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もう一人の召喚者~ただし、聖女ではありません~

作者: 豊川颯希

 私は、何だったのだろう。

「この、大嘘つきが!」

「騙しやがって!」

「偽聖女め!」

 聖女、と自分を名付けたのは、周り(あなたたち)だったのに。

 口々に罵られ、石を投げられ、本来なら怒ってもおかしくない状況だというのに、美夜はどこか別の世界の出来事のように感じていた。

 いや実際、里中美夜にとっては別の世界のことだ。

 美夜がここ、地球とは別の異世界・アートラールに喚ばれてから、ほぼ一年が過ぎようとしていた。

 高校の部活帰り、友達と別れて家まであと5分、といった所で唐突に地面に穴が開いた。

「え?」

 状況を理解する間も、ましてや抵抗する間もなく、美夜はその穴に吸い込まれた。どさ、と軽くない衝撃と共に投げ出されたのは固い石の冷たい床で。

「ようこそ、聖女様!」

「どうか我らをお救いください!」

 興奮覚めやさぬ調子で近寄ってきた人々の服装はまるでヨーロッパ系のゲームの中の登場人物のようで、ひどく現実味がなかった。

 混乱している美夜の前に、一際豪奢な衣装を着た端整な顔立ちの青年が跪いた。後から聞けば、異世界から救世主“聖女”を呼び出す“異世界召喚”を執り行うことを決定した王子だったらしい。

 彼の説明によると、この異世界──アートラールは数百年ごとに穢れが溜まり、災害が増えたり動物が魔物化して人を襲ったりするらしい。穢れを浄化し、消滅させることができるのは、異世界から召喚された“聖女”だけ。どうか、この世界を穢れから救ってほしい、と彼は切々と訴えたが、ちっとも美夜の心には響かなかった。否応なしに連れてこられ、危険を伴うような作業をやれと言われて、どうして頷けようか。

「わ、私たちは“聖女”なんかじゃありません!」

 一瞬、自分の口から出た言葉かと美夜は思った。しかし、声の発生源は隣だった。

「早く、私たちを元の世界に帰してください!」

 美夜の世界で見慣れたスーツ姿は少しくたびれているが、OLらしいその人は毅然と主張した。余りに非日常的な出来事に遭遇して気付かなかったが、どうやらアートラールへ連れ去られたのは美夜だけではなかった。もう一人の被害者──橘光の名は、後で人伝に知った。

 王子は光をちらりと見ると、苛立たしげに舌打ちした。元が美麗な顔立ちをしているために、余計に恐ろしく見え、美夜は怯える。

「何だ、この女は? 私が聖女様と話している最中だというのに、不敬な」

 王子が何気なく腕を振った。途端に、甲冑を着た騎士たちが光に剣を突きつけた。彼女はひっと息を飲んで尻餅をつく。顔色が真っ青だ。

「連れていけ」

「はっ!」

 騎士たちは、乱暴に彼女の腕を取る。苦痛から歪んだ彼女の表情を見た瞬間、美夜は叫んでいた。

「その人に何もしないで! わ、私ならいくらでも協力しますから!」

「おや、そうですか。ありがたいことです」

 王子は先程の不快げな表情はどこへやら、好青年そのものといった穏やかな笑みを浮かべた。しかし、美夜の中には先程の光景が染み着いている。この人の機嫌を損ねては、自分たちの命に関わる。

 未だ青い顔で、それでも彼女が心配そうに此方を見ている視線を感じながら、美夜は震える声で言った。

「それで、私は何をしたら、いいですか?」

 その日から、美夜の“聖女”修行がはじまった。

 読み書き(言葉は通じるが、文字は違っていた)や浄化の仕方はともかく、関係ない王国──美夜たちをよび出した国の名はラノメ王国というらしい──の歴史や礼儀作法まで学ばされるのは意味がわからなかった。それとなく付けられた教師に聞いてみると、かつての聖女の中には王子と結ばれ、王妃となった女性もいるため、その可能性も踏まえて教えていると言われた。正直にいってゾッとした。美夜にとってあの王子は恐怖の対象だ。自分とどうにかなるなんて、考えるだけでも恐ろしい。

 光には会わせてもらえなかった。会いたい、といくら言ってものらりくらりとかわされ、はぐらかされるばかり。唯一許された一度きりの日本語で書かれた手紙で、生きていることを知っていた。

 美夜は恐怖から、必死に“聖女”修行に取り組んだ。しかし、いつまで経っても、肝心の浄化だけは身に付けることができない。はじめは慣れていないだけとフォローしてくれていた周囲も、徐々に訝しい視線を向け始めた。

 そんな時だ。

 全ての穢れが浄化された、との一報が舞い込んだのは。

 穢れを浄化したのは、光だった。

 光はあの後、城で下働きをしていたが、偶々小さな穢れに出くわし、浄化した。それに立ち会った近衛騎士の計らいで城を抜け出し、穢れを払いに旅立ったそうだ。

 本物の“聖女”降臨に、喜ぶ周囲を余所に、美夜は愕然とした。

 それじゃあ、私は? 私は、何だったの?

 その日のうちに、美夜は牢に入れられた。罪状は、“聖女”の名を騙ったこと。翌朝には、国外追放されることが決定した。

 狭くてかび臭い牢の片隅で膝を抱えながら、美夜はこの一年を振り返った。

「あー、他人の言うまま頑張っちゃって、馬鹿みたい」

 光にも裏切られた気分だった。“聖女”じゃない、と言いつつ本当の聖女は光だったのだ。せめてもう少し早く正体を告げてくれれば、王子側の早とちりですんだかもしれないのに。

「このまま死んじゃうのかなー」

 美夜は読み書きと歴史を知っている程度で、この世界での生活の仕方なんて全く分からない。国外追放なんて、野垂れ死にの未来が待ち受けているとしか思えなかった。“聖女”修業をはじめてすぐ、元の世界に帰る方法ははないことを知った。

「やだな……帰りたい、帰りたいよう」

 この一年間、この気持ちにも蓋をして頑張ってきたのだ。

「お母さん、お父さん……」

 美夜の目から、ぽろぽろと涙がこぼれる。美夜は膝に額を付けて泣いた。

「泣いているとは好都合!」

 牢屋に場違いに明るい声が響いた。

 止められない涙を流しつつ美夜が顔を上げると、牢屋の前に誰かが立っていた。

 薄暗い地下牢に、半ば溶け込むようにその人物はいた。真っ黒なローブを纏った彼は、青白い手を美夜に向かって差し伸べる。何故かその手は牢に阻まれることない。美夜は最早疑問にすら思わなかった。

「さあこい、異世界より来たりし者よ。お前に相応しい場所に、導いてやろう」

 芝居がかった言い回しはいかにも胡散臭く、美夜が冷静だったら絶対に白い目で見ていただろう。しかし美夜は、平常心ではなかった。

 ──こんなイケメンな死神が来るなんて、それで運を使いきっちゃったのかな。

 そう磨耗しきった頭で考えながら、美夜は彼の手を取った。

「よし、契約は成立だ!」

 ああ、これで。

 全てが終わると、急速に薄れゆく意識に身を任せ、美夜は瞳を閉じた。

 その数時間後。 

「里中さん、助けに来たわ! ──嘘!?」

「どうした!?」

「いないわ! どうして!?」

 前々から王子を筆頭にラノメ王国に不信感を募らせていた光が、危険をおかして美夜を助けに来たことを、美夜は知る由もなかった。





 それから、半年後。

「美夜、いけ」

「……はい、師匠」

 相変わらず、雑な指示だ。美夜は内心ぶつくさ文句を言いながら、剣を構えた。一見大の大人でも持ち上げることさえ難しそうな大剣が、美夜の得物だ。師の補助魔術で身体が強化されたのを確認すると、美夜は大剣を一振りした。それだけで、目の前にいた狂暴な魔物の群れが風にさらわれた木の葉のように吹っ飛んでいく。その様子を見て、師は満足そうに高笑いした。

「ははははは! やはり、俺の目に狂いはなかったな!」

 半年前、美夜を牢から連れ出したのは、死神ではなく、魔術師だった。それも、人間と敵対している魔王配下の。

 どうして自分を連れてきたのか、と戸惑う美夜に師匠──クロウルはこう言い放った。

「勇者であるお前を、魔王軍に引き入れるためだ」

「……勇者?」

「やはり、知らなかったようだな」

 おうむ返しに呟く美夜に、クロウルはにやりと笑った。クロウルいわく、“異世界召喚”には二通りあるらしい。ひとつは穢れをはらう“聖女”を喚び出すもので、もうひとつが魔王を倒す“勇者”を喚び出すものだ。

 つまり、美夜は聖女ではなく、勇者だったのだ。浄化ができなかったのも、そもそも課せられた役割が違っていたから。ラノメ王国で行われる“異世界召喚”は何百年とブランクをあけて行われるため、二つのやり方が混ざって両者を同時に呼び出してしまったのだろう、とクロウルは語る。

 その話が真実で、自分が勇者だとすると。

「魔王を倒すのが勇者なら、私を……殺さなくていいんですか?」

 恐る恐るたずねた美夜に、クロウルはあっけらかんと言った。

「お前が死んだら、次の勇者が呼ばれてしまうではないか。お前には既に陛下を害することができないよう、魔術を施してある」

 故に魔王軍で存分にこき使ってやる、と妖しく笑うクロウルに何をさせられるのか、と美夜は体を強ばらせたのだが。

「師匠、終わりました」

「うむ、良くやった」

 ものの数分もしないうちに、暴れていた魔物の群れは美夜にのされて、地面に倒れ伏していた。美夜が背中に大剣をしまっていると、ぞろぞろと魔族たち──魔王領の住民だ──が現れる。獣が二足歩行をしているような姿のものから、植物が人形をとったような姿のもの、果てはゲームのスライムのような流体の姿のものとバリエーションに富んでいたが、皆一様に美夜を褒め称えた。

「さすが、美夜殿!」

「これで、魔物に作物を荒らされずにすみます!」

「ありがとうございます!」

「いえ……」

 美夜の持っていた魔族のイメージは、邪悪な恐ろしいものだったが、この半年で随分と様変わりした。クロウルに師事し、剣術や魔術を習った(クロウルの教え方はスパルタを通り越して雑の一言に尽きたというのに、美夜自身驚くほど覚えが早かった)美夜が行ってきたのは、魔族を困らせる魔物退治や土木工事の手伝いなど、他人の役に立つことばかりだった。穢れが溜まることで起きる魔物の狂暴化は、魔族の間でも、悩みの種らしい。

「魔族の皆さんって、良い方たちですね」

 思わずこぼした美夜に、クロウルはそうだろうと尊大に頷いた。

「全ては魔王陛下の英断あってこそだ。力が全て、なぞという多様性とは真逆の無秩序状態を改革され──」

 クロウルは余程魔王に心酔しているらしく、魔王のことを話し出すと長い。

 魔王には美夜も何度か会っているが、“勇者”であり本来なら自分を倒す者である美夜に対しても、快く受け入れてくれた。

「クロウルが監督するなら、問題はなかろう」

 漆黒の髪に血の色の瞳を持った息を飲むほど美しい魔王は、平伏する美夜を手招いた。

「クロウルの弟子になるお前にする頼み事ではないが、ひとつ頼みたい」

「はい、何でしょう?」

 魔王は美夜に耳打ちする。

「クロウルは赤子の時に、私が拾った人間だ」

「師匠は、人間なのですか!?」

 あれだけ魔王万歳、魔王軍随一の魔術師を自称しているクロウルの意外な出自に、美夜の目が点になる。

 真顔だった魔王の口の端が上向いて、苦笑いの形を取った。

「配下としてはこの上ない逸材なのだがな、どうも育て方を少々間違えてしまったらしい。お前の世界のもので構わないゆえ、あれに人間の常識を教えてやってくれ」

「私のできる範囲であれば……」

 そう安請け合いしてしまったことを、美夜は後々まで後悔することになる。

「よし、次だ美夜!」

 威勢良く意気込んだクロウルの体が、ぐらりと傾いだ。美夜は彼を、危なげなく抱き止める。

「その前に師匠、ご飯にしましょう」

「そんな暇はない! ひとつでも多く任務をこなすんだ!」

「倒れかけても、口だけは元気ですね」

 人間の数倍以上の身体能力を持つ魔族や“勇者”である美夜とは異なり、クロウルの体力は人間のそれだ。魔術研究でたまに徹夜や食事を抜いていることを考慮すると、ひょっとすれば人間の平均より少ないかもしれない。それなのに、魔王の為ならば、と言い渡されたことをガンガンこなそうとする彼は、側で見ていて思った以上に危なっかしい。はいはいまずはご飯ですよーと、散歩に出たがる犬を宥めているような気分になりながら、美夜は昼食にする。

「師匠は、本当に魔王陛下を崇拝してるんですね」

「当たり前だ、人の上に立つ者としての器量を十二分に備えている方な上、返しきれない恩義もあるからな」

 クロウルのそういう真っ直ぐな所は、ちょっといいなと美夜は思っている。

「だからこそ、一刻も早く任務を終えるぞ!」

「師匠、落ち着いてください、スープこぼれますよ」

 美夜が魔王領へ来てから数ヵ月後、光とその保護者である近衛騎士も魔王領へ亡命してきた。ラノメ王国のやり方に、愛想が尽きたという。

 光によれば、ラノメ王国で美夜は“人間を裏切り魔王へ付いた偽りの聖女”と呼ばれていたが、“勇者”としての美夜の話が広まりつつある今、徐々に王家へ疑いの目が向けられているそうだ。失いつつある人望を取り戻そうと、近々魔王領へ侵攻するかもしれないきな臭い動きもあるという。

 今の美夜の力なら、ラノメ軍のひとつや二つ、相手を殺さずに戦闘不能にすることは可能だが、対人戦に不安がない訳ではない。

 それでも、ラノメ王国と──人間側と対峙することに迷いはない。

「行くぞ、美夜!」

「師匠ほっぺに食べかすついてます」

 ごしごしと頬をこする師に反対ですよと布巾で取ってあげながら、美夜はふと聞いた。

「師匠は、私のことどう思います?」

「はあ? お前は、俺が見出だした“勇者”だろう?」

 そう、即答する何だか締まらない彼に、美夜は残念に思いながらも着いていくのだった。

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― 新着の感想 ―
途中まで王国はなんて酷い仕打ちをするんだと憤っていましたが 師匠が出てきてからは笑い通しでした 勇者はどちらにとっても勇者なんですね
聖女と勇者が和解できますように せしてクソ王子一派にはバチが当たりますように
[気になる点] 聖女との絡みが無かったのは残念です。聖女のお付きの騎士は爽やかオッサンであって欲しいモノです。
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