表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
89/89

第八十九話 お別れ


「騎士ジェラルドよ。

 そなたは、手勢とともに真っ先に我がもとへと馳せ参じてくれた。

 そして騎士ジャックとともに敵の只中での危険な任務を良くこなし、敵勢の活動を妨害せしめた。

 また、ローズポート勢の強襲に際しては、私の隣で共に戦い、この命を救ってくれた。

 この功績を鑑み、余が姉ヴェロニカをそなたに嫁がせるものとする。

 王家に連なる一員として、親子ともどもより一層の忠勤を期待する。下がってよい」


 とんでもない言葉が耳に飛び込んできて、頭の中に並べ始めていた考え事が全部吹っ飛んだ。

 誰が誰に嫁ぐって!?

 意外ごとではなかったようで、騒めきは少ない。

 なんなら、俺に姫様の領地が下された時の方が騒がしかったぐらいだ。

 混乱する俺をよそに、ジェラルドが立ちあがり振り向いた。

 何故か俺と目が合った。

 得意げな顔でもされるかと思いきや、すぐに気まずげに目を逸らされた。


 後のことはよく覚えていない。


 気が付いたら、スティーブン陛下と対面していた。

 先ほどの大広間ではなく、お城の応接間である。

 大広間や謁見の間とは違って、もう少し私的な会談をするときに使われる。

 人払いがなされており、室内には陛下と俺と、それから顔見知りの騎士ダニエルがいるだけだ。

 姫様はいなかった。


「さて、ジャック殿には此度の褒賞について説明しておく必要があるかと思いまして」


「……大した手柄もたてていないのに、俺よりずいぶんいい褒美をもらった奴がいることですか?」


 思っていたよりも随分と拗ねた声が出てしまった。

 陛下は少しだけ首を傾げた後、すぐに得心した様子だった。


「ああ、姉上の件ですか。納得がいきませんか?」


 俺は頷いた。


「なるほど。まあ関係がないわけではないので少し話しておきましょうか。

 まず、ジェラルド殿との婚約は、厳密には褒賞ではありません。

 あれは戦前からの取り決めです。

 ホースヤード伯と同盟を結ぶにあたって、両家をつなげるための約束ですね。

 実質的な人質であるジェラルド殿に対しても、その逃亡を防ぐための個人的な利益をが必要でした」


 理屈は分かるが。


「姫様――殿下は、ご納得の上でしょうか?」


「もちろんですよ。姉上の同意なしにこんなことはしません。

 なにより、これは姉上にとっても利益になります」


 俺の脳裏に浮かんだのは、いつぞやの顔を殴られて横たわっていた女である。

 あんな下衆野郎と結婚して、いったいどんな利益があるというのか。


「そんな顔はしないでください。

 姉上にとっての弱点は自身の影響力の低さでした。

 今回の結婚でホースヤード伯の後援を得ることにより、姉上はより大きな力を振るうことができるようになります。

 なにせ、今のホースヤード伯はウェンランド諸侯の束ね役という役回りですからね。

 正直な所、予想外でもあります。

 まさかあれほど多くの領主をまとめて寝返ってくるとは思わなかったものですから。

 本当は、もう少し領地を整理できるものと思っていたのですけどね。

 ともかく、今後は大陸領を含めた領地の再編を進める必要があります。

 これは姉上の念願でもあった平和で豊かな世の中を作るために避けては通れないことです。

 その為には、伯爵の協力が不可欠なのです。

 どうかご理解ください」


 納得はいかない。

 だが、姫様の念願のためと言われれば反対はできない。

 ジェラルドが提供できるものを、俺は提供することができないからだ。

 姫様の夢を叶える力が、俺にはない。


「……はい、事情は承知しました」


「ありがとうございます」


 陛下が、ほっとしたように微笑んだ。


「貴方も、私たちにとって決して欠かすことのできない大切な家臣ですから。

 特に、姉上にとっては誰よりも信用のおける無二の存在です。

 ああ、そうでした、本題は貴方への褒賞の話でしたね。

 これも姉上の結婚と繋がる話なのです。

 通常、妻の持つ領地はその婚姻が続く間、夫の所有財産として扱われます。

 姉上はそれをよく思わず、あの領地を貴方に託すことを望みました。

 あの領地をジェラルド殿に触れさせたくないというだけであれば、ただ手放して私に預ければいいだけです。

 それを貴方に託したというその意味を、よく心得た上で経営をお願いします。

 今後とも、私どもをお助けいただきたい。

 姉上の婚儀とて、状況が落ち着くまでは執り行えません。

 時間にはまだ猶予がありますので、よく気持ちの整理をつけてください。

 重ねて言いますが、私も貴方の事を頼りに思っているのです」


 言いたいことも山ほどあったような気がしたが、頭の中は混沌としていて何一つ言葉にならなかった。

 ようやく言葉になったのは、〈犬〉と師匠に仕込まれたある種の定型文だけだった。


「はっ、過分なお言葉を頂戴し光栄にございます」


 どうにかそれだけを口にして、俺は応接室を辞去した。

 城の出口へと向かいながら辺りをキョロキョロと見回したが、姫様を見つけることはできなかった。

 多分、それでよかったのだと思う。



 打ちひしがれた気分で兄弟たちの元に向かう。

 何に打ちひしがれているのかは自分でもよくわからない。


 俺と奴とで何が違ったかと言えば、生まれの違いに過ぎない。

 嘆いたところでどうしようもない話だ。


 俺たち兄弟の野営地は市壁の門からそう離れていないところにあった。

 少し前までであれば、軍勢の一番下っ端として市壁からはるか遠くに配置されていたはずだ。

 それが今では国王陛下の直臣として、下にも置かれぬ扱いだ。

 随分と立派になったものである。


 こうして出世を続けていけば、いつか姫様が求めるだけの力を手に入れることができるだろうか?

 少しばかりそうした考えをもてあそんでみたが、すぐにその無意味さに気落ちした。

 俺があれと同じ力を手に入れようとしたところで、俺一代ではどうにもならないだろう。

 仮に俺の代で手に入れることができたとしても、何十年も後の話だ。

 それでは意味がない。


 そんなことを考えながらトボトボと野営地に戻ってきたところで、〈犬〉が声をかけて来た。


「おかえりなさい、殿――どうしたんです?

 もしかして褒美がもらえなかったんで?」


「いいや、褒美はちゃんと貰ったよ」


 俺はお城で起きたことのあらましを話した。

 

「ははあ、なるほど。

 心中はお察ししますが、まあこればかりはどうにもなりませんな」


 そんな風に慰めてくれるが、その〈犬〉の方も声に元気がない。

 この間の戦以来ずっとこんな感じなんである。


「しかしながら、陛下が対面で慰めの言葉をかけて下さったということを重く考えた方がいいでしょう」


 道理ではある。

 今の陛下はこれまでとは比べ物にならないほどお忙しい身であるはずだ。

 まして戦の後。

 それが、俺なんかのためにわざわざ時間を割いてくれたのだ。

 形式上は城主とはいえ、城と呼ぶのも微妙な木造の小さな砦を差配する身に過ぎないのだから破格の待遇だ。

 王としても、個人としても気にかけてくれているのは間違いない。


「わかっちゃいるんだけどなあ……」


「気持ちの問題なら、ご自身で決着をつけていただくほかありませんよ」


 ぐうの音も出ない。


「そういうわけですからね、あとは自分でどうにかして下せえ」


 そう言って彼は離れていった。

 もう少し愚痴を聞いてもらいたかったのだが、どうにもつれない態度である。

 

 その晩のことだった。

 皆が寝静まったころになって〈犬〉がやって来て言った。


「殿、お話したいことがございまして」


 いつになく真剣な顔つきだった。


「なんだ?」


「ここじゃなんですので、少し歩きませんか?」


「……おう」


 二人して天幕から出る。

 見回りの体で不審番をしている兄弟たちに声をかけて回り、それから自分たちの野営地を出る。

 他の軍勢の野営地の隙間を、時折誰何を受けながら通り抜けて川端へ出る。

 ここなら人気はない。


 川沿いの風は冷たく、野営地の灯りも遠くに点々と灯るばかりで足元は暗い。


「で、どうしたんだ?」


「へえ……あの、その……」


 何やらよほど言いにくいことらしく、〈犬〉は視線を落として口ごもった。

 珍しいことである。

 よほど悪い事態でも起きたのかと思ったが、顔つきからして違うと知れた。

 何やら酷く辛そうな、それでいて寂しそうな、そんな目をしている。

 こいつがこんな顔をしているのを見るのは初めてだった。

 強いて言うなら、ミュール城で身の上話をした時の顔が一番近いだろうか?


 そんな様子であるので続きを促すのも憚られ、二人向き合ったままで俺たちはしばらくの間、、黙って向き合い続けた。

 やがて〈犬〉は意を決したように視線をあげて口を開いた。


「殿、これから一つお願いをいたします。

 どうかいつものように『分かった、好きにしろ』と言って下さい」


 おっと、割と無茶なやつが飛んできたぞ?


「何言ってやがる。内容次第だ。

 お前も呪いのことは知ってるだろ。

 俺は迂闊な約束は決してしねえ」


「存じております」


 そう言って〈犬〉はその場に膝をついた。

 そうして、こちらを見上げながら続けた。


「決して無茶なお願いは致しません。

 どうか私のことを信じてください」


 俺は途方に暮れた。

 尋常のことじゃないのは間違いない。

 大体、わざわざこんなことはせずとも我らが兄弟団はこいつが好きに動かしてきたんである。

 今更何のお願いが必要だというのか。


 俺は改めて〈犬〉の顔を観察した。

 わかったことは一つだけ。

 こいつは今、ひどく思い詰めている様子だということだ。


 またしばらく沈黙が続いた。

 少しばかり迷ったが、まあ仕方がない。


「分かったよ。お前さんにはずいぶん世話になった。

 一つ位ならわがままも聞いてやらあ。

 ほら、言ってみな」


 〈犬〉が寂しげに笑った。

 なんだその顔は。そこは喜ぶところだろうよ。


「では、お暇をいただきたく」


 川沿いに、ひどく冷たい風が吹いた。

 

「……『分かった、好きにしろ』。

 だけどおい、どうしてだ?

 やっと領地だってもらえたんだぞ!

 そりゃ、まだお前を土地持ちの騎士にしてやるには足りないけどさ。

 でも――」


「やめて下せえ、旦那。

 俺はもう旦那とは一緒にはやっていけません。

 これ以上、あっしに惨めな思いをさせないで下せえ」


「訳が分かんねえ!」


「ご立腹はもっともです。

 ですが、理由を言葉にするだけでもあっしは惨めで仕方なくなります。

 どうか、これまでの奉公に報いると思って、何も聞かずに送り出して下せえ」


 そう言うと、〈犬〉はボロボロと涙を流し始めた。


「……ったく、なんなんだよ」


 事情はさっぱり呑み込めないが、こいつが真剣だということだけはわかった。

 俺には何もしてやれないだろうこともだ。

 だったら、俺にはこいつの希望を叶えてやる他はない。


「認めるよ。

 訳はさっぱりわからんが、お前さんには本当に世話になったからな」


「ありがとうございます」


 俺は〈犬〉に手を差し伸べながら言った。


「それじゃ、いったん野営地に戻ろうぜ」

 

 だが、〈犬〉は俺の手は取らず、一人で立ち上がっていった。


「いいえ、このまま行きます」


「このまま? 身一つでか?」


「はい」


「荷物ぐらいとりに戻れよ。多少は路銀だっているだろ?

 あと、隊の物なら何でも持ってっていいからさ」


「戻りません。皆には、合わせる顔がないんで」


「そこまで言うなら無理にとは言わないけどさ。

 身の振りようは決まってるのか?

 何なら、陛下か誰かに話を通して――」


「大丈夫です。実は次の仕官先も決まっております。

 ……ホースヤード伯のところに参りますので」


「は?」


 視界が赤く染まった気がした。

 手に金の斧を呼び出す。


「おい、どういうことだ?」


「以前お約束頂いた褒美を受取ることにいたしましたので」


 〈犬〉は身構えもせず、力なく目を伏せた。

 そのあまりにしょぼくれた様子に、俺は怒りの持って行き場を失ってしまった。

 手の斧を鉄に戻し、足元に投げつける。


「クソが!」


 それから大きく二度深呼吸をして気持ちを落ち着ける。

 頭の回転が戻ってくれば、〈犬〉のしょぼくれた様子が気にかかった。


「……おい、脅されてるんじゃねえだろうな」


 〈犬〉は顔をあげて、俺の目をまっすぐに見上げて言った。


「へい、これはあっしの意思で決めたことで」


「そうか。ならいい。

 本当に世話になったな。

 言いたいことは色々あるが、お前の望みが叶うならまあいいさ。

 達者で暮らせよ」


「ありがとうございます。

 木こりの旦那も、どうかお達者で」


「おう」


 それから〈犬〉は俺に一礼すると、背を向けて闇の中に消えていった。


書き溜めが尽きたので、投降を中断します。

再開時期は未定ですが、次回は最後まで書き上げてから投稿する予定です。


めでたしめでたしで終わる予定ですので、最後までお付き合いいただければ幸いです


また、印象に残ったシーンや気に入ったキャラクターなど、感想欄で教えていただけますと励みになります

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
なんてところで… 絶対決闘申し込むと思ったんだけどなあ、ジャック大人だった 陛下の言うのも重々よくわかるんだけどさ… 〈犬〉よ!頼むぞお!おまえはなんかやってくれる男だと信じてる!
どう考えても箱庭守れる状態じゃなくてワロタ
あらあ 犬に文句を言うのはナシだけど メンタルの指針と実務の中核が離れることになってしまってジャックはこのあとどうしたら‥
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ