精霊たちとの取引
会議室をあとにして、僕たちは受付で今日の任務についての指示を受けた。任務の内容は「通常記憶収集 ゼフィラ北部の森 第43〜47地点」と伝えられた。本来アルリアには別の任務が割り当てられていたが、素人の僕がついているので、暫くの間は簡単な任務に変更されるらしい。
外に出ると、街はすっかり賑わいを見せていた。通りに掲げられた旗は風に揺れ、空気は暖かく、今は初夏一歩手前くらいの時期なんだろうと思った。露天が並んでいて、生活の買い物をする人や、旅の支度のための買い物をする人などで混雑している。
僕たちはパンを売っている屋台で軽く昼食を済ませ、街を出た。しばらく草原を歩き、橋をわたり森に入っていく。アルリアは僕を先導しながら、記憶の収集や精霊たちとの取引について話してくれた。
「精霊たちはね、世界中のあらゆる場所に無数に存在していて、世界のあらゆる現象を観測して、記憶しているの。」
「あらゆる現象、ですか。」
「そう。周りの環境とか出来事とか、全部。風がどんなふうに吹いたかとか、光がどうあたったかとか、地面を歩いてる小さな虫の動きまで、ぜーんぶよ。」
「なぜ、彼らはそんな詳細に観測するんですか?」
「しようと思ってしているわけではないわ。精霊といっても、原始的な精霊は意志を持っていなくて、ただそこにいて、そこのすべてを記憶し続けている。ある意味、彼らは空気みたいなもので、理由とか理屈じゃなくて、そこという場所があるからそこに存在している、みたいな。」
「記憶する力をもった原子、みたいなものってことですかね。」
「ゲンシ?というのは私は知らない概念だけど、とにかく今回相手にするのはそういう精霊たちなの。」
「その記憶を集めてどうするんですか?」
「とっても簡単に言うと、集めた記憶を神様を通して世界に捧げて、その量に応じて神様は力を得て、私たちにもその力を分けてもらう。」
「力というのは魔力のことですか?」
「そうね、魔力って言い方で大体合ってる。」
アルリアの言い方には、ちゃんと分かっているところと、いまいちはっきりしない部分があるなと感じた。おそらく、研究が進められていながらも、分かっていないことや定義が定まっていないことがあるのだろう。
「原始精霊はね、ある程度魔力を蓄えると意志を持てるの。」
「進化するんですか?」
「進化というのかはわからないけど、魔力を蓄えた原始精霊がいくらか集まって、ひとつの下位精霊が生まれるっていう説が有力みたい。」
「精霊にも階級があるんですね。」
「存在の重みみたいなものが大きくなっていくイメージね。そこから魂になって生物に宿ったり、神になったり。ほとんどの存在は、もとを辿れば原始精霊って考えられてる。」
「もしかして神様って沢山いますか?」
「いるわよ。大いなる神から、付喪神とか土地神とかの小さな神まで、それこそ無数に。」
「神様とコミュニケーションが取れたりって。」
「するわよ。もちろん作法とか儀式とかは必要だけどね。」
神への信仰は、この世界ではけっこう実務的というか、生活に直結することのようだ。このあたりの学問についてちょっと調べてみたくなった。
「じゃあ、精霊たちは魔力を得て、より大きな存在になりたい。僕たちは、記憶を集めて神様に捧げたい。だから、記憶を貰う代わりに魔力を与える。というのが、これからする取引ってことで合ってますか?」
「正解。やっぱりあなたは見込みがあるわね。」
なんの見込みかはわからないけど、アルリアは柔らかく微笑みかけながら褒めてくれた。彼女の方を見ると、純白の髪が木漏れ日に照らされていて、森の精霊が一緒になって褒めてくれているのではないかとさえ思えた。
アルリアは道中、ある地点の看板を見つけると、そこからコンパスと地図を見ながら森の中へ進んで行った。彼女は森の中を歩くのは慣れているようで、確かな足取りで進んでいく。
目的地に到着すると、アルリアは鞄から魔法陣が描かれた布を取り出し、地面に広げた。
「まず、この魔法陣を使ってこのあたりの精霊たちに、ここでこれから取引をするから集まってねって伝えるわ。魔法陣に魔力を流し込むのだけど、せっかくだし、あなたを経由して流してみるわね。」
「僕を経由、ですか?」
「うん。右手で魔法陣のここに触れて、左手を私と繋いで。」
言われたとおりに、魔法陣の一点に触れ、もう片方の手を差し出す。アルリアが手のひらに触れ、そのまま手首まで進み、握ってきた。それに返すように彼女の細い手首を握る。ただ手を繋ぐよりも触れる面積が多く、しっかりと繋がっていて、彼女の体温と脈動が伝わってくる。僕が握り返したことを確認すると、彼女がより強く握ってきたので、強すぎない程度に力をいれる。
「じゃあ、始めるわよ。」
「はい。」
「私の魔力が、あなたの身体を通って魔法陣に流れていくから、その流れと存在を感じ取って。」
「頑張ります。」
そう言ってアルリアはふうっと呼吸を整えた。すると、彼女に触れている左手に、何かが流れてくるのを感じた。それはまるで、彼女と血管がつながって、血流が流れてきたかのような、温かな流れ。その流れは、左手から右手へ流れていくが、一部は心臓へ流れ込んだり、身体全体に広がっていくようだ。
流れてくるものをよく感じ取ろうとしてみると、それは純粋な透き通った水のようで、あるいは光をまとっているようにも思える。
魔力が魔法陣に流れていくにつれて、紋様は淡く光を放ち始めた。光は次第に強くなり、そこから何か波のようなものが周囲へ広がっていくように感じた。それが何なのかは理解ができないけど、魔力が魔法陣へ流れ、なにか信号のようなものとなって周囲に流れているのだろうと思う。
「これで精霊たちに伝わったわ。どう?魔力の流れは感じられた?」
魔力を流し込むのを終えたアルリアは、絡ませていた手を解き、魔法陣をクルクルと巻きながら聞いてきた。アルリアと触れていたところにふれる空気が少し冷たく感じて、もっと触れていたかったと思いながら、答える。
「感じました。なんだか光をまとっているような、あるいは、血管がつながってアルリアさんの血が流れてきているような。」
「あら、私の属性まで感じられたのね。私の属性は光なの。」
「属性があるんですね。」
「どれくらい属性に寄るかは人それぞれだけど、一応誰でもなにかの属性に割り振ることができるわ。私はかなり強く光属性に寄ってるの。」
僕もなにかの属性があるのだろうか。そう思いながら聞いていると、アルリアはまた別の魔法陣と、藍色ともいえる深い青で透明な、水晶玉のようなものを取り出し、魔法陣の上に置いた。
「こうやって置いておくと、精霊たちがこの玉に記憶を写してくれるの。」
「こっちの魔法陣には魔力を流さないんですね。」
「この魔法陣には、精霊が記憶を魔力に乗せて流すのよ。だからこれは触媒みたいな役割ね。」
そう言いながらアルリアは、今度は小さな弦楽器を取り出した。その楽器は、ハープのような形の木の枠に、弦が扇状に10本ほど張ってあり、弦の根本は箱のようになっていて、穴も空いている。
「楽器、ですよね?」
「そう、今から歌うの。普通は、記憶を貰う代わりに魔力を与えるんだけど、私は歌ったほうが沢山魔力を与えることができるから。」
「精霊たちが歌を聴いて魔力を得たほうがいい、ということですか?」
「そうよ。歌うのに使う魔力よりも、さらに大きな魔力を精霊たちは得る。だから効率がいいの。」
アルリアはそう言って微笑んだあと、姿勢を整え直し、楽器を構えた。その瞬間、彼女のほうから魔力の動きを感じた。そして彼女は優しく弦を爪弾いて、和音を奏でた。奏でられた音が周囲の空気を震わせ、森の中に広がっていく。2音か3音で構成される和音を続けて奏でていく。精霊が、木々が、空気が、彼女の歌声を待ちわびているようにも思えた。
「綺麗だ……。」
アルリアのその姿に思わず声を漏らしてしまう。アルリアは、目を閉じて、歌声を響かせる。その透き通った歌声は、光であり、風であり、あるいは清らかな小川のせせらぎのように、森の中の空気を優しく揺らしてゆく。
彼女の歌は、確かに言葉を紡いでいるようだけれど、翻訳魔法も通じず、意味を理解することができない。たぶん、精霊や神々の言葉に近いなにかなのだろう。それは、意味ではなく、真なる言葉のような、そういう根源的ななにか。ただ、歌声が心の奥深くに染み込んでいく。
歌が進んでいくと、彼女の声はまるで夜明けに空に広がっていく光のように、徐々に力を増していき、それにつれて周りに透明な光が点々と現れ始めた。それは、精霊たちが静かに姿を現しているのだろう。彼らは彼女の歌声に聴き入り、同時に魔力に満ち満ちていく。
アルリアの歌を聴きながら、僕はルミーを取り出し、ファインダーを覗く。改めてそれは夢のような、現実離れした美しい光景だと感じる。ファインダー内にはありがたいことに、露出計のようなものがついていたので、それを見ながら設定をして、彼女を真ん中に構図を作り、シャッターを切る。デジタルカメラのように、撮った写真を画面で見たりすることはできないから、どう撮れているかはわからないけど、森の中で、木漏れ日を浴びて、光に包まれて歌うアルリアの姿は、とても綺麗な写真が撮れていると確信できる。
僕は、何度も何度もシャッターを切った。離れて撮ったり、近づいて撮ったり。正面からも横からも。それは考えながら撮ったというよりは、本能的に、衝動的に撮っていた。シャッターを切るたびに、次はこう撮りたいという思考が浮かんできて、夢中になって彼女の姿を追い続けた。
やがて、アルリアの歌は心地よい余韻を残して終りを迎えた。楽器の最後の音が、本当に聞こえなくなったとき、一斉にもともとの森の音が再び鳴り出したようにも思えた。ほのかに光を放っていた水晶玉と魔法陣の光も消える。
アルリアは、そっと弦に触れて音を止め、静かに目を開けて、微笑みを向けながら話しかけてくる。
「これで一連の流れは終わり。どうだった?」
「とても、美しい時間だなと思いました。」
「あら、それは良かった。いつも一人でやってたから、客観的に見てどうかを聞くのは新鮮。」
「写真を撮ったので、よかったらあとで見てください。」
「ありがとう。楽しみね。」