第六十四話 脱獄
城の中庭まで出るのは実に簡単だった。
おっさんがふんぞり返り、俺がその後ろを衛兵の格好でついて歩くだけで誰にも咎められることなく出られたんである。
「なあ、おっさん」
「なんだ」
「あの剣はおいてきてよかったのか?」
おっさんは、その服装にふさわしい立派な装飾の剣を刷いていたのだが、どういうわけかそれを地下牢に置いてきてしまったのである。
「うむ、問題ない」
そう言っておっさんは、元の持ち物と比べるとずいぶんみすぼらしい剣を叩いた。
「先ほどの衛兵からこれを借りたからな」
「そうじゃねえよ。
騎士にとっちゃ剣ってのは大事なものなんだろ」
「なればこそよ。
脱走はせぬと、あの剣に誓ったのでな。
であれば、あの剣はおいていかねば筋が通らぬ。
これは名誉の問題なのだ」
そういう問題なのか?
ちなみに俺は、脱走しないという誓約を拒否したため、斧を取り上げられて地下牢に入れられていた。
おかげで他のお偉い捕虜たちと顔を合わせずに済んだし、こうして呪いに気兼ねすることなく脱走できるわけだ。
まあ、おっさんの中で筋が通っているのなら俺にとってはどうでもいい話だが。
いやよくないな。
「じゃあ俺との約束はどうなったんだよ。
剣と一緒に置いてきちまっちゃいないだろうな」
「フフフ、そんなことはない。
では改めて、我が父ギョームの名にかけて誓おうぞ」
まったくどこまで信じていいのやら。
そうして庭の中ほどまで来たところでところでおっさんは立ち止まり、腕を組んで月を見上げた。
いかにも、酔い覚ましに月見の散歩に出てきましたと言う態だ。
そしてそのままボソリと呟く。
「この先が難しいのだ」
俺たちの正面には、大きな石造りの門塔が聳えていた。
中庭と、外をとつなぐ唯一の出入り口だ。
「この主郭の門から先に進むことは禁じられておる。
先ほどもフラフラと門をくぐろうとして捕まった。
何か良い考えはないか?」
俺はさりげなく門の方を観察した。
夜だからなのか、太い材木を鉄で補強した落とし格子がずっしりと門を塞いでいる。
金の斧であれば切り裂くこと自体は訳ないが、あいにくと門番がついているので実行は難しい。
「門は無理だな。もう少し歩けるか?」
「うむ」
おっさんは散歩を装ってそのままぶらぶらと歩いた。
もちろん、おっさんはキョロキョロとあたりを見回したりはしない。
そう言うのは俺の役目だ。
「今日は実に月が明るいな。
まるで昼間のようではないか」
おっさんが空を見上げながらのんきに言う。
もちろん演技だろう。本当に言いたいのは「こんなに明るくてはすぐに見つかってしまうのではないか?」といったところか。
俺はその独り言に、従者のように応じた。
「はい、おっしゃる通りにございます。
しかし足元には十分お気を付けください。
月の明かりが強い分、影も濃くなりますゆえ」
つまり俺が言いたいのは、明るく見えても隠れるには十分な闇があるということだ。
こういう日は、見張りもかえって油断しがちなのである。
確かに遠目は効くのでよく見えると錯覚するが、それでも昼間とはまるで違う。
月明かりが生み出す濃い影は、心理的な死角になりやすい。
「ふむ、気を付けよう」
おっさんが、視線を脇にうつした。
建物が生み出す影との際を確認したのだろう。
俺は再び声を落としていった。
「城壁には登れるか?」
おっさんが応じてわざとらしく声を上げた。
「ここでは空が狭い。壁に上るぞ、付いてこい」
「はい」
おっさんについて城壁へと上がる。
壁への階段の途中では見回りらしき兵士とすれ違ったが、おっさんが鷹揚に挨拶すると特に不振がることもなく一礼して去って行った。
城壁に向かう捕虜にたいして何の警戒もしなかった理由はすぐに分かった。
もちろん見張りがついて歩いているから、なんて話ではない。
城壁がとんでもなく高いのである。
少なく見積もっても、俺の背丈の十倍はあるだろう。
普通に飛び降りれば即死間違いなしだ。
おっさんが前を向いたまま、小声で俺に訊ねる。
「これでは無理だろう。他をあたるか?」
「いや、問題ない。北側に回ってくれ」
おっさんは黙って俺を引き連れ城壁の北へと回る。
俺は、塔がうまい事月明かりを遮っている個所を見つけた。
ここなら多少不審な動きをしても見張りにはみつかるまい。
巡回の気配に気を付けながら、おっさんに声をかけた。
「ここから行く」
おっさんが足を止め、城壁の下を覗き込んだ。
「ここをか? 縄もなしに降りられるものか」
「普通は無理だが、俺にはこれがある」
俺は輝く金の斧を出して見せた。
おっさんが怪訝そうに眉を寄せる。
「いいから黙って俺におぶされ。
国に帰れるかは約束できねえが、壁の下までなら必ず連れてってやるさ」
そう言って俺が背を向けると、おっさんはおずおずといった様子で俺の背に乗ってきた。
ズシリとした重さが背と肩にかかる。
「うげえぇ」
よほど鍛えていたと見え、おっさんは見た目よりもずっと重かった。
「大丈夫か?」
おっさんが不安げに問う。
「だ、大丈夫だ。問題ねえ」
正直、先ほどの言葉を後悔しかけてはいるのだが、壁の下までは連れて行くと口に出して約束しちまったんである。
こうなったらもうやるしかない。
「いいか、しっかり掴まってろよ」
「う、うむ」
おっさんの、よく鍛えられた太い腕が首に絡まる。
「ま、待て、それじゃだめだ。
右手は脇の下から通してくれ、あと、両足はしっかりと腰に絡ませて重さを分散させろ、よし」
俺は金斧を城壁に差し込んでから、鉄斧に戻した。
こうすると、斧ががっちりと石の壁に食い込むのだ。
これに掴まり、壁の外にぶら下がった。
ぶら下がったら、足裏をしっかりと壁面にあてて体を安定させる。
上半身は、両腕で斧頭と塚を抱え込むようにしっかりと保持し、金斧に戻す。
切れ味を取り戻した斧は、壁を再び切り裂く。
あまり加速する前に鉄斧に戻し、速度を殺す。
そんなことを小刻みに繰り返しながら、ゆっくりと、確実に壁を下っていく。
どうにか地面に足がついた頃には、疲労と緊張で腕がガクガクと震えていた。
さてどうするか。
俺たちの不在はすぐに気づかれるだろう。
距離を稼ぐためにはすぐにでも動かなきゃいけないんだが、かといって腕がこの有様では不測の事態に対応できない。
しかたがないな。
「少し休ませてくれ」
俺は城壁の陰に身を隠すようにして座り込みながら言った。
まあ、最低限回復させるだけであればそう時間はかかるまい。
「うむ。 しかし大丈夫か?」
「一息つくだけだ」
おっさんは俺を気遣うようにこちらに屈みこんだ。
この状況だというのに、その顔色に動揺は見られない。
肝っ玉が太いのか、はたまた単に鈍いのか。
俺は城壁に持たれながら、大きく息を吸い、吐いた。
それを三度繰り返す。
よし、そろそろ行くか。
そう思って立ち上がりかけたその時である。
「おい! こんなところで何をしている!」
まずい。顔を見上げると、兵士が二人。
おっさんが俺に目配せをし、まっすぐに背を伸ばした。
そして堂々とした態度で彼らに応じる。
「おお、すまんな。先ほどの宴に参加していたのだが、どうも供の者が飲み過ぎてしまったようでな。
少し休んでおったのよ」
なんともまあ、大した度胸だ。
相手の方も疑う気が削がれたのか、すっかり気の緩んだ様子でこちらにやってきた。
「それはそれは。水筒の水でよければ差し上げましょうか」
「うむ、ありがたい」
見回りの一人が腰に吊るした水筒を外すためにゴソゴソと腰紐を探り始めた。
一方の兵士は俺のところにやってきて、「大丈夫か?」などと親切そうに声をかける。
俺は素面であることがバレぬよう顔を伏せながら「あ、ああ……」とかなんとか曖昧に返事を返す。
「さあどうぞ――」
水筒をまさぐっていた兵士が、水筒を差し出しかけてその手を止めた。
「おい、この顔――」
言い終わる前に、おっさんは腰の剣をキラリと一閃させた。
抜く手も見せぬ早業とはこのことか。
返す刀でもう一人も切り伏せる。
俺が立ち上がるより速く、既に剣は鞘に収まっていた。
「……やるじゃん」
「厳しい師に鍛えられたものでな」
おっさんは不敵に笑う。
「ささ、こうなっては仕方がない。
早めにこの場を立ち去ろうぞ」
「待て、せめて死体を物陰に隠しておかにゃ。
それだけで随分と時間が稼げる」
「なるほど、流石はかの高名な義賊のジャックよ。
見事な心配りである」
「盗賊としちゃあこんなの初歩の初歩だよ」
こういうのは〈犬〉に散々仕込まれたものである。
二人して兵士の死体を物陰に引きずり込む。
ついでに、血の流れた跡を足裏でぐりぐりとやって目立たなくさせる。
そうこうする内に城壁の内側が騒がしくなってきた。
「さて、どうしたものか」
周囲を見回す。
どうやら城壁は二重三重に巡らされているらしく、まだまだ越えねばならない障害は多そうだ。
「ついてこい、ジャック。
わしには少しばかり土地勘がある」
どうやらおっさんはここから先について心当たりがあるらしい。
俺は無言でうなずき、おっさんの後について走り始めた。
*
太陽は高く上がり、風はほどよく暖かい。
気候は良好だが、目の前に広がる焼け落ちた村の景色は到底長閑とはいいがたかった。
焼け残りの物陰からは、村の生き残りと思しき痩せこけた子供が生気のない暗い目でこちらの様子を窺っている。
戦の後とはこういう物であるらしい。
暗い目をした子供に何か食べモノでも分けてやろうと思ったが、彼は俺に見られていると気付いた途端どこかに逃げてしまい、後に残るは燻ぶる残骸ばかりである。
そんな中を、俺とおっさんはポックリ、ポックリと轡を並べて馬を進める。
途中、追手の騎兵を返り討ちにして奪ったモノだ。
おかげで道行が随分と楽になった。
脱走を持ち掛けられた折には、てっきりこのおっさんのお守りをしながら逃げる羽目になるものとばかり思っていたが、むしろこちらが助けられることが度々あった。
何しろこのおっさん、剣を手にすればとにかく強いんである。
戦場でなら色々とやりようはあるが、少なくともまともな一騎打ちでは……まあ、まったく勝ち目がないわけではないにせよ、八割がた負けてしまうだろう。
「いやはや、そなたにはずいぶん助けられたの」
「お互い様だ。それにしてもまだ気を緩めるには早いんじゃないか?」
「なに、ここまでくればもう帰り着いたも同然よ。
すでに味方の勢力圏に入っておるからな」
「そうなのか」
俺はほっと一息ついた。
自分では現在位置がわからぬ以上、このおっさんを信用する他はないのである。
「まあ、敗戦の後であるからな、国境が動いておるやもしれぬが」
「じゃあやっぱり油断はできないんじゃねえか!」
おっさんはフハハと笑った。俺も一緒に笑う。
ここまでの間に俺達は随分と気安い間柄になっていた。
なにしろこの道中、俺たち二人は交代で眠り、酒食を分け合い、時には背中を預けて戦ったんである。
もはや、戦友と呼んでなんの差支えもないだろう。
「おい、早速お出ましだ」
俺の呼びかけに、おっさんが目をすがめて前方を凝視する。
「どこだ。見えぬぞ」
「まだ見えない。蹄の音がするんだよ」
もしこの場に〈兎〉がいたなら数や装備まで言い当てたろうが。
「なるほど、流石だ。
やはりわしに仕えぬか?」
「やなこった」
何度目になるか分からない軽口のやり取り。
程なくして、騎兵が十騎ばかり姿を現した。
さて、どうしたものかな。
まずは不意打ちで先頭の二騎を削り、それから森に引っ張り込んで後は野となれ山となれ、といったところか。
分は悪いが、このおっさんとなら切り抜けられない程ではあるまい。
「待て、わしが確かめてこよう」
おっさんが斧を出しかけた俺を制して前に出た。
相手側も若い騎士が一騎、前に出てきてこちらに呼びかける。
「待たれい! 其方らいったい何者であるか、名を名乗れ!」
おっさんは不敵な笑みを浮かべて応じる。
「いずこの家中の者かは知らぬが、人に名を尋ねておいて自らは名乗りもせぬとは、礼儀を知らぬと見える。
あるいは、名乗る名も無き雑兵であられるかな?」
相手は鼻白んだ。
が、おっさんの言うことももっともであると考えたのか、直ぐに気を取り直して名乗りを上げた。
「失礼いたした! 私はローズポート伯が家中の騎士、キースである!
さあ、そちらも名乗られよ!」
味方だ。おっさんがこちらに振り返り、二ッと笑う。
それから前に向き直っていう。
「おお! もしやオウンヒルのジェイムズの倅か! ならば名乗るまでもあるまい!
近こう寄ってよってこの顔をとくと見よ!」
「いかにも我が父はジェイムズであるが……あっ!」
若い騎士はそう叫ぶと、転がり落ちんばかりの勢いで馬を飛び降りた。
そしてその場で片膝をついて頭を下げる。
「ご、御無礼をいたしました、陛下!」
おっさんはもう一度こちらに振り向くといたずらっぽく笑った。
「ほれ見よ、ジャック。
わしの前に出た者は普通はこうするのだ」




