歯車の館
食堂を出て、石畳の大通りを歩いていると、食堂で聞いていたのと似たような音で、1分間ほどの美しい音楽が聞こえてきた。少し離れたところで鳴っているようで、音はけっこう大きいけれど、耳に心地よい音色で、女性の柔らかな歌声のようにも聞こえる。
「あれは正午の風の歌。風鳴の塔から、朝昼夕方になってるの。きれいな音でしょ?」
「きれいな音ですね。風鳴の塔というのは?」
「この街のシンボルみたいな建物よ。展望台もくっついているから、こんど連れて行ってあげるわ。」
「楽しみです。この街に来てから音楽をよく聞きますね。」
「この街、ずっと風が吹いてるでしょ?高いところではもっと風が強くて、昔から風の力を活用しているの。風の神エオルスの加護を受けている街で、音楽との相性もいいのよ。」
「音は空気があってこそだからってことですか。」
「そういうことね。風音楽器の音が多いけれど、弦楽器とか他の楽器を弾く人もたくさんいるのよ。」
たいして弾けないけど、ギターを少しだけやっていたから、弦楽器にも挑戦してみたいな。アルリアの声はきれいだから、ぜひ歌ってもらいたい。
「着いた。ここが歯車の館。」
細い路地に入り、しばらく歩くと少し開けた場所に出た。そこに建っていたのは、まるで複数の建物が融合したかのような大きな建築物。大きな風車が屋根に取り付けられ、ゆっくりと回っている。ゲートのような入り口を抜けると、小さな広場へと繋がっていた。
「アルリアさんおかえり!その人は?」
若い猫の獣人のような人が話しかけてきた。フェリンはエルフみたいな見た目をしていたけれど、獣人もいるようだ。
「私の弟子よ。ガレニウスさんが許してくれればだけど、ここに住むからよろしくね。」
「ユウタ・シラサキと言います。なにかと頼らせてもらうこともあるかもしれませんが、よろしくお願いします。」
「私はミラ・フェリニス!なんでも聞いていいよ!」
「ありがとうございます。」
「ガレニウスさんは今いるかな?」
「いると思うよ!」
「ありがとう。」
広場を通り、古い両開きの扉を開けて建物に入ると、中でも微かに風を感じた。風に乗って、お香のような香りがした。少しスパイシーなような、甘いような上品な香り。
建物の中を通り、また扉を開けると、今度は中庭のような場所に出た。変わった建物だなと思いながら見渡すと、ベンチで本を読んでいた銀髪の男性がこちらに気づき、ゆっくりと顔を上げた。
「ガレニウスさん、こんにちは。やはりここにいましたか。」
「おかえり、アルリア。昨日は大変だったそうじゃないか。」
「ちょっとバタバタしましたけど、大丈夫でしたよ。」
「男を連れてるなんて珍しいな。」
「こちらはユウイチと言います。昨日の事件の被害者ですよ。」
「被害者がいたのか、それは大変だったな。私は、エルドリン・ガレニウス。ここのオーナーをやらせてもらっている。」
「ユウタ・シラサキと言います。よろしくお願いします。」
「ああ、よろしく。そうか、東の方の出身か。」
ガレニウスは見たところ50代くらいの男性で、古そうだが上品な装いを纏い、知性を感じる顔立ちをしている。その目は穏やかだが、どこか鋭さを秘めているようにも見えた。
彼にはアルリアが状況を説明してくれた。異世界から来たことも隠さず、なんとか許してもらいたいという感じが出ていた。
「つまり、歯車の住人になりたいということか。」
「はい。部屋は私の部屋をひとつ譲ろうと思っています。」
「まぁ、いいだろう。アルリア・ルスティリアがここまで言うんだ。無下にするわけにもいくまい。」
「ありがとうございます。」
ガレニウスは少し間をおいて、改めてといった感じで話しかけてきた。
「ユウタ君、だったかな?」
「はい。」
「君にはひとつ、質問をする。」
「はい。」
「芸術とは、何か。一言で答えてくれ。」
「難しい質問ですね……。僕にとっては、でいいですか?」
ガレニウスは答えることはせず、静かにこちらを見つめている。ただ、答えろということか。これは多分、入居の審査みたいなものなのだろう。難しいけれど、自分にとっては、で答えるしか無い。飾ることも、考えすぎることもせず、直感で浮かんできたものが、今の自分にとってのそれなのだろう。
「世界を解釈する術、のようなものだと思っています。」
ガレニウスは微動だにせず、目をつぶっている。アルリアの方を見ると、こちらを見て微笑んでいた。ガレニウスは一呼吸したのち、口を開いた。
「管理費は月に20ソル。家賃は払いたいときに払いたいだけ払ってくれ。ちなみに入居以来、一度も払ってない者もいる。あと、作品をたまに私に見せること。」
「はい、ありがとうございます。」
「共用スペースとかルールとかについては、アルリア、頼めるね?」
「もちろんです。許可していただきありがとうございます。」
「君がどのように世界を解釈するのか、楽しみにしているよ。」
アルリアの部屋へ向かいながら、いくつか歯車の館について教えてもらった。名前の由来は、建物についている2つの風車の動力が、歯車を伝って生活に使われていること。共用の洗濯機や、館内の空気の循環、そして各部屋にひとつの回る歯車。部屋の歯車の使い方はそれぞれの自由だが、大き過ぎる負荷をかけることはもちろん禁止。
共用の設備としては、洗濯機がおいてある部屋、オーナーの書斎がいつの間にか持ち寄りで共用になった図書室など。
勝手に営業しているバーは、開いているかどうかは気まぐれらしい。