独身男は...
えーっと、今、俺は彼女に連れられて入ったマンションのエレベーターに乗っている。乗っているが、本当にお金、足りてくれるのだろうか...。
いくらお礼がしたいと言われても、そもそもお礼をされるようなことをしたつもりもないし、後輩の女性にお金を出してもらうのはダサい...ダサすぎるよな。
とりあえず、そんなことを考えながらも乗り込んだエレベーターの階層は静かに1階、2階、3階とどんどん上に上がっていく光景。
そして、エレベーターという密室には俺と佐倉、その二人きり。
何だろう。特にお互いに話をするわけでもないこの雰囲気は。
目の前にいる出入口の方向を向いた彼女も、さっきまでは楽しそうに話をしてくれていた気がするのだが、今はだんまりだ...。
顔はお互いに見えていない状況だが、この沈黙がさらに俺の息を詰まらせる。
そして、4階、5階...6
「斎藤さん、ここです。さあ降りてください」
「お、おう」
そう言って、俺に向かって振り向く彼女の表情から見るに...別に機嫌が悪そうとかではない。何と言うか、しおらしい表情?
そして、少し足をすすめると、よくあるマンションの通路が見えてくる。
見る限りでは、どこからどう見ても普通のマンション。
ただ、この通路の中にある部屋のどれかが隠れ家的な料理店、と言うか、すき焼き専門店....なんだよな。
そんなことを考えながら俺は前を歩く佐倉の後ろをゆっくりとついていく。
まず一つ目の部屋....違う。
そして2つ目の部屋....も違うみたいだ。
次に3つ....
「斎藤さん、ここです...」
そう言って目の前には足を止める佐倉。
ここ...。
まあ、どうみてもやはり普通のマンションの一室。
そうか、この部屋の奥にテレビとかでよく見る隠れ家的な店があ...
いや、ちょっと待て...。
本当に待て...。
一見わかりづらかったが、その部屋の表札が俺に目にはしっかりと飛び込んでくる。
「...」
そこにはローマ字で小さくもしっかりと文字が刻まれている光景。
エス、エー、ケー、ユー、アール、エー...。
ちょっと目を擦って再び視線をそこに集中させてみるも、当然そこに刻まれている文字が変わることもない...。
『SAKURA』
「えーっと...」
「ふふっ、斎藤さん、美味しいお肉が実家から送られてきたんです。ちょうどいいと思いまして」
ちょうどいい? ん? 駄目だ。頭が混乱している。
「えーっと、と言うことは、ここはやっぱり佐倉の家...?」
「はい。間違いなく」
えーっと...
「なら、すき焼きは?」
「はい。ここで一緒に食べましょう。こうでもしないと斎藤さん、絶対にお金だしちゃいますよね。それではお礼になりませんので...」
えーっと
「二人で?」
「はい。もちろん二人でです。えーっと、駄目でしたか...?」
そう言って、気が付けば今までにないぐらいの、しおらしい表情を俺に向けてくる彼女がそこにはいる。
「いや、駄目じゃないけども...」
いや、駄目だろ。駄目だろうに何故かそう自然に答えてしまう俺。
「じゃあ、嫌ですか?」
いや、ちょっとまて本当に何だ。その表情。
「い、嫌では...ないが」
また、彼女からくりだされる彼女らしくない、しおらしい表情に俺の口はそう勝手に動いてしまう...。
「ふふっ、よかった」
そして、さっきとは打って変わって今度はものすごく嬉しそうな表情で俺に満面の笑みを向けてくる彼女。
「来てくれて本当に嬉しいです」
そう聞こえてきた時には、いつ間にか、俺の両手が彼女に華奢な手で優しく握られて...
それも、今度はじっと俺の目を見ながらしおらしさを残した表情で微笑んで..。
やばい。
本当にやばい。思考が...まとまらない。
いや、勘違いをするな俺。彼女がそんなわけがない。
駄目だ。何故身体が熱くなってくる。落ち着け、俺。そんなわけがない。
「じゃあ、開けますね」
そして、気が付けばそう言って自宅のドアノブに鍵を差している彼女の後ろ姿...。
いや、彼女は本当に俺にすき焼きをご馳走してくれるだけ。それ以上でもそれ以下でもなく彼女の口から出た言葉のとおり。
なのに、俺は何を...。
何故、俺はこうも変な方向に変な方向にものごとを考えて...
ただ、このまま彼女の言う通り彼女の自宅に入ってしまうと...
駄目だ。やっぱり考えがまとまらない。
普通に考えて、付き合ってもない男を部屋に入れるか? それも他には誰もいない状況で。
つまり...いや、そんなわけがない。
駄目だ。この1秒が10秒にも1分にも思えてしまう。
でも、おそらくこのまま、また彼女に手を引かれようものなら俺は多分このまま...
「では、どうぞ...」
いや、ちょっとこれは...
駄目だ。本当に気持ち悪いな俺、何でこんなに心臓がバクバクと...。何でこうも勘違いを....
これこそ、これこそ何かのドッキリとかじゃないよな。まあ、佐倉が俺にそんなことをしても何の意味もないわけで。
ただ、過去にそういう経験がなかったわけではないから、一応、周りを見渡してみ...
「え?」