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05 放課後アクシデント

なんだこのぽっと出の野郎は

 これは、梅雨を目前に控えたある日のこと。

「じゃあ,またね~」

「うん、また明日」

 放課後、恵理子ちゃんと別れたわたしは、だんだん馴染めてきた教室を後にし、オレンジ色の差す廊下を一人で歩いていた。あたりの教室にも廊下にも、他の生徒たちの声が溢れていた。

 バレー部に入った恵理子ちゃんは今日も部活。わたしはいつものようにバイトがある。なので、あまりこの喧噪の中に浸っている時間はない。

 賑わいを掻き分けて進み校舎を抜けると、今度はグラウンドから運動部の威勢の良い掛け声が生暖かい風に乗って響いてきた。あぁ、今日も運動部は頑張ってるなぁ。そんなことを思いながらグラウンドの隣の校門へと続く道を歩いていた。その時だった。

「危ないッ!」

 一際大きな声が後ろから届いた。一体何事かと後ろを振り向こうとしたその瞬間、

「あがッ!?」

 タンッ! という音と共に、後頭部に凄まじい衝撃が走った。世界がくるりと回転し、気付けばわたしは地面に横向きになって倒れていた。

 一体何が起こったのかまるで分からなかった。混乱する頭のまま動けないでいると、向こうから一つの人影が走り寄ってくるのが見えた。

「だ、大丈夫!?」

 逆光になっていたせいで顔はあまり見えなかったけど、そのハキハキした声から男子だと分かった。彼は少し背をかがめて手を差し伸べてきた。その手を、わたしは半ば無意識に取った。

「あ、ううん……だいじょうぶ、です」

 次第に思考が明確になるにつれ、何かに当たったところがジンジンと強く痛み出した。そこをもう片方の手を押さえつつ強がる。それがより一層彼を不安にさせたみたいだった。

「と、とりあえず保健室に行こう」

 そして、彼はわたしの手を引いた。彼の歩みに合わせるようにわたしも足を前へと出そうとしたが、上手く足に力が入らずバランスを崩してしまった。

「あっ……」

 そして今度は、気付けばわたしの体は彼の腕に優しく抱きとめられていた。

「園田さん、本当に大丈夫? 歩くのが辛いなら負ぶろうか?」

「じゃあ……お願いします」

 わたしは彼の言葉に甘えることにした、がここでわたしはふと思った。どうして彼はわたしの名前を知っているのだろう、と。そこでのっそりと顔を上げれば、見覚えのある顔が。切れ長の目、ツンツンした髪、きりりとした眉。爽やかな印象を受けるその整った顔には、幾つもの汗が伝った後があった。

 そうだ、思い出した。この人はクラスメイトで、名前は確か……

「お~い、岸本ぉ~、大丈夫かぁ~?」

「すみません、この人を保健室に連れて行きますんで、少しの間抜けます!」

 遠くから届くその声に、岸本くんはよく響く声で答えた。そして彼はわたしから手を離すと、わたしに背を向けてじゃがみ、

「さ」

 とだけ言った。

 男子の大きくて広い背中。わたしはそれに、一時だけ自分の身を預けることにした。




「軽い脳震盪ね。一時的に目眩があったみたいだけど、今はもう大丈夫。心配ないわ」

 保健の先生は、そう言ってニッコリと笑った。それを聞いて、わたしよりも岸本くんのほうが安心したように胸を撫で下ろしていた。

 あの時、結局何が起こったのかというと、隣のグラウンドから飛んできたサッカーボールが、見事わたしの頭に掠めるようにして当たったらしい。それで、サッカー部員の一員である岸本くんがいち早く駆けつけてくれたのだった。わたしは、今はもう大丈夫。さっきはまともに歩けないくらいだったけど、もう真っ直ぐ歩けるくらいに回復した。

「あぁ、本当に良かった。もしもこれが大事になったら、俺……」

「もう、岸本くんは大袈裟だなぁ。サッカーボールが当たっただけで」

 わたしたちは顔を見合わせた。そんなわたしたちに、先生が念のためと口をはさんだ。

「でも、園田さん、今日のところは安静にしていなさい。早く家に帰って休むことよ。それと、もしまた調子が悪くなったらすぐにここに来るか、病院に行くこと。分かった?」

「わかりました、そうします」

 そう答えると、保健の先生はニッコリと笑った。

「では、わたしたちはこれで失礼します」

 そのきれいな笑顔に見送られ、わたしは岸本くんと共に保健室を後にした。

 グラウンドまでの道のりを、岸本くんと並んで歩いた。お互い何も言わず、人ひとり分の間隔を空けて。顔と名前を知っていただけの間柄だったから、わたしはなんだか気まずく思っていた。それは彼も同じだったに違いない。

 そして、そのままお互い何も言わないままグラウンドに到着した。さっきよりも更に傾いた夕日がわたしたちをオレンジ色に染めた。

「じゃあ、俺は部活に戻るよ。……さっきのこと、本当にごめんな」

 自分があのボールを蹴ったわけでもないのに、それだけ言い残し、彼はサッカー部の仲間のほうへと走っていった。その背中に小さく手を振っていると、彼は一度だけ振り返り、大きく手を振り返してくれた。逆光で彼の表情は見えなかったけれど、きっと笑顔だったと思う。そして、一しきり手を振り交わすと、彼は背中を向けて走り去っていった。

「……わたしも帰ろっと」

 わたしもまた、正門へと続くこの道で一歩足を踏み出した。本当は今日もバイトがあったけど、先生もああ言ってたし、申し訳ないけど休みにさせてもらおう。


 ***


「鈴ちゃん! 鈴ちゃんってば!」

「――ッ!?」

 名前を呼ばれたわたしははっと我に返る。目の前には弁当箱を片手に持った恵理子ちゃんが立っていた。そっかぁ、もう昼休みか。

「ごめん、気がつかなくって。ちょっとぼぉ~っとしてた」

 手を合わせてごめんねのポーズをとると、恵理子ちゃんがずいっと顔をこちらに寄せてきた。その表情は面白いものでも見つけたみたいにニヤついている。

「な、何……?」

 引き気味に訊ねると、恵理子ちゃんは目を細めて口角をさらに上げて言った。

「ねえ、さっきまで誰を見てたの?」

「誰って……誰のことも見てなかったよ」

 誰を見ていた訳ではない。本当にぼぉ~っとしていただけのつもり。けれど、今言ったばかりの自分の言葉がとても言い訳がましく思える。それは彼女もそう思うらしく、ふぅ~んと二、三回こくこくと頷きながら、わたしの目を向けていた方を向いた。そして顔をこちらに戻すなり、彼女はニタニタしながら口を開く。

「んん~そっかそっかぁ。でも、そう言う割には結構な時間見つめてたよ?」

「見つめるって、誰を?」

「岸本」

 言われ、もう一度視線をそちらへ向ける。そこには、岸本くんを含めた4人の男子のグループが席を占めていた。

 本当だ。岸本くんだ。そう思った瞬間、背中をパンと軽く叩かれた。恵理子ちゃんに。

「そうなんだ~鈴ちゃんはああいうのがタイプなんだね? へっへっへ、分かるよ、岸本イケメンだもんねぇ」

 恵理子ちゃんがおじさんみたいな気持ちの悪い喋り方をする。そんな彼女から顔を背け、自分の弁当を用意しながら何とか誤解を解くための言葉を探す。

「いや、そういう訳じゃ……そもそも、なんで岸本くんを見てるって思ったの? 他にも男子はいるのに」

「え? 違うの? じゃあ誰を見てたの? 誰が好み?」

「えと……」

 恵理子ちゃんはわたしのこと、なんとしても男子に惚れてるってことにしたいのか? 末恐ろしい。これが所謂恋愛脳というヤツなのか。

 とにかく、この状況に陥ってしまったからには徹底的に無視を決め込み、相手が諦めて話題を変えるのを待つしかない。そう思いつつ、ちらりと再び男子グループへ視線を向けると、こちらの視線に岸本くんが気付いたようで、軽く手を上げて「よっ」のポーズをとった。

「ん~~ッ!!」

 隣で小さな悲鳴が聞こえると共に背中をパシパシと叩かれた。

「ほら、岸本もこっち見たよ! これは脈アリなんじゃない!? こんな急に視線を交わす仲になるだなんて。もしかして岸本と何かあった?」

 いつになくハイテンションだなぁ。それにしても、『何か』ね。別に恋愛とかに結びつける訳じゃないけど、あるとするなら……

「昨日、ちょっと放課後に会っただけだよ。別に恋愛とか、そんなのじゃないから」

 そう、顔見知りの二人がちょっとした切欠で会って、少し言葉を交わしただけ。その直後だから、お互いのことが少し気になるのかもしれない。わたしが無意識に岸本くんの方を見ていたとするのなら、きっとそれが理由だ。

「だから岸本くんのこと、そういう目で見てたわけじゃないから」

 と釘を刺しておく。けれど、わたしの言葉にまるで耳を貸さない恵理子ちゃんはニンマリした顔でわたしの二の腕を突いてくる。

「またまた~そんなこと言っちゃってぇ。正直になっても良いんだよ? わたし、あいつと中学一緒で仲も良かったから、もぉ~しアレだったら二人の仲を取り持ってあげてもいいよ?」

「……はぁ」

 付き合うのがのがなんだかバカらしく思えてきた。

 恵理子ちゃんの言葉を無視し、わたしは弁当を広げる。自分のお手製だ。

「もぉ~ちょっとぉ、無視しないでよぉ」

 その言葉すら無視し、わたしは卵焼き一切れを口に運ぶ。ふんわりした食感の中から仄かな甘みが口いっぱいに広がった。




 その日の放課後、

「んじゃ、わたし部活に行くから!」

 そう言うなり、恵理子ちゃんはそそくさと教室を出て行ってしまった。わたしもこの教室に居る理由はないので、荷物を掴んで教室を後にする。

 騒がしい廊下を抜け、昇降口で靴を履き替え、さあバイト先へ行こうと心の内で意気込んだその時、

「園田さん」

 と後ろから声を掛けられた。はっと振り返れば、そこには一つの背の高い影が立っていた。岸本くんだった。

「なに? 岸本くん」

 返事を返すと、彼は二、三歩歩み寄ってきた。その目は若干伏せがちで、差し込む西日のせいか顔に影が落ちていた。

 彼はまるで言葉を探すように視線を右へ左へと泳がせる。

「その、昨日のこと、もう一度謝りたくて。昨日はほんとにごめん。あれからどこか痛んだりしなかった?」

 そして彼は、昨日と同じく優しい言葉をかけてくれた。

 そっか、いろいろ心配してくれてたんだ。なんだかちょっと申し訳ない。わざとやったわけでもなければ、自分のせいでもないのに。

「大丈夫だよ。岸本くんのおかげでね。心配してくれてありがと」

 そう言うと、彼は安心したように強ばっていた表情がほころんだ。

「あぁ、それはよかった。ははは、こんなとこで呼び止めて悪かったな。教室じゃあ、ちょっと話しかけ辛かったから」

 話しかけられなかったのは、わたしがいつでも恵理子ちゃんと一緒に居たからかな? 確かに、逆の立場だったらわたしも声かけられないかも。

 そんなことを思っていると、背後から元気な掛け声が響いてきた。運動部の声だ。そこでわたしははっとする。

「岸本くん、部活行かなくていいの? もう始まってる時間じゃない?」

 そう訊くと、

「あぁ、今日は休みだよ。グラウンドをサッカー部と野球部で使ってるんだけど、さすがに同時には使えないから、どの日に練習するかあらかじめ決めてあるんだ。今日は野球部の日」

 と答えながら彼は上履きから靴へと履き変える。

 ところで、と彼が再び話を切り出した。

「園田さんはこれから帰り?」

「帰り、というか、これからバイト先に」

「そっか、バイトしてるんだ。じゃあさ、途中まで一緒に帰らない?」

 急なお誘いに若干戸惑うわたし。ほとんと知らない相手。しかも男子。できれば長い時間一緒には居たくない。だって、きっとあまり話せなくて気まずくなる。そう直感し必死に頭を捻るけれど、結局断る理由を見つけられなかったわたしは、

「う、うん、いいよ」

 と答えるしかなかった。




 静かな裏道。沈んでいく真っ赤な太陽と、真っ赤に染まる岸本くん、そしてわたし。

 わたしたちは微妙な距離感を保ちながら言葉を交わした。自分たちの中学の話や今の生活の話、岸本くんの部活や、わたしのバイトの話とか。決して弾みはしなかったけど、まぁあまり緊張せずにごく普通の会話をしていたと思う。でも、わたしが自分のバイトの話をしたときに「じゃあ今度その喫茶店に行ってみようかな」と冗談紛いに言われたときは流石に言葉を失った。ハルちゃんでもあんなに恥ずかしかったのに、クラスメイトにあの姿を見られたらわたしはどうなってしまうのだろう。

 そんなこんなで時は過ぎ、わたしたちはそれぞれの道を行くことになった。

「じゃあ、園田さん、また明日、学校で」

 岸本くんが去り際に言ったその言葉が、しばらく耳から離れなかった。それはきっと、男子にそんな言葉を掛けられたのが初めてだったからだ。


 ***


「ただいま~」

「おかえり、リンちゃん」

 バイトを終えて家の玄関の扉を開くと、廊下の先の居間からハルちゃんが顔をひょっこりと覗かせた。そのニッコリした表情を見ると、わたしの心が少し軽くなるような気がした。

「リンちゃん、なんだか今日はお疲れね」

 居間に入るなり、ハルちゃんが心配そうな目でそう言った。確かに今日はいつになく疲れている気がする。その理由はきっと、

「あぁ、うん。今日はちょっと、慣れてない人といろいろ話してたから」

 そう、岸本くんのせいだろう。友達じゃないどころか性別まで違う。そういう人と話すのは緊張すると言うか、何だか心が縮こまってしまう。

 大きく息をつきながらソファに腰を落とす。そしてふかふかの背もたれに体を預けていると、背後からハルちゃんが首元に腕を回してきた。

「リンちゃんは相変わらずの人見知りさんだね」

「……」

「昔はそんなことなかったのに」

 それは、自分でも分かってるよ。昔のわたしはもっと社交的だった。だからこそ、はじめましてのハルちゃんをよく遊びに誘ったのだ。でも、今のわたしにそんな度胸はない。他人と関わろうとすらあまり思わない。

「……十年以上も経てば、人は変わるよ」

 ポツリと呟き、首を反る。逆さに見えたハルちゃんの顔は、少しだけ悲しげだ。

「そんなことない、と思うな。わたしは……」

 ハルちゃんの薄紅色の可愛い唇が、弱々しく言葉を紡いだ。

ちなみち、作者は脳震盪エアプです

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