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第六十六話 姫様

 大広間を退出。

 背後で広間へと続く大きな扉が音もなく閉じ、お偉い方々からの視線が遮断された。

 ぐったりと肩が落ちた。

 緊張が途切れてそのまま座り込みそうになるが、もう少しの辛抱だ。

 何はともあれ、兄弟達の所に戻らねばならない。

 今度の軍役のために集められた軍勢はまだ解散していないらしく、町の周りには例によって色とりどりの天幕が張られていた。

 仲間たちも、無事に帰りついていさえすればあの中にいるはずである。

 一刻も早く、彼らの無事を確認したかった。

 姫様にも会いたかったが、こちらは後回しでよい。

 ひとまず元気なお顔は見ることができたし、なにより俺に対して酷くお怒りのご様子であった。

 いずれお叱りを受けねばならないことは分かっているが、今はその時ではない。

 なにしろ命がけの逃避行を繰り広げてきたばかりなんである。

少しぐらい休息があったって良いはずだ。


 とにかく、大広間ではまだいろいろと話し合いのような物が続いている様子。

 逃げ出すなら今の内、姫様に捕まる前にこの城を出なくては――


「ジャック殿」


 そう呼びかけられて、俺は慌てて曲がりかけていた背筋をピッと伸ばし、声のした方に素早く体を向けた。


「そうかしこまらずともいい。お疲れだったな」


 現れた好青年は、スティーブン殿下と姫様に仕える騎士ダニエルだった。


「こ、これはダニエル様……」


「様、はないだろう、ジャック殿。

 貴殿も、今や同じ騎士ではないか。

 若輩者同士、気楽にしてくれると嬉しいのだが」


 そうか、俺も身分としては騎士なのか。


「確かにそうかもしれないですが……突然のことでどうにも実感が湧かず……」


「追々慣れていくしかあるまい。

 しかしそれはそれとして、ヴェロニカ殿下から貴殿を捕まえておくよう指示されているのだ。

 殿下の控室に案内するから、ついてきてくれ」


「はっ」


 さすがは姫様、俺の考えなどお見通しということか。

 俺は覚悟を決めてダニエルの後についていくことにした。



「――長々と話したが、要は『勇気』、『正義』、『忠節』、この三つを精神の支柱とし、

 これらに背かぬよう振る舞えばよいのだ」


 控えの間で姫様を待つ間、ダニエルから騎士としての心構えと言う奴を聞かせて貰った。

 本来なら、騎士になるための教育と訓練を受ける間に、骨の髄までしみ込むほどに繰り返し聞かされる話であるらしい。

 まあ、骨の髄までしみ込んだところで実践できるかはまた別な話なのだろうが。


「もっとも、ジャック殿に心配は要るまい。

 貴殿は元より騎士よりも騎士らしく在ったからな」


 騎士らしく、在ったか?

 〈兎〉の歌に登場する方の俺ならそうかもしれないが。

 

「後は細かな作法だが……これも既にある程度身に付けておられるようだ。

 どなたに指南を受けた?」


「うちの〈犬〉と、マーサ殿に」


「ああ、あの御仁か、なるほど。

 それにマーサ殿もおられるならば問題はない。

 引き続き、お二方にご指導いただくとよい」


「はい」


 そんなことを話していたところで、扉の向こうから呼びかける声があった。


「ヴェロニカ殿下、御入室!」


 俺とダニエルは反射的に扉へ向き直ると、片膝をついて頭を下げた。

 扉が開き、最初に姿を見せたのは城の衛兵だ。

 彼らは室内の安全を確認したのち、左右に分かれて姫様に道を空けた。 


 続いて、姫様がぞろぞろと大勢の侍女を率いて姿を現す。

 

 彼女は俺達の前を素通りし、部屋の奥に置かれていた大きな椅子にゆったりと腰を掛けた。

 姫様が通り過ぎたのだから体の向きを直すべきかとも思ったが、ダニエルが全く動こうとしないので俺もそれに倣う。

 静かな室内に、侍女たちが腰かけた姫様の裾を直していく衣擦れの音だけが微かに耳をくすぐる。


 やがてそれも収まり、物音ひとつしなくなったところで姫様がまるで感情を感じさせない声で告げた。


「少し疲れたわ。

 皆、下がってちょうだい」


 自分から呼び出しておいて何たる言い草であるか。

 そう思うと同時に、俺は先ほどの広間で浴びた視線の圧力を思い出した。


 まあ、さすがの姫様もあんな場所にこんな窮屈な格好で居続ければそれは疲れもするだろう。


 侍女の一団が音もなく頭を下げ、そろそろと部屋を出ていく。

 ダニエルも立ち上がって一礼したので、俺もそれに続く。

 叱られるのが先延ばしになって少しばかりホッとしたところで呼び止められた。


「ジャック、あなたは残りなさい」


 だめか。


 退室するダニエルを羨ましく思いながら、姫様の方に向き直り元通りの姿勢で待つ。

 しれっと残ろうとしていた侍女たちの長らしき年かさの女と、扉を守っていた衛兵たちまで追い出され、部屋に残ったのは姫様と師匠、それから俺の三人だけ。


 ふう、と姫様が大きなため息をついた。


「もういいわよ、ジャック」


 言われて俺も立ち上がり、姿勢を楽にする。

 そんな俺を、姫様は椅子に座ったまま睨み上げた。


「やってくれたわね」


 やっぱりお怒りの様子。


「す、すまなかった。

 脱獄した時には、あいつが王様だなんて知らなかったんだよ……」


「そっちはどうでもいいのよ。

 身代金さえ払えば遅かれ早かれ戻ってきていたのだし。

 そうね、あのまま放っておけばまた余計な税が徴収されていたでしょうから、褒めてあげてもいいぐらいね」


 俺は首を捻った。

 ならば一体どうして叱られなければならないのか。


「私が怒っているのはね、あなたが無茶をしたからよ。

 私たちは一日でも早く貴方を取り戻せるよう交渉していたのに、どうしてわざわざ脱走なんてしたの?

 そんなに私たちの事が信じられなかったのかしら?」


「いや、それはその……なんか、話の流れで……?」


「叔父様の事は全く知らなかったのよね?

 どんな流れになったら名前も知らない相手と一緒に命がけで脱走しようなんて話になるのよ!」


 仕方がないので、俺は一人の酔っ払いが地下牢に入ってきてからの出来事をかいつまんで話した。


「はあ、呆れた」


 話を聞き終わった姫様は盛大にため息をついた。


「要するに、自慢話の最中に斧を呼び出して戻せなくなったってこと?

 あなたって、時々とんでもなく抜けてるわよね」


 反論できなかった。


「まあいいわ。こうして無事に帰って来たことだし許してあげるわ。

 さっきは面白いものも見せて貰ったしね。

 まさか切り株の紋章を要求するだなんて!」


 姫様はそう言って、何が面白かったのかクスクスと笑った。


「そんな風に笑わなくたっていいだろ。

 そりゃあ騎士にはふさわしくなかったかもしれないけどさ」


 普通は、猛獣だとか竜だとかそういう強そうな印をつけるもんなんだろう。

 だけど、俺の出自を表す印と言われたら切り株以外には思いつかなかったのだ。


「別に騎士に相応しいとかそういう話じゃないのよジャック。

 ねえ、王家の紋章は知ってるはずよね?」


 はて、王家の印?

 姫様の旗に描かれていたのはたのは確か、よく分からない獣と樫の木――ああ!


「気づいたみたいね。そう、樫の木よ。

 王位を狙う私の家来が、斧と切り株の印なんて掲げていたら、世間からはどう見えるかしらね?」


 そりゃもう、喧嘩を売りに来たとしか見えないだろうなあ……。

 やっちまったな、こりゃ。


「気にしなくていいわよ。

 もう知っての通り、叔父様はああいう人だから」


 そりゃあのおっさんなら気にしないだろうが。


「でもさ、姫様の迷惑になったんじゃ……」


「私が王位を請求しているのは周知の話だもの。いまさらよ。

 それよりもジャック、一つお礼を言っておかないといけなかったわね」


 はて、なにかしていただろうか?


「叔父様が『一度腹を割って話そう』って言ってくれたのよ。

 あなたが叔父様にお願いしてくれたそうね」


 言われてみればそんな約束をしていたような気がする。

 まあ、その時はおっさんが王様だなんて欠片も知らなかったわけだが。


「とりあえず、今日の晩餐に招待されたわ。ごく親しい身内だけでの食事よ。

 前に王位を請求してからは、言葉を交わす機会すら貰えなかったんだから、これは大きな前進と言っていいわ」


「役に立てたんならよかったが……そんなところにノコノコ出向いて大丈夫なのか?」


「あなたも叔父様の人となりはなんとなく分かってるでしょ。

 どうしても心配なら、あなたも従者としてついていらっしゃい」


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