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07 休日ティーチャー

あまりぱっとしない回

最近本編の野郎成分が増えている

「ということで、無事、赤点を取ってしまいました」

 返却されたばかりの数学のテストをわたしに見せながら、恵理子ちゃんはどこか誇らしげな表情を浮かべていた。返却されたばかりの彼女の答案用紙を見れば、確かにギリギリ赤点の範囲に点数が収まっていた。

「もぉ、ちゃんと勉強しないからだよ?」

「たはは、返す言葉もございません」

 わたしの言葉に、頭を掻きながら恵理子ちゃんは答えた。その返事を聞いて、わたしはより不安になる。

「えっと、確か赤点取ると、追試があるんだっけ?」

 天井を見上げながら、どこかの説明にそんなことが書かれていたような、と思い出す。

「流石に一学期中間の赤点で留年どうこうが決まるわけじゃないと思うけど、追試も落としたらまずいと思うよ。夏休みに補習とかなっちゃうかも」

「そうだよねぇ……」

 ついさっきまでの威勢はどこえやら、恵理子ちゃんはしゅんと肩を落としてしまう。多分、まだ試験を受けなければいけないことに気を落としているのかもしれない。こんな様子の彼女は初めて見た。いつもが元気一杯なだけに、こんな姿を見せられると余計に心配になる。なんとか彼女の力になれないかなぁ。

 ……そうだ!

「恵理子ちゃん!」

「な、何!?」

 わたしは彼女の手を取り、顔を寄せる。

「勉強会を開こう!」

「べ、勉強会……?」

 恵理子ちゃんがわたしの勢いに若干引いているが、そんなことはお構いないし。

「そう、勉強会だよ! 恵理子ちゃんって、一人じゃつい遊んじゃったりして勉強できない人でしょ? だから、わたしと一緒に勉強会を開こう。そうすれば、わたしが見てるから勉強に集中できるし、わかんないとこがあったらわたしが教えてあげられるよ」

 あんまり難しい問題は教えてあげられないけど、と心の中で付け加える。因みに、わたしの学力は平均点の三割り増しくらいだ。

「どう、かな?」

 反応を促すと、最初は渋かった彼女の顔が、次第に明るくなった。

「そっか、勉強会か。うん、一緒なら楽しそうだし、賛成!」

「じゃあ、決まりね!」

 そして、わたしたち二人は顔を合わせて笑いあった。

 勉強会か。自分で言っておいてなんだけど、こういうことをするのは初めてだから、正直少しワクワクするなぁ。ともあれ、勉強会を開くとなれば時間と場所を決めないと。そう思い、恵理子ちゃんの予定を訊こうと口を開きかけたその時だった。

「あ、岸本」

 恵理子ちゃんがわたしの背後に向かって声を掛けた。振り返れば、岸本くんが整った顔を俯かせ気味にして立っていた。その様子から、なんとなく彼のテストの結果を悟ってしまったわたしだったが、そんな彼の様子にも関わらず、恵理子ちゃんは遠慮なく口を開く。その表情は、微妙にニヤついていた。

「どうしたの? 元気なさそうだけど。もしかして、テストが赤点だったりして」

「うぐぅッ」

 図星だったようだ。彼はよりいっそう肩をすくませ、胸を右手で押さえた。 あぁ、まさかこんな身近で二人も赤点を取ってしまうだなんて。これこそ「類は友を呼ぶ」なのだろうか。二人の話す口ぶりといい、共通点といい、恵理子ちゃんと岸本くんが同じ中学の出で、それなりに仲が良かったってのは本当だったんだ。

「あぁ、テストは終わったと思っていたのに、まだ悪夢が続くなんて……」

 岸本くんが何やら大袈裟なことを言いながら、がっくりと項垂れてしまった。

 悪夢だなんて、それほどテストが嫌いなのか。そんなことを思っていると、恵理子ちゃんが彼に歩み寄り、その肩をぽんぽんと叩いた。彼がふっと顔を上げる。

「まぁ安心しなよ、岸本。実はわたしも赤点、取ったんだ」

「南、おまえも……?」

 仲間を見つけたことが嬉しかったのか、心なしか彼の表情が柔らかくなった気がした。今のわたしには見える。この二人の間に走る赤く眩しい絆が。

「それに、わたしたちには心強い味方がいるから」

 そう言うと、恵理子ちゃんはこちらを見る。後に続くように、岸本くんもこちらに目を向けた。わたしは、はて、と小首を傾げていると、

「今度わたしたちで追試合格に向けての勉強会をしようって話になってて、鈴ちゃんが先生役なんだけど、岸本も一緒にどうかな?」

「え?」

「え?」

 予想外の展開に、わたしもつい声が漏れてしまった。岸本くんも若干の戸惑いがその表情から読み取れた。

「えっと、誘ってくれたのは嬉しいんだけど、俺は遠慮す――」

 彼が何かを言おうとしたが、途中で言葉が途切れる。彼は顔を歪め、まるで痛みに耐えているかのよう。どうしたんだろうと小首を捻るが、一方で恵理子は、

「別に用事とか無いんでしょ? 追試も落としたらヤバいし、一緒に勉強したほうがいいんじゃない?」

 と少々高圧的な口調で言った。それを受けてか、岸本くんがちらりとこちらを見た。

「あ、その……園田さん、邪魔じゃないかな? 俺がいて」

「え~? 全然邪魔じゃないよね? 鈴ちゃん」

 と、恵理子ちゃんが眩しい笑顔でわたしに同意を求めてきた。そんなことを言われてしまっては『はい』と頷くほかあるまい。

「も、もちろんだよ! むしろ人数多いほうが楽しいから!」

 そう言って笑ってみせると、安心したように岸本くんの顔がほころんだ。

「じゃあ、俺も参加させてもらおうかな」

「うん、決まりね!」

 という流れで、わたしたちの勉強会に岸本くんも加わることとなった。


 ***


 恵理子ちゃんや岸本くんたち追試受験者に与えられた時間はおよそ一週間。その間に頑張って勉強し、追試に合格しなければならない。その課題を達成するべく、わたしたち三人は学校の近くの図書館に来ていた。

「ひゃぁ~、人が多いねぇ」

 恵理子ちゃんが当たりを見渡しながら声を漏らした。額に滲んだ汗が日光に輝いていた。

 土曜日の午後一時。晴天に恵まれ、ここまでせっせと自転車を漕いできたけど、梅雨の間の晴れの日、むしむしした暑さがわたしたち三人を苦しめた。ハンドタオルで額や頬を伝う汗を拭うわたしの隣で、岸本くんがペットボトルの水をぐいぐい飲んでいた。

 因みに、二人とも「追試に合格するまで部活には顔を出すな」と顧問の先生から言われているそうだ。つまりは、部活にかまけてないで勉強に集中しろってこと。二人とも大変だ。部活に復帰した後も、追試のことで弄り倒されるに違いない。

 そんなことを思いながら、足音の溢れる図書館のエントランスを見渡す。こんなにも暑いのに、図書館には多くの人が行き交っていた。心なしか親子連れが多い気がする。普段は休日でもこんなに人はいないはずなのに、と思っていると、入り口付近に展示会案内のパネルを発見した。どうやら近くの小中学生たちの作品を展示しているようだ。あぁ、なるほど、と心の中で手を打った。

「さ、早く中に入ろう。ここじゃ暑くて溶けちゃうよ」

 そう言って先陣を切るのは恵理子ちゃん。早足で入り口へと進む彼女の後ろを、わたしと岸本くんが続いた。

 辿り着いたのは、図書館内の一画に設けられた雑談スペース。広い空間に四角い背の高い机がポツポツと立ち、その周りに四脚の椅子が配置されている。いくつかの席は埋まっており、女子学生たちや男女のカップルたちが談笑をしていた。

「んじゃ、テキトーに座ろっか」

 そして、わたしたちは手近な席に腰掛けた。空調の利いた館内は程よく涼しい。外の熱気と疲労から解放されたわたしはほっと息をついた。

「それにしても、結構人が多いな。今日って何かあったっけ?」

 右隣に座る岸本くんがうちわで首元を扇ぎながら言った。わたしは入り口付近で見つけた案内パネルのことを思い出す。

「なんか、作品を展示してるみたいだよ。近所の小中学生の。どんな作品かは知らないけど」

「へぇ~そうなんだ。じゃあ、ちょっと見てこようかな」

 そう言うと、岸本くんは席を立とうと椅子から腰を浮かす。しかし、そこで恵理子ちゃんが彼の腕を掴んでそれを阻止した。

 岸本くんが微妙な顔をした。

「な、なんだよ……?」

「岸本ぉ、まさか逃げる気じゃないよね?」

 恵理子ちゃんは鋭い眼光を岸本くんに向ける。しかし、その口元は笑っていた。

「ま、まさか! ただちょっと気になっただけで、すぐ戻るから……」

「ダメ! わたしたちは勉強をしに来たんだから。見て回るのはそれが終わった後でもいいでしょ? それに、わたしたちに付き合ってくれてる鈴ちゃんの迷惑になるし」

「え? わ、わたしは別に……」

 急にわたしの名前を話題に挙げられ、若干戸惑ってしまう。わたしとしては、先に展示物を見て回ってもいいんだけど。そう思うわたしとは裏腹に、恵理子ちゃんはどうしても勉強を優先したいらしい。きっと、追試でそれなりに焦っているのかもしれない。

「とにかく! 勉強するよ勉強! 先生、お願いします!」

 話題を強引に締め、岸本くんを座らせると、恵理子ちゃんが仰々しくわたしに頭を下げた。それに倣い、岸本くんも「お願いします」と頭を下げた。

「えと、お願いします……」

 どう返せばいいか分からず、わたしも同じく頭を下げた。




「あんまり難しい問題は、流石にわたしも分からないよ?」

 あらかじめ釘を刺しておいたけれど、先生役を演じる以上、訊かれた問題には答えなければならない。追試だからそこまで難しい問題は出題されないはずだけれど、二人がわたしに視線を向ける度にわたしの分かる問題でありますようにと密かに心の中で祈っていた。

「鈴ちゃん、この問題なんだけど……」

「園田さん、この式変形ってどうやんだっけ?」

 二人の質問に必死に答えていると、気付けば既に二時間が過ぎていた。こんな長い時間勉強に集中する二人の姿には素直に感心する。二人とも勉強は嫌いなほうだろうに、それほど真剣なんだろう。だから、わたしも出来る限り二人の力にならないと。

 そう心の中で自分に喝を入れると、真向いに座る恵理子ちゃんが両腕を上げて伸びをした。

「ん~~っ! はぁ、疲れたぁ~」

 恵理子ちゃんのノートを見ると、どうやら問題に一区切りがついたらしい。

「お疲れさま」

 声を掛けると、彼女は少しはにかんだ。

「でも、まだまだ終わりじゃないよ。……それより、ちょっと席外すね」

 そう言って席を立つと、岸本くんが恵理子ちゃん横顔に向かって、

「もしかして、勉強が飽きたから、散歩がてら展示でも見てこようって?」

 と邪推した。それが冗談と分かっていたからか、恵理子ちゃんも適当にあしらう。

「違うに決まってるでしょ? トイレよ。まったく、岸本じゃないんだから」

「あはは」

 二人のやり取りを見て、つい笑ってしまった。それにつられるように、二人も笑った。

「じゃあ、ちょっと行ってくるね。岸本も、しっかりやるのよ?」

 恵理子ちゃんの言葉に、岸本くんは右手を挙げて答える。そして、恵理子ちゃんはわたしたちに背を向けて人の行き交う波の中へ消えていった。

 恵理子ちゃんが席を立ってから、急に空気が気まずくなった気がする。男子と二人、同じ席に着いて。あぁ、意識し始めた途端に手汗が。

 謎の緊張を覚えながらちらちらと岸本くんを見る。彼は彼でこちらに気付くことなくノートにシャーペンを走らせ続けている。周りの靴音と雑談の声がうるさく感じた。

 あぁ、恵理子ちゃん、早く帰ってこないかな。そう考えていたとき、岸本くんの動き続けていた手がピタリと止まった。ふと、視線が彼の方へ向いた。

「なんか俺、情けないよな……?」

「え……?」

 急にポツリと呟いた。視線を向けると、彼はノートへ俯きながら、遠くを見るような目をしていた。

「きゅ、急にどうしたの?」

 言葉を掛けると、彼は一つ息をはいて続けた。

「テストで赤点とって、今はこうして必死に勉強してる。勉強してる理由だって、ただ追試をパスしたいから。余計な補習を受けたり、留年するのが嫌だから。これが自分から自分の将来のためにする勉強だったらいいよ。けど、俺がしてるのはそれじゃない。……赤点を取ったってことだけでもダサいのに、一緒に一緒の授業を受けてたはずの人に勉強を教わるなんて……俺、情けないよな?」

 彼は伏し目がちな顔でこちらを向いた。いつになく弱気な岸本くんだった。

 何か言葉を返そう、とわたしは口を開く。けれど、言葉が出なかった。自信なさげな彼に掛けられる言葉が思いつかなかった。今の彼に中途半端な言葉は効かない。わたしは彼との過去の出来事から、会話から、必死に言葉をさがした。

 しばしの沈黙が流れる。具体的にどれ程時間が経ったかは分からない。けれど、周りにこだまする雑音がわたしの心を急がせた。

「わたしは……」

 そして、ようやくわたしは言葉を見つけた。

「わたしは知ってるよ? 岸本くんが人一倍努力家なの。いつも見てたから、部活で頑張ってるところ。一番声を張り上げて、一生懸命グラウンドを駆け回って汗を流してる姿、見てたから。だからわたし、岸本くんのことを情けないなんて思わないよ。だって、それ以上にかっこいいところ、いっぱい知ってるから」

 わたしはただ、彼の力になりたいと思った。その思いの前に、本音も建前もない。

「だから、自分のことを情けないだなんて言わないで? 本人がそんなこと思い始めちゃったら、いよいよ本当に惨めな気分になっちゃうよ」

 そして、わたしは彼に笑いかけた。彼が少しでも安心できるように。

 わたしの言葉を聞いたからか、彼も笑っていた。

「ははっ、何か恥ずかしいな。でも、ありがとう、そう言ってくれて……」

 そして彼は笑ったまま、自分の問題集とノートをわたしに見やすいように向きを変えて、こう続けた。

「弱音を聞いてもらった後でなんだけど、ここの問題のここで詰まってて……」


 ***


 一週間はあっという間に過ぎてゆき、気が付けば二人の追試の日がやってきた。

 放課後、とある空き教室で追試を受ける二人をおいて帰るに帰れなかったわたしは、隣の教室で二人の追試が終わるのを待った。

 半ば上の空で家から持ってきていた本を読み進めていると、教室のドアがガラリと開かれた。振り向くと、そこに立っていたのは恵理子ちゃんと岸本くんだった。どうやら知らない間に結構時間が過ぎていたらしい。

 二人に駆け寄り、追試の結果を訊くと、二人とも何も言わずにピースサインをした。その二人の顔はとても晴れやかだった。

 その反応はつまり、追試に合格したということ。嬉しくなり、わたしも二人に笑顔でピースサインを返した。

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