第七十一話 帰還
狩りが終わって数日後、ようやく俺たちにも船の順番が回ってきた。
行きとは逆順で、今や第二の故郷となった谷に戻る。
これまで戦で荒れた土地や、戦がなくても荒れ果てた土地をさんざん見てきたので、ウェストモントの豊かな村々を見るとホッとする。
こういう土地では人々も皆愛想がよくて親切だ。
対する荒れた土地の人々は、誰も彼もが無気力で、それでいて猜疑心に満ちた目を向けてくる。
王領出身の兄弟たちですら、王領通過の際にはどことなく居心地が悪そうにしていたものだった。
姫様が「国中をウェストモントのようにしたい」なんて野望を抱いた気持ちがよくわかる。
姫様の領地では、領民達から盛大な出迎えを受けた。
村の広場にはあの冬至の祭りもかくやという量の料理が用意され、それこそ村人総出でもてなされた。
全体としては負け戦だったというのに、国を救った英雄が凱旋したかのような騒ぎである。
これ程のもてなしを受けたのは、先に帰還した兵士たちから俺たちの活躍が伝えられていたのが一つ。
何より、俺たちがこの領地の割り当てを肩代わりする形で出征していたのも大きな要因だろう。
俺たちは村の女衆から黄色い歓声を受け、男衆からは手柄話をせがまれながら、大変いい気分で飲み食いができた。
セシルなんかは例の可愛らしい村娘に泣きながら抱き着かれ、周り中から冷やかしを受けていた。
翌日は、朝から皆そろって教会へ出向いた。
戦死した兄弟たちの葬式を上げるためである。
昨日に引き続き、大勢の村人がやって来てくれた。
祭壇の上に持ち帰ってきた兄弟たちの遺髪を並べ、神官様から死者への祝福を授かり、皆と一緒に祈りを捧げる。
遺髪すら持ち帰ることができなかった者に対しても、真摯に祈ればかならず通じるとのこと。
最後に教会の裏庭に墓穴を掘って、遺髪を埋める。
一度に四十近い人数の葬式を上げるなんてことはこれまでなかったらしく、墓石が足りず木の柱を仮に立てることになった。
これは遺髪すらないものの分までちゃんと用意された。
後日、きちんと名前が彫られた墓石を用意してくれるらしい。
木の柱を槌で打ち込みながら、〈大鼠〉がつぶやいた。
「まさか、こんなちゃんとした墓を用意して貰えるようになるたあなあ……」
柱を支えていた〈狐〉がしんみりと応じる。
「まったくだな。埋めた上に石っころでも置いてもらえりゃ上等。
おおかた弔いもなしに野晒になるとばかり思ってたぜ」
「それか、吊るされたまま鳥の餌か。
そんで最後は罪人用の穴に放り込まれて終わり。
そういや〈狐〉の兄いは、もし死んだら墓に刻む名前はどうするんで?」
「不吉なこと言うんじゃねえよ。
でもそうだなあ……やっぱりこのまま〈狐〉かなあ。
昔の名前なんざ、今更恥ずかしくて名乗れねえ。
おい、仮に俺の墓があるなんて故郷に知れた日にゃあ、
奴らはるばるウェストモントまで唾を吐きに来るだろうよ」
「ちげえねえ。俺も似たようなもんで。
……『森の兄弟団の勇士、獣の〈大鼠〉ここに眠る』か。
うんまあ、悪くねえな」
話を聞いていた柄杓組の一人――義賊を始めた頃に入ってきた若い奴――が、話に加わる。
「いいなあ、俺も兄貴たちみたいなかっこいい二つ名が欲しいぜ」
それを聞いて、狐が「やめとけ」という。
「好き好んで親に貰った名前を捨てるこたあねえ。
今の名前を自慢して貰えるように頑張りな」
*
葬式が終わった頃になって騎士のダニエルが来た。
無論、遊びに来たわけじゃない。
ウェストモント公の使者として大事な報せを持ってきたとのこと。
丁度いいことに、兄弟たちと大勢の村人が集まっているところであったので、その場で公布と相成った。
公爵様のお言葉であるということで、俺たちは揃ってその場に膝をつき、頭を下げて拝聴する。
ダニエルは大きな羊皮紙を仰々しく広げて大きく息を吸い込むと、畏まった口調で読み上げた。
「ウェンランドの王子、ウェストモント公爵スティーブンの名において以下の布告を発する。
一つ、〈王の箱庭〉の森の番小屋を、公爵領の正式な防衛施設と認め、これを召し上げるものとする。
また、以降この番小屋は『フォレストウォッチ城』と呼称される。
一つ、フォレストウォッチ城の城代として、騎士〈木こり〉のジャックを任命する。
騎士ジャックは城の防衛に責任を持つとともに、任の達成に必要な諸権限を与えられるものとする。
一つ、現在騎士ジャックの配下にある者たちについても、ウェストモント公の兵士として召し抱える。
また、以降は騎士ジャックの一党を『フォレストウォッチ城の守備隊』と呼称する。
以上である」
よく分からん。
分からんが、この場で聞くこともできそうにない雰囲気だ。
何やらおめでたい雰囲気になってその場は解散し、〈犬〉と共に代官屋敷で詳しい話を聞くことになった。
「まずはおめでとう、ジャック殿。
ついこの間騎士になったと思ったら、瞬く間に追い越されてしまったな。
まあ、貴殿が乗り越えてきた危難の数々を思えば安易に羨むのも憚られるが」
ダニエルが笑顔で差し出した手を握り、「ありがとうございます」と応じる。
だが、何がどうおめでたいのか俺自身がよく分かっていない。
ひとまず、前よりも偉くなったらしいとだけ理解している状態だ。
「さて、貴殿としてはこれまでとの違いが気になるところであろうから、そこから説明させていただこう。
まず、やるべきことについてはこれまでと概ね変わらない。
兵を訓練し、殿下の求めに応じて戦ってくれればよい。
変わったところと言えば、貴殿自身の身分と立場が一番だろう。
形からとは言え、騎士であり城代だ。
これは、もはやどこに出ても軽んじられることのない重い身分だ。
ここで一つ個人的な助言をさせてもらいたい。
無暗に偉ぶれば反発も大きいし、目に余る態度をとれば貴殿を任じた殿下の面目をも潰すことになる。
かといって、過剰に遜ることも殿下より賜った身分を軽んじていると見なされ、貴殿の立場を危うくするだろう。
相手が誰であろうと、堂々と、しかし敬意を持って接するようにすれば間違いはない」
面倒だなあ、とは思うがダニエルの顔つきはいたって真剣で、心底から助言してくれているのがわかる。
だから俺の方も神妙な顔でうなずいておく。
「ご忠告痛み入ります」
「うむ。
続いて、今後貴殿が求られることについてもう少し具体的な話をしておこうと思う。
スティーブン殿下は、先の戦での貴殿らの働きについて大いに感銘を受け、
待ち伏せや後方襲撃といった任務を実施可能な部隊をより多く手元に置きたいとお考えだ。
そこで手始めに、貴殿らフォレストウォッチ城の守備隊の規模を拡大するようお命じになられたのだ」
〈犬〉が口を挟んだ。
「拡大と申しますと、具体的にはどの程度で」
「まず、来年の春までに二百名。
最終的には、十年以内を目標として五百名程度をご要望だ」
「ご、五百、ですか?」
〈犬〉が困惑している。
当然だろう。
元々姫様の領地に割り当てられていた兵士の数が五十人である。
その十倍。
領地に換算すればそこそこ幅の利く裕福な領主と同程度の兵力になる。
もうじき王位も手に入るってのに、一体俺たちを何と戦わせる気なんだろうか?
「うむ。特例につき、騎士を配下に入れる必要はない。
できるか?」
〈犬〉が難しい顔のまま答える。
「……困難ではありますが、不可能ではありません。
ご予算はどの程度いただけますか?」
「まず、今年の基本支給額は今の三倍程度まで増やすことがすでに決まっている。
もし追加で一時的な出費が必要な場合は私に相談してほしい。
私は殿下より、貴殿らの目付け役として守備隊編成を監督するよう仰せつかっている。
従って一時的な追加予算についても、ある程度は私の権限で出すことが可能だ」
「承知しました。
募兵についてはいかがでしょうか?
独自に募兵を行う権限を与えていただけると嬉しいのですが」
「それについては、この谷の内であれば城主の権限で自由に行える。
ただし、必ず代官のエドワードと調整するように。
さらに私に相談してもらえれば、ウェストモント全土で募兵を行うことも可能だ。
ただし、対象地域の領主との調整が必要になる故、谷の外で募兵する場合は早めに相談して欲しい」
領主にしてみれば領民は働き手だ。
勝手に兵隊にとられてはたまらないだろう。
「ああ、そうだ、貴殿らには兵士として雇用する場合に限り、恩赦特権も与えられている。
これも活用するとよい」
要するに、とっ捕まえた盗賊を配下に加えてもいいってわけか。
「ほかに何か質問は?」
「いいえ、ひとまずはございません」
「そうか。
監督するよう言われてはいるが、基本的には私からは口を出さず、貴殿らに任せるつもりだ。
もし何か要望があればいつでも相談してくれ。
貴殿らが活躍するほど、目付け役としての私の功績はより高まる」
ダニエルはそう言ってニコリと笑うと、もう一度手を差し出してきた。
こちらそれを握り返し、しっかりと握手を交わした。
*
「さて、どうしたものかね」
今や「城」と呼ばれるようになった我らが拠点に戻り、〈犬〉と相談する。
どうでもいいがこの拠点、城と呼ぶには貧相だし、元の番小屋と呼ぶにはごつすぎる何とも奇妙な設備だ。
「恩赦特権とやらがあるんだし、盗賊狩りのついでに仲間に取り込むか?
それか、最初から投降を呼びかけるか」
「それはよした方がいいでしょう。
盗賊なんて言ったって、大半が素人同然の連中です。
それよりかは、ダニエル殿にお願いして狩人を募集しましょう。
その方が訓練の手間が省けます」
なるほど。狩人なら森の中の歩き方、潜み方、その他諸々の技能を持っている可能性が高い。
弓の腕前も達者だろう。
方針が決まり、ダニエルに狩人を広く募集したい旨を伝えた。
許可はすぐに降り、まずは姫様の谷と公爵直轄領、それからウェストモンド全土と応募の状況に応じて募集範囲を拡大していくことになったが、いらぬ心配だった。
俺たちが兵を募集していると振れが出たとたん、大長弓を携えた腕自慢の狩人が百人ばかりも集まってきたのだ。
ところが、この方針に対して思いもよらないところから反発が起きた。
姫様の領地であるこの谷の住人、特に郷士階層から自分たちを除け者にするなと抗議の声が上がったのである。
「城代様! 姫様のための軍勢を募るというのに、我々にお声がかからんとはどういうことですか!」
そう言って、拠点まで押しかけてきたのは、地主の家の次男坊や三男坊たちである。
まさか、こんな連中まで俺たちの仲間になりたがるとは思っていなかったので、思わず〈犬〉と顔を見合わせた。
どうやら、俺たちが上げたことになっている武功に惹かれて集まってきたものらしい。
「……まあ、接近戦ができる連中が欲しかったところではあります。
少しばかり扱いづらいところはあるでしょうが、何とかなるでしょう」
ひとまず、マーサ師匠の修行についてこられるかで判断することになった。
そんなこんなで、あっという間に元と合わせて二百人の男たちが集まった。
狩人たちは、元からの兄弟たちを中核に四つの隊に分け、盗賊狩りに送り出した。
基本はできているはずだから、後は実戦あるのみだ。
郷士の倅たちは手元に残し、〈犬〉の引率でひたすら森の中を歩かせる。
最初の内は身軽な格好で、慣れてきたら武装して、最終的にはそこに荷物も背負って。
一ところに留まることなく、常に移動し続けるのが俺たちの戦い方だ。
動けないことには話にならない。
たまに師匠が訪ねて来た日には北方宣教修道会式の稽古を受けさせた。
なかなかに過酷な日々だったはずだが、意外な程に脱落者が出なかった。
姫様は以前のように気軽には顔を出してはくださらない。
どうやら、以前と比べて随分と忙しくしているらしい。
寂しくはあったが、姫様にしてみればようやく活躍する機会を得たと言ったところだろう。
喜ぶべきことである。
雪が降り始める頃になって、マーサ師匠が一人で俺たちの拠点にやってきた。
なんでも、俺たちをみっちり鍛え上げるためだそうである。
そこからはひたすら稽古の日々である。
特に俺は徹底的にしごかれた。
「ジャック殿、ミュール城での決闘はまったく見るに堪えないものでございました。
あまりの恐ろしさにこのマーサ、寿命が十年は縮んでしまいましたとも。
あのような醜態を二度と晒さずに済むよう、徹底的に鍛え上げて差し上げましょう」
ひたすら走らされ、投げられ、ぶん殴られた。
師匠が他の兄弟たちを見ている間、少しばかり休憩していると〈犬〉がやってきた。
〈犬〉は城代として必要な諸々の事務処理をしなければないため、訓練を免除されているのだ。
「ずいぶん手ひどくやられてますな」
いつものニヤニヤ笑いを浮かべながら〈犬〉が言う。
「多分、これでも手加減されてるぞ。
お前もたまにはどうだ?」
「ご勘弁を。元々剣技の方はさほどじゃないんで」
こんなことを言ってはいるが、こいつがたまに見せる剣捌きは中々大したものなのである。
多分、一対一で試合をした時、隊内で一番強いのはこいつだ。
今の俺ならいい勝負ができる気がするが、さてどうだろうか?
斧の力込みならなんとか勝てそうだ。
「ところで〈犬〉よ、師匠を見てどう思う?」
「マーサ殿ですか? まあ、流石にお強いですな。
齢七十を過ぎたとはとても思えません」
「そうじゃねえよ。なんか焦ってるんだ。
聞いてもなんも教えちゃくれなかったけどな。
なんかキナ臭え」
〈犬〉は兄弟達相手に木剣を振り回す師匠に視線を向けた。
完全武装の若い郷士三人の攻撃をひらりひらりとかわしながら的確に木剣の一撃を叩き込み、沈めていく。
おい、防具越しだぞ? どうなってるんだ?
「私には若い奴を鍛えるのを楽しんでいるだけに見えますが……」
楽しんでいるのは確かだろう。
まあ、俺の気のせいなら問題はない。
それから〈兎〉達が戻ってきた。
彼らは峠道が雪で通れなくなるぎりぎりまで各地を回り情報収集をしてくれていたのだ。
皆が寝静まるのを待ってから、〈犬〉とともに彼が集めてきた情報を聞く。
「こいつはまだ噂話なんですが、どうも国王陛下が位をお譲りなさるつもりのようで」
あの晩餐後のやり取りを知らない〈犬〉はひどく驚いた様子である。
まあ当然だろう。
「なんだと? あの双子の王子たちにか?」
「いいえ、スティーブン殿下だって話でさあ。
……おや、殿はあまり驚いておられませんな」
この男、目が見えないくせに俺が黙っていても顔色を読んできやがるのだ。
以前に聞いたところによれば、呼吸や衣ズレのかすかな音から推し量るんだとか。
「何も言うなと言われてる」
「なるほど。ともかく、双子の王子がひどく反発しているようで。
王様はその説得に手間取っとるとか、そういう噂が流れております」
あの晩餐の時に見た王子たちの顔を思い浮かべる。
そりゃ反発はするだろうなあ。
それはそれとして、彼らがあのエリック王を超える器を持つとも思えない。
彼らが内心どう思おうが、いずれ王様が押し切るだろう。
〈犬〉も同意見らしく、「まあ、時間の問題でしょうな」などと言っている。
それから、それに対する有力諸侯の反応などについて聞く。
まだ噂はごく狭い範囲にしか流布しておらず、主に王子たちの取り巻きの間にのみ囁かれているとのこと。
しかし、春が来る頃にはより広い範囲に拡がっていくだろうというのが〈兎〉の見立て。
その頃には決着がついているだろうとも。
*
やがて冬も終わり、雪もすっかり解け切った頃になって、姫様に城へ呼び出された。
何やら緊急の報せが届いたとのこと。
さては王様が王子たちの説得に成功したのだろうか。
だとすれば、スティーブン殿下の即位も時間の問題だろう。
急ぎシルフィニ城へ向かうと、すぐに応接間に通された。
そこで待ち構えていたのは姫様とスティーブン殿下だ。
彼らの顔色を見ただけで、余程まずいことが起きたのだと察する。
だが、いったい何が起きたのか。
今度はパリシア軍が攻め入ってでも来たか?
姫様が口を開く。
「ジャック、叔父様がお隠れになったわ」




