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夜風に包まれて

 昨日のお昼にも来たギルドの隣の食堂に来ると、昼ほどは人はいないようで、席にはまばらに人が座っていた。なかにはしっかりとした旅の装備をしている人もいて、様々な人が利用している様子がうかがえる。夜は風音楽器の音は止められているようで、静かな中に人の声と食事する音が響いている。各テーブルに置かれた燭台も相まって、この雰囲気は結構好きかもしれない。


「私は日替わり定食にする。」

「では僕も同じものにします。」

「食堂だけど、エールとかは置いてるよ。」

「そんな毎日は飲まないですよ。」

「あらそうなの?飲む男の人は毎晩飲むものだと思ってた。」


 この世界は元いた世界で言う近世くらいの時代感だから、仕事を終えたら酒を飲む、というのが割と強いのだろうか。

 アルリアが店の人に合図をして、注文を取りに来た。穏やかな雰囲気の初老の男性店員が来てくれた。


「今夜の日替わりを2つお願い。パイも残ってたら2切れちょうだい。」

「かしこまりました。少々お待ちください。」

「あと、朝ご飯用のいつものやつもお願い。」

「かしこまりました。」


 アルリアの付け加えた注文にも店員はにっこりと微笑み、厨房の方へ向かった。

 そんなに待たずして、料理が運ばれてきた。野菜がゴロゴロ入ったシチューと、羊肉のローストに野菜のつけ合わせ、バゲットは軽く焼いてオリーブオイルのようなものが塗ってある。追加で運ばれてきたパイは、昨日も食べたエオルス・パイ。


「美味しそう……。定食けっこう豪華なんですね。」

「豪華……、たしかに豪華かもしれないね。この街では一般的な夕食よ。」

「これでいくらくらいなんですか?」

「夜の定食は8ソル、パイは一切れ2ソルだったと思う。」

「なるほど、この国の通貨価値がいまいち把握できてなかったです。」

「うーん、例えば卵は4個で1ソルくらいだし、私のひと月の収入は3000ソルくらい。」


 物価がどんなものかにもよるけど、だいたい1ソルが100円くらいだろうか。だとしたらアルリアは月収30万円ほどということになる。19歳でそれはかなりすごいな。



「いただきます。」


 と、手を合わせて、シチューを口へ運ぶ。茶色くてざらりとした食感のルーは、トマトなどの野菜を長時間煮込んであるようで、とてもコクがある。ジャガイモやニンジンのような野菜も柔らかくなっていて、それでも噛むと各素材の香りがほんのりと鼻に抜ける。塩気の強い干し肉のようなものも入っていて、食べ飽きない味になっている。

 羊肉のローストは、一口サイズが3切れほどと量は多くないけれど、野菜のつけ合わせがとても大盛り。肉はおそらく少し高齢の羊で、歯ごたえがあるものの肉の旨味が強い。多種のハーブで香り付けしてあり、野菜とともに食べると嗅覚も楽しませてくれる。

 エオルス・パイは多分、昼の残りなのだろう。全体的に少し油が回って、しっとりしているけど、個人的にはこういうのは結構好き。シチューに少し浸して食べるのもいい。


 アルリアは、ちょっと行儀が悪いかもだけどと言いながら、鞄からいくつか資料を取り出し、それを眺めながら食べている。朝のミーティングの資料や、帰ってきてから渡されていたものもある。自分もよくこうやって、何かを見ながらの食事は多かったなと思い出す。

 何かを見ながらの食事ではあるものの、彼女はしっかり味わって食べているようで、食べ方にもこだわりがありそうだ。バゲットに肉と野菜を器用に乗せて頬張ったり、パイをシチューに浸すのは彼女もやっていた。


 食事を終え、会計のカウンターへ向かうと、店の人が少し大きな包みをカウンターに置いてくれたので、前に出て受け取る。


「はい、こちらいつもの朝ご飯のセットです。今日はシチューの売れ残りもつけておきましたので、良かったら召し上がってください。」

「あら、ありがとう。うれしい。30ソルでよかった?」

「あ、いえ、シチューのお代は結構ですので、26ソルでお願いします。」


 この抱えている包みからはほんのりとバターと燻製のような香りがした。今朝食べたクロワッサンやベーコンのようだ。アルリアはいつもここで食材を売ってもらっているのだろうか。


 会計を終えて食堂を出ると、外はすっかりと夜の空気になっていた。それでも街の活気は先程とあまり変わらず、人々は夜の時間を賑やかに、楽しそうに過ごしているようだ。さっきよりは少しだけ冷えた風がさらりと吹いてきて、夜をしっかりと感じる。この街の夜はやっぱり、なんだか暖かい。


「毎度ごちそうさまです。」

「いいのよ。あなたもそのうちギルドから少しは報酬をもらえると思うから、そうなったらだしてちょうだい。」

「もちろんです。」

「明日は神殿に行って、奉納の儀式を見学させてもらいましょう。」

「奉納の儀式、見れるものなんですね。ぜひ見てみたいです。」

「基本的には奉納の儀式は公開されているの。神殿で行う信仰の行事であり、国の行事でもあるから。私たちが今日やったみたいなことが、何につながっているかを知っておいたほうと思う。」

「そう思います。ありがとうございます。」

「とりあえず今日はよく歩いたから、お風呂に行きましょう。」

「こっちの世界にもお風呂あるんですね。行きたいです。」

「多分どこの国にもあるわよ。私の故郷だと温泉がいっぱいあって良かったの。」

 アルリアの故郷は日本に似ているところもあるんだなと思いながらついていくと、「ゼフィラ・テリル」という看板のついた門が見えてきた。門をくぐると、こじんまりとした庭が広がり、いくつかのベンチが置かれている。その奥には、明るく照らされた建物の入口が見えた。暗くて細部はよく見えないが、建物には塔があり、大きな風車も取り付けられているらしい。さすがに、この街では風車のついた建物が多い。

 石畳の道を進むと穏やかな風が吹いていて、この風がお風呂上がりにも吹いていたら気持ちがいいだろうなと思う。木製の扉を押してアルリアを中に促し、正面のカウンターへと進むと、番台には年配の女性が座っている。


「こんばんは、魔法ギルド会員で二人お願い。」

「こんばんは、今日はお連れさんもいらっしゃるのね。二人で1ソルね。」


 ギルドの会員証を見せながら受付をしたので、優待価格があるのかもしれない。番台さんはそれをしっかりと確認はしていなかったから、アルリアはここの常連なのだろう。



「はいお預かりしました。ごゆっくりどうぞ。」


 最後の言葉は僕の方を見て言ってくれた。歓迎されている感じで嬉しい。

 カウンターの横には2つの入口があり、それぞれに赤と青の暖簾がかかっている。この建物の中は全体的に東洋の雰囲気があり、温泉文化自体がアルリアの故郷から伝わったものなのかもしれない。

 アルリアが青い暖簾の扉を指さして言う。


「男の人はそっちね。中にタオルが置いてあって、大体のものは備え付けてあるから大丈夫だと思う。私のことは気にしないで、ゆっくりしてきてね。」

「ありがとうございます。ではのちほど。」


 暖簾をくぐり、脱衣所へ入っていくと、中は木目調の壁と床で、とても清潔に保たれている。温泉特有の鉱物系の匂いと、木の香りが漂っていて気分もいい。

 大きな木製の台が真ん中にあり、その上には大きなかご、壁には服をかけるためのフック。風呂場の入口の近くには棚があり、畳まれたタオルが置いてある。

 想像以上に丁寧に作られた脱衣所空間に驚きながら、荷物をかごに入れ、服を脱ぐ。そういえば、ずっと同じ服を着ていたし、ちょっとこの町の人達とは違う装いだから、そのうち服を新調したいなと思う。

 靴下まで脱ぐと、床の木材の感触が良くて驚く。上質な無垢材のあのサラッとした感じがあり、脱衣所なのに湿気もなくカラッとしている。


 服をすべて脱ぎ、なんだか久々に裸になった気がするなと思いながら、小さめのタオルを一枚取って風呂場へ向かう。

 脱衣所と風呂場の間に5メートルほどの通路があり、少し強いカラッと乾いた風が吹いていた。その通路を越えて風呂場に足を踏み入れる。



 湯気で眼鏡が完全に曇り、視界を奪われる。水が絶えず流れる音と、かすかな花の香り。視界が戻り、周りを見渡すと、中央には大きな浴槽があり、紫色やピンクの花びらがところどころ浮かべてある。

 奥の壁は大きな岩でできていて、風をテーマにした彫刻で装飾されている。上の方の真ん中にはお湯の吹き出し口があり、ゆっくりとお湯が浴槽へと流れ込んでいる。


「これは、いいな。」


 と、思わず声を漏らす。

 さらに上を見れば、天井には大きなファンのようなものが回っていて、空気を循環させているようだ。天井近くには通気口もあり、換気がされている。風呂場の空気は、湯気の気配がありながらも心地よい風が常にあり、ここまで空調が整ったお風呂は元の世界でもあまりなかったから感動を覚える。


 洗い場で体を洗い、久々にしっかりと汚れを落とした心地よさを感じながら浴槽へ向かう。

 つま先からゆっくりとお湯の中に入っていく。両膝までお湯に浸かると、今まで意識していなかった足の疲れが一気にお湯の中へ溶け出していくようで思わず声が出る。


「あっ……、たかいー……。」


 少しだけ熱め、でもちょうどいいという感じの温度のお湯は、体全体をすぐに心地よく温めてくれた。全身をお湯に沈めると、身体の疲れがじんわりと溶け出していくのを感じる。湯面に浮かぶ花びらは、ずっと波紋に乗って漂い、花の香りを気まぐれに届けてくれる。

 血の巡りが良くなっていく感覚が心地よく、思わず目を閉じると、お湯の落ちる音に合わせて天井のファンの音に意識が向く。それだけではなく、ファンを回すための歯車の音、そして他の利用客が身体を洗ったり、ペタペタと石の床を歩く音。男女の風呂場を隔てる壁の向こうでは、アルリアはどんなふうにお風呂に入っているのだろう……。かすかな風が心地よい…………。


「危ない、寝るところだった。」


 気持ち良すぎて寝てしまうところだった。慌てて体を起こし、座る体勢になりしばらく体を温める。お湯の波紋に流されている花びらを見つめていると、なんだか頭の中のいろいろなところに散らかっていたものが、一度整理されたと言うか整えられたと言うか、そんな感じがした。


 身体が芯まで温まり、熱くなってきたから、持っているタオルで軽く体を拭いて風呂場をでる。さっきも通った通路に入ると、先ほどと同じように風が吹いているけれど、その風が優しく全身を包み込む感覚がある。


「もしかして、乾かしてくれてる……?」


 多分ここでは設置型の風魔法のようなものがあるのだろう。身体の水気が乾いていき、髪の毛もいちどふわりと持ち上がり、すっかり乾いてしまう。足元を見れば、床の溝からも風が回ってきて、足の裏まで乾かしてくれる。こんな全身全自動ドライヤー、元の世界にあったら最高だったな。

 脱衣所に戻る頃には身体はスッキリと乾いていて、温まった身体から出てくる汗を少し拭いたくらいで、そのまま服を着直すことができた。


 脱衣所を出て受付に戻ると、アルリアはまだ戻っていないようだった。受付前の休憩スペースに腰掛けようとしたとき、番台の女性が声をかけてきた。


「初めてよね。お湯は気に入ってもらえた?」

「はい、とてもいいお湯でした。湯上がりの風で乾かしてくれるやつ、あれすごいですね。」

「よかったわ。風魔法で乾かす装置、あれうちが発祥なんですよ。」


 そう言って女性が仕事に戻っていくのに軽く会釈をして、背もたれに体を預けて息をつく。

 そんなに待たずして、アルリアが暖簾をくぐって出てきた。髪は乾いているものの、わずかに湿気を帯びていて、頬はほんのりと赤く染まっている。湯上がりの女性のふわっとした感じが素敵だ。


「おまたせ。」

「いえいえ、僕もさっき戻ったところです。」


 アルリアは受付の横のガラス戸の棚を指さして「こっち」と言うのでついていくと、棚の中には透明な瓶に入った飲み物が何種類か並んでいた。湯上がりによさそうな、フルーツ系のジュースやハーブティーのようだ。


「どれにする?」

「おすすめはありますか?」

「私はいつもジンジャーレモネード。」

「僕もそれにします。」


 そう言って棚から2本、淡い黄色の飲み物の瓶を取ると、アルリアはなんだか嬉しそうな表情をしていた。代金を箱に入れて、外のベンチへ向かう。

 外は少し涼しく、まだ夏本番ではない夜の風は、お風呂上がりの火照った体にちょうどいい。二人はならんでベンチに腰を下ろし、瓶の蓋を開ける。レモンと生姜の爽やかな香りが鼻を抜ける。


「どう?お風呂、よかった?」

「すごく良かったです。なんだかんだで、歩いて疲れてたんだなって思いました。」

「足、ジーンってなったよね。」

「色んなところで風が吹いていたり、香りも良かったりするのが良いですね。」

「そうなの。ここ、こっちの国では珍しく天然の温泉で、この街らしく風魔法もうまく使ってて、私もお気に入り。」


 アルリアは瓶を傾け、ひとつ息をして話す。


「温泉で心と身体を整えるとね、魔力も整う感じがあるの。」

「魔力が整う、ですか?」

「そう。身体の血の巡りが良くなるように、魔力も思ったように制御しやすくなる。」

「神経が整うみたいな感じですかね。」

「ここは特に風魔法の力で魔力の流れもきれいだから、それもいいの。」

「なるほど、確かに体の疲れだけじゃなくて頭とかも癒やされた感じがします。」


 温泉の気持ちよさは世界が変わっても変わらないなと思いつつ、魔法を活用してさらに癒やしの空間が作られているその文化に新鮮な感動を覚えた。


「温泉って、日出国には多いんですか?」


 日本人としては、温泉文化がどんな感じなのか気になり聞いてみた。


「多いよ。多いと言うか、あの国の人達が温泉が好きで、どこもかしこも温泉が出るまで穴をほってる感じ。」

「アルリアさんも好きなんですね。」

「うん、好き。済んでたところの近くに雰囲気の良い温泉があってね、毎日行ってたかも。」

「いつかそこにも行ってみたいです。」

「あら嬉しい。行けるといいね。」


 アルリアの昔の話を少し聞くことができてなんだか心が暖かくなった。彼女も懐かしくなったのか、なんだか嬉しそうな顔をしている。


 ゼフィラ・テリルをあとにして、歯車の館のアルリアの部屋に戻る。寝る前に簡易な寝間着を貸してくれたので、ありがたく着替えて、いつの間にか運び込まれていたベッドに横になる。

 温泉に入ったあとのベッドというのはどうしてこんなにも重力が強いのだろう。あっけなく誘われ、深く深く眠りに落ちていった。

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