第七十六話 指令
ノドウィッドの森に戻った俺たちは、元のねぐら――あの横穴のたくさんある奇妙な崖――に本拠地を据えた。
この森を出てから二年近くがたつが、幸いなことに誰にも荒らされておらず、ほとんどそのまま再使用できた。
今の俺たちは黒盾勢も合わせて三百人を超える。
あの頃と比べるとずいぶんと大所帯になったが、それでも全員を収容できるだけの横穴があった。
もっとも、ジェラルドの奴は穴が狭いと文句を垂れていたが。
この拠点は森の奥深くに巧妙に隠されていて、何も知らない奴が森に来ても容易には見つけられない。
こういう安全地帯があるだけで戦は断然楽になる。
その上、森の立地自体が非常によい。
森とその周辺にはここ以外にも大小様々な拠点があり、そこを中継すればかなり広い範囲に自在に出撃可能。
元々交通の要所でもあり、各地からウェストモントへ向かう道の多くがその出撃範囲を通っている。
これは偶然ではなく、盗賊時代からより多くの獲物を求めてここを選んでいたとのこと。
大陸で戦った時と比べて有利な点は他にもある。
まず、単純に戦力がでかい。
ただ数が多いだけではなく、装備優良な郷士兵に加えて騎士の一団すらいる。
これなら、半端な討伐部隊であれば正面から撃破する事さえ可能だ。
さらに、周辺の住民たちが非常に好意的だ。
以前の義賊としての活動がいまだに大きな影響を持っているためである。
大陸では住民に通報されることを恐れてコソコソしていたが、ここでは逆に住民が俺たちに敵の位置や数を教えてくれる。
なにより、この辺りは俺たちの庭のようなものだ。
待ち伏せに適した地点やら、水場、近道、抜け道、回り道、そう言ったものを隅々まで把握している。
森の近辺はまさに俺達の狩場であり、どこにでも姿を現し、仕事が済めばすぐに姿を消すことができる。
俺たちの仕事は至って簡単。
まず、敵が近くの村で徴発を行う。
すると村人が俺たちのところに報せに来る。
俺たちはその徴発隊を襲って、荷物の何割かをいただいて残りを村人に返す。
すると村人に感謝される。
敵は飯がないので、また村人から奪う。
俺たちはまたそれを襲って……と、こんな具合だ。
これを繰り返すたびに俺達と、それからスティーブン殿下の評判が上がっていくんだから何とも妙な気分だ。
ちょっとしたいたずら心から目印を付けた酒樽が、実に三回も戻ってきたことがあった。
それを見た時には思わず笑ってしまったが、それだけ敵の徴発が頻繁に行われているということだ。
村人たちにとってはたまったもんじゃないだろう。
時折、遠くの領地から大規模な輸送隊が送り出されることがあった。
そういう時に役に立つのが〈兎〉たちである。
あの恐るべき盲目の詩人は、いつの間にやらウェンランド中に広がる諜報網を作り上げていたのである。
そこを通じて、どこぞの町から荷車が何台、護衛の兵士が何人出発したという知らせがもたらされる。
知らせを受取った〈犬〉が、出発地点からどこを通るかを予想し、うんうんと唸りながら襲撃計画を練るのだ。
その日〈兎〉が持ってきたのは、その中でも飛び切り大きな輸送隊の情報だった。
打ち合わせ用の他より大きな横穴で詳細な話を聞く。
「大陸領からかき集めてきた物資が先日ローズポートに荷揚げされたそうで。
ローズポートで酒場を開いている男からの確かな情報です」
その荷揚げされた物資とやらの内訳を〈兎〉がつらつらとあげていく。
それを一緒に話を聞いていた〈犬〉がひどく渋い顔をした。
「こいつがそのまま敵軍に渡るのは、我が軍にとって痛手ですな。
少なくとも、我々のここしばらくの仕事が丸々無駄になっちまいかねない量です」
「だな」
当然のことながら、俺たちがいかに活発に動き回ったとて敵の糧秣を完全に断てるわけではない。
それでも、敵軍に兵への配給量を減らさせるぐらいのことはできる。
飢餓とまではいかずとも、常時空腹状態にさせておけば兵のやる気は格段に下がる。
そしてそれは、スティーブン殿下がやっているような持久戦では極めて重要なことなのだ。
こうした気分というのは不思議なもので、一度でも満腹になればへたれていた兵士がたちまちやる気を盛り返してしまうこともあるのだ。
今回の物資には、そうした効果を発揮させかねないだけの量がある。
「こいつを襲わねえ手はねえな。
護衛につく兵力についての情報はあるか?」
「へえ、それが荷物と一緒に大陸側から傭兵を連れてきているようで。
ゼニア人の傭兵が五百人ばかしついとるそうです」
〈犬〉の渋面がますます渋くなった。
「また厄介な奴らが……」
「ゼニア人?
なんだそいつら?」
「ゼニアはだいぶ南の方にある都市国家ですな。
ゼニア傭兵と言えば、金さえ払えばどこにでもくっつく代わりに、
金が払われてる間は決して裏切らねえって言うんで評判とってる連中です。
高い金をとるだけあって、装備は優良で統率もよくとられています。
有名なのは弩兵ですが、長槍兵もなかなかに厄介で、騎士の突撃すら止めたことがあるとか。
つまるところ、正面からやり合うには危険な連中です」
「正面からでなければ?」
「やりようはあります」
そう言って、〈犬〉はニヤリと笑った。
「相手が五百人とくれば、こっちも全力でかからねえとな」
「はい、こりゃもうちょっとした合戦と言ってもいい規模になりますぜ」
〈犬〉が傍に控えていた兄弟に、伝令を送り出すよう指示する。
周辺に散っている兄弟たちを集めるためだ。
先ほどまでの渋面はどこへやら。
指示を出すその声は少しばかり弾んでさえいる。
ひとまずの話は済んだので、横穴から出て腰を伸ばす。
ふと視界の端に半裸の男が目に入った。
誰かと思えばジェラルドだ。
上半身裸で、一心不乱に素振りをしている。
その隣では、ヒューバート殿が嬉しそうにそれを見守っている。
どうもこの間俺にコテンパンにのされたのが余程悔しかったようで、近頃では暇さえあればああして鍛錬をしているのだ。
これで性根の方も入れ替えてくれれば俺も骨折ったかいがあると言うものだが、生憎と顔を合わせれば悪態をついてくるのであまり関わり合いになりたくない。
見つかる前に離れてしまおうと背を向けたところでジェラルドに気づかれ、呼び止められた。
「おい、ジャック!」
「何か御用ですか? ジェラルド殿」
どう応えようが悪態をつかれることには変わらないのでどんな風に応じてもよいのだが、俺はあえて丁寧な言葉づかいを心掛けている。
こうすると、ジェラルドの奴が一層不快そうな顔をするからである。
案の定、俺の態度をみた奴はいかにも嫌そうに眉をしかめた。
まったく、嫌なら最初から話しかけてこなければいいのに。
そうすれば互い平和に過ごせるはずなのだ。
「次の出番はいつだ。いい加減退屈してきたぞ」
ジェラルド率いる黒盾勢は、基本的にはこの拠点で待機してもらっている。
裏切りを警戒して、というわけではない。
単に、フォレストウォッチ勢のように細かく動かすには向かないからだ。
自分たちの行動の痕跡を隠すにも無頓着で、うかつに出せば後をつけられる可能性も高い。
と言っても、持て余して遊ばせているわけでもなかった。
彼らの本領は他にある。それは重装備の騎士達だ。
弓兵でも歩兵でもない、機動力と戦闘力を兼ね備えた戦士達。
つまりは、敵の戦闘部隊を正面からぶん殴るための力だ。
これをどう使うのかというと、当然敵をぶん殴るために使うんである。
今までであれば、まとまった数の騎兵が現れたら俺たちは逃げる以外に手はなかった。
大陸では森に引き込んで罠にかけたこともあったが、敵が追いかけてこなければ俺たちからは手を出せない。
すると騎兵が居座る間、俺たちは平野部に進出できなくなる。
だが今は違う。
こちらから黒盾勢をぶつけてやることができる。
俺たちで騎兵をつり出し、その横っ腹に黒盾勢を突っ込ませるのだ。
どうも、敵は俺たちが以前のように身軽な歩兵だけで構成されていると勘違いしている節があり、これが面白いように決まるんである。
ついでに、騎兵ときたら追撃にも威力を発揮する。
多少逃げ出した奴がいても、騎兵がいればすぐに追いついて皆殺しにできる。
おかげで、今でも黒盾勢の存在が敵に気づかれた気配はない。
話がだいぶ逸れた。
ともかく、俺たちの手に負えない規模の護衛がついた輸送隊や、討伐のための騎馬傭兵なんかが来るたびに黒盾勢にお出ましを願ってきたわけだ。
今回も、こいつらには大いに働いてもらわねばならない。
「まさに、ジェラルド殿の出番が来たところです。
大規模な輸送隊が、五百人のゼニア人傭兵に守られてこちらに向かっています」
五百人のゼニア人傭兵と聞いてジェラルドの顔が引きつった。
「ゼニア傭兵? やるのか!?」
「当然です。まさか臆されておいでですか?」
「ば、馬鹿を言うな! 貴様の覚悟を問うただけだ!」
いけ好かないが、扱いやすい奴ではあるんだよなあ。
「もしご意見があれば、〈犬〉に申し付けてください。
あそこの横穴で計画を練っておりますので」
「そうか。ならそうさせてもらおう。
お前らの下手くそな戦い方を押し付けられてはたまらんからな!
おい、上着をもて!」
ジェラルドは従者から上着を受取ると、さっさと〈犬〉のいる横穴へと向かった。
去り際に、ヒューバトード殿がこちらに一礼する。
まあ、今日のところもヒューバート殿に免じて許してやるとするか。




