第六十三話 自慢話
俺は隣の牢のおっさんに、泉の精に出会って以来の出来事を話して聞かせた。
もちろん、隠すべきこと――嘘がつけないことや盗賊仕事の細かな手口等――はできるだけ伏せながら、だ。
俺もあまり口のうまい方ではないのだが、それでも隣のおっさんは俺の話に大いに満足してくれたようだった。
「いやはや! 実に痛快な物語であったぞ!
ヴェロニカ姫は真に善き家来に恵まれたものだ。
強き者も賢き者も数多いるが、そなたのように真っ直ぐな者はなかなかに得難い。
どうだ、ここを出たらわしに仕えぬか」
「冗談じゃねえ」
「フハハ、さもあろう」
断られたというのに、おっさんは実に嬉しそうに笑った。
つられてこっちまで楽しい気分になるんだから、何とも不思議な御仁である。
「時にジャックよ、先の話で一つ気になったところがあるのだが」
「なんだ?」
「そなた、話の中で銀の斧を何度も投げておったろう。
あれはどうしたことか。まさか魔法の斧が何本もあるわけではあるまい」
さて、どうしたものか。
おっさんには斧の特性の詳細はできるだけ省いて話している。
できることとできないことは、あまり世の中に知られない方が有利になるという判断からだ。
とは言え、このまま話全部が嘘と思われるのも癪である。
しかたがないので少しだけ手の内を明かしてやることにした。
「斧はいつでも手元に呼び戻せるんだ。
だから、銀の斧は何度でも投げることができるのさ」
口に出してみるとアレだな、かえって嘘くささが増した気がする。
ところがおっさんは疑うような様子を微塵も感じさせずに言った。
「ほう! 魔法の斧とは実に便利なものであるな。
それならば、今この場に斧を呼ぶこともできるのか?」
「ああ、できるぜ」
「では、呼び出してはくれぬか。
わしもその魔法の斧とやらをぜひとも見てみたい」
「いいとも、ほれ」
聞き上手のおっさん相手にすっかり気分がよくなっていた俺は、請われるままにホイホイと斧を呼び出した。
「ほれと言われても壁越しでは見えぬではないか」
言われてみればその通りである。
「ありゃあ……」
「まあ、よい。その斧はなんでも切れるのであろう。
扉でも壁でもいいからその斧で切り裂いて、こっちへ見せに来てくれ」
「無茶言うなよ。衛兵に見つかったら騒ぎになっちまう――あ」
「どうした」
「いや、斧がな。
呼ぶには呼べるんだけど、元の場所には戻せないんだよな……」
聞くところによれば、シャルルの奴はこの斧を自室の目立つところに飾って、来客があるたびに自慢していたらしい。
それが突然消えたとなると、これまた騒ぎが起きるはずだ。
俺がこの斧を自在に呼び出せるとシャルルに直接話したことはいないが、何しろ戦闘中にこれを投げるところを何度か見られている。
あいつが消えた斧のありかに感づくのにそう時間はかからないだろう。
「参ったなぁ……」
「フハハハ! そなたも存外抜けたところがあるのう!」
隣からは心底楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「うるせえ! 元はと言えばアンタのせいだろうが!」
「いや全く相済まぬ。
そこで一つ、相談があるのだが」
「なんだ、何かいい手でもあるのか?」
「毒を食らわば皿までだ。いっそのこと、このまま脱走してしまうのはどうかな。
盗賊として忍びの技を身につけたそなたであれば造作もなかろう」
「それができれば苦労はしねえよ。
そりゃここの警備はガバガバだったからな。
城を出るだけならわけないが、その後が問題だ。
どうやったら国に帰れるのかさっぱりわからねえ」
帰り道がわからなければ、いずれ捕まるか野垂れ死ぬかの二択しかない。
「そこでわしの出番だ。
わしを連れて行けば、道が分かる。
おぬし一人、わし一人ではできぬことも、二人が力を合わせれば可能になろう」
俺はうーんと唸った。
果たしてこれはリスクに見合うだろうか?
「別に逃げださなくたって、そのうち姫様が身代金を払ってくれるだろうしなあ。
あんただってそうだろ?
ことさら辛い目にあわされているわけでもあるまいに。
何も危ない橋を渡らなくたっていいじゃないか」
すると、おっさんのションボリとした声が聞こえて来た。
「う、む……、実はその、金がな……」
「おっさん、案外貧乏なのか?」
こんなところに捕らえられているのだからさぞ高貴な出なのだろうと思っていたのだが。
もっとも俺だって大した身の上ではないのだから、このおっさんが実は大した身分じゃなくても不思議はない。
「まあ、貧しいかと問われれば答えは否だ。
それなりに裕福な身ではある。
だが、此度の軍資金を出すのにいささか無理をしてしまっておってな。
おまけに、なまじ身分があるだけに身代金もそれ相応に高くついておるのよ」
「そういや、ここに連れてこられた時もそんな歌を歌っていたな」
「まったく情けない限り。
おかげで、先ほども酒のせいかつい魔がさしてな。
宴の合間にふらりと城門から出ようとして捕縛され、地上の居室からここに移されてしまったというわけなのだ」
なんつうしょうもない捕まり方だ。
隣のおっさんが突然声を落とした。
「頼む、ジャックよ。ここで出会ったのも何かの縁。
わしをここから連れ出してはくれぬか。
無論褒美は弾むぞ」
俺も小声で応じる。
「金がないんじゃないのかよ」
「わしの身代金には足らぬというだけだ。
そなたの身代金程度であれば十人分払っても痛くもかゆくもないわい。
そなたとて、主に迷惑はかけたくなかろう。
脱走に成功すれば、ヴェロニカ姫も余計な出費をせずに済む。
そなたの名声もますます高まろう。いいことづくめだ」
俺は頭の中で素早く勘定を巡らせた。
金はいくらあってもいい。
大きな損害を被った兄弟団の立て直しには金がいる。
なにより、こいつもなかなかの大物貴族であるらしい。
人柄だって悪くない。
こういうやつに恩を売れれば、姫様の味方が増えるはずだ。
きっと頼りになることだろう。
「よし、分かった。だが一つ条件がある」
「ありがたい、何でも言ってみるがいい」
流石に「姫様は王位を簒奪するつもりだから手伝え」とは言えない。
あとで裏切られるとまでは言わずとも、話のヤバさからこの場で断られることは十分ありうる。
俺は慎重に言葉を選んだ。
「……戻ったら、うちの姫様の話を聞いてやってくれ」
「それだけか?」
「ああ、それで十分だ」
なにせうちの姫様は口がうまい。
味方になる目があるのなら、話をさせる機会さえあれば、きっとうまいこと丸め込むはずだ。
「ふむ、その程度であればお安い御用だ」
「それじゃあ話は決まりだな。
問題は、詰め所の見張りだ。あいつさえどうにかすりゃあ――」
俺達はヒソヒソと脱走の相談を始めた。
*
「う、う~ん! 苦しい、誰か、誰か……!」
隣のおっさんがいかにも苦しげな呻き声を上げる。
俺も応じて大声で衛兵を呼んだ。
「お、おい! 誰か来てくれ!
隣のおっさんが呻いてる!」
俺の声が聞こえたのか、詰め所から衛兵が駆けつけてくる。
足音は一人分だけ。
弛んでやがるな。
〈犬〉なら、こうした場合には必ず三人一組で行動するよう言いつけていたはずだ。
部屋の中に入るのが二人、何かあった時にすぐに扉を閉めるよう外で待機する奴が一人である。
まあ、奴らにしてみれば捕虜を拘束しているというよりは、お偉いさんを接待している心持ちなんだろう。
「ど、どうされましたか!」
隣の部屋の扉が開く音と同時に、衛兵の慌てたような声が響く。
俺は金の斧で扉の錠前を音もなく壊すと、部屋から忍び出た。
隣の部屋の扉は開け放たれている。
部屋の真ん中では、苦し気に横たわったおっさんが、膝をついた衛兵の手をしっかりと握って何やら一方的にまくし立てていた。
「わ、わしは……もうダメかもしれぬ……!
いいか、よく聞け、これは遺言だ……相続に関わることである。
そして必ず、国元へ……この言葉を届けてくれ……一言一句聞き漏らすではないぞ……」
「お、お待ちを! 私にはとてもそんな大任は!
医者をお呼びしますので――」
「待て、待つのだ……!
もはや一刻の猶予もない……! そなたにしか頼めぬのだ!
いいか、始めるぞ? 心構えはよいか?」
「は、はい……! わかりました――ごふ!」
兜すら被っていない無防備な後頭部に、鉄の斧頭の一撃を受けてそいつは昏倒した。
おっさんが身を起こしながら俺に文句を言う。
「もっと早くせぬか。いつ仮病を悟られるかと冷や汗が出たぞ」
「いやいや、中々の演技だったぜ」
軽口を叩きながら、俺たちはさっそく衛兵の衣服をはぎ取りにかかった。




