいた。 他の宇宙人たちは今頃、おもてなし宿で宴を楽しんでいるはずだ。こんな時間に、一人で?
近づいてみれば、それは銀河帝国使節団の一員らしき、初老の男性型宇宙人だった。 シンプルな、しかし質の良さそうな衣服を纏っている。 背中が少し丸まり、その姿にはどこか寂しさが漂っていた。
そっと隣に立つ。 彼は僕に気づいたようだったが、視線は海から動かさない。 その横顔に刻まれた深い皺と、遠い星々を見つめるかのような瞳。 そこには、言いようのない「感傷」が宿っていた。 そして、その瞳から、光る雫が頬を伝い落ちるのを、僕は見た。
宇宙人が…泣いている?
反射的に、言葉がこぼれ出た。
「…あの、大丈夫ですか?」
彼はゆっくりと僕の方へ顔を向けた。 その目元はわずかに赤く、悲しみを湛えている。
「ああ…すまんのう。 見苦しいところを見せてしもうたわ」
彼の声は、少し枯れていて、故郷を懐かしむような響きがあった。
「この…海を、見ていると…どうにも、昔を思い出してしまうんじゃ」
彼はそう言って、再び水平線に目を向けた。 夕日の最後の光が、海面を赤く染めている。
「もし、よろしければ…」
僕は近くにあった簡易売店へ走り、冷えたビールを二本買ってきた。 一本を彼に差し出す。 彼は一瞬ためらった後、穏やかな笑みを浮かべてそれを受け取ってくれた。
二人でビーチ近くの、朽ちかけた木製のベンチに腰掛けた。 潮風が頬を撫で、カモメの鳴き声が遠くで聞こえる。 手に持ったビールの冷たさが心地よかった。
「…乾杯」
グラスを軽く合わせる。 キン、という小さな金属音が、広大な砂浜に響いた。 ビールを一口飲む。 喉を流れ落ちる苦みと、後に残る爽やかさ。
「…美味いのう、これは」
彼は目を細めて言った。
「そんなに大したものではないんですけど。 ナウルの地ビールです」
「それが良いんじゃ」
彼はそう呟くと、遠い目をしたまま語り始めた。 その言葉は、どこか星屑の光のように儚く響いた。
「実はな…この景色が、亡くなったわしの妻の惑星によく似ておるんじゃ」
彼の言葉に、僕は息を呑んだ。宇宙人が…妻を亡くした悲しみを抱えているのか。
「奥様の…星、ですか」
「ああ。 あそこも、海が惑星の大半を占めとってのう。 波の音も、風の匂いも、どこか似とる。 ただ…」
彼はそこで言葉を切った。 そして、空を見上げた。 まだ明るさが残る空には、星は数えるほどしか見えない。
「妻は…故郷の海を、もう一度見てみたいと言っておったんじゃ。」
彼の視線を追って空を見上げる。 南十字星は、まだ姿を見せていない。
「だから…ワープゲートの座標の星に海が含まれていると知った時…どうしてもこの地に来たかったんじゃ。 妻との、長い間の…約束のようなものだったからのう」
彼の声は静かで、切なかった。 銀河帝国の役人が、そんな個人的な、深い思いを抱えていたなんて…。宇宙の偉い人たちも、僕たちと同じように、大切な人を失う悲しみを知っているんだ。 約束を果たしたいと願うんだ。
「そう…だったんですか。 …あの、気に入ってもらえて、本当に良かったです」
僕が素直な気持ちを伝えると、彼は僕の方を見て、優しく微笑んだ。 その笑顔には、先ほどの悲しみに加えて、少しだけ安堵のようなものが浮かんでいた。
「ああ…ありがとうの。 君のような心優しい若いもんと話せて、少し気が晴れたわい」
彼は自分のボトルから僕のグラスにビールを注ぎ足してくれた。 そして、もう一度、グラスを差し出してきた。
「最後に、もう一度乾杯じゃ。 今日、このナウルで出会えたことに」
カチン、とグラスが触れ合う。夕日の最後の光が、僕たちのグラスの中で揺れた。 ビールを飲み干し、彼は立ち上がった。 そして、僕の肩に、優しく、しかし確かな重みを持って手を置いた。 そして、真っ直ぐ僕の目を見た。
「…ボウイいうたか。 これで、わしらは、親子みたいなもんじゃあ」
突然、僕の名前を呼ばれたこと。 そして、その言葉。親子…? 一体、どういう意味だろう? 頭の中が「???」でいっぱいになる。
僕の困惑した顔を見て、彼はフッと口元を緩めた。 その口角が、かすかに上がる。 そして、片方の目でウィンクした。 その仕草は、どこか子供っぽくもあり、同時に全てを見通しているかのようでもあった。
「じゃあの、ボウイ。 また、どこかで会えるかものう」
それだけ言うと、彼は来た時と同じように静かに、しかし先ほどより少しだけ軽やかな足取りで砂浜を歩き、夕闇が迫る闇に溶けるように去っていった。
後に残されたのは、空になったビール瓶と、彼の言葉、「親子みたいなもんじゃあ」という響き、そして頭の中の巨大な「???」だけだった。 親子…? あの、遠い宇宙から来た、偉そうな…いや、立派そうな人が、僕と…?
僕は一人、オレンジ色から藍色へと変わりゆく夕暮れのビーチに立ち尽くし、彼の言葉の真意を測りかねていた。 あの、ほんの短い出会いが、僕の、そしてナウルの、そして地球の運命を、根底から覆すほどの、途方もない意味を持つことになるなんて、この時の僕は知る由もなかった。
南十字星が、空で一つ、また一つと、その神秘的な輝きを増していく。 まるで、これからの壮大な物語を祝福するかのように。
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