3、天原久遠という幼女
死ぬかと思った。
天原久遠、5月生まれの3歳児。
初夏の朝、謎の頭痛に悩まされ3歳にして知恵熱と診断。
地獄の苦しみに耐え抜くこと1週間。
ようやく落ち着いてきた。
そして……
「なんだったんだろうあの記憶」
裾野タケルという男の人生をマルっと覚えている。
おかげで物覚えつくどころか一気に智恵がつき自我が芽生えてしまった。
「これって転生?あれが前世の記憶ってやつ?まさか自分がそうなるとは」
そうぼやきながら鏡の前に立つ。
「うん、今日も完璧にかわいい」
鏡に写るのは実に可憐な美幼女。
ぱっちりした目にバランスの整った目鼻立ち。
幼女はみんな可愛いものだが、自分は大人になっても美人であると確信できる。
「はぁ~何度見てもかわいい」
100年、いや1000年、いや未来永劫現れないような唯一無二の美幼女、それが私、天原久遠。
タケルの記憶のせいで客観的に判断でき、余計にそう思う。
はぁ~ツラいわ~美幼女すぎて今日もツラい。
久遠はタケルの記憶を得る前からすでに自分大好きで、
日頃からオモチャで遊ばずに鏡ばかり見ていた。
「しかし裾野タケルか……前世が男……」
自分が完璧な美幼女だと自認する久遠にとって、前世がうだつが上がらない男というのは非常に気になる点だった。
完璧な自分に混じった異物。
真っ白な布に染み付いた汚れ、しかも洗っても取れない。
とは言えこの記憶が便利なのは事実。
気にはなるけど消せるものでもない。
だったらこの記憶を利用して、これも含めて完璧になればいいだけだ。
「性格に影響出てないよね?」
経験によって性格が形勢されていく都合上、経験もなにもない3歳の久遠の自我は、
40年生きたタケルの経験に対しては太刀打ちできないだろう。
絶対に影響出てる。
思考もなんか男っぽい気がするし。
「いや、でも私は私!前世は男でも今は女!私は天原久遠!」
そう鏡の前で言い放つ。
前世が男だろうと今は女なのだ。
前世が男だから躊躇するとか、そういったことで今を縛るのは馬鹿馬鹿しい。
女の子としての生を遠慮なくまっとうするのだ。
「そして女優ね……どうしようかな」
タケルは俳優だった。
演技のコツやテクニックも覚えてる。
その記憶があれば演技なんて楽勝だ。
しかも今は3歳、子役として研鑽を積んでいけば、
余程怠けない限り本当に大女優になれるだろう。
ただ演技が好きかどうかだが……嫌いじゃないと思う。
というかタケルが経験した喜びや感動は、
とても楽しそうで、自分も体験したいと思えるものだった。
「やってみようかな、子役」
そう呟くと胸の奥が少しだけ暖かくなった。
──あの撮影現場の記憶。カメラの前で懸命に演じて、仲間と共に作品を作り上げるあの瞬間。
(うん、悪くないかも)
久遠の中に残るタケルの記憶が、そっと背中を押した気がした。
まだ3歳だけど、いや3歳だからこそ需要がある。
何処の世界にこれだけ頭の良い3歳児がいると言うのだ。
大人しく指示通りに動いてくれる幼女というだけで超貴重!
しかもそんなに演技力を求められることもないはず!
「これは行ける!それに……お金の臭いがするわ!」
タケルはお金で非常に苦労していたため、そのトラウマはバッチリ久遠に傷跡を残していた。
こうして純粋な思いに、ちょっぴり俗な思いも載せて。
未来の大女優、天原久遠は静かな一歩を踏み出すのだった。