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第七十五話 ホースヤード伯①


「あんな小城一つ落とすのに一体どれだけかけるつもりなのだ!」


 ギョーム王の本陣に諸将を集めて開かれた晩餐の席でのことだった。

 王が声を荒げるのを聞いて、ホースヤード伯ジョンは内心でほくそ笑む。

 やはり王の器ではない。

 そう考えながら、心の内の天秤をスティーブン側にまた少し傾けた。


 戦況は概ね彼の予想通りに動いていた。

 ギョーム率いるウェンランド諸侯軍の先鋒は山岳地帯であるウェストモントの要塞群に進軍を阻まれ、本軍は国境手前の平野部での停滞を余儀なくされている。

 

「し、しかしながら陛下、かの砦は非常に堅固に守られております。

 狭い高台にあるため攻城兵器の設置も容易ではなく――」


「言い訳をするな!」 


 ギョームは手にしていた鶏の腿からを大きくかじり取ると、自身の前に膝をついていたその騎士に残った骨を投げつけた。

 ホースヤード伯はその男のことをよく知っていた。

 晩餐の出席者ではない。出席できるほどには身分が高くない。前線から報告のために呼ばれてここにいる。

 先鋒の一隊を任せられるだけあって勇猛果敢、名誉を何よりも重んじる騎士の中の騎士。

 将としても有能で、彼が率いる軍勢は小規模ながらよく訓練されており、精鋭と言って差し支えない。

 そんな男が屈辱に顔を歪ませるのをジョンは内心で嬉しく思いながら見つめた。


「どんなに堅固だろうが、所詮は小城。

 兵を惜しまず力攻めにすればすぐにでも落ちよう。

 そうならぬのは貴様が兵を惜しんでおるのか、それとも兵が命を惜しんでいるのか。

 いったいどちらだ?」


 男が、投げつけられた骨を拾い、握りしめた。

 あれを投げ返してしまえばもはや取り返しがつかない。もう止め時だろう。

 そう判断したジョンは、するりと席を立つと男の隣に片膝をつきギョームに向かって言った。


「憚りながら、このホースヤード伯ジョンより国王陛下に申し上げます。

 ここにございます、ホーンヒルが城代ケヴィンは真の勇者であります。

 今一度、この者に機会を与えてやってはいただけないでしょうか。

 陛下が寛大なるお心を示し下されば、必ずやその恩に報いるべく奮起する事でしょう」


 すぐ隣からの意外そうな視線を感じつつ、ジョンは王に深々と頭を下げた。

 ジョンは、目の前のこの狭量な王がこの提言を受け入れる等とは毛の先程も期待していない。

 しかし、もちろん勝算はあった。


「陛下、私からもお願い申し上げます」


 王の席のすぐ近くからそんな声が上がったのを聞いて、ジョンは頭を下げたまま薄く、密かに笑う。

 声の主はローズポート伯リチャードであった。

 

「ホースヤード伯の申す通りにございます。

 ケヴィン卿は先代より王家に仕え、数多の戦で功を上げた忠勇の士。

 どうか、これまでの功績に免じて寛大な沙汰をお願いします」


 それを聞いたギョームの眉間に皺が寄る。

 ローズポート伯はウェンランドでも有数の大領主にして、当代最強の軍勢を率いる騎士だ。

 それに加えて、自身の伯父であり、未だ盤石とは言えぬ王権の最大の支持者でもある。

 王とは言えそのような男の意見は無視することはできない。


「……好きにしろ、お前たちに任せる。下がれ」


 ギョームは不機嫌さが声に滲むのを隠そうともせずにそう言い放った。


「はっ!」


 ジョンはケヴィンの肩に手を乗せ、共に天幕を辞した。

 外に出て、天幕から少しばかり距離を置いたところでケヴィンがジョンに頭を下げた。 


「お助けいただき、ありがとうございます」


「何、気にするでない。

 陛下に申し上げた通り、貴殿のような勇士を失うのが惜しく思われただけのこと」


 実際のところ、ジョンが彼を助けたわけではない。

 また、ジョンが声を上げずともリチャードは彼を助けていただろう。

 だからといって無意味だったわけではない。

 少なくとも、ジョンにとっては。

 一番に声を上げればこそ、何の役に立たずともこうして恩を売ることができる。


「時にケヴィン殿。

 実際のところ砦の攻略は叶いそうなのか?

 陛下にああいった手前、それがしにも面目というものがある。

 もし不足の物があらば手助けをしたいのだが」


「重ね重ね、お気遣いいただきありがとうございます。

 然らば、まことに恥ずかしながら食料を援助していただきたく。

 このところ、我が隊は薄めた粥を啜るのがやっとの有様でございまして……。

 まともな食事さえあれば、兵の士気を盛り返すこともできるはずです」


「ふむ」


 ジョンが把握している限りでは、軍全体としては食糧事情もそれほど悪くはない。

 ジャック隊の跳梁と、軍の停滞による現地調達の困難化から供給量は減っているものの、今しばらくは持つはずであった。

 が、最前線ではかなり状況が悪化しているようだ。

 おそらくは、長く伸びた補給線の方々で抜き取られているのだろうとあたりをつける。


「よかろう。我が勢の手持ちから食料を提供いたそう。

 途中で抜き取られぬよう護衛もお付けいたす。

 流石に我が『馬にカラス』の紋がついた荷物に手を出す者はおりますまい。安心召されよ」


「……この御恩、決して忘れませぬ」


「なに、この程度のこと、勇士の価値を思えば安いものよ」


 それはジョンにとって、本心からの言葉であった。

 この手の男の信頼は、本来は決して金では買えぬものである。

 それがたかが食料と引き換えに手に入るのであれば、なんと安いことか!


 さらに信用を増すための嘘をもう一つ付け加える。


「何よりケヴィン殿、貴殿の父には若き頃に戦場で助けられたことがありましてな。

 此度のことはその恩返しなのです。どうか気楽に受け取ってくだされ」


 ケヴィンの眼が大きく見開かれるのをジョンは見た。


「どうなされた」


「これはその……申し訳ありません。

 正直な所、私は貴方の事を見誤っておりました」


「お気になされるな。この身の評判はよく知っておる。

 それも故のない事ではござらん」


「そのようなことは……いえ、それだけでないことを私は今知りました」


 彼の反応はジョンを大いに満足させた。


「何かあればいつでも頼ってくだされ」


「はっ!」


 ジョンがケヴィン卿を見送って天幕の内に戻ると、ギョームとリチャードが激しく言い争っている最中だった。


「ですから陛下、このまま攻め続けても損害が増すばかりです。

 ここはいったん引くべきです」


「何を馬鹿なことを!

 これほどの大軍を率いて攻め寄せながら何の戦果もなく引き上げるなど恥さらしもいいところだ!

 伯父上はこの王冠の権威をなんと心得るか!」


「これは敗北ではございませぬ。

 ウェストモントは全土が敵の要塞のようなもの。

 そこから軍勢を引きずり出し、野戦で撃破するべきです」


「ならぬ!」


 同席している他の諸侯らは一様に押し黙ってこのやり取りを見守っていた。

 リチャードの言葉に理を認めつつも、この新王が反対意見を好まないこともよく知っているからだ。

 ジョンは席に戻ると、何も言わずに机の上に残された料理に手を付けた。

 この議論に口を挟んだところで利はない。

 それにしてもなんと見事な料理か。

 前線で粥を啜っていた者がこれを見せつけられれば、それだけで腹を立てるには十分だったろう。


 このまま放っておけば、ギョームはいずれ諸侯の支持を失い、軍勢は瓦解する。

 時間はかかるが、ウェストモント公は国境を堅持しつつけるだけで勝利できるはずだ。

 だが、それでは面白くない、とジョンは考える。

 自身をより高く売り込むには、劇的な貢献が必要だ。


 既に冷えて白く固まった脂がまとわりついた鶏肉を噛みしめながら、ジョンは周囲を見回す。

 誰も彼もが固唾を飲んで論戦の落ち着く先を見守っていた。

 そんな中で、一人だけつまらなさそうに酒を舐めている者を見つけることができた。

 王弟ロベール。


 ジョンはその退屈そうな目の奥に野心を見た。

 束の間、彼の目つきが獲物を狙う猛禽のそれに変わる。

 やはり、狙うならここだろう。



「兄上にはあの王冠は重過ぎる」


 ロベールは苛立たしげにそう言い放った。

 先日の会合から数日後、停滞中の暇をつぶす狩りの最中のことであった。


 貴族たちにとって狩りとは娯楽であると同時に社交の場であり、また表立ってはできぬ話をする密談の場でもあった。


「ホースヤード伯はどうだ?

 兄上は玉座に相応しいと思うか?」


「これはこれは。殿下はこの老体を試しておいでですかな?」


 ジョンはロベールの問いに若者をあしらう老人の態で応じた。


「ご安心くだされ。それがしの王家への忠誠は揺らぎませぬ」


 そんなジョンの態度に、ロベールが苛立たしげに鼻を鳴らす。

 

「お前がお気に入りだったあのケヴィンも戦死したそうだな」


 ジョンはピクリとだけ表情を動かして見せた。


「……いかにも、彼は善き騎士でございました。

 残念でなりませぬ。

 しかし、そこは戦場でのこと。

 武人の天命にございましょう」


 ケヴィンはあの数日後に砦に猛攻を仕掛け、手勢の殆どと自身の命を引き換えに正門の守りを打ち破って見せたのだった。

 それは見事な戦いぶりであったとジョンも聞き及んでいる。

 あんな小さな砦と引き換えるには、あまりに惜しい勇士だった。


「とぼけおって。隠し通せているつもりか?

 お前が兄のやりようを不満に思っているのを俺が知らぬとでも思っているのか」


 そうだろうとも、とジョンは内心で嗤う。

 他の者には気づかれぬように慎重に、さりげなく、ロベールだけが気付くように細心の注意を払って匂わせてきたのだ。

 そして、この愚かな若者はまんまとそれに食いついて来た。


「兄上の杜撰な命令がなければ、とは思わぬのか?」


 さて、とジョンは冷徹に目の前の男を見定める。

 この男の懐に食い込むためには、どう応じるのが一番良いだろうか?


 どれほど容易く見えても、決して手を緩めてはならぬ。

 ジョンは右手の傷跡を意識しながら自身を戒めた。

 少しばかり前にそれでひどく痛い目を見ているのだ。


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