無二の相棒
草花の生い茂る緑の絨毯の上に、石造の建築物が堂々と居座っている。その武骨な外観は、のどかな風景にはあまりにも似つかわしくない。
リングストン王国の北西に広がる平原、通称アヴァオック平原にはリングストン王国の砦が建てられている。その砦は平原の名称にあやかり、アヴァオック砦と名付けられている。
魔族の統治する国── レジオン王国が、アヴァオック平原を越えた先にある。
だからこそ、アヴァオック砦はレジオン王国に遠征する足がかりとなり、人類にとって重要な役割を担っているのだ。
アヴァオック砦には、大勢の騎士が在住している。魔族の襲撃に備えて、防衛の任を受けているのだ。彼らは日々、アヴァオック砦の補強や、戦闘訓練に励んでいる。
宿舎の設備は、いっぱしのホテルに負けないくらい充実している。良質な家具が揃い、どの部屋も開放感のある広さである。
騎士たちの疲労を癒すのが目的だ。有事の際、疲労で動きが鈍かったりしたら、笑うに笑えない。
シャズアは宿舎の一室にいた。高級なソファーに全身を預け、思う存分に寛いでいる。
向かいのソファーにはアムルも座っており、シャズアとほぼ同じ状態である。
ゆったりとした時間が流れていく中、アムルがふと口を開いた。
「あれからもう半月か。俺たち、いつまでアヴァオック砦にいなきゃいけないんだろうな?」
「砦の整備が終わるまでだろ。魔族との戦いで、あちこち壊されているんだ。俺たちがいなかったら、次こそ魔族に攻め落とされるぞ」
「それもそうだけどさ…… もう半月もレイシア様に会えなくて、胸が苦しいよ」
つい半月ほど前、アヴァオック砦を攻め落とそうとする魔族が、大軍で攻めてきたのだ。
砦の破損は深刻で、一刻も早い修理が必要だ。
しかし、修理している間、また魔族が攻めてこないとも限らない。
そこで、騎士たちの精神的支柱でもあり、単純な戦力としても申し分ないアムル、そしてシャズアは、アヴァオック砦に残るように命じられたのだ。
「思い返してみると、厳しい戦いだったな。あんなに大勢の魔族を見たのは、生まれて初めてだ」
「魔族からすれば、アヴァオック砦はこの上なく目障りだろうからな。全力で潰しにかかるだろうさ」
運が良いのか悪いのか、アムルは最初からアヴァオック砦にいた。いよいよレギオン王国に遠征する打ち合わせを行うため、遠路遥々やって来たのだ。
圧倒的な戦力差に最初苦戦を強いられたものの、アムル率いるリングストン軍は見事、魔族軍を撃退することに成功した。
人々はその勝利を、アムルの成し遂げた偉業として讃えた。
しかし、アムルは思う。
本当の勝利の立役者は、アヴァオック砦が魔族に襲われていると聞くや否や、遠く離れた場所から矢のような速さで駆けつけてくれたシャズアだろう。
シャズア率いるアーセナブル家の騎士たちが駆けつけてくれなかったら、最後まで突破口を開けなかった。
「ありがとう、シャズア。君が来てくれなかったら、アヴァオック砦を守るのは無理だった。このお礼はいつか必ず──」
「お礼なんてしなくていい。魔族からリングストンを守るのは、なにもお前だけの役目じゃない。リングストン王国全員の役目でもあるんだ。まあ、どうしても気が済まないのなら、今度美味い店でも奢ってくれ」
恩着せがましさなんて微塵もない、普段どおりの口調でシャズアは言う。
アムルは微笑みを浮かべた。この友人には、本当に感謝の気持ちしかない。
「……それなら、任せてくれ。とびっきり美味い料理をご馳走するから」
「ああ、楽しみにしている」
シャズアはこの戦いをきっかけに、勇者の唯一無二の相棒として、己の名を世界に轟かせた。
人々は尊敬の意を、魔族たちは恐れの意を込めて、シャズアの名を呼んでいる。
シャズアは今、理想の未来を歩んでいる。勇者の相棒として人々に讃えられ、アムルにも全幅の信頼を寄せられている。
だが、その心には不安が重くのしかかっていた。
「ラーメンが食いたいな……」
「らぁめん? それが食べたいのか」
「ああいや、こっちの話だ。気にしないでくれ」
心の中だけに留めるつもりが、つい口に出してしまった。
ラーメンは前世の自分が好きな食べ物だった。その味は今でもよく覚えている。
残念ながら、この世界にはラーメンが存在しない。
なければ作るしかないのだが、ラーメン職人でもなければ料理人ですらなかった自分が、満足のいくものを作れるはずがなかった。
それでも時々、無性に食べたくなるのだ。
「ふぅ……」
どうしたものかと、シャズアは深く息を吐いた。
ラーメンについて悩んでいるのではない。もっと別の、深刻な問題について思い悩んでいるのだ。
「どうしたんだ、そんな深い溜息をついて?」
「いや、何でもない」
シャズアは気の抜けた声で返事をした。
「嘘つけって。あれだろ、アウラ様のことだろ? 関係が進展しないから悩んでるんじゃないか?」
「……………ノーコメントで」
「やっぱりアウラ様のことじゃないか」
付き合いが長いだけあり、アムルの直感は正しい。
シャズアはずっと、アウラとの関係について悩んでいるのだ。
(あれから何度も会っているのに、雑談したり、デートの真似事をしたりするだけなんだよな……)
アウラが一向に裏切る様子を見せないのだ。今のところ、普通に親交を深めるだけである。
あまりにも密な付き合いなので、アウラに好意を寄せていると周囲に誤解される始末である。
用心深い。あまりにも用心深過ぎる。いつになったら裏切るつもりなのか。
いや、もしかすると、知らないところで彼女の計画は進行しているのではないか。
そう思うと、気が気ではいられなかった。
魔族よりもずっと手強い女だ。
「ほら、元気出せって。俺が相談に乗ってやるから」
「……なら、ちょっと聞かせてくれ。もし好きな人が中々心を開いてくれなかったら、アムルはどうする?」
シャズアはこれまで一度も、アウラが好きな人だと認めたことはない。
その行為は、いわば最後の砦なのだ。
シャズアは無意識のうちに悟っていた。たとえ嘘でも好きだと認めてしまえば、確証のない前世の記憶なんかより、今のアウラを信じる方に天秤が傾いてしまうと。
「う〜ん、そうだな。まず、本音で語り合うことから始めるかな。こっちが心を開かないと、相手もそうしてくれないだろうし」
「……ああ、そうだな」
アムルの考えを聞いて納得する。
こちらが本心を隠しているのを感じ取って、アウラも本心を隠しているのだろう。
(……だとすれば、これってもう詰んでるのでは?)
納得すれど、悩みは解消しないままだ。
本音で語り合ってしまえば、2人の関係はたちまち終わりを迎えるだろう。
「もしかして、まだアウラ様に対して遠慮したりしてるんじゃないか? それじゃあ距離は縮まらない。勇気を出して、シャズアから本音をぶつけてみなって」
「……努力する」
アムルに相談した手前、頑張ってみるとは言ったものの、別の手を考えなくてはいけない。
けれど、良いアイディアは浮かびそうにない。
アウラのことばかり考える生活は、これからも続きそうだ。
(……これじゃあまるで、アウラに本当に恋をしてるみたいだな)
シャズアは心の中で苦笑した。
こんなにも誰かに想いを馳せる経験が、前世も含めて一度でもあっただろうか。
アウラについての話題はひと段落つき、他愛のない世間話を続ける。
「そういえば聞いた? 魔族の捕虜が1人、バルド監獄から脱獄したらしいよ」
「本当か?」
「ああ。必死に探しているみたいだけど、まだ捕まっていないらしい。しかも、そいつがどうやって脱獄したか、まだわからないんだってさ」
「妙な話だな。手口すらわからないのか」
「まあでも、どうせ捕まるのも時間の問題だし、永遠の謎ってことにはならないと思うけどね」
「違いない」
ふと、ノックの音が耳に届いた。
ドアの方に視線を向ける。
「失礼します。シャズア様、アムル様。報告したいことがあるので、入室を許可していただけますか」
「ああ、構わない」
ドアを開けたのは、若い騎士だった。
彼の表情に焦りはないので、少なくとも悪い報せではなさそうだ。




