朝から走る独身男
「え? 本当に大丈夫なの?」
「だ、大丈夫だから。本当に」
今、また目の前には朝からスーツ姿の似合うスレンダーな美女、西野美桜がいる光景。
そう。今朝も家を出るタイミングが重なってまた彼女と駅に向かって道を歩いているところ。
まあ、電車は違えどほぼ同じ時間の電車に乗るんだ。家を出る時間が重なることにはもう慣れた。
慣れたけれど...
「え、喧嘩?」
「いや、ビジネスで...」
「へ?どういうこと?ちょっと意味わかんない。本当に大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫、ほんと大丈夫だから」
「本当に?」
「本当に」
正直、昨日の佐倉もそうだが、ここまで女性から心配されたりするのはあまり慣れていない。今も、ちょっと止まってと言われ、自販機の前の道の端で、ものすごく心配そうな顔をした彼女に顔をのぞき込まれるようにして見られている...。そう。昨日とある件で殴られた頬をじーっとのぞき込まれるように。
「でも、やっぱり痛そー」
そして、近い...。痛いではなく、近い。本当に。
「えい」
「いっ、おい...」
「ふふ、ごめんごめん、ちょっと押したらどうなるか気になってさー」
で、手を伸ばしてきたと思えば、また楽しそうにケラケラと...。さっきまでの心底心配してくれていたような表情はどこへやら、めちゃくちゃ笑っている。
本当にクールな顔して彼女はこういうところがある。
「じゃあ、もう一回見せて」
「いや、結構」
「ふふ、何でよー。心配してんじゃん」
「いや、絶対また触るだろ」
「もー、ふふ、触らないってー」
「いや、笑ってんじゃん、絶対に触るだろ...」
「笑ってないってー、ほら」
「いや、どう見ても笑ってるし」
「ふふ、いやいやそれを言うなら雄大くんも地味に笑ってんじゃんー」
「は? 笑ってないし」
「いやいや、笑ってるから」
本当に笑ってなんて...あれ、笑って...
ま、まあとりあえずそれはどうでもいい。これでも昨日に比べるとだいぶと腫れは引いた方。
「でも、一応、病院は行っときなよ。本当に」
「ああ、まあ一応は行くつもり」
午前の重要な件が終われば、この件を盾に早退をしようとは画策中。そして病院は早々に終え、今日の午後こそ余暇を謳歌したい。いや、して見せる。
「あ、そうだ。どうせ病院行くなら、今日はそれなりに帰り早いでしょ」
「え?」
「ふふ、仕方がないから今日、口に優しい料理作ってあげる」
「え、いや、そんな悪いって、大丈夫」
「違うの、おばあちゃんが、七草? 美味しい野草いっぱいくれてさ、どっちにしろ今日は雑炊にしようと思ってたから。ついで、ついでだから。ね」
「いや...」
「ふふ、何も別に変な要求とかしないから。ただの気まぐれ。じゃ、夜にまた出来たらもっていくから、よろしくね」
「え、あ、ああ...」
何だろう。彼女の勢いについ返事をしてしまったが、い、色々と何だろう...。
「って、やば、雄大くん。このままだと電車遅れちゃう」
「え?」
うお、マジだ。そもそもこんなところで二人で呑気に喋っている場合じゃなかった。今日の朝遅れるのはほんと洒落にならない。俺はなにを。
「ふふ、ほら、走るよ」
「お、おう」
「やば、朝からこんな感じで走るの。私、高校の時に遅刻しかけた時ぐらいかも」
そう言って、隣にはこんな状況でも何故かこれまた楽しそうに笑顔で俺の隣を緩く小走りするスーツ姿の彼女。
そして、その隣を同じく軽く並走するスーツ姿の俺。
色々とよくわからないことになってはいるが...
意外に朝、こういう感じで走るのも、目が覚めていく感じがしてそこまで...
まあ、毎日は普通に嫌だが、たまにはこういう1日の始まりも...。
悪くは...
いや、やっぱり悪いな。悪い
普通に遅れたら、やばい。
特に今日は本当に...やばい。
それにしても、情けないな。ちょっと走っただけで俺はもう体力ゲージが...