第七十三話 新しい仲間
スティーブン殿下の言い分はこうである。
まず、ジェラルドは自身も戦場に立ち、殿下の勝利に貢献したいと強く要望している。
この要望を黙殺することは彼を完全に人質として扱うことと同義であり、あまりよろしくない。
かといって本軍に組み込むのはむずかしい。
なぜなら、大勢が集まればそこには必ず間諜が紛れ込むのが道理であり、こちらの陣営にホースヤードの軍勢がまぎれているという話は必ず敵に伝わってしまうからだ。
そうなれば敵陣中に潜んで内応の機を窺うホースヤード伯が危険に晒されることになる。
そこで選ばれたのが、本軍から遠く離れて活動し、かつ信頼できて精強な兵士を擁するフォレストウォッチ勢である。
これはあなたにしか頼めない極めて重要な任務である。
と、話の筋はまっすぐに通ってはいるが、面倒を押し付けられた当事者としてはどうにも納得がいかない。
本音の部分では「万が一裏切られても被害を最小限にできる」、なんて理由も含まれているんじゃなかろうか?
「殿下、ホースヤード伯は信用に値するのでしょうか?」
思わずこんなことをたずねてしまった。
殿下は気に障った様子も見せず、柔らかく微笑んだ。
「信用などしていませんよ。
伯爵はあちらとこちらを天秤にかけているだけでしょう」
「だったら――」
「ですが、問題はありません。私たちは元々不利な状況にあるのですから。
ホースヤード伯が我々を裏切るとしたら、それは戦力の均衡が覆しようもないほどに傾いた後になるでしょう。
逆に、あちらを裏切るのは彼自身が乗り換えることにより状況を覆せると確信した時です。
つまり、ホースヤード伯は私たちの勝因になりこそすれ、敗因にはなりえないのですよ」
なるほど、理屈はわかる。
「ホースヤード伯についてはわかりました。
しかし、そのご子息については、やはり不安を感じずにはいられません」
「大丈夫です。彼についても裏切ることがないよう十分な手を打ってあります。
あなたの指揮に従うよう、よく言い含めてありますから安心して戦ってください。
彼が率いてきた騎士たちはホースヤード伯の家中でも屈指の精鋭とのことです。
必ず役に立ちますよ」
その「十分な手」とやらが何なのかはついに聞き出すことはできなかった。
ともかく命令されてしまえば仕方がない。
まあ裏切られたら堂々とアイツの首を刎ねられるな、と気持ちを慰めながら謁見の間を退出。
不機嫌がそのまま顔に出てしまっていたからか、〈犬〉が俺を慰めるように言った。
「まあまあ、あのドラ息子はともかく奴が率いていた騎士たちは本物でしたよ。
あれなら小規模な軍勢であれば正面から張り合えます。
大陸で戦った時よりは楽ができますな」
「そりゃあいつが素直に言うこと聞けばだろうが」
「まあ、それはそうですがね。
ともかくまずは顔合わせです」
「気が進まねえなあ……」
ボヤいたところで、突然控えの間の扉が開いた。
誰かと思えば、我らが姫様だった。
〈犬〉と一緒に急いで膝をつく。
「いいわよ、二人とも楽にしてちょうだい」
立つ。
「久しぶりね、ジャック。
元気そうで何よりだわ」
そういう姫様はどうにも浮かない顔をしていた。
姫様も近頃は政務で非常に忙しくしておられた様子。
おそらくは疲れているんだろう。
「一応言っとくけど、連れてけないぞ」
「私を何だと思っているのかしら。
でもまあ、あなたが攫っていってくれるなら一緒に行ってあげてもいいわよ?」
姫様がそう言ってクスクスと笑った。
やはりこうでなくちゃ。
「命令さえあれば、どこにだって攫って行ってやるよ」
「……もう、そういうわけにはいかないわね。
出陣だって聞いたから、見送りに来ただけ。
私の騎士に相応しい大手柄をたてられるよう頑張りなさい。
もちろん、死なない程度に」
「約束はできないが、できる限り努力するさ」
「それでいいわ。
それじゃあ、行ってらっしゃい」
「おう」
姫様に背を向け、控えの間を出ようとしたときに声がかかった。
「ジャック」
「なんだ?」
「何があっても、私に仕えてくれるわよね?」
「何をいまさら。
姫様が手放さない限り、俺はずっと姫様のものだ」
「そ、そうよね。そういう呪いだものね……」
呪いがなくても、とは口にださないでおいた。
「じゃあ、姫様も働きすぎないように気をつけろよ」
「う、うん、頑張ってね」
そう答える姫様が、妙に心細げなのが気にかかった。
*
さっきのあれは何だったのかと首をひねりながら自分たちの野営地に戻ると、何やら人だかりができていた。
まさか喧嘩か?
〈犬〉と顔を見合わせた後、二人して大慌てで騒ぎの中に駆ける。
これから一緒に戦おうって相手と、初手から揉め事ではあまりに具合が悪い。
人垣をかき分けて騒ぎの中心へ。
そこで見たのはまたなんとも意外な顔だった。
「トム!」
「よう、ジャック!」
人懐っこい笑みを浮かべたトムが、ウィルと何やら綺麗に飾り付けられた矢筒を押し付けあっている。
押し付けあってはいるものの険悪な雰囲気はなく場は至って和やか。
どうやら俺の早とちりだったらしい。
「久しぶりだな! それにしたってなんだってこんな所にいるんだ?」
「それがなあ、話せば長くなるんだけど……それよりジャック、聞いてくれよ。
この間の弓のお礼を持って来たんだけどさ、ウィルの奴受取ってくれないんだよ。
お前からもなんか言ってやってくれ」
トムの言葉にウィルが拗ねたように口を突き出して言う。
「あれは勝者への報酬だ。
返礼品なんて持ってこられたって受取れねえよ」
また面倒なことを。
とは言え、ここで俺が無理やり受け取らせてもウィルは不機嫌になるだけだろう。
かと言ってトムに引っ込めさせるのもよろしくない。
あいつとて今は一廉の地位にあるのだから面目というものがある。
どうしたものかと考えて、一ついい手を思いついた。
「そういやお前ら、次に会ったら勝負しようって言ってたろう。
ちょうどいいからここで済ませちゃどうだ。
この贈り物は俺が一旦預かって、勝者が好きにできる、と。
そう言うことでどうだ」
ウィルの顔がパッと輝いた。
一方のトムは仕方がないなあといった感じだ。
トムについてきていた若い兵士が「隊長が勝負するってよ!」「みんな呼んで来ようぜ!」などといって駆け出していく。
少しばかり大ごとになってしまったかもしれないと思ったが、勝負は問題なくトムの勝利で終わった。
負けたウィルが「次は勝つからな!」なぞと言いながら景品の矢筒を受取っている。
最後に両者が固く手を握って高く掲げた。
それを見て周囲の野次馬たちは大いに盛り上がった。
正直なところ、あのバカ息子が俺たちを置いてきぼりにした件で黒盾勢との摩擦を懸念していたが、弓隊同士に関する限りその心配はなさそうだ。
問題が片付いたので改めてトムに訊ねてみる。
「なあトムよ。なんだってこんなところにいるんだ?
この間戦争に出たばっかりだろ?」
普通、領主からの兵役はその地域で持ち回りでやる。
同じ家から連続で兵を出すなんざ、何か事情がある場合に限られるのだ。
あるいは出自の低さから面倒ごとを押し付けられているのかもしれない。
案の定、俺の問いにトムはしょんぼりした様子で答えた。
「それがよ、今は伯爵家のお抱えで兵隊やってんだよ……」
「お抱えって、要は兵士として正式に雇われたってことか?」
「そうなんだよ。それもただの兵隊じゃなくて従士格だとさ。
おまけに弓兵頭に弓術師範なんて肩書まで貰っちまって」
「大出世じゃねえか!」
「確かにそうなんだけどよ、おかげで当分兵隊稼業から足抜けできねえ……。
半分はお前のせいなんだからな」
トムが語った経緯はこんなだった。
先の戦でウェストモント勢と行動を共にしていたホースヤード伯は、ウェストモントの大長弓兵の威力に大変な感銘を受けた。
どうにか自軍にもあの大長弓を導入したいと考えていたところに、自軍の配下にも大きな弓を使って戦果を挙げた者がいるという噂を耳にした。
そいつというのが言うまでもなく、ウィルから大長弓を譲り受けたトムである。
早速伯爵から好待遇で仕官の誘いを受けたトムだったが、一度は断ったという。
自分は土地を継ぐために引き取られた養子で、国許には年老いた義両親と妹がいる、だから応じることはできない、と。
土地の相続権というやつは存外強い。
正当な理由もなしに跡取り息子を無理やり奪い取るような真似は、大領主といえど普通はできないのだ。
流石の伯爵もこれで諦めるだろうとトムは思ったのだが――
「そしたらよ、伯爵自ら大旦那様のところに直々に来て、お前の息子をよこせと言いやがってさ。
流石に大旦那様も怒るだろうと思ってたら、大感激で俺を差し出して『かようなお迎えを受けるなど我が一族始まって以来の名誉である。存分に奉公して来い!』だとさ。
土地はどうすんだよ! って聞いたら妹に婿を取らせるから心配するなって。
もうめちゃくちゃだよ……」
そうして伯爵の軍に正規兵として雇われたウィルは、まずは試しと作られた大長弓隊の指導者に据えられ、そのまま部隊ごとドラ息子につけられて今に至る、ということらしい。
「そりゃまあ、なんというか災難だったな……。
でもそれ、俺は悪くないんじゃないか?」
そもそも、今の話には俺は登場すらしていない。
「元はといえば、お前がウィルと勝負しろなんて言ったからだろ。
おい、こうしてる間にもマリーが変な奴と結婚させられるかもしれないんだぞ!
どうしてくれるんだ」
真っ先に心配するのはそこかよ。
でもまあ、出世しても根っこのところが変わっていないトムを見られて、俺は少しばかり嬉しくなった。
「大旦那様とやらはそんなに酷い人なのか?」
「いいや、厳しいし恐いけどいい人だよ。
マリーの事は大切に扱ってくれるし」
「だったら問題はないだろう。
少なくともその大旦那様の眼が黒いうちは、婿さんも無体はしないだろうよ。
そうくりゃ、マリーの将来は大地主の奥方様、それも婿取りの女主人だ。
お前さんも夢がかなったようなもんじゃねえか」
「婿がまともならな!
大旦那様も悪い人じゃないのは確かだけどよ、それはそれとして弓の腕前だけでよその小作人を跡取りに選ぶような変人だぞ!
マリーの婿殿だってどんな奴が選ばれるか……」
まったく人の欲というものには際限がない。
いったいトムの要求を満たせる婿なんてものはこの世に存在するのだろうか?
「そんなことはどうでもいいんだけどさ――」
「良くねえよ! おいジャック! お前責任とれ!」
「なんだよ責任って。俺がマリーと結婚すりゃいいのか?」
そう言った途端、トムは難しい顔をしてウンウンと唸り出した。
「うーん……こいつならまあ、人柄は文句なしだ、うん……でも騎士様だしなあ……絶対苦労するよなあ……」
付き合っていられないので無理やり話を進めることにする。
「ともかくよ、弓兵の隊長なんだろ?
ちょっとそっちの指揮官に取り次いでもらえないか?
戦について打ち合わせをしなくちゃならないんだ」
俺がそう言うとトムがものすごく嫌そうな顔をした。
「ジェラルド様に?
あの人苦手なんだよなあ……というか、俺みたいな平民の話なんて全く聞いてくれないんだよ。
ああ、でもヒューバート様なら何とかなるな。それでいいか?」
俺としてはその方がありがたい。
早速トムの案内で、〈犬〉と共に”黒盾勢”の野営地に向かう。
「ヒューバート様。弓兵頭のトムにございます。
フォレストウォッチ勢のジャック様をお連れいたしました。
戦の方針について、ご相談があるとのことです」
野営地内にきっちりと並んだ天幕の一つの前に立ち、トムが中に呼びかけるとすぐに反応があった。
「おお! 早速中にご案内せよ」
まぎれもなくあのヒューバート殿の声だ。
話の通じそうな人がいて本当に良かった……。
中に入ると、ヒューバート殿がニコニコと迎え入れてくれた。
「よくぞ参られた、ジャック殿。
騎士に叙任されたとのこと、まことにめでたい。
私からもお喜びを申し上げる」
それから、トムの方に向き直って。
「トムよ、よくこちらに連れてきてくれた。
そなたの気配りにはいつも助けられるな」
「はっ! お褒めに与かり光栄にございます」
「うむ。後で酒でも届けさせよう。下がってよいぞ」
「はっ!」
しっかりとした、折り目正しい兵士の振舞いでトムは天幕から下がって行った。
「お久しぶりです、ヒューバート殿。
先の戦の折には大変お世話になりました」
「こちらこそ、今度の戦ではお世話になり申す。
さて、本来ならばジェラルド様が挨拶すべきところですが、恥ずかしながら今はその、少しばかり荒れておりましてな。
大変申し訳ござらんが、私からご挨拶申し上げます」
おそらく、殿下から俺の下につくよう命じられたことで気分を害したんだろう。
腹立たしいのは分かるが、配下にこうまで言わせてしまうのはなんとも酷い話だ。
「いえ、こう言っては何ですが……こちらとしてもこの方が話が通りやすくて助かります」
俺の答えにヒューバート殿が何とも言えない顔をした。
〈犬〉が場を和ませるようにへらへらという。
「それよりも、さっさと戦の打ち合わせを済ましちまいましょう」
「うむ、そうですな」
「それでは、戦の方針と役割分担について、まずは我々の試案をこちらの〈犬〉より説明させていただきます」
〈犬〉があらかじめ考えていたやり方について説明し、それに対してヒューバート殿が意見を述べ、すり合わせを行う。
大雑把に話がまとまったところで、本日はいったん解散となった。
「それではジャック殿、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
挨拶を済ませて、天幕を出る。
するとそこにジェラルドが立っていた。
ひどく酔っ払った様子で……手には抜き身の剣を下げている。
俺が出口で立ち止まったのを見て不審に思ったのか、ヒューバート殿が出て来た。
「どうしました、ジャック殿――わ、若!
これは一体……!」
ジェラルドは、ヒューバート殿など目に入らぬ様子でこちらに剣の切っ先を向けて叫んだ。
「おい、木こり! やはり納得がいかぬ!
指揮権をかけて俺と決闘をしろ!」




