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ホースヤード伯②

 ギョーム王の陣幕は、重苦しい空気に包まれていた。


 ウェストモント遠征軍の主だった武将が一堂に顔を揃えている。

 議題は謀反を起こした王弟ロベールへの対処。

 一部の諸侯がロベールを支持して離反したため、以前よりもその顔触れは少ない。

 そのために議場にできた隙間が参加者の緊張感を一層高めていた。


 そんな中、ホースヤード伯ジョンはギョーム王の隣にその席を占めていた。

 王弟ロベールが狩りの最中にギョーム王へ襲撃を仕掛けた際、その身を挺して王の命を救った功績によってだった。


 ジョンにしてみれば、ロベールの襲撃を防ぐなど造作もないことだった。

 何しろ、その計画からして彼がロベールに吹き込んだものなのだ。

 実行犯ですらジョンが裏から手を回して用意させた者たちである。


 それをあの若造ときたら!

 まるで一から自分でやり遂げたようなつもりになっていたのだから、ジョンにしてみれば嗤うほかはない。

 もちろん、彼はそれを顔に出しはしなかった。

 ギョームに「勇気と忠義を兼ね備えた真の騎士」と称えられた時にも笑いはしなかった。

 笑うのは最後でいいと考えている。まだその時ではない。


 ロベールは暗殺が失敗したと知ると同時に逃亡し、今は北方の自身の根拠地であるノーバルセン城にて兵力を集めているという。

 ロベールと近しい立場にいた者も、軍勢ごと遠征軍を離脱し北へと向かった。


 もしこの場にローズポート伯がいれば諸侯軍の戦線離脱など決して許さなかっただろう。

 ロベールも根拠地に逃げる前に捕縛されていただろうし、そもそも謀反を起こす度胸すら起きなかったに違いない。

 武人として名の知られるローズポート伯であったが、それだけでエリック王をして「王の背を守る者」などと呼ばせはしないのだ。

 ジョンにしたところで、動きは相当に制約されていたことは想像に難くない。


 だが、王家に真の意味で忠実だった唯一人の男は、この本陣から遠く離れた地でジャックらの軍勢に足止めされていた。

 おかげでジョンは自由に動き回ることができ、双子の離間や、王の求心力低下といった下準備にもじっくり取り組むことができた。


 そうして今まさに、ジョンが思い描いていた通りの盤面が出来上がりつつある。

 あとは最後の仕上げをするばかり。


 一同が黙りこくる中、ジョンはそっと手を挙げた。


「陛下、それがしに一案があります。よろしいでしょうか?」


 諸将の視線が彼に集まった。

 疑う目つきの者もいるが、ようやく話が進むことにほっとしたような色を浮かべる者も多い。


「うむ、許す」


 立ち上がり、諸将を見回す。


「まず前提として、兄殺しの未遂者、父殺しにして謀反人ロベールの追討は早急になされねばなりません。

 これは、正義の観点からも、また純粋に軍事的にも自明です。

 さりとて、全軍で追うのは愚策です。

 最悪の場合、ウェストモント軍に背後から攻撃される可能性もでてきます」


 ここで一呼吸置き、皆の反応を窺う。

 反論はなかった。当然だろう。

 ちなみに「父殺し」の罪状は今回の暗殺未遂後にギョームによって押し付けられたものである。

 真相を知るジョンとしては、失笑を禁じ得ない話であるが。


「となると問題は、どれほどの兵を割くのか。

 そしてそれを誰が率いるか、の二点となります。

 現状では謀反人共の軍勢は二千に届くかどうかと推測されます。

 であれば、差し向ける兵は我が軍の三分の一、六千程度で十分でしょう。

 そしてその兵を預ける将ですが――」


 今一度言葉を区切り、座を見回す。

 ジョンと目が合ったものはことごとくその目をそらした。

 当然だ。謀反人とは言え、王弟殺しとなればそれは悪名となりうる。

 引き受けるには覚悟が必要だ。

 誰も名乗り出るものがないことを確認し、ジョンは言葉をつづけた。


「どうかそれがしにお任せいただけませんでしょうか」


 座がどよめいた。


「陛下! このような者に兵を預けるのはあまりに危険です!」


 そう声をあげたのは、サンセット伯である。

 ウェンランド南西部に大きな領地を持つ大物貴族だ。

 率いる軍勢も頭一つ抜けて大きく、ローズポート伯がいない現状では最も強い発言力を持つ。

 戦場で討ち取った敵よりも、政治闘争で葬り去った政敵の方が多いともっぱらの評判で、つまるところジョンの同類である。

 宮廷を舞台にジョンと言葉の剣を交えたのも一度や二度のことではなかった。


「陛下も、ホースヤード伯の評判についてはよくご存じのはず。

 無論、私もこの男とは長い付き合いですからよく知っております。

 変幻自在に立場を入れ替え、どれほどの善良な男たちを罠にはめてきたことか……」


「これはサンセット伯! まこと異なことを仰せになる。

 もしそれがしが陛下を裏切るつもりであったなら、こうして傷を負ってまで玉体を庇いはしませぬ」


 そう言いながら、ジョンは服の襟を開いてその場の皆に肩の矢傷を見せつけた。

 傷を受けたのは半ば偶然である。

 雇った射手の腕がヘボ(・・)だったせいで、外れるはずの矢が当たっただけだ。

 真相はさておいて、受けた以上は生かさねば損というもの。

 自ら血を流したという事実は非常に強い説得力を生む。


「ぐ……、それは……、ともかく陛下!

 この男に軍勢を預け自由にするのはあまりに危険ですぞ!

 手元に置いて、監視し続けるべきです!」


 ジョンは薄い笑みを浮かべながら追加の提案を行った。


「では、貴殿もそれがしと共に追討軍に加わるがよい。

 そうしてそれがしを監視すれば目的は達せられよう」


「冗談ではない! 貴殿のような男と行動を共にするなど御免被る!

 いつ寝首を書かれるか分かったものではない!」


 サンセット伯は顔を青ざめさせながらそう言うと、ブルリと体を震わせた。

 軽口ではなく、まるで本当に自身が暗殺されかねないと信じているかのよう。

 その様を見てか、ギョーム王の瞳の奥にチラリと疑惑の光が差した。


「ならば、貴殿が追討軍を率いてはいかがか?」


「う……むぅ、いや、それも危険だ。

 わしは貴殿を監視をせねばならない。

 王のお側を離れるわけにはいかぬ……」


「では、いったい誰に追討軍を率いさせるおつもりか。

 謀反人とは言え、王弟を弑し奉ろうというのだ。

 信頼のおける者でなくては務まらぬぞ」


「それは、その……そうだ!

 陛下、やはりここはローズポート伯にお任せになるべきかと」


「む、伯父上か……」


 ギョーム王はその顔に思案の色を浮かべた。

 ジョンはすかさず口を挟んだ。


「陛下、リチャード卿は情に厚いお方にございます。

 このような任には向かぬかと」


 サンセット伯が反論した。


「なればこそです。

 ここで一度、その忠義に揺らぎがないことを確認しておくべきです」


 ギョームが目をつぶり、天を仰ぐ。

 しばしの沈黙の後、再び目を見開いて言った。


「サンセット伯の申す通りだ。

 おい、伯父上はいつ戻る予定だ?」


「……遅くとも、明日にはご帰還為されるはずです」


「よし、帰還次第、謀反人の討伐に送り出すとしよう。

 本日の会議はここまでだ。解散してよし」


 末席の者からぞろぞろと出口へと向かっていく。

 ジョンは最後まで残り、ギョーム王に一礼してからその場を後にした。


 王の陣幕から少しばかり離れたところにある貴顕用の厠に向かう。

 中は無人だった。ここを利用する者は殆どいない。

 小用を足していると、ジョンの隣に立つものがあった。

 サンセット伯だ。


 サンセット伯は自身も一物を取り出すと、前を向いたまま何事もなかったかのように話しかけきた。


「ジョンよ、あれでよかったか?」


「見事でござった。あの震え上がりようときたら本当にそれがしを恐れているとしか見えませんでしたぞ」


 サンセット伯がわざとらしくしかめっ面をして見せた。


「演技なものか。おぬしを恐れぬのは愚か者だけよ。

 しかしまあ、あんな小僧を大の大人が二人がかりで騙すのは少しばかり胸が痛むな」


 ジョンは鼻で笑って応じる。


「心にもないことを」


 サンセット伯とは長い付き合いである。

 ともにいくつもの謀略にかかわり、何度裏切ったかは互いに数えきれない。


 つまりは、それだけの数、手を握り合ってきたということでもあった。


「フフフ、まあこれで貸しが一つだ。

 返礼は期待しておるぞ」


「もちろん」


 ジョンはそう答えて一物をしまい込むと、静かに出口へ向かう。

 その背に、サンセット伯が声をかけてきた。


「しかし、ジョンよ。年甲斐もなく木登り遊びとは感心せんな」


 ジョンは振り向いて答える。


「なに、たまには何ものにも遮られることのない景色というものを見てみたくなりましてな」


それだけ言って、再び背を向けて歩き出した。


「あまり高いところから落ちると、怪我も大きくなるぞ」


 そんな声が追いかけてきたが、ジョンはもう立ち止まらなかった。


 外に出たところで、遠く角笛が鳴った。

 軍勢の接近を伝える音色だ。

 恐らく、ローズポート伯の輸送隊が帰還したのだ。

 ジョンは薄く笑いながら呟いた。


「少しばかり、戻るのが遅かったな」


 


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