ケトラ
神官長とカイリオンと別れ、いろいろな余韻を胸に神殿を後にする。外に出ると、街の喧騒が遠くに聞こえ、やっと現実世界に戻ってきたような感じがする。
階段を降りた頃、アルリアが振り返って僕の顔を覗き込みながら言う。
「疲れたでしょ。疲れたって顔してるよ。」
「そうですね、なんか昨日とは違う疲れに襲われてます。」
「私は午後からギルドにお手伝いに行くけど、あなたはどうする?お家で休んでてもいいし、どこか散歩しててもいいし。」
なんだかんだこの世界に来てからほとんどずっと動いていて、確かに疲れは感じている。やはり表情に出てしまっていたようだ。
散歩というのも少し魅力的ではあったけど、アルリアと離れると言葉が通じなくなり不安が残るから、大人しく家で休むことにする。
「ありがとうございます。お言葉に甘えて家で休んでようと思います。」
「うんうん、それがいいよ。」
アルリアはそう言って微笑み、また歩き出す。しかしすぐにまた立ち止まって振り返った。
「あ、でもお昼は一緒に食べましょう!近くにいいお店があるの。」
「はい、ぜひ!」
そう言って連れてきてもらったのは、「ケトラ」という喫茶店。神殿への大通りから、ひと筋中へ入った細い通りに面していて、店内もとても落ち着いた雰囲気。入口のあたりは少し薄暗いが、奥の方へ入ると小さな裏庭に面した大きな窓があり、木漏れ日を感じることができる。
アルリアが燻製肉とピクルスのパスタと、デザートセットを注文したので、同じものをお願いする。
彼女は注文を終えると、出された水を一口飲み、裏庭の木の葉っぱが揺れるのを眺めている。その青い瞳の中に映るキラキラとした光を、つい見つめてしまう。
「どうしたの、そんなに見て。」
「眼に木漏れ日が映ってて……。ついボーっとしてしまいました。」
「動いてるもの見ちゃってたのね。」
「あの、アルリアさん。」
「ん?どうしたの?」
「ちょっとさっきみたいに外見てるところ、撮ってもいいですか?」
アルリアは少し驚いたようで、一瞬瞳が揺れた気がした。
「い、いいけど、外を見ているところを撮るの……?」
「できるだけさっきの自然な感じが良いんです。」
「わかった。」
嫌がられたらどうしようと思いながら、ドキドキしながらお願いしてみたけど、大丈夫だったみたいだ。
座ったままルミーを構えようとしたけれど、ウエストレベルファインダーは上部から覗く形だから難しくて、席を立つ。
さっきの自分の視点と同じ位置に構え、一度、そしてもう一度とシャッターを切る。もう一度シャッターをチャージするレバーをガチャンと動かしながら、少し移動して、窓とテーブルが写るくらいに引いてみる。空間とアルリアの姿が調和していて、まるで彼女のための空間のようにさえ思える。
またシャッターを切って、もう一度レバーを操作しながら、「アルリアさん」と声を掛けると、アルリアが振り返るのでまた、カシャンとシャッターを切る。
「ありがとうございます。」
と心からの感謝の気持ちを述べながら席に戻ると、アルリアはわざとらしく眉をひそめて聞いてくる。
「そんなに私を撮ってどうするの。」
「撮りたいから撮ってるんですよ。あ、嫌だったら言ってくださいね。」
「ううん、嫌じゃない。でも慣れて無くて。人を撮るのって、ちゃんといい姿勢をして、カメラの方を見てってするものだと思ってた。」
「僕は普段通りの自然な姿を撮るのが好きです。今のは、この場所の雰囲気と、アルリアさんの佇まいがすごくあってて。」
「ちょっと見せて。」
そう言って差し出してきた手に、ルミーを渡す。アルリアは、ファインダーを覗き込み、ふっと集中する。魔法式はそうやって見ることができるのか。
まるで手紙を読むかのように、目を細めたりしながら、じっくりと見て、アルリアは言う。
「うん、確かにいい感じ。照れるけど、嬉しいね。」
「良かったです。」
よかった。受け入れてもらえたみたいだ。
「また撮りたくなったら、いつでも撮っていいよ。言わずに撮っても大丈夫よ。」
「いいんですか……?」
「慣れないから、ぎこちなくなっちゃうかもしれないけど、こうやって撮られたルミオグラフを見ると、私のことこんなふうに見てくれてるんだって、ちょっと嬉しい。」
そう言ってルミーをこちらに返してくれるアルリアは、ほんの少し頬を染め、少しだけ顔を伏せてこちらを見ていた。
今までも、アルリアの姿に見惚れて、撮りたいなと思うことは多かったから、こうしていつでも撮っていいよと言ってもらえたのは嬉しい。きっとたくさん撮って、いつか彼女の写真集が作れてしまうんじゃないかと思う。
そうしているうちに、お店の人が料理を持ってきてくれた。
燻製肉といくつかの野菜のピクルスを使ったこのパスタ料理は、クムラーセと言うらしい。一口食べると、燻製肉のスモーキーな香りと少し野性味のある匂い、少しのハーブの香りが鼻に抜ける。肉の旨味とピクルスの酸味がいい具合で、麦の味が強いパスタがそれをまとめている。
「ここのクムラーセがね、好きなの。」
「美味しいですね。お肉もピクルスも、麺も美味しいです。」
「でしょ。ここのはピクルスの酸味が控えめで、バランスいいなって思う。」
「この街で食べる料理って、ハーブとかで香り付けをしっかりやってるのが多いですよね。」
「そうね。この街、風がずっと吹いてるでしょ?その風に、いろんな匂いが乗ってきて、街の中でいろんな匂いがする。だから、この街の人は匂いに敏感。その嗅覚でいろんな香りを楽しむ文化があるの。」
「確かに色んな場所でお香の匂いもしますね。」
「うんうん。雄太は好きな匂いはある?」
「歯車の館の廊下の匂いあるじゃないですか、あれ好きです。」
「わかるわ、私も好き。あれ、東の方の国のお香で、こっちではちょっと珍しい。」
「ガレニウスさんのこだわりなんですかね。」
「たぶん、お気に入り?」
パスタを食べ終えた頃、店員さんがデザートを持ってきてくれた。
気泡入りガラスの器に、薄紫色のムース。オレンジ色のソースと、ちいさく切られた柑橘類の果肉が少し乗せてあり、真ん中にはムースと同じ色の小さな花びらが2枚。
続いて運ばれてきたホットティーは、爽やかな香りと茶葉の香りが漂う。アールグレイみたいな感じだと思う。ひとくち含めば、奥行きのある苦みと、ほんのりと甘み。ごくりと飲んだあとには、口から胃にかけて温かみを残していき、体全体が温まったような感じがする。
「はぁ、美味しい……。」
「美味しいですね。」
「私ね、お茶好きなの。」
「家の棚見てもわかります。」
「あなたは?」
「僕も好きです。」
「前いたところでもよく飲んでたの?」
「飲んでました。茶葉は2種類くらい置いてましたね。コーヒーを飲むことのほうが多かったですけど。」
とお茶の話をしながら、スプーンを手に取り、ムースをひとすくい。口に入れた瞬間には溶けていき、優しい甘みとともにラベンダーのような穏やかな香りが広がる。それを追いかけるように、オレンジのようなやさしい酸味。その酸味に誘われて果肉を口へ運べば、レモンのようなさらに鮮やかな酸味が、ここまでの味覚の締めくくりのように訪れる。アールグレイティーで余韻を浸せば、それは不思議ながら見事な調和だった。
「見た目も綺麗だし、ひとつひとつの味の粒が揃っているような感じがしてすごいですね。」
「ここのお店、味と香りの組み立て方がうまいのよね。」
「味わってて楽しいです。」
「気に入ってもらえてよかった。また来ようね。」
「はい、ぜひ。」
「また来よう」という言葉の響きが優しく甘く、その味を体に染み込ませたくなって、またカップを傾けた。裏庭の木々が風に揺られる音が聞こえてくる。
木々から溢れる光を浴びながら、アルリアは嬉しそうにまたムースを口に運ぶ。その仕草はどこか優雅さを備えていて、また一つの光景として仕上がっている。そんな光景に、またもう一度シャッターを切ってしまうのだった。