なにがあかんの?
今日は節分。「鬼は外、福は内」の掛け声と共に豆をまき、厄を払い福を招く日です。かずと君の通う幼稚園でもみんなに炒り豆が配られ、みんなで鬼を退治しましょう、と先生から言われました。
「鬼が来たらめっちゃ豆ぶつけたんで」
待ちきれないと言うようにけんた君が教室の入り口をにらみつけます。隣にいたれいかちゃんが無表情に言いました。
「去年、ベソかいて逃げとったやん誰や」
「去年は年中さんやったからや! 年長さんはベソかかへん!」
むきになって突っかかるけんた君をれいかちゃんは「はいはい」といなします。ぐぬぬと不満げなけんた君をよそに、かずと君は手許の豆が入った枡を見つめました。
「どないしてん。むつかしい顔して」
隣にいたかなちゃんがかずと君に声を掛けます。かなちゃんはつい最近引っ越してきた女の子で、毎日違った可愛らしい帽子を被るおしゃれさんです。かずと君は豆に視線を落としたまま、つぶやくように言いました。
「……豆、ぶつけられてしもたら、痛いんちゃうかな?」
「痛なかったら追い払われへんやん」
何を当たり前のことを、とあきれ顔で、かなちゃんは帽子の向きを直しました。かなちゃんは帽子が好きなのか、室内でも帽子を取りません。一番かわいく見える角度を研究しているらしく、しょっちゅう帽子の位置を微調整しています。
「さあ、そろそろ鬼が来るで!」
先生がそう言うと、教室に緊張が走ります。ガラッと音を立てて入り口の扉が開きました。真っ赤な肌にトラ縞のパンツ、もじゃもじゃ頭には鋭い角――大きな金棒を担いで、赤鬼が姿を現わしました。
「おや、かわいい子供がたくさんいるぞ。どうれ、ここはひとつ、ワシと遊んでもらおうか」
園長先生そっくりな声で、赤鬼はどすどすと床を踏みしめて教室に入ってきます。けんた君の顔が恐怖に凍り付きました。先生が赤鬼を指さし、叫びます。
「さあみんな! 豆を投げて、赤鬼を退治しよ!」
はいっ! と使命感に燃える返事をして、けんた君とかずと君以外のみんなは豆を握り締めます。先生が「せーのっ!」と掛け声をかけました。みんなが豆を握った手をふりかぶります。そして――
「なんで?」
突如上がった、どこか悲鳴のような言葉に、みんなは豆を投げる手を止めて声の主を振り返りました。声の主――かずと君は悲しそうにうつむいています。
「……なんで、豆、ぶつけなあかんの?」
かなちゃんがけげんそうに眉を寄せ、かずと君に答えます。
「なんでて、ぶつけへんやったら、鬼、追い払われへん」
「追い払わんでええやん。なかよしたらええやん。なんでダメなん?」
かずと君は顔を上げ、かなちゃんを見つめます。かなちゃんは怒ったように厳しい目をかずと君に向けました。
「アホやなぁ。鬼追い払わんでどないすんねん。鬼ちゅうんはな、悪いやっちゃねん。おるだけであかんねん」
「なんで? 鬼、なにしたん? どんなわるいことしたん?」
それは、しらんけど。かなちゃんはそう言ってかずと君から目を逸らせました。かずと君は再びうつむきます。
「豆、ぶつけられたら痛いやろ? 痛いこと誰かにしたらあかんて、お母ちゃん言ってん。誰か痛いことされとったら助けたりて、お父ちゃん言ってん」
かなちゃんはひどく気分を害したようにかずと君をにらみました。
「そら、ひとの場合や。鬼はええねん。鬼は豆ぶつけて、追い払ってええねん」
「なんで? なんで鬼やったらええの? ひとにやったらあかんこと、なんで鬼にしてもええの? 痛いん同じやん。痛いん嫌なん、同じやん」
「せやから!」
強く苛立ちを顔に表して、かなちゃんは叩きつけるように言いました。
「鬼はええねん! 鬼はおるだけであかんねん! そういうもんやねんて! 聞き分け!」
「嫌や!」
抑圧に抗うように、かずと君は全身で拒絶を叫びました。
「おかしいやん! なんで鬼やったら豆ぶつけられるん? なんで鬼やったら追い払われるん? なんで!?」
かずと君の目から、ぽろぽろと悔し涙がこぼれました。
「鬼で、なにがあかんの!?」
「だって!」
かずと君の言葉を打ち消すように、かなちゃんはさらに大きな声を上げました。
「みんな、そういうてんねんもん!」
かなちゃんの目から涙があふれ、頬を伝って、ぽたりと床に落ちました。
「……鬼は、あかんねん。鬼はおったらあかんねん。みんなそういうてんねん。せやから、鬼は、あかんねん」
涙はとめどなくあふれ続け、かなちゃんは半ズボンのすそをぎゅっと握ってうつむきました。ぱさり、と音を立て、かなちゃんの帽子が床に落ちます。周囲がハッと息を飲みました。かなちゃんの額には、小さな二本の角がありました。
「あっ!」
小さく声を上げ、かなちゃんはあわててしゃがみ込むと、帽子を拾って深くかぶり直しました。もはや隠しようもなく、かなちゃんは声を殺して泣いていました。かずと君は自分の涙を手の甲でぬぐうと、かなちゃんの正面に膝をつきました。
「あかんこと、ないよ」
かなちゃんはぎゅっと帽子を握ります。かずと君は穏やかに語り掛けました。
「なんも、あかんことない。僕な、」
かずと君はそっとかなちゃんの手に自分の手を重ねます。
「かなちゃんのこと、すきや」
かなちゃんの手が、帽子から離れました。かずと君の手をぎゅっと握り、かなちゃんは大きな声で泣きました。かずと君はしっかりと手を握り返し、優しい眼差しでかなちゃんを見つめていました。
「節分、あかんやん!」
急に思いついたように、けんた君が叫び声を上げました。
「かなちゃん、追い払ったらあかんやん! アホやん! いらんやん!」
興奮した様子のけんた君に、れいかちゃんは冷静に言いました。
「ほんなら、『鬼も内』でええんちゃうの?」
けんた君は小さく首を傾げました。れいかちゃんは小さくため息を吐きます。
「さっきかずと君が言うとったやろ? なかよしたらええねん。それだけのことや。なんもむつかしいことあらへん」
おお、と感嘆の声を上げ、けんた君は豆を掴むと、天に向かって盛大に放り投げました。
「福は内! 鬼も内! みんなまとめてなかよしたらええねん!」
うおお、と吠え声を上げ、けんた君は握りこぶしを天に掲げました。「アホがおる」とれいかちゃんが笑います。泣いていたかなちゃんが目を丸くして、吹き出すように笑いました。かずと君は立ち上がると、かなちゃんの手を引いて立たせてあげました。かなちゃんは少し恥ずかしそうに視線を落としました。
「福は内、鬼も内」
れいかちゃんがそう言って豆を天に放ります。僕らも、と言って、かずと君はかなちゃんに微笑みかけました。かなちゃんははにかみながらうなずきます。せーの、と調子を合わせ、ふたりは同時に豆を放りました。
『福は内! 鬼も内!』
ふたりの楽しげな声が教室に広がります。
『福は内! 鬼も内!』
他のみんなも次々にそう言って、教室に笑顔がはじけました。
園長先生、立ち位置に困っておろおろ中。