65話、師匠
「…………」
閑静な住宅街の外れ。
私は趣のある洋館の前に立っていた。
深呼吸をして門のインターホンを押す。
「久遠です」
『門は開いてるから、入ってらっしゃい』
キキィと鳴る鉄の門を開くと、よく手入れされた庭園が広がり、
植物のアーチが道を示していた。
……変わらないなぁ。
私の記憶ではないが、そう思うのも仕方がない。
勝手知ったるこの懐かしい庭を感慨深く歩く。
でも流石に記憶にあるより少し古いかな。
ここは大女優、日向ウズメの屋敷。
タケルが若いころ住み込みで、ひたすら演技の練習に励んだ場所だった。
――――――――――
「いらっしゃい久遠さん、よく来てくれました」
「お招きありがとうございます。素敵な御屋敷ですね」
お手伝いさんに案内され、庭にある先生お気に入りのガゼボでお茶を囲む。
とりあえずこれつまらないものですが、ととある店で購入したケーキを差し出す。
「あら、私の好物をよくご存知ですね」
「えへへ、リサーチしました」
実際先生の弟子は多いので、知ろうと思えばすぐ知れる。
もちろんそんなことをしなくても知っているが。
こうして2人だけのお茶会が始まり、ドラマの思い出話に花を咲かす。
一通り話してから先生がカップを置いた。
「さて、あの子の話でしたね」
「はい、ぜひ聞かせてください」
今日は以前約束した、タケルの話を聞きに来たのだ。
私の知るタケルは主観的なものが多く、正確ではない。
何しろあの卑屈で自己肯定感の低い男だ。
客観的にはどんな人間だったのか非常に興味がある。
「そうねぇ、真面目で、努力家で、演技が大好きな子でした」
「へー、じゃあ良い生徒さんだったんですね」
「ええ、言われたことは徹底的に研究して、私の技術をどんどん吸収していって、とても教え甲斐があったわ」
「才能はあったんですか?」
「そうねぇ、天才では無かったけど、努力する才能はあったわね。ただ真面目過ぎて要領が悪いところもあったから、努力の天才と言うほどでもなかったわねぇ」
「あ、そうなんですか……」
実は本人に自覚がないだけの超天才パターンを期待したけど、違うようだ、残念。
「ただ器用貧乏というか、殆どのことは何でもできたのよね」
「え?要領は悪いのに?」
「それがねぇ、演技に対してだけ要領が悪いのです。他のことは特に努力もしないで出来てしまうのだけれど、演技に対してだけは本気だからか、もう十分出来てるのに更に上を見て、自分には無理だって諦めるのよね。完璧主義といいますか」
「ああーいますねそんな人」
確かにタケルは多趣味で様々なことに手を出していた。
でもどれも中途半端で、演技にだけ妙に拘りがあった。
「でもね、現場ではとっても重宝されたのよ」
「え?」
「困ってるスタッフを助けたり、役者の仲を取り持ったり、演出やシナリオを理解して、最適な立ち回りをしたり、それはもう便利で、業界のみんなに愛されていたわ」
「おおー」
うんうん、確かにタケルは色んな人に頼られてた。
私もああなりたいと思ったものだ。
「でも演技はあんまり評価されなかったようですね」
「あら?」
その割には演技のテクニックや知識は非常に豊富で、私も大分助かってるのだけど?
「技術は完璧に覚えてるのだけど、考えすぎて演技が固いのよね。自分の容姿にコンプレックスがあったから、どうにも自信に欠けて華が無いですし」
あー、タケルが最後まで気にしてたやつだ。
「だから自信さえあれば、彼は誰にも愛される凄い役者になったハズなの」
「そうなんですね」
「まあ結局自信が付かないまま死んでしまいましたけどね……まったくおバカな子」
「…………」
結局タケルは、自分に足りない最後のピースを、死んでから手に入れたわけだ。
私と言う自信の塊を。
タケルの魂が私に魅かれたのは、こういう理由があったのかもしれない。
まあ、もう知る由もないのだけど。
「なんだかあなたを見てると、何故かあの子を思い出すのよね、全然似てないのだけど。あの子が自信を手に入れたら、あなたみたいになるかも、って」
「…………」
ううーん、どうしよう、色々ぶっちゃけてしまいたい。
「そうそう気になっていたのだけど、あなたの師匠ってだれなの?」
「師匠ですか?」
「ええ、誰から演技を教わったの?どうにもあなたの演技に私の教えが混ざってる気がして。もしかして私の弟子の誰かかしらと思ってね」
師匠、か……。
「私の師匠は…………裾野タケルです」
もういいや、全部話すことにした。
別に絶対知られてはいけないことでもない。
「え?でもあなたいくつなの?その頃にはもう……あの子の映画でも見たの?」
「いえ、それがですねぇ、ちょっと複雑な話なんですが……」
タケルの霊に憑りつかれて記憶を受け継いだことや、これまでの事を話す。
「だから、私の師匠はタケルなんです」
「…………」
流石にポカーンと驚いた顔をしている。
「あー、信じられませんよね、こんなこと」
「い、いえ、信じます。この業界に長くいれば、月詠家のこともなんとなく耳にします」
「あはは……」
あの家だけなんでこんなにファンタジーしてるんだろう。
「それに色々腑に落ちました。道理であの子がチラつくわけです」
「納得いただけて幸いです。これでタケルの最後の想いを伝えられます」
「え……?」
「『先生、あれだけ気にかけていただいたのに、ロクな孝行もできず済みませんでした』と。それと合わせる顔がなくて、先生のことをつい避けてたことも悔いてましたね」
「はぁぁ、まったくあの子ったら」
「ほんと卑屈ですよね、いつまでもウジウジして」
「ふふ、そうね」
「だから私が、代わりに師匠孝行しようって決めたんです」
先生に初めてあった時、タケルの代わりに世界一の女優になると誓ったことを、今改めて伝える。
「そう……あの時の言葉、本気だったのね……。わかりました、久遠さん」
「はい」
「あなた、私の弟子になりなさい」
「はい?え、でも私……」
演技の上達は望んでいたが、ぶっちゃけ日向先生の教えはほぼ完璧に覚えている。
今更教えを受けてもなぁ。
「確かに基礎は出来ています。でもあなた、女性の演技を知らないでしょう?」
「あ」
確かに。
私のベースは男の演技だ。
言われてみれば女性の演技と言われてもわからない。
成長すれば自然に女らしくなると思っていたが、こうまで男のタケルの記憶がはっきりしてるとそれも怪しい。
今まで子役だから問題なかったが、この先を考えると女らしさを学んだ方がいいだろう。
危なかった、指摘されなかったら未来の大女優じゃなくて、〇塚の大スターになるところだった。
「毎週とは言いません。あなたは覚えが異常に良いようですし、月に一度くらいでいいでしょう。基礎は私が教えたようなものだから、きっとすぐ馴染むはずですよ」
まいった、断る理由がない。
それにまたとないいい話だ。
「まったくその通りです。先生、これからお世話になります」
私はオシャレなテーブルに両手をついて、頭を深く下げた。
「ふふ、こんな運命もあるのね。私も、いつまでも沈んでいてはいけませんね」
今までどこか憂いを秘めた顔だった日向先生だったが、今はとても晴れやかな顔をしていた。
きっとタケルが死んだことをずっと気にしていたのだろう。
なにせ一時はここに住み込み、息子のように情をかけたのだ。
隠さず全て話してよかった。
こうして私は、誰もがうらやむ大女優、日向ウズメの弟子となった。
これもタケルが繋いでくれた縁。
思えば彼には色んなものを貰ったものだ、だから、しっかり恩返しをしないとね。