その音に恋をする
スズメ達の合唱で目が覚める五秒前。いや、五分後。
俺は母親の作った朝飯を十七秒で掻き込み、愛車(自転車)へと搭乗する。
「ちょっとキセキ! あんた鞄持たずに何処いく気なん!」
「勿論学校だ! 鞄なんてなくてもバスケは出来る!」
「アホンダラ! 勉強しに行くんじゃ学校はっ!」
身長138cmの母親から鞄を投げてよこされる。凄まじい剛速球。こう見えて母は学生時代、ソフトボールのピッチャーだった……らしい。あんなちっさいのに……。
「ありがと母ちゃん! いってくる!」
「車に気ぃつけぇよ!」
母親は関西圏の何処出身なのだろうか。妙な訛りを持つ母親に見送られながら、俺は自転車をこぎ出し今年の春に入学した高校へと急いだ。ちなみに正門が閉まるのは五分後。ここから高校まで自転車で三十分はかかる。
「気合でなんとでもなる! うぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
※無事、スピード違反でおまわりさんに注意されました(そして遅刻した)
《ようこそバスケ部へ!》
桜ヶ丘総合学園。俺の中学の頃の成績では、逆立ちしても入学する事は出来ない……と言われた高校。しかしどうしてもここのバスケ部に入りたくて、逆立ちして勉強はしていないが気合で合格した。
当時の中学の教師に、俺の中身が宇宙人と入れ替わったのでは? と本気で疑われるくらい頑張った。ちなみに塾には行っていない。俺には姉という最強の家庭教師が居る。一個上の俺の姉は、既にこの高校へ入学しており、女子バスケ部のエースとして活躍している。
「へへ……俺もついにバスケ部に入部……。先週入部届、家に忘れて出せなかったけど……これで晴れて俺もバスケ部だぜ!」
バスケ部が楽しみ過ぎて、今日の授業内容は全く頭に入ってこなかった。そのせいで寝てしまったが問題ない。昨日、朝の五時まで動画のNBAの試合見てたのは関係ないだろう。
「ねえ、あの子何? 背高い子」
「頭……染めてる? 真っ白?」
「違うよ、あれはグレーだよ、グレー」
すれ違った先輩女子がそう俺を見てヒソヒソ声。俺は日本人の母親と、ノルウェー人の父親の間に生まれた子供だ。ちなみに姉は普通に黒髪である。
ついでに言うと、俺は八重歯が人より発達していて、まるでドラキュラ……とまではいかないが、まあまあ笑うと目立つ。そして父親譲りの目つきの悪さも相まって、中学時代は周りにビビられていた物だ。
それは今のクラスでも大して変わらないが、先輩方はそうでも無いらしい。きっと俺以上に変な奴が多いに違いない。その中の筆頭が姉だろう。俺には分かる。
そうこうしている内に体育館が見えてきた! よっしゃぁー! バスケ部、入部しまぁーす!
『本日、男子バスケ部は都立体育センターで練習試合の為、不在です』
※この張り紙で飛行機を作ってやろうかーっ!
《聞いてない!》
「姉ちゃん! どういうことだい!」
「わっ、びっくりした。あんた、ここ生徒会室よ。静かに」
「男子バスケ部いねえんだけど!」
「静かにしなさいって言ってるでしょ。何、入部届? はいはい、受理しとくから」
「なんも聞いてねえよ俺! なんで俺に黙って行っちゃうんだよぉぉぉぉ!」
「静かに……しろっつってんだろ、ゴラ」
「……ハィ」
姉に逆らえる弟など、この世には存在しない。ましてや俺の姉ちゃんは、この学校に入学するために徹夜で勉強に付き合ってくれた家庭教師にして大恩人。俺はハムスターのように丸くなるしかない。
ちなみに姉は、女子バスケ部のエースにして生徒会書記。成績が学年主席だからと、ほぼ無理やり入れさせられた(噂では生徒会長が土下座で頼み込んできた……らしい)
「うぅ、姉ちゃん、バスケ、バスケがしたいよぉぉぉ」
「先週のうちに入部届ださないからよ」
「だからって……練習試合いくなら教えてくれたっていいじゃんか」
「あんたね……入部もしてない奴に誰が教えるのよ」
そうじゃなくて姉ちゃんが! 女子バスケ部なんだから男子バスケの予定も分かるでしょ! と詰め寄りそうになるが我慢する。姉に逆らえる弟など(以下略
「体育館には行った?」
「おう、そこで無慈悲な張り紙を見た」
「女子バスケ部の誰かが自主練してたら混ざってもいいわよぉ。あんた、私の弟だけあって顔は中々だから、女子バスケ部の先輩達にモテるかもよ」
「えー、俺、姉ちゃんのせいで年上の女は勘弁……いや、なんでもないッス……」
「今のは聞かなかった事にしておいてあげる。ならさっさと帰って予習復習しな。成績落としたら入部なんて取り消すからね」
「っぐ……」
今日の授業、全部寝てたなんて言えねえ……。殺される、わりとマジで。
しかしこのまま家に帰っても……血が、俺の中のバスケの血が沸騰してしまう!
しかたねえ、女子バスケ部に混ざる気は更々ないが、覗くだけ覗いていくか……。
※
体育館の中には……一人しかいなかった。シュート練習だろうか。綺麗なフォームだ。
体操服にハーフパンツの生徒が、一人ゴール下で自主練していた。
「こんちゃっす」
「ん? あれ、どうしたの? 君……」
「女子バスケ部が練習してるから見てこいって……姉ちゃんに言われて」
「姉ちゃん……あぁ、君かぁ、ユメの弟さん。僕は吉川。よろしくね」
俺の特徴的な髪の色を聞いていたんだろう。こういう時は便利だ、この髪色。
「幸田キセキっす。あれ、男子バスケ部は練習試合行ってるって……。吉川先輩も置いてかれたんですか」
「……? あぁ、そうそう。僕も置いて行かれて……って、君も?」
「そうっす……入部届出してなかった俺も悪い気がしないでもないけど、酷いっすよね、男子バスケ部。非道で無慈悲な悪の集団……」
「あはは、キセキ君、面白いね。なら僕の練習に付き合ってよ、1 on 1でいい? 中学の頃、バスケやってたの?」
「うす。中体連、二回戦敗退っす」
まずは俺がディフェンス。パスを受け取り再び返すと、吉川先輩が視界から消えた……!
「んぬっ?!」
「よ」
なんだ、今のドリブル……。はええ……。それにこの人、母ちゃんなみに背小さいから……姿勢低くなると一瞬マジで見失いそうになる。レイアップも綺麗すぎる。まったく動けなかった。
そして思わず聞き入ってしまう程に、ドリブルの音が綺麗だ。
「はい、君の番」
「うす。吉川先輩、早いっすね。バスケ歴どのくらいっすか」
「んー、小学生の頃からやってたから……八年くらいかなぁ。ユメもそのくらいって言ってたけど、キセキ君も?」
そう、俺も物心つく頃には既にバスケットボールで遊んでいた。父親がバスケやってたからだ。母親は俺に野球をやらせたかったようだが、俺はバスケを選んだ。理由は……父親の方が背高かったからとか言ったら母は怒りそうだから墓まで持っていこうと思っている。
「俺も同じくらいっす。ちなみに姉ちゃんのこと、呼び捨てなんすね。もしかして付き合ってたり……」
「あはは、そう見える?」
「止めといたほうがいいっすよ、アイツ、マジで怒ると手が付け」
会話の途中でいきなり攻めた。卑怯とか言われようが構わない。そうでもしないと、この人を追い抜けない、そう思ったから。
虚を突いたのに平然と俺の真正面に、当たり前のように陣取る吉川先輩。
止まるな……! 俺はこの人の手の内を全く知らない、そして俺より早い、止まったら速攻で取られる。
「おっ」
フェイントからレッグスルーで切り返し、そのままゴール下へ突っ込んでレイアップ。
なんだ、この汗。シュートを決めたのに……出し抜いた気がしない。
「吉川先輩、手加減したでしょ」
「え? してない、してない」
可愛い顔して手綱を握られている気分。今のは俺が決めたんじゃない、決めさせられたんだ。
「先輩……俺、バスケは本気でやりたいんッス。男同士、真剣勝負でいきましょ」
「……りょーかい」
※
それからは死闘だった。まさに死闘。連続で吉川先輩に決められ、俺は俺で抵抗するも中々思うように動けない。この人、ポジ取るの上手すぎだろ、まるで静電気でくっ付いてくるホコリのよう……いやいや、たとえが悪すぎる! あれだ、タンポポのフワフワ!
タンポポ……吉川先輩、マジで女子みたいに可愛い顔してるな。やばい、俺は同性同士の恋愛にとやかく言うつもりは無いが、出来れば付き合うなら女子がいい……。いやいや、集中しろ!
っていうかこの人、こんな上手いのに、なんで置いてかれたんだ?
「っく!」
「よっ……っと」
ぐぅっ! わざわざ戻って3ポイント……! しかもボール高……! この身長でどうやって投げるんだ、あれ!
当たり前のようにネットを揺らす吉川先輩。これで何連続決められた? もう全身汗だくだ。
「はぁ……ちょっと休も? キセキ君も疲れて……」
「まだまだぁ! 行ったはずっすよ! 男同士の真剣勝負っすよ!」
「あのねぇ……いい加減気付いてくれると思ったんだけど……僕は……」
「うおおぉぉっ! 隙ありぃ!」
思い切り、滅茶苦茶卑怯臭い方法で吉川先輩を抜こうとしても、いつのまにかこの人は俺の死角に入り込んで……
「ほい」
っぐ……! また取られた!
「ルールは守ってほしいなぁ、キセキ君。折角、僕とは違って背も高いしテクニックだってあるんだから」
「背……身長なんて、関係ないっすよ」
「いやいや、あるでしょ。高い方が……」
今度は俺がディフェンス。吉川先輩からのパスは、少し疲れているのか弱くなっている。この人、体力はそんなにないのか。
「NBAにいる日本人……榊さんって人が居るんすけど……俺より背低いのに、化け物みたいな2メートル級の選手を圧倒してるんすよ。身長なんて……関係ないッス」
「あ、知ってる、その人。かっこいいよね」
「っす。かっこいいッス」
何気に俺の親父……の後輩だったりする。
「そうだよね、テクニックさえ身に付ければ……」
「そんなの、当たり前なんすよ」
「……え?」
「テクニックを身に着けるのなんて、当たり前なんすよ。大事なのは気持ちっす。気持ちで負けたら……小学生にだって負けちまう。俺は負けたくないんす。だから……」
「……だから?」
「俺が勝つまで……吉川先輩には付き合ってもら……がっふぁぁ!」
突如! まさに横槍……いや、横バスケットボールが入った! 俺の顔面に!!!!
「な、なんじゃ……誰だゴルァー!」
「わーたーしーだぁー」
ぎゃああああ!!!!!! 姉ちゃん!!!!!
「あんたぁ! 今何時だと思ってんの! 体育館の灯りがまだ点いてるから何事かと思えば……とっくに部活動禁止時間に突入してんのよ!」
え? うおぉぉぉ! いつのまにか外が真っ暗に!
「マジか……気づかんかった……」
「桜も! こんなアホタレに付き合うことないから!」
「いやー、つい白熱しちゃって……ごめんごめん」
ん? 桜? 女子みたいな名前だな……。
いや、そんな事より!
「姉ちゃん! いや、お姉様? い、いくら姉上様だからって……その、男同士の真剣勝負を邪魔することは無いじゃないどすか!」
「はぁ~?」
え、なにそのゴミを見るかのような目。何いってんだコイツ……みたいな表情やめて頂きたい! そうだろ吉川先輩! これは男同士の……
「桜……あんたねぇ、このバカ、本気にするからそういう嘘やめなさいよ」
ん? 嘘?
「いや、ごめん……いつ気付くのかなーって思ってたんだけど……」
ん? ん?
「あの、話が見えんのですが、お姉様」
「桜、自己紹介」
姉ちゃんに促されて、吉川先輩は頬をカリカリしつつ苦笑い。
「えっと……吉川桜、十七歳……ごめんね、騙すつもりは無かったんだけど……僕、女子です」
「……? 女子……えええええぇぇぇぇ!」
男子バスケ部員じゃなかったのか! どうりで……こんな上手い人が置いてかれるなんて、おかしいと思ってたんだ!
※読者は気付いてましたよ!(by作者)
高校からの帰宅。あたりはもう真っ暗なので、姉ちゃんから吉川先輩を送り届けるように仰せつかった。俺は自転車を引きながら。吉川先輩は徒歩。どうやら家は結構近いらしい。
「え、えっと……吉川先輩……すんませんでした……」
「いいよいいよ、僕も楽しかったし」
うぅ、吉川先輩……普通に制服着ると女子にしか見えねえ……っていうか可愛い。
「紛らわしいからやめろって言われてるんだけどね。僕って一人称。なんかクセになっちゃって」
「お、俺は可愛いと……思うっス」
「ほんと? ありがと。でもキセキ君、ほんとにバスケ上手かったから、正直物凄く楽しかったし練習になったよ。また、一緒にやろうね」
「……是非」
俺、この人に散々……男同士だの何だの言っちゃったんだよな……うぅ、もうお嫁にいけない……俺が!
「あ、僕このあたりで大丈夫だから。じゃあまた明日ね、キセキ君」
「……うす。あの、吉川先輩」
「ん? 何?」
なんだろう、胸のドキドキがやばい。
このあと、姉に叱られるからとか、そういうのではない。
そうだ、しいて言うなら……
「今度、バスケ教えてもらっても……いいっすか」
「んー? 私より男子バスケ部に上手い人いっぱいいるし……そっちのほうが……」
「いや、それとは別に……」
「別に? 個人授業ってこと? あはは、キセキ君、僕のこと、そんなに気にいってくれた? ありがとー」
気にいったとか、そういうレベルではない。
そう、これは……
「吉川先輩……」
「ん? 何?」
これは……恋だ。
俺はこの人に……一目惚れ……じゃないのか? いや、最初見た時は男だと思ったし……一目惚れではないのかもしれないが……。
「吉川先輩!」
「はいはい、どうしたの」
俺は……俺は……!
「俺、吉川先輩よりもバスケ上手くなってみせるっす……! そしたら、俺と……け、結婚してください!」
「…………ん?」
……ん? いや、待て、なんか色々すっ飛ばしたような気がする。
結婚? あれ? 結婚って、どのへんの段階だっけ?
「あ、いや、今のは、その!」
「……いいよ。僕で良ければ……」
※吉川先輩から姉にメッセージアプリで話が伝わり、その夜、本気で俺は命の危機に瀕しました
その後、男子バスケ部のエースと吉川先輩を巡ってアレコレするのは……また別の話で。




