17 紅葉ラバーズ
紅葉は赤くその身を染めたのに、あなたへの思いは変わることはない。ずっと眩しくて、ほろ甘くて、故にわたしの胸を締め付ける。
「貴女のことが好きです! 園田さん!」
沈み行く夕日の赤に染まった空に響く声。それは、わたしを仮想の世界から強引に現実へと引き戻した。
放課後の、学校の近くの公園。数日前から続いた劇の練習の最中に、わたしは唐突に愛を告げられた。
「……え?」
思いもよらぬ岸本くんの言葉に、ついきょとんとしてしまう。さっきのは、果たしてわたしの聞き間違いかと。
しかし、その予想は外れたらしかった。それは、岸本くんの様子を見れば一目瞭然だった。
「あ、いや待って。いまのは違くて、ああ、違うってのはそういうことじゃなくて……え、えと……」
この慌てふためきようからして、やはり聞き間違いではないようだ。
ふと、手元の台本へ視線を落とす。場面は、兵士が始めて姫に自分の思いを伝えるシーン。そしてそこには『貴女のことが好きです! 姫!』というセリフが。
なんだ、どうやらセリフを間違えちゃっただけみたい。つい、姫ではなくわたしの名前を呼んじゃったか。
内心酷く驚いていたわたしも、ほっと胸を撫で下ろす。
「もぉ、ヘンなこと言わないでよね? からかってるの?」
と、少し茶化すようなことを言って場を和まそうとした。すると、岸本くんの反応は以外なものだった。
「そんな! からかってない! 俺は本気で――」
「……本気で……?」
岸本くんは、しまったといった表情になった。まるで、言ってはいけないことを言ってしまったかのような。
風が二人の間を吹きぬける。岸本くんの持つ台本のページが、パラパラと捲られる。
「……」
しばらくの沈黙の末、岸本くんは唇を引き結び、真っ直ぐにわたしの目を見る。覚悟を湛える彼の目に、わたしも思わず背筋を伸ばす。
「園田さん。俺、ずっと君に伝えたいことがあったんだ」
「……なに?」
心臓の鼓動が早くなる。ドク、ドク、と耳の奥でうるさく響く。
あぁ、わたし、きっと緊張してるんだ。だって、この次の展開は簡単に予想できるから。わたしの手元にある、台本の筋書きのように。
岸本くんは一度目を瞑り、深く息を吸い込む。そして、再び目を開けば、彼の眼光がわたしの目を射抜く。
「俺、ずっと……園田さんのことが好きでした!」
周りの木々がざわざわとうるさく鳴る。でも、岸本くんの声ははっきりと聞こえた。
「俺と付き合ってください! お願いします!」
彼は深く頭を下げ、そう告げる。それは、わたしにとって初めての言葉だった。
遠くで輝く夕日が、彼を赤く染め上げる。彼はずっと頭を下げたままだ。彼は待ってるんだ、わたしの返事を。
これは、チャンスだ。
誰かが、わたしにそう囁いた気がした。
これは、わたしが『普通』に戻れるチャンスだ。
『わたしたちはもう小学生や中学生じゃないんだよ? もう子供じゃない、立派な大人なんだから!』
ふと、恵理子ちゃんの言葉を思い出す。彼女に言わせれば、これまでのわたしは『普通』ではない道を歩んだことになるだろう。それを自分で律し、正そうとしてきた。年相応であるべきだと言われ、そうあろうと努めてきた。
そしてこれが、年相応の最たるもの。きっと彼は、わたしをみんなの言う『普通』に戻してくれるだろう。
「…………はい」
小さく、返事を返す。その瞬間、岸本くんがはっと顔を上げた。その顔は、驚きと不安、それと喜びが入り混じったような表情を湛えていた。
「ほ、本当に、いいの?」
聞き返す岸本くんに、わたしは微笑んで、
「うん、こちらこそ、よろしくお願いします」
と返せば、彼の表情はぱっと晴れた。
この日、わたしは岸本くんの彼女になった。
誰かと、まして男子と付き合うのは初めてだから、これからいろんなことを体験するんだろう。きっとどれも初めてで、どれも刺激的で、どれも『普通』なんだろう。
あぁ、これでいいんだ。甘い夢を見続けるのはもう辞めて、これからは『普通』の現実が、青春が待っている。
……ハルちゃんも、こんな青春を送ったのかな……?
岸本くんと別れた帰り道、夕日に向かって歩きながら、ため息を一つついた。
***
あの日、わたしがハルちゃんを拒絶した日以来、ハルちゃんはわたしに甘えることな無くなった。それまでは毎日のように一緒にお風呂に入ろうとか、暇だから構ってだとか言ってきたのに、それがいまではさっぱりだ。そうなると、自分が望んだことのはずなのに、やっぱり寂しい。そんな自分を慰めるために、これで良いんだと自分に言い聞かせる一方で、これで良かったのかと自問しない日は無かった。
心に霞が掛かったような、そんなすっきりしない日々が過ぎてゆき、今日は日曜日。秋も程よく深まり、木々の枝先は赤に黄、橙と、とっても色鮮やかだ。
「……今日は少し寒いかな」
窓の外を見ながら一人呟く。手元には、外出用のショルダーバッグ。今日はこれから、岸本くんとの何度目かのデートがあるのだ。
バッグに必要なものを詰め、クローゼットから何着か服を引っ張り出す。まあ、デートはデートだ。できるだけオシャレはしないと。目の前に並べた服を上から眺め、その中から順に手に取っていく。白いニットに、橙のスカート、そしてねずみ色の薄手の上着。紅葉の下を歩くなら、こういう落ち着いた色が良いかな。
「よし」
服も決まったところで、部屋着から選んだ服に着替えて準備は万端。さあ行こう、と寝室を後にする。
「ん? リンちゃん、今からお出かけ?」
居間でソファに座ってテレビを見ていたハルちゃんが、わたしの気配に気がついたのか、こちらを振り返った。ハルちゃんといえば、まだパジャマのまま。いくら日曜で休みだからって、その服装で一日を過ごすのはどうかな。
「うん、友達とちょっとね」
そう返事を返し、玄関へ向かう。いつもなら、このまま「いってらっしゃい」と送り出してくれるのだけど、しかし今日は少し違った。
「ふぅ~ん……ねぇ、リンちゃん。その友達って、どんな子?」
「え?」
どんな、という唐突で漠然とした質問に、わたしは言葉を詰まらせる。
固まるわたしを見て、ハルちゃんが少し目を細めた気がした。
「……その友達って、もしかして、彼氏さんだったり?」
「そんなはず無いじゃん!」
二つ目の質問に、気付けば反射的に答えていた。まるで、答えが既にわたしの中に用意されていたみたいに。
自分の口から出た言葉にはっとする。岸本くんはわたしの彼氏。あの日からわたしたちは恋人のはず。なのに、反射的に彼を彼氏として認めなかった。その事実が、わたしを混乱させた。
「ん~そう、まぁいっか。いってらっしゃい。気をつけてね」
と、興味を失ったように、ハルちゃんは再びテレビへ向いてしまった。わたしもまた、ハルちゃんに背を向けて歩き出す。複雑な気持ちを胸に抱いて。
「うん、行ってきます」
玄関のドアノブを回し、金属の扉を押し開ける。その瞬間、冷たい風が頬を、髪を撫で上げる。
あぁ、今日は少し暖かめの服を選んで正解だった。北風に吹かれながら、一人安堵した。
「おはよ~!」
待ち合わせの駅に着くと、そこには既に岸本くんが待っていた。柱にもたれて壁に貼り付けられているポスターを眺める彼に、朝の挨拶を送る。
「あ、おはよう、園田さん」
わたしに気付いた彼は、笑顔でわたしを迎える。わたしも、彼に倣って笑顔を作る。
「ごめんね、待たせちゃったかな?」
「ううん、俺も今来たばかりだから」
そんなテンプレートな会話を挟みつつ、ふと岸本くんが遠くへ目線を送る。
「それにしても、今日は少し冷えるね。園田さんは寒くない?」
「うん、わたしは大丈夫だよ」
それとなく気を遣ってくれたのかな。
暖かめの服装を選んだわたしとは逆に、岸本くんはこの気温には少し薄手の服装だった。まあ、歩いていれば体も暖まるだろうから、大丈夫だとは思うけど。
「じゃあ、そろそろ行こうか。もうすぐ電車が来るよ」
と言うと、岸本くんは財布を取り出し、中から何かを引き抜いてわたしに差し出す。それが何かと思えば、今日のデート先までの切符だった。
「はい、これ。先に買っておいたから」
笑顔でそう言う彼に、わたしは一歩引いてしまった。
「い、いやいや、自分の分は自分で払うって! そんな、奢ってもらったら悪いよ!」
「いいって、奢るとか、そんなこと気にしなくても」
急いで財布を取り出そうとするも、岸本くんが言葉でそれを止めようとする。
何だろう、このすっごいもやもやする気持ち。人にお金を使われるのって、なんか嫌だ。彼はああ言うけど、やっぱり自分の分は自分で払いたい。わたしだってバイトしてお金はあるんだから。
しかし、そんな押し問答をしていると、ホームからベルの音が聞こえてきた。わたしたちが乗る電車の到着を知らせる音だ。
「ほら、電車が来たよ。急いで」
「うぅ、分かった」
仕方なく、渋々切符を受け取り、改札を通る。急いでホームへの階段を駆け下り、ギリギリのところで電車に飛び乗った。
はぁ、と一息つく二人。電車は幸いにも空いていて、わたしたちはすぐに座席に座ることができた。
電車に揺られながら、わたしはもやもやした気持ちを持て余す。とても小さいけど、ずっと心に残るこの感じ。まるで、魚の小骨が喉に引っかかっているような感覚。
そう、人に借りを作ってしまった感覚だ。
「さっきはありがと。切符、先に買っておいてくれてて」
「あぁ、別にいいよ。気にしないで」
そう言われて気にせずにいられたら良かったんだけど。わたしにはそうすることは出来なかった。
「ううん、気にするよ。こういうのって、何か落ち着かない。不公平って言うか……」
「不公平……?」
岸本くんはきょとんとしている。それに構わず、わたしは続ける。
「だから、帰りの切符はわたしが払うから。これでおあいこ。いいね?」
「……わ、わかったよ」
彼は納得のいかないといった顔で小さく頷いた。
「わぁ……きれいだね!」
目的地に着いたわたしは、目の前の景色に思わず声を漏らした。
それは、鮮やかに彩られた山の連なり。赤に黄に橙と、この季節を代表する色に染まった自然の姿。
「やっぱり人が多いなぁ」
隣で岸本くんが呟く。確かに、辺りには見渡すばかりに人の波。それも、若いカップルや親子連れが多いようだった。
この中では、わたしと岸本くんも恋人同士だって思われるんだろうか。……いやいや、何を言っているんだわたしは。わたしたちは思われるも何も、元から恋人同士のはずじゃないか。
「じゃあ、行こうか」
「う、うん!」
彼の声に現実に引き戻されたわたしは、遅れないように彼の後に続く。
ここは、この辺りでも有名な紅葉の名所。予想通りの人の数と、予想を超えるその美しさ。彩りの中を行くわたしは、終始その色に目を奪われていた。
地元にももみじはあるけれど、やはり名所は違う。数が多いってこともあるかもしれないけど、一つ一つが本当に目を引く美しさだ。地元のような、目の端に映るものとは違う。
……こんなに綺麗な景色を、ハルちゃんにも見せてあげたいな。
そういえば、こうして紅葉を見るのは今年初めてだ。まだ、ハルちゃんとも行ったことはない。
ふと、気持ちが落ち込む。
「どうしたの? 園田さん」
「……え?」
気がつけば、岸本くんがわたしの顔を心配そうに覗き込んでいた。
「もしかして、具合が悪いとか……」
「全然、元気だよ! ちょ、ちょっと考え事してただけ! もぉ、岸本くんは心配症だなぁ!」
そして、誤魔化すようにしてわたしは歩き出す。少し遅れて、岸本くんもついてくる。
全く、わたしは何を考えているんだ。これでいいんじゃないか。これが『普通』てものでしょ? クラスのみんなだってそうのはず。女の子同士で紅葉なんて見ないよ。
だから、これでいいの。これが『正常』。なんたってわたしは今、青春をしているんだから。
それから、紅葉を一通り楽しんだわたしたちは、とあるお土産ショップに立ち寄っていた。
そこには紅葉をモチーフにした様々なお菓子から小物、アクセサリー、ガラス細工なんかまである。多種多様な商品の列の間は多くの人で賑わっているが、わたしもまた、その中の一人だった。
折角こうしてデートに来たんだ。何か思い出になるものでも買って行こう。やっぱ、お菓子みたいに無くなっちゃうものより、小物やアクセサリーのほうが思い出の品としてはいいよね。
そう思い、アクセサリーコーナーを物色する。やはり紅葉のシーズンだからか、こちらも紅葉をモチーフにしたものが多い。ネックレスにイヤリング、ヘアピン。それらが赤や橙の紅葉で見事に彩られていた。
そんな中、一際わたしの目を引いたのは、一本の簪だった。赤に薄い橙、まだ移ろいきっていない葉など数枚が垂れている様は、今日見てきた紅葉のような雄大さとは異なり、美しさと同時に妙な哀しさを感じる。それが、一層わたしの興味を引くのだ。
これをハルちゃんが付けたらどうかな。ハルちゃんはロングヘアじゃないから難しいかもしれないけど、これを付けたら、きっと素敵に違いない。普段は可愛らしいハルちゃんだけど、ちょっと大人っぽく見えたりして。あぁ、そんなハルちゃんもいいなぁ。
「それ、気に入ったの?」
「はうっ!?」
すっかり妄想に浸っていたわたしは、いつの間にか隣にいた岸本くんの存在に全く気付いていなかった。驚いたわたしは、危うく手に持った簪を落としかけた。
「あ、ごめん。驚かすつもりはなかったんだ」
「う、ううん、いいの。こっちこそごめんね、ちょっと考え事してた」
「……そっか」
その一瞬、岸本くんの顔が若干曇ったような気がした。
「それ、買うの?」
そう訊かれ、少しの逡巡の後、
「うん、そうしようかな」
と答えた。すると彼は、
「うん。それ、園田さんにすっごく似合うと思うよ」
と言って笑顔を作った。
レジを通してから、買った簪を空にかざしてみる。
……どうして、買っちゃったんだろう。今更、ハルちゃんに渡せないって分かってるのに。
太陽の光を透過して、紅葉の赤が目に眩しい。これを付けたハルちゃんも、今ぐらい眩しく映るのだろうか。
それを知る日は来ないだろう。その全ては、妄想の中の世界なのだから。
昨日投稿したと思っていたのですが、反映されておりませんでした。
不思議なこともあるものです。




