56、リトルブレイバー2
「やあミオちゃん、俺が新しいお父さんになるケイだよ。遠慮なくパパと呼んでほしいな」
新しい父はそう言って、優しく笑いかけてきた。
でもわたしにとってパパはパパだけだから、絶対にパパだなんて呼ばない。
「お、お父さん、でいい?」
「んー、ま、いいよ?それにしてもかわいい子だねー。こんなかわいい子の親になれるなら大歓迎だよ」
「良かった……可愛がってあげてね」
今日からここで暮らすんだ……。
わたしは古びた小さい部屋を見渡す。
もうあの暖かい家に戻ることはない、それに、パパとも会えない。
わたしはグスっと泣きそうになるけど、ママの鋭い視線を受けて我慢する。
わたしが泣かなければ、迷惑かけなければパパとママは今でも仲よしだったかもしれない。
自分のせいでこうなったのだから、頑張って泣かないようにしよう。
「私は昼は仕事に出るから、ミオの面倒お願いね?」
「おっけーおっけー任せてよ。俺の仕事家でもできる系だから」
お父さんはミュージシャンらしい。
でもあんまり売れてないって言ってた。
「私が全力でサポートするから、良い音楽沢山作ってね」
「ありがとうカオリさん、今度コンペがあるから、取り敢えずそれ目指して頑張るよ」
そう言って2人はわたしの前でキスをした。
初めて見る行為に目を見開いていると、ママがシッシと手を振った。
「子供は向こうに行ってなさい」
わたしは慌てて隣の部屋に逃げ込んだ。
ママはパパといる時とは違う顔をしていた。
すごく、嫌な気分……。
はぁ、パパに会いたい……。
ーーーーーーーーーーーーー
「はぁ〜なんか精神的に疲れた〜」
「お疲れ様です久遠様」
あれから撮影は順調に進んだ。
新しい父と始まる生活だったが、この男は仕事もせず一日中ゲームばかり。
たまに外出したと思ったらパチンコに競馬とギャンブル三昧。
案の定負けて帰るとはカオリにお小遣いをせびるという完全なるヒモ男だった。
初めはゲームをしながらもミオの様子を気にかけていたケイ。
ミオも大人しく、子育てなんて簡単だと思っていた。
しかしある日、ふとした拍子に泣き出したミオ。
何をやっても泣き止まず、おろおろしたケイだったが、次第にイライラし始め、遂にはミオの頬を叩き黙らせてしまう。
短気で、すぐ衝動的に人やものに当たる暴力的な男、それがケイの正体だった。
思いもよらない痛みに泣き止み、唖然とするミオ。
すぐにより激しく泣き始めるが、一度泣き止んだことに味を占め、ケイの暴力は激しさを増していく。
それ以来ミオはケイを恐れるようになり、つねにビクビクとおびえていた。
それが気に入らず、ケイは泣いていなくても、腹いせにミオに暴力を振るうようになっていった。
ちなみに本当の父は失意のどん底状態。無気力になってフラフラさまようパートがちょくちょく挿入される、一応主役だし。
やれやれ、と斉藤から受け取ったアイスココアを飲む。
甘い飲み物が脳に沁みる。
「久遠ちゃんあなた中々やるじゃない。これまで一度もセリフを間違えなかったわね」
「えへへ、記憶力には自信があるんです」
母親役のミナトさんが話しかけてくる。
この人は本当に面倒見がよく、私がお願いした通りにアドバイスをくれたりして世話を焼いてくれる。
「でもセリフは合っていても何度かリテイクを出しちゃいました」
「まあそれは仕方ないわね。そういう監督だから」
セリフに間違いないのだが、監督はよく、今度は辛そうに、とか、唖然としたように、とか表現を変えて何パターンか撮ることが多々ある。
なのでベテランばかりで殆どミスの無い現場なのにリテイク数は結構多い。
「それだけ上手いと言う証拠よ。私たちならもっと良い作品にできると思ったからこそ、色々と試行錯誤してるのね」
「へぇー、それは出来上がりが楽しみにですね」
「ええ。それとあなたも、上の段階へ行くべきね」
「上の段階ですか?」
「台本通りの演技にミスが無いのならその次、台本を読み込み、台本に書いてない部分を自分なりに解釈して演技する。まあ、これは出来てるから、さらに上、台本や監督の想像を超える演技をするのよ」
「ふむふむ」
「台本や原作を読み込んで、完全に人物を理解して、監督の意図も読み取って、台本に書かれてないけど、このキャラクターならこうするはず、と解釈する。そこに更に自分にしか出来ない表現を足すのよ。そうして監督の想像を超えるの」
「それって、大丈夫なんですか?」
「漫画原作とかだと下手すると大炎上、でも上手くやれば逆に大絶賛よ。今回はオリジナルだし問題ないわ。まあ拘りの強い監督だとダメだけど。盛岡監督なら大丈夫、もっとやれってタイプね」
「かなり上級者向けですね……」
「この程度まだまだよ。もっと上級者はキャラを無視して我を貫く人もいるわ。その人が演じたキャラは全部その人になるけど、ウケた時の効果は絶大ね。まあそこまでやって許されるのは相当の大スターだけだけど」
「ああーいますねそういう俳優」
「まああなたはまず監督の想像を超える演技をすることを目指すべきね。監督のイメージピッタリの演技をする役者も重宝されるけど、あなたには多分合わないわ」
「え、合わないですか?」
タケルがそういうタイプだったから、私は合わせる方が得意だと思っていたのだけど……。
「ええ、何というか見た目がまず華があるし、性格も私が一番って感じだし」
「そ、そうですか……」
少し仕事をしただけで私の性格がバレている。流石ベテラン女優である。
しかしそうなるとタケルの技術に頼ってばかりではいけないのかもしれない。
私は私の演技を見つける必要がありそうだ。
「ふふ、ミナトさん、しっかりやっているようですね」
「日向先生!お疲れ様です!」
「ほほほ、私の出番は少ないですからそれ程でも。ミナトさんこそお疲れ様、とってもいい感じよ」
「ホントですか?ありがとうございます!」
お、おおー。あの女王様なミナトさんがペコペコしてる。
流石日向先生、業界のあちこちで指導してるだけある。
「久遠さんも、子役として驚くほど演技出来ていますよ」
「えへへ、何度か撮り直されましたけど」
「あれは良いリテイクだから良いのよ。ミナトさんのアドバイスも的確だと思うわ。それにしてもあのミナトさんが人を教える立場になるなんてねぇ、歳をとるはずね」
「や、止めてくださいよ、もう」
この様子だとミナトさんは先生に相当お世話になっていそうだ。
「うふふ、そんなわけで久遠さん、これからのシーンでいよいよあなたの力量が試されるわ。思いっきりやっちゃいなさい。あなたを一人前と見なして、私達も本気で当たりますからね」
「が、頑張ります……」
これからのシーン……。
ミオが殺されかけて、戦う覚悟を決めるシーンだ。
この話のターニングポイントとなる。
さて、思いのほかハードルをあげられてしまった。
ミオはまだ5歳の幼女、生きることに精一杯で、そんなに戦う意思はないはずだ。
母をまだ信じて、オロオロヨチヨチと演技するつもりでいた。
でももし私だったらどうするか。
相手が殺しにかかってくるのなら、躊躇無く戦うだろう、肉親の情より自分の命。
あらゆる手を駆使して、2度と出てこれないよう義父も母も豚箱に放り込むはずだ。
私らしく、やってもいいんだろうか。
でもジャンル変わっちゃわない?
ここまで陰鬱だったし、いや、もしかしてそれが監督の意図だったりするのだろうか。
なんたって私のチャンネル見てるし。
うん、まあ、一度やってみますか。
周りは頼りになる大人ばかり。
ここは幼女らしく胸を借りるとしよう。
さて、撮影再開だ。