独身男は定時で帰りたい
今日は朝がいつもより早かったりと色々とうんざりもしていたのだが、蓋を開ければ最高の1日になりそうだ。
いつもは惰性でパンだけで済ます昼飯も、今日は気分的に割とガッツリ目の弁当をモグモグと自席で貪っているところ。
いや、弁当ではなくこれは出前か。
とにもかくにも、特上天丼セット。美味ぇ。
でも、定時で帰れるなんて一体いつぶりだろうか。今が昼休みだから約あと5時間。
外を見ると雨が降ってきているみたいではあるが、そんなことはどうだっていい。
特に俺には帰ってからの予定なんてものもないのだから。だが、それが嬉しい。好きなドラマの見逃し配信でも見ながら夜は何を食おうかとぼーっと考えるこの時間ですら楽しくなってくる。
おそらく、さっきからここにはずっと、自分でも気持ちが悪いと思うがニヤニヤとしてしまっている自分がいる。でも、何も問題はない。なぜなら今、課内には俺しかいないのだから。
そう。言葉どおり、俺しかここにはいない。
珍しく、俺以外は出張やら何やらで奇跡的に全員外出している状況だ。俺も朝から外出していたのだが、午後からの予定が急遽なくなり、今この状況。
そして課長はそもそも今日は有給休暇ときた。他の奴らもおそらく全員直帰。まさにパラダイス。俺の定時退社を邪魔する者は誰ひとりといない無敵状態。
もちろん、午後からもサボれるだけサボり散らかすつもりだ。
あぁ、職場で飲むコーラ美味ぇ。
「先輩、マジでやりたい放題ですね...」
まあ、厳密には一人ではなく、佐倉の同期の村田もいるが、こいつはいないのと同じだ。こいつとはそれなりに付き合いが長いし、定期的に餌付けもしている。まさか飼い犬が飼い主の手を噛むなんてことはあるまい。
「その天丼、俺にも一口ぐらいくださいよ」
「一口500円な」
「さすが、器の小ささ日本一」
「それは俺にとっては誉め言葉だから問題なし」
そんなことを言いながら、天丼についてきた鴨うどんを俺は豪快に口にズルズルと掻き込む。マジで気持ちいい。
「でも、佐倉ずるいっすよねー。名古屋に泊まりで出張とか、もうあいつにとっては旅行みたいなもんじゃないですか。どうせあいつ仕事はそつなくこなすんですから。絶対美味いもん食ってますよ」
「そうか? 別に美味いもんなんて名古屋まで行かなくても金だせばどこでも食えるだろ。この天丼みたいに」
「先輩って、マジそういうところありますよねー。でも、佐倉はやっぱすごいっすわ。あいつならそつなくこなすだろうとはさっき言いましたけど、今回のも割と大きな案件ですよね。同期なのに俺はどんどん置いてかれています」
「あ? 仕事なんて任される仕事が少なけりゃ少ない方がいいに決まってんだろ。それにあいつが優秀すぎるだけで、お前はレベル的には中の中だからまあ、いいんじゃね」
「先輩が俺ぐらいの時も中の中でしたか?」
「まあ、そんぐらいかな」
「それはそれで心外っすわ」
「殺すぞ...」
まあ、どちらにせよ、何でもいいが、名古屋みたいな遠方に出向かなくとも美味いものなんていくらでも食える。それに俺が世界で一番好きな場所は誰が何と言おうとも自宅だ。
出張が好きだなんて奴の心は到底理解できない。
「はい。村田です。はい、はい。います」
って、電話か。気が付けばいきなり村田が誰かと電話をしている光景。います?
「はい、はい。代わります。少々お待ちください。斎藤さん!」
そして、その言葉と同時に俺に受話器を向けてくる村田。
「え、誰?」
「係長です。斎藤さんに代われって」
「え、あ、おう...」
何だろう。とてつもなく嫌な予感がするのは俺の気のせいだろうか。
「お電話代わりました...。斎藤です」
心なしか係長の声色が焦っている様に聞こえるのは気のせいだろうか。気のせいだよな...。
「はい、はい。相手先とトラブル...。はい。え? 佐倉がですか? はい。はい。えーっと、はい。え? い、今からですか。は...い。はい...。絶対...。はい。り、了解しました...。はい。失礼します...」
嘘だろ...。そんなことある? よりにもよって今日という日に...? しかも今から? 自力で?
「ん? どうしたんですか、先輩。何かありました?」
大ありだ...。予定なんかないけど、予定が...。
「村田...」
「はい」
あー、マジか...。でも、状況的に俺しかいない。となれば、さすがに行かないなんて選択肢はないわな。
「俺、ちょっと今から名古屋行ってくるわ...」
「はい?」