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第二話

 いない。いない。いない。

「カンナ! カンナ?!」

 何処を探しても、娘がいない。

 瑠奈はショッピングカートを通路の脇の方に置き、店内を回り始める。

 元居た場所から余り離れない様にしながら、一本一本の通路を見ては戻り、見ては戻る。

 速く。速くしないと。早く見つけないと、あの子は店の外に出てしまうかもしれない。

 いや、もう既に出てしまったのだろうか。

 私は一体、何をして居たのだ。

 ちゃんと手を握っていれば良かった。

 離れる事を許さなければ良かった。

 瑠奈は自分にそう繰り返しながら、娘を探し続けた。

「カンナ! カンナ!!」

 どうしよう。何処にもいない。そんなに大きなスーパーではないのに。

 いくら娘が小さくても、こんなに行ったり来たりもすれば、見かけていた筈だ。

 娘を探し始めてから、一分程しか経っていない。

 いや、もう一分も経ってしまった。

 それでもいないなら、やはり店の外に出てしまったのだろうか?

 もしくは……


 ……誘拐?


 いや、まさか。

 そんな。そんな、そんな。

 そんなに不注意だったのか、私は。

 どれだけ不注意だったのだ。

 何故目を離した。何故しがみ付いて居なかった?

 誰かが彼女を拐っていったのだろうか。

 こんな所で? 真昼間(まっぴるま)に?

 いや、そんな事は関係ない。

 居ないのだ。

 居ないモノは、居ないのだ。

 だったら……どうする?

 耳鳴りがする程、頭の中で考えが渦巻いている。

 その時だった。

「どうかしましたか?」

 瑠奈が慌てて鞄から携帯を取り出そうとしている所に、一人の店員が話しかけて来た。取り乱している彼女を不審に思ったのだろう。

 そうだ。どうしてもっと早く、お店の人に探すのを手伝って貰わなかったのだろう。

「あ、あの……す、すみません、その……」

 やっと誰かに話せる。助けを求められる。

 瑠奈はそう思いながら、息を吸う。 

「はい?」

 声をかけて来た店員は、首を傾げながら曖昧に微笑む。 

「あ、む、娘が……急に、居なくなっちゃって、その……」

「え? 娘さんが?」

「はい、えっと、あの……ちょっと、すみません……!」

 どうしよう。探さなきゃ。

 店員さんにも協力してもらって。自動ドアの所に誰かを配置してもらって……

 大人何人かで探したら、直ぐに見つかるかもしれない。

 それから、夫にも連絡しないと……


 そうだ。夫だ。


 店員がキョロキョロ周りを見回す中、瑠奈は急に思い出したかの様に、震える手で携帯のロック画面を解除する。そしてどうにか携帯を操作し、夫の卓に電話をかける。

 呼出音が、耳に響く。

 その間も自分のスニーカーをキュッキュと鳴らしながら、瑠奈は店の中をあちこちと移動する。

 卓は、中々電話に出ない。

「あの、す、すみません!」

 瑠奈は先程話しかけて来てくれた店員に必死になって駆け寄る。

「あの、娘が、急に居なくなってしまって……! その、ついさっきまで一緒にいたんですけど! 何処に行ったのか分からなくて!」

「娘さんが? えっと……承知しました! だったら、私達も探しますね!」

 店員はそう言うと、数歩その場から離れ……

 そしてまた瑠奈の方へ振り向いた。

「あの、娘さん、お幾つですか?」

「えっと、もうすぐ……もうすぐ、三歳です」

 瑠奈はかろうじてそう答える。

「三歳のお嬢さんですね。承知しました」

 そう言うと、確かな足取りで店員はもう一度レジの方へと駆けて行く。

 その間も、ずっと卓への電話の呼出音は鳴り続いている。

(出てよ……お願いだから、出てよ……!)

 瑠奈は、頭の中で必死に叫ぶ。

 助けてくれ。私が必死になっている時、どうにかしてくれ。

 でも、瑠奈はふと考える。

 卓が電話に出た所で、どうなる。彼に、この状況で何が出来る。

 彼が電話に出るのを待つ間、瑠奈は最近の夫との会話を思い出す。

『疲れてるんだよ』

『やっといてくれよ』

 いや、あれは会話と言って良いのだろうか。

 仕事や育児をこなす中、二人はここ数年間、お互い疲労と闘いながら毎日の生活に挑んで来た。

 特に娘が産まれたばかりの頃は、夫は育休を取らず、睡眠不足の状態で出勤していた。

 瑠奈は出産するに当たって仕事を辞めたので家にはいたが、それでも疲れ果てていた。

 卓は仕事。瑠奈は育児。二人共しなくてはならない事をこなしながら、やっとの思いで自分自身の事もやろうとしていた。

 そして段々と精神的余裕が無くなり、気持ち良く相手と接する事が難しくなって行った。

 夫婦の間は会話が少なくなり、終いには言葉を交わすと喧嘩する様になっていた。

 それがここ数年間続いていて、放って置いた所為で事態が悪化していた。

 更には仕事が上手く行かず、苛立つ夫。家事と育児を全て終わらせられず、罪悪感を感じる瑠奈。

 朝も夜も、部屋に鳴り響く怒鳴り声。寝室の隅から聞こえる娘のすすり泣き。

 時に夫は勢いで食卓の皿を割ったりもした。いや、今もまだしている。

 築ウン年の建物だ。近所に家庭内の音が筒抜けでもおかしくはない。だから、ご近所さん達が話して居たのはある意味事実だ。

 やはり、ここ数年で夫は変わってしまったのだ。

 以前は明るかった彼は、今は家では全く笑わなくなった。家族との食事も余りせず、そう思うと一人で夜食を取っている。

 寝室は家族全員一緒の筈だが、夫は一人で居間で寝落ちする事が多い。

 彼は、一体どうしてしまったのだろう。

 そして、自分も――

 いや、待て。今解決しなければならない問題は、カンナが居なくなった事だ。

 まだ店の中か。それとも、外へ歩いて行ってしまったのか。それとも、誰かに連れ去られたのか。

 でも、そんなの、誰が。

(もしかして……卓?)

 そんな……自分は一体何を考えているのだ。夫が実の娘を誘拐する筈がない。しかも家族で一緒に住んでいる娘を、だ。

 家を出て行くなら、他にもっとスムーズなやり方があるだろう。

 それでも……

 夫に電話をかけ始めて、まだ一分も経っていないのか。

 その間に思い返していた、彼とのここ数年間の生活。

『俺にどうしろって言うんだよ』

 もしかしたら、そうなのかもしれない。

 夫が、娘を誘拐したのかもしれない。

 そうだ。そうだ……


 だって、夫は豹変したのだ。

 ここ数年間で卓は、全くの別人になってしまったのだから。


次の更新は明日(8月21日(水))の19時半となります。

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