仕事終わりの独身男と後輩女
一体どこに向かっているのだろうか。
進行方向がこっち方面である限り、間違いなく俺の予想していた居酒屋でないことは確か。
今、動く電車の窓から見えている景色はほぼほぼ俺の見知らぬ景色。まあ、いつも乗る電車とは逆方向の電車に乗っているから当たり前ではあるのだろうが、全然予想がつけられない。
外が暗くなってきたこともあって、尚さらわからないのが現状だ。
「斎藤さん、あと一駅で降りますので」
そして、電車の中で、隣に美女がつり革を持って立っているこの光景も、俺にとっては明らかに見知らぬ景色。
そう。今、俺の隣にはさっきからものすごく楽しそうに笑って俺に話しかけてくる会社の後輩、佐倉加恋がいる。
そして、彼女が美人だからだろうか、周りからのかなりの視線を感じるこの感覚も俺一人ではまず味わうことのないものだろう。
「斎藤さんはこっち方面はよく来られたりしますか?」
「いや、家と逆だから正直全然...」
でも、この佐倉の表情から見るに、そうとう佐倉が好きな料理を出す店に食べに行くのだろう。
何だろう。この美味しい物を普段から食べ慣れていそうな佐倉をそんなに高揚させるような料理を出す店。
正直ちょっと期待をしてしまっている自分がいたりもする。何だかんだで佐倉みたいな女性は絶対にモテるだろうからな、これまでの人生で色んな男にご飯とかに誘われたりして舌が肥えに肥えているはずだ。少なくとも俺の数十倍は。
本当に心配なのはお金だけ。もっと降ろしておくべきだったのだろうか。
「ふふ、ここで降りましょう」
「ああ」
そう言って、気が付けば佐倉に手を優しく引かれて電車を降りている俺。
何だろう。こういう時にいつも自分のことを気持ち悪いと思ってしまったりする..。
27歳にもなって異性に触れられるだけでドキっとしてしまうって本当に末期だ。
必死に顔には出ないように取り計らうが、もし出てしまっていたら相当引かれていることは間違いないだろう。
でも、そうか。
そこまで遠くはない場所とあらかじめ言われていたが、確かに全然近いな。
会社から準急で3駅、急行で1駅といったところか。今は準急に乗っていたが時間的には15分もかかっていないかもしれない。普通に近い。
そんなことを考えながら改札を通りすぎる俺。
駅前の景観もそれなりに賑わっていて、確かに飲食店も多々目に入ってくる。
人の流れも結構あって割と良さげな雰囲気の町。
今度一人でぶらぶらと来るのもありかもしれない。
そんなことを考えながらも、駅を出て実際に今この場所をぶらぶらと彼女と歩いている俺。
「斎藤さんって、鍋の中ではすき焼きが一番好きなんですよね」
「え、ああ...鍋の中では。てか、何で知ってんの?」
「村田から聞きました。よくご飯に行ったら食べてるって」
「ああ、和食チェーンの一人鍋のことか。確かに食べてるな」
基本的にすき焼きに外れってないからな。いまだかつて、すき焼きの外れに遭遇したことがない。だから和食チェーンに行った際は確かによく食べる。
「ふふっ、本当にいつもいつもバカみたいに同じものを食べてるって言ってましたよ」
「いや、そんなことはない...はず。その店にあればたまに食べるぐらい...なはず。と言うか、村田そんなこと言ってたの?」
「ハハハッ、はい。言ってましたよ。あいつ」
あいつ...。もう、村田には飯を奢らないことがたった今確定した。
でも、今も隣を歩いていて、あらためて思うけれど、佐倉。本当に色々と変わったと思う。配属当初とはまるで別人みたいに。
「でも、村田ばっかりずるいです。私もちゃんと誘ってくださいよー」
「ハハ、思ってもないことを」
こんな風に俺の前で笑ってくれることはおろか、悪いこと以外で喋りかけてくれることも皆無だったからな。
まあ、別にそういう感情はもちろんないけれど、元々がツンツンしていたイメージが強すぎて、今もそんな彼女から、こんな風にまっすぐに笑顔を向けられると何故かムズムズしてしまう自分がいたりもする。
いわゆるギャップというやつだろうか。
これは入社当初に村田が彼女に惚れたこともわからなくはない。俺はもちろん勘違いはしないが、あいつみたいに勘違いしてしまう男がいても全然不思議ではない。
まあ、そもそもがものすごく美人だし、しっかりしていて頭もいい。
あまりにも人種が違いすぎて、俺が勘違いする余地もないんだけどな。
彼女みたいな完璧な女性は、絶対にどこかの金持ちイケメンエリートを捕まえると相場が決まっている。
実際、彼氏がいない、いないといつも言っているが、彼女は作ろうと思えば一瞬でつくれる女性の典型的なモデルだろう。
って、いつの間にか、また何か色々とどうでもいいことを考えてしまっていたが、周りをみるとどんどん飲食店街から離れて...?
ん?
と言うか、さっきから彼女はすき焼き、すき焼きと...。
もしかして、今日俺を連れていこうとしている場所って...
すき焼き専門店的...な?
確かに、そうであればちょっと奥まった場所にあっても何らおかしくはない。
マジか。
やばいぞ。本格的に金、足りるか...? 何がお金はいりませんだよ。そんなところ、尚さら佐倉にお金を出させるわけにはいかない。
くそ、事前にだいたいの予算だけでも無理言って聞きだしておくべきだった。
「はい。到着しました。じゃあ、行きましょうか」
え? マンション?
「え? こ、ここ?」
「はい。ふふ、ここで斎藤さんの好きな美味しいすき焼きが楽しめますよ。美味しいお肉があるんです。さあ、行きましょう」
見る限り...至って普通の...マンション?
え、あ、あれか? 隠れ家的な? 隠れ家的な知る人ぞ知る名店的な?
そして、いつの間にかまた彼女に手を引かれてマンションの中に入って行く俺。
いや、でも本当に大丈夫か。こんなところ、絶対に2万円じゃ足りないんじゃ...。
くそ、電子決済を利用していない弊害が今ここに。
あと、何だ。これは本当に気のせいでしかないのだろうが
さっきから何かどこからか視線を感じると言うか何と言うか...?




