迫真の演技
若い騎士が告げたのは、アウラとレイシアがアヴァオック砦に向かっているという報せだった。
アムルは純粋に嬉しそうな様子だったが、シャズアは違った。雪崩のように、嫌な予感が猛烈な勢いで押し寄せてきたのだ。
レイシアが魔族に誘拐されそうになったのも、魔族との戦争の勝利で、誰もが酔いしれているときだった。そう、状況が今と酷似している。
一度不安に駆られると、歯止めは効かなかった。
万が一だが、レイシアたちが魔族に襲われるかもしれない。動員できるだけの騎士を連れて、迎えに行こう。
シャズアがそう提案すると、意外にも呆気なく受け入れられた。シャズアの信頼もさることながら、一刻も早くレイシアに会いたいアムルの後押しがあったからだろう。
ただ、今の段階ではアウラが裏で手を引いているとは言えなかった。物的証拠はないし、単に嫌な予感がしたに過ぎないからである。
遠征隊と言えるほどの騎士を率いて、リングストン王国に続く道を進む。
不自然な点はないかと、シャズアは周囲に気を張り巡らせていた。だからこそ、暗闇を走る小さな灯りを目にすることができたのだろう。
一部の騎士たちを率いて、馬を先行させた。この道のずっと先を、あの小さな灯りは走っている。
「ッ!」
灯りに照らされているおかげで、リングストン王国の馬車だとすぐに判別できた。
しかし、明らかに様子がおかしい。夜だというのに一台だけで、しかも全速力で走っている。猟犬に追い立てられる牧畜のようだ。
シャズアは、乗っている馬を馬車の進行方向に割り込ませた。危険な行為だったが、あれこれ考えるよりも先に体が動いていた。
「そこの馬車、止まれ!」
突然の障害物に馬は驚き、それに連鎖して馬車が急停車する。
御者代わりの騎士は当初、絶望と覚悟が入り混じった表情を浮かべたが、馬に乗っているのがシャズアだとわかると、安堵の表情に変貌した。
「シャズア様! ど、どうしてこんな場所に!?」
騎士の口調には驚愕と歓喜が入り乱れていた。
嬉しい悲鳴。これ以上なく的確に表現する言葉は、きっとない。
「嫌な予感がしてレイシアさんたちを迎えに来たんだ。そっちこそ何があったんだ。まさか魔族の襲撃を受けたのか?」
「そ、そのとおりです! 魔族の包囲を突破して、どうにかここまで逃げたんです!」
己の中にある小さな疑惑が消え去り、完璧な確信に変わった瞬間であった。
「それなら、レイシアさんはこの馬車に乗っているんだな!?」
この馬車にはきっと、レイシアが乗っている。その予想に行き着くのは至極当然だった。
急いで馬車に駆け寄る。騎士が何か言っていたが、時間が惜しい。レイシアが無事かどうか、今すぐにでも確かめなくては。
「無事か、レイシアさん!?」
──ドアを開けた先にいたのは、アウラだった。
「……アウラ?」
「……シャズア?」
シャズアは開いたドアの前で立ち尽くし、アウラは最奥の座席で脱力したように座り込む。
そこから先は、完全に無音の空間だった。
お互いが、目の前の相手を一点に見つめる。夢や幻ではないかと疑うように。
(いやいやいやいや、何でお前まで魔族に襲われているんだよ!? お前がこの襲撃を手引きしてたんだろうが!?)
(いやいやいやいや、何であんたが私を助けに来てるのよ!? あんたがこの襲撃を手引きしてたんでしょ!?)
心の内を口に出せれば、どれだけ楽だろうか。
しかし、2人はその衝動に耐えられてしまう強い心を持っているからこそ、こんな無駄にややこしい状況になっているのである。
「シャズア様! 馬車を運転していた騎士の話によると、レイシア様とアウラ様は二手に分かれてお逃げになったそうです! ですから、この馬車にはアウラ様しか乗っていないと── あっ」
報告に来た隊長格の騎士は口を閉じ、静かにその場から立ち去った。
2人とも呆然とした顔を浮かべているだけなのだが、状況が状況なだけに、安堵と歓喜が調和した神妙な表情に見えなくもなかったのだ。
感動の再会に水を差してはいけないという、彼なりの粋な計らいであった。完全に勘違いだが。
2人は騎士の存在に気づいてすらいない。脳の処理能力が限界に近く、ショート寸前なのだ。
(落ち着け、落ち着くんだ! こんな意味不明な状況でこそ、相手を冷静に観察するんだ!)
シャズアは自分にそう言い聞かせながら、同じく呆然と座席に座り込むアウラを観察する。
(……えっ?)
そして、気づいた。
アウラの目の周りが腫れている。直前まで涙を流していたとしか考えられないくらいに。
演技とは思えなかった。そもそも、この状況で泣いてる演技をする必要があるとも思えない。
彼女にだって、シャズアが助けに来るのは予想外のはずなのだから。
つまり、この涙は彼女の本心ということになる。
(用済みになって、レイシアを誘拐するついでに始末されそうになったとか…… うん、そうだな! きっとそうに違いない!)
だとすれば、アウラがリングストン王国の馬車に乗っていたのも説明がつく。問答無用で魔族に襲撃されたので、魔族との内通が露見する暇すらなかったのだろう。
自分なりに冷静な思考に基づいて導き出した結論だからこそ、疑念が入る余地はなかった。そうなると、もう他の可能性なんて考えられなかった。
魔族に情報を流しているとしたら、そもそもこの場にいること自体おかしいのだが、その重大な事実には最後まで思い至らなかった。
「……」
アウラの心が弱っている今こそ、絶好の機会なのかもしれない。
それこそ、ヒビ割れたガラスを打ち砕くような簡単さで、彼女を自白へと追い込めるだろう。
しかし、今の今まで死の恐怖に怯え、震えていた少女に尋問するなんて、とてもではないがシャズアにはできなかった。
「……今は、安心してもいい。これ以上魔族の好きにはさせない。当然、君も魔族なんかに殺させはしない」
少しでもアウラの胸に巣食う恐怖が和らぐよう、できるだけ優しく語りかける。
「……本当に、助けてくれるの?」
アウラは震えた声で、こちらの心情を恐る恐る推し量るように尋ねた。
裏切り者の自分がこうして助けられることに、後ろめたさを感じているのだろう。
「ああ」
シャズアは静かに頷いた。
魔族に与した裏切り者であろうと、今だけは魔族の被害者だ。守らねばならない。
それに、彼女が魔族と内通していると露見するのは、時間の問題である。
たった1人でも敵に勘付かれた時点で、奇襲は失敗に終わってしまう。しかもリングストン王国に潜伏するのだから、極力目立たないようにするのが当然だ。考えられるとしたら、少数精鋭。大人数で動くのはありえない。
しかし、どんなに個々の魔族が強かろうと、圧倒的な数の差を前にしたら無力である。
そして今回、それを証明できる頭数を揃えている。
勝利は揺るがない。それどころか、何人かの魔族を捕虜にする余裕さえあるだろう。
作戦が失敗したとすれば、捕虜たちは口を揃え、裏切り者に繋がる情報を吐くに違いない。彼らに人間の内通者を庇う理由なんて、ありはしないのだから。
「誰か来てくれ!」
シャズアの呼び声に応じて駆けつけたのは、要らない気遣いをして立ち去った、隊長格の騎士である。
「お呼びでしょうか、シャズア様」
「急いで進軍させるよう、本隊に連絡してくれ」
「僭越ながら、既に使いの者を報告へと向かわせています。本隊が合流するのも間もなくかと思われます」
「えっ? そ、そうか……」
迅速な手配に驚いているシャズアだが、たっぷり時間をかけて呆然としていたので、そう錯覚しているだけである。
「本隊と合流次第、味方の救援に──」
最後まで言葉を言い切る前に、シャズアは後ろから腕を掴まれた。
ドアの手前で背を向けている今、シャズアの腕を掴めるのは1人しかない。
誰が腕を掴んだのか確信を持ちつつ、シャズアは振り返った。
「お願い、行かないで……! 私を1人にしないで、シャズア!」
そう、アウラである。
彼女の心中を察するに、魔族に襲われたのがよほど怖かったのだろう。
腕を掴む強さが、それを物語っている。
(……シャズアは、馬車に入る直前にレイシアの名前を呼んでいた。あの時点じゃ、誰がいるのかわかるはずないのに。まるで、レイシアがそこにいるのを期待してるみたいだった)
否。シャズアはアウラの心中を少しも察せていなかった。いや、見事に騙されたと言うべきだろう。
アウラもアウラで、どうしてシャズアがこんな場所にいるのかをずっと考えていた。
そして、彼女なりの結論を導き出したのだ。
シャズアはこの騒動に乗じて、レイシアと接触しようとしていのではないか。そして、自身の手で誘拐を実行しようとしたのではないか。
魔族に任せるのが信用できなかったのだろう。現に、魔族はこうしてアウラに出し抜かれている。
(だとすれば、このままシャズアを行かせちゃいけない……!)
そう、アウラは恐怖に駆られたのではない。
自分のすべきことを見つけ出し、成し遂げようとする強い覚悟が、この行動を起こさせたのだ。
「お願い……」
「……」
アウラはシャズアの目を見て、氷のように冷たく、無感情なものだと感じた。その目からは、感情が少しも読み取れない。
(シャズアにとって私は、利用価値がある女のはず。じゃなきゃ、とっくに距離を置かれているはずだもの。もしもここで私の腕を振り払えば、今まで築き上げたものも吹き飛ぶことになるわよ!)
だから、簡単には振り払えないはずだ。
それに、シャズアを足止めするとしても、そう長い時間ではなくてもいい。
要は、レイシアの乗った馬車がアヴァオック砦に着けばいいのだ。そうなれば、シャズアも手出しできない。
「わかった。君をアヴァオック砦まで送り届けるまで、俺はどこにも行かない」
極限まで気を張り詰めているのを嘲笑うように、シャズアはあっさりとアウラの要望を聞き入れた。
「ほ、本当にいいの……?」
「ああ」
目を丸くするアウラだが、すぐにシャズアの真意に思い当たった。
既に失敗しかけているレイシアの誘拐計画を続行するよりも、アウラの好感度を稼ぐ方が良いと考えたのだろう。
保険に保険を重ねる慎重さと、旗色が悪くなれば迷わず切り捨てる潔さ。本当に恐ろしい男だ。
(まあ、こんなに怯えている女の子の腕を振り払ってまで行くこともないか。今回は俺がいなくても、大きな影響があるとは思えないし)
しかし、アウラの考えるような損得勘定など、シャズアの頭の中には少しも浮かんでいなかった。
アウラの怯えた姿に絆され、シャズアの立場からすれば不要な行動を起こそうとしている。損得勘定とは対極に位置する思考である。
「すまないが、聞いていたよな?」
「ええ」
その場に偶然居合わせた隊長格の騎士は、シャズアが何を言うのか察しながらも頷いた。
「予定を少し変更する。俺はアウラをアヴァオック砦に送り届けるから、騎士の何人かを護衛に回してくれ。残りは本隊と合流して、味方の救援に向かわせるんだ」
「わかりました。そのように手配します」
「ああ、頼んだぞ」
こうして、アウラの人生で最も長い夜は終わりを告げようとしていた。
アムル率いる援軍の到着によって、魔族の奇襲部隊は大敗北を喫し、護衛の任務に当たっている騎士たちの被害は最小限に抑えられた。
レイシアも無事、アヴァオック砦に到着した。魔族に襲われることなかったので、当然無傷だ。
偶然に偶然が積み重なった結果とはいえ、シャズア、そしてアウラの活躍によって、レイシアは魔族の手から守れたのである。
ちなみに、アヴァオック砦に向かう道中のこと。
少しでもアウラを安心させようとしたシャズアは、アウラの隣の席に座った。そのせいで彼女の気が片時も休まらなかったのは、どうでもいい話である。




