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第八十三話 合流

 〈兎〉が、スティーブン殿下からの新しい指令を携えてやってきた。

 伝えられた命令は至って簡潔だった。


「急ぎ本軍と合流せよ、か。

 殿下も随分と簡単に言ってくれるな」


 その簡潔さとは裏腹に、実行するにはなかなか骨が折れる命令だった。

 なにしろ、ウェストモントへ続く主要な街道は、ギョームの軍勢に封鎖されているのである。


 突破はもちろん不可能。

 やるなら、敵の監視の目を盗みながら山の中を突っ切っていくしかない。

 できないわけではないが、とにかく苦労が多い。


「へい、それについては殿下にもお考えがあるようで」


 〈兎〉の説明によれば、現状は次の通りである。

 まず、つい先日、敵軍の中で大きな動きがあった。

 ホースヤード伯の策略によって、王弟ロベールがギョーム王の暗殺未遂事件を起こして逃亡したのだ。

 逃げ延びたロベールは再起をかけて兵を集めており、これに対してローズポート伯が六千ほどの兵を率いて討伐に向かったという。


 スティーブン殿下はこれを好機とみて、反撃に転じている。

 ギョーム軍はほとんど抵抗せずに後退中。

 殿下はこれについて、ギョーム軍が自身にとって有利な平野部の戦場に殿下の軍勢を引きずり出すための動きとみている。


「そうしたわけですので、山越えはせずとも、殿下の軍勢が平野に出たところで合流すればよいとのことです。

 平野に出ればいよいよ決戦となるわけで、今や王国中にその名を轟かせるフォレストウォッチ勢の力を貸して欲しい、というのが殿下のお言葉です」


「なるほど」


 事情は分かった。

 期待されているようでうれしくは思うが、俺たち程度の小勢が加わったとて大した影響はあるまい。

 本音はまあ、人質を手元に置いておくべき局面が来た、といったところだろう。


 さて、その人質ことジェラルドはと言うと、こちらは先の戦闘以降すっかりしおらしくなってしまっていた。

 今も、切り株に腰掛けて虚ろな目で地面を見つめている。

 俺が声をかけても顔すら上げられない始末だ。


「……ジャックか。今は放っておいてくれ。

 父上から預かった騎士の大半を失ってしまった……もう合わせる顔がない……」


ジェラルドの背後では、ヒューバート殿が申し訳なさそうな顔で小さく頭を下げている。

 このところずっとこんな調子なんである。

 暇な時なら静かでありがたいが、残念ながら今はもう少しシャキッとしてもらわねばならない。


「いい加減気合い入れろ。

 おい、殿下がお呼びだ。しっかりしてくれ」


「殿下が……?」


「そうだ。いよいよ決戦だから俺たちの力が必要なんだとさ」


「決戦……だが、俺は既に騎士の大半を……」


 まだ言ってるのかよ……。

 俺は早くもうんざりしてきてしまった。

 

「騎士が何だってんだ!

 お前にゃまだ兵隊がたくさんいるだろうが。

 俺は騎士なしでも戦ってきたぞ。

 それともなにか、俺にできることがお前にはできないってのか?」


「そ、そんなことはない……、が……」


 挑発が効いたのかジェラルドは一瞬だけ顔を上げたが、すぐにまた萎んでしまった。

 もう一押しと言ったところだろうか。

 俺は声に


「だったら立て。殿下がお前を必要としているんだ」


「で、殿下が、俺を?」


「そうだ」


 人質として、だが。


「そう仰ったのか?」


「仰ってはいないが俺にはわかる」


「何を根拠に――いや、お前が言うのならそうなのかもしれぬ」


 俺はもっともらしい顔で頷いて見せた。


「そうとも、俺は嘘がつけない」


 ただし、秘密を持つことはできる。

 ジェラルドはゆっくりと立ち上がると、何故かは知らないが俺を睨みつけて言った。


「……感謝はせぬぞ」


「いらねえよ」


 むしろ、少しばかり罪悪感すら覚えている。


「それでは、殿下のところへ向かうとしようか」


 そう言って彼は颯爽と黒盾勢に指示を出し始めた。


 それにしても、こんなにちょろくてこいつは生きていけるんだろうか?

 まあ、使えるようになってくれさえすれば文句はないが。



 敵の軍勢とかち合わない様、迂回しながら西へと進む。  

 今回は〈兎〉がいるので行動がだいぶ楽だ。

 こいつが一緒に居れば、斥候を出さずともある程度は軍勢の接近が把握できる。

 斥候はそれ自体が敵に俺たちの存在を察知させ要因になるので、この差は大きい。


 非常に便利なのだが、〈兎〉という奴は自由にほっつき歩かせた方が「聞こえる」範囲が広い。

 こうして部隊に随伴させて使うのはいささか贅沢ではある。

 〈兎〉の弟子たち――いつの間にやら増えて、今はエディー含めて五人いるらしい――が育ってきたら、一人ぐらいは手元に置きたいところだ。


 そうして、ウェストモントの関所まであと一日といったところで、行軍中の殿下の軍勢を発見。

 兄弟たちと黒盾勢にを待機させ、俺とジェラルドは隊列の中ほどにいるという殿下のところに挨拶に向かう。

 丁度小休止中だったのか、農家の軒先で休んでいた殿下の前で二人揃って膝をついた。


「おお、ジャック! 待ちかねたぞ!」


 周囲には大勢の配下がいるので、今日の殿下は公式用のお顔である。


「フォレストウォッチ城城代ジャック、ただいま馳せ参じました」


「うむ、まことに心強い限りだ」


 それから殿下は、ジェラルドに目をやって付け加えた。


「それからご客人も、見事な活躍だったと聞き及んでいる。

 勝利の暁には、きっと篤く報いよう」


「ありがたきお言葉にございます」


「敵軍は、この先に陣取っている。明日には決戦となるだろう。

 二方にはひとまず行軍の最後尾についてもらおうか。

 合戦中の配置については晩の軍議の際に改めて指示を出す。

 下がってよい」


「はっ!」


 二人して一礼し、殿下から遠ざかったところでまた別な声がかかった。


「ジャック!」


 ギョッとして声のした方に振り向くと、納屋の陰からこちらを手招きしている女がいる。

 姫様である。

 俺はジェラルドをほっぽり出し、大慌てで駆け寄った。

 周囲に師匠以外には人がいないことを確認して訊ねる。


「何でここにいる」


「勝手についてきたわけじゃないわよ。

 ステフは、このまま王都に入城して戴冠式を挙げるつもりなの。

 だからついてくるよう言われたってわけ」


 なるほど。

 姫様がまたよからぬ無茶を思いついたわけではないとわかり、俺はほっと胸をなでおろす。

 そして殿下はこの戦の勝利によほど自信があるらしい。


 と、その時、不意に姫様の表情が硬くなった。

 何かと思えば、ジェラルドが追い付いて来たのだった。

 ジェラルドはすぐに目の前の女が誰かに気づいたらしく、片膝をついた。


「ご機嫌麗しく、我が――」


「待ちなさい」


 姫様はジェラルドの挨拶を遮る。


「そのように名乗ることは、まだ許されていないはずよ」


 あの冷たくよそよそしい、王族の声だった。


「も、申し訳ありません、殿下」


「二人とも、奮戦を期待していますよ」


「はっ!」


 二人揃って片膝をつき、頭を下げる。

 姫様はそうして頭を下げる俺たちをそのままに、どこかに去って行ってしまった。

 まったく、ジェラルドさえ来なければもうちょっと姫様と話せたかもしれないってのに。


 そう思いながら立ち上がってみると、なぜだか知らないがジェラルドが俺の方を憎々し気に睨んでいた。

 睨みつけたいのはこっちの方なんだが。


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