表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/25

でべそ王子の魔力がない理由

 鬱屈した雰囲気ではあるものの、エルストらはまず夕食をとった。この日はマーガレットが野菜をたくさん煮込んだハーブスープとパン、それからハムを振る舞ってくれた。エルストもベルも頬を大きく膨らませながら食べていた。

 夕食後、ベルとともに皿洗いを終えたエルストは、マーガレットだけを一階に残し、残るベル、プロトポロの三人とともに二階の床に円を組み座り込んでいた。アギも今回はサイドテーブルではなく床の上に置かれている。ランプのぼうぼうとした明かりが部屋を黄色く照らしている。


「エルストの体には不思議なところはないかね?」


 プロトポロはまずそう切り出した。


「魔力がないとか片目がないとかそういうものとは少し違うが、生まれつき体の一部がないとか、そういうことはないかね?」


 三人からの視線を一斉に受けたエルストはとても困惑しながら、ええっと、とヒゲを剃り落としたばかりの顎に指をあてる。


「わからない。小指とかは短いけど」

「短くても『ある』のだね。爪とかも? どれ」


 エルスト本人が差し出した両手指や爪の数はどれも不足してはいない。


「ではそれではないな。ほかに?」


 プロトポロは首を振ると、なにやらエルストが居心地悪そうに後頭部を掻き始めた。そこでベルが、なにか思い当たるんですか、と尋ねる。するとエルストは、やや唇を尖らせ、


「出べそ……だけど」


 と言った。これに「おっ」と声をあげ、すかさず茶化したのはもちろんアギである。


「ふふん。王子は出べそなんやぁ。やーいやーい、出ぇべぇそ!」

「うるさいな、そっちこそイボだらけの眉してるくせに。アギのイボ眉。イボドラゴン!」

「あーっ、エルスト様、いまイボをバカにしたーっ! 私も腰にイボあるんですよ、このくらいの」

「そうなの? ごめん、意外に大きいね」

「アギさんにも謝れーや!」

「ごめんってば! でも最初にバカにしたのはアギなんだからな!」


 これ見よがしに幼稚な口論を始めているエルストとベル、アギをよそに、プロトポロは、へそか、と顎に手をあてて考え始める。


「へそか。へそ……そうだな。へその緒はあるかね?」

「へその緒? そういえば、僕はへその緒がなかったって聞いたことがある」

「ではきっとそれだな」

「なにがだよ、プロトポロ?」


 身を乗り出したのはエルストである。


「母親が食べたのだろう」


 プロトポロは一切表情を変えずそう言った。エルストは顎を前に突き出しつつ、しばらくのあいだ、プロトポロの発した言葉の羅列が意味するところを考えた。そのとなりではベルが「食べた?」などと訊き返している。そんなエルストとベルに対し、プロトポロは詳しく説明していく。


「人間は『生きている人間の体の一部を食べると、その相手の魔力を奪うことができる』のだ。ある魔法を使えばな。エルストのあの母親はきっとエルストが産まれたとき、その魔法をかけ、エルストのへその緒を食べたに違いない」


 エルストはプロトポロが言い終わらぬうちにうつむいた。ベルは愕然とし、それ、ほんとなんですか、うそでしょ、と頬をひきつらせながらプロトポロに確認している。プロトポロは、真実だ、と短く述べたのだった。


「あッ、エルスト様!?」


 エルストが勢いよく立ち上がった。ベルが呼びとめようが、エルストにはどうでもよかった。エルストは無我夢中にはしごを下り、ダイニングを通り過ぎ、夜空が広がる外へと出る。事情を知らないマーガレットが何事かと追いかけてきた。


「エルストさん? どうなさったんですか!」

「う、げほっ。うッ……オエっ」


 隠れ家の外壁に片手をつき、うなだれて嘔吐しつづけるエルストの背中を、マーガレットはわけもわからずにさすってやる。

 せっかく食べた温かい夕食も薄汚い汚物となってしまったが、今のエルストにとって、胃袋の中によどめく得体の知れない恐れと母への失望感から解き放たれることだけが最優先すべきことだった。脱力したエルストは汚物の上でもかまわず地べたに倒れこんだ。かろうじて意識は保っている。


「エルスト様、大丈夫ですか?」


 エルストを探していたのだろう、当人を見つけたベルが黒いワンピース姿のまま現れた。後ろにはプロトポロも引き連れている。


「エルストさんはつい今しがた嘔吐なさって。とつぜんのことでしたが、いったい何があったのですか、ベルさん」

「マーガレットさん。それは……」


 先ほどプロトポロから聞いたそのままを、マーガレットに伝えてしまうのはベルにとって気が引けることだった。決して愉快な話ではないからだ。だからこそエルストは『こう』なっているし、ベルも、胃のあたりに不快感をおぼえている。


「プロトポロ」


 腹がすっかり空になったエルストは、天を仰いだまま呼びかけた。


「魔力を……取り戻す方法はあるのか?」


 ねばつく口もとを動かし、エルストは、自分が望んでやまないことを尋ねたのだった。ところが、プロトポロは何も答えようとしない。それについては知らないのか、あるいは、言うことをためらっているのか――


「ねえ、待ってエルスト様。食べることで魔力を奪えるんなら、魔力を取り戻すのも……」


 ベルはそこまで言いかけたのだったが、彼女が何を言おうとしているのかは、マーガレットをのぞき、エルストも、プロトポロにも理解できた。


「そんな……ウソだろ」


 エルストは片腕で目を覆った。プロトポロの無言が意味するところは、つまりベルの考えを肯定している、そういうことだろう。


「うぅっ……はあっ、うえッ」


 『人を食べる』という行為への得体のしれないおぞましさ、いや、おぞましいのかさえひょっとするとわからない未知への恐れと、そんなことがあってはいけないだろう、という自分の中の良識が胸の奥でせめぎあっている。もはや悲しいのかもむなしいのかも、気持ちが悪いのかさえ、エルストは自分の感情を正確に判断できていなかった。

 ただエルストは横を向いて胃液を吐いた。めまいがする。平常心ではいないことだけが、たったひとつエルストにわかる自分の現状であった。右目からは涙がこぼれている。泣いているのは、おそらく胸が苦しいからだ。


「エルスト様っ」


 夜に染め上げられた草むらの景色がまわる。ベルの声が遠くなる。エルストはついに気を失った。


 これは夢の中である。

 王城の広間が陽だまりに包まれている。真紅の絨毯が敷かれたフロアに、白いクロスが特徴的なテーブルが用意され、エルストは、両親や兄とともに昼食を囲んでいた。あたりにはメイドや執事がにこやかな表情を浮かべながら並んでいる。家族もまたエルストに向かって微笑んでいる。母の金髪も、父の白髪も、兄の瞳も懐かしい。

 エルストは手もとを見た。白い皿の上にチキンステーキが乗っている。つややかな飴色のソースがまとわりついている。


「おいしい、エルスト?」


 優しげな母に尋ねられた。


「うん、とっても!」

「そう、よかった。母さんのお肉、口に合ったのなら」

「え……」


 エルストはついフォークを落としてしまった。慌てて拾おうと腰を曲げる。すると、白かったはずのクロスに、赤く染まった箇所があるのを見つける。血だ。クロスだけではない。真紅だと思っていた絨毯でさえ、ぬめりけがあり、べちゃべちゃと濡れているではないか。動揺して視線を泳がせるエルストは、母のドレスのすそから、鮮明な血液が染み出ていることに気づいた。


「うあッ」


 体を大きく跳ねあがらせながら、エルストは午後の日差しに照らされる部屋の中でようやく悪夢から目覚めたのだった。舌を上あごに這わせる。肉の感触が残っているのではないかという懸念に襲われたからだ。しかしそこでエルストは我に返り、そんなもの、夢だったのだから残っているはずがない、と平静を取り戻した。

 ここは隠れ家の二階らしい。自分がどのくらい寝ていたのか、そもそもどうしてベッドに横たわっているのか、ここ隠れ家ではいつも床で寝ているエルストには何もかも不思議だった。誰の姿も見当たらない。その瞬間、まるで世界から置いてきぼりにされたような錯覚に陥る。

 だが錯覚は錯覚だった。直後に、隠れ家の外からベルの声が聞こえてきた。安心したエルストは窓から外を覗く。そのとき、左目に包帯が巻かれていることに気づいた。


「わっははははー! 泥ダンゴー!」


 豪快に笑うベルが外で何をしているかなどエルストにはわからないが、その表情からは楽しそうな雰囲気が伝わってきた。アギをかぶったベルは、小さく広がる畑を、マーガレットとプロトポロとともに踏んでいる。そこにプロトポロが加わっているというのが意外だ。彼は無表情を崩さず、どうやらベルから付けられたらしい泥を凝視している。


「ちょっとベルさん、遊んじゃいけませんよ。今日は種をまくんですから」


 三人は遊んでいるわけではなかったようだ。ストールを脱いだワンピース姿のマーガレットがベルに注意している。しかし、アギとともにいたずらっぽい笑顔を浮かべたベルは、なんとマーガレットにも泥を投げつけた。エルストはひやりとしたが、しだいに応戦を始めたマーガレットの姿にやや驚く。泥のひとつがアギのツノに衝突した。少女ふたりがめまぐるしい攻防を繰り広げるなか、プロトポロは畑に座り込み、黙々と泥を丸め始めていた。その様子にエルストは失笑した。


「ワシも小さいころよく泥ダンゴ作ったな~」

「アギ、前も同じこと言ってたよ」

「ありゃ、そうやったっけか、ベル? そりゃおまえに泥ダンゴ教えたのはワシやからな。こう、そのへんの山からチョチョイっと岩を削ってな、それを足でゴロゴロ転がしてくねん。けっこうデカなったで! この家よりかは確実にデカイ!」

「すごいです。ドラゴンってスケールが大きいんですねぇ」

「もっと褒めてや、マーガレットの姉ちゃん!」


 などとのんびり談笑している集団のもとへエルストが来るころには、みな全身泥だらけになっていた。畑の『うね』も踏まれ放題である。さわやかな風を味わいながら、エルストは、やあ、と声をかけた。


「あー! エルスト様、やっと起きたー!」

「おはようございます、エルストさん」

「ちゃうで、おそようやで、姉ちゃん」


 元気な少女ふたり組とアギとは異なり、プロトポロは、ごきげんよう、とおとなしく言った。


「具合はどうですか? エルスト様、おゲロしながら気絶しちゃったんですよ。おぼえてます?」


 ベルは手に付着した泥を払い落としながら言った。エルストは肩をすくめる。


「おゲロってなんだよベル、それで上品に言ったつもりなの? 具合はまあまあかな。迷惑かけてごめんね」

「んもう、大変だったんですからね。私が担いでベッドに運んだんですけど、気絶した人って案外重たくって……がむしゃらに運んでたもんですから色んなとこにぶつけちゃって、エルスト様の体にところどころアザができちゃってるかもしれません。えへへ、ごめんなさい。お着替えはプロトポロさんのお世話になっちゃいました!」

「ありがとう、ベル。プロトポロもありがとう」


 エルストはプロトポロの横に腰を下ろした。


「礼には及ばん。ああさせたのは、私の責任でもあるからな」


 プロトポロが応じると、エルストの正面にいるベルが顔色を曇らせたのがわかった。何も言えないエルストに、マーガレットはただならぬ空気を察したらしく、食事の用意してきますね、と言い残し隠れ家の中に消えていった。


「ま、まあ、あれや!」


 場の雰囲気を変えようとアギが大きく言う。


「どうしようもないことは、どうにもせぇへんかったらええ! せや! うん!」

「『母を食べる』という解決法はあるというのにかね? 魔法はベルが使えばいい」


 アギとしてはこのまま触れずに終わりたい件だったのだが、プロトポロが口を挟んだことにより、エルストとベルはさらにうつむき、肩を丸めるのだった。


「おたくは人の心っちゅうモン持ってへんのか、プロトポロのジジイ! いらんこと言わんとってええ! こいつらは知るべきやなかったんや!」


 アギの怒号が青空に響くと、ベルがおもむろに顔をあげた。そしてしかめっ面を浮かべながらアギを頭上から地におろす。


「アギは知ってたの? 人間が魔力を奪う方法」


 この言葉にエルストも反応し、顔をあげてアギを見た。当のアギは、「ドキーっ!」と、目を大きく見開いた。


「アギ!」


 ベルが怒鳴る。


「そ、そんなん! し、知ってたって言うわけないやろ!」

「まさかほんとに知ってたの? どうして!」

「うう~。王子も、そないなコワい顔せんとってや」

「なんで知ってたのか教えなさいよ!」


 エルストとベルに詰問されたアギは、とうとう観念したらしく、こう説明した。


「ベルのオトンから聞いたことあるんや。ベルが産まれる前にな」

「パパが? でも私、そんな話は聞いたことなかったよ」

「そりゃそうや。これはワシとオトン、それからオカンだけの秘密にしとこって約束やったからな。ベルにはなんにも言わんどこっちゅう約束。ワシはそもそもこれ王子の左目とはまた別の話や思てん。だってそんなん、言ったとこで誰かの傷が治るわけでもなし、ふたりをただただ不幸にしてまうだけやんか。エエ気持ちせえへんだけやんか」

「だけど!」

「じゃあおまえら幸せなんか!? 王子が魔力ない理由知った今、幸せなんか!? 今『せや、かーちゃん食べ返したろ』って前向きになれてるんか!? ちゃうやろ! そんな非道なこと思えてへんからベルかて泣いとるんやろがい!」


 ベルの言葉を遮り、アギの叫びは続く。


「知っとかなアカンこともそりゃあるで! 知らんほうが幸せなことも、そりゃあるで! ただワシはベルに心ズタズタなってほしくなかったんや、ついでに王子にもな! ワシゃワシのこと『好き』って言ってくれたヤツには優しくしたいし、なるだけ幸せでいてほしいって思うドラゴンやからな! いま言うけど、王子の出べそ笑ってもーたことはホンマにすまんかったッ!」


 ぜえ、はあ、と息を切らしながらアギの怒声と謝罪は幕を閉じた。


「アギの厚意だったってことだね」

「せや。王子、そのとおりや。けど厚意も無駄になったらナンボにもならへんのやな。これはワシだけが黙っとけば永久にバレへんと思とったけど、まさかプロトポロのジジイも知っとったとは。おまけにいらんこと吹き込んでからに」


 しかしどんなにアギがうらめしげにプロトポロを見ようとも、プロトポロはいたって涼しげな態度を崩さない。


「だいたい、そんな魔法はとうの昔になくなったはずやで! 王国が、そういう『人の心がべらぼーにズタズタなる魔法』は禁止したはずや。ワシ以外のドラゴンも人間のそういう心尊重したろ思って何百年もお口閉じとったはずやから……」

「ちょっとアギ、泣いてるの?」

「泣いてへんわ!」


 アギは涙声でベルに反論した。続けざまにこう言う。


「言いとうなかったんや。けどバレてしもた! あかん……ワシの油断がこんな……許してくれや」


 エルストは「うおおおおん」と泣くアギの涙と泥をすみずみまで拭ってやった。


「アギ、ありがとう。僕やベルのことを思ってくれて。ドラゴンって……ううん、アギってこんなに優しいんだね」

「もっと褒めてくれてエエんやで……うぉぉん」


 その後、アギの泣き声は夜まで続いた。


「――今さらですけど、王妃様って二年前、死んでなかったんですね」


 アギが泣き疲れて寝静まったころ、エルストとベルは二階にてオイルランプを挟んで話し合っていた。ベッドを背にしたエルストに、ベルがこう言う。


「私はてっきり、サード・エンダーズが王都を襲ったときに王族は皆殺しにされたのかと思ってました。その二年後にエルスト様と出会ったときはびっくりしましたもん」

「僕だけ生き延びたと思ってたよ。僕も母上は殺されたって聞いていたからね。僕を逃がしてくれたサムの口から」

「それは最近ですか?」

「いいや。二年前、城から逃げる直前に聞いたよ。『エレクトラ様は郎党に殺されました』って」

「王妃様って、エレクトラ様って名前なんですか? エルスト様のミドルネームですよね」

「うん。僕たち王族は母親の名前をミドルネームにつけるならわしなんだ」

「そんなならわしがあるんですね。郎党っていうのはサード・エンダーズでしょうね。で、その王妃様が城でエルスト様を襲撃して、次はルナノワの町でも襲ってきて……うーん、私、さっぱり意味がわからないです!」

「僕もだよ」

「でもエルスト様。あなたは……」


 ベルはエルストの顔色を窺うようなしぐさを見せた。「何?」とエルストは片眉を上げる。


「やっぱり魔力を取り戻したいですよね?」

「そりゃ、取り戻したい! 城でテレーマと戦ったんだけど、やっぱり、魔法が使えないって不利だと思った。それに、このままの僕でサルバに敵うか、その自信はまったくない。ベルに魔法を頼りっぱなしっていうのもイヤだ。僕のせいできみがよけいな怪我をするのもイヤ。ホントにイヤ」


 だけど、とエルストは語気を弱める。


「生きた人をって、なんだよそれ! それにもうひとつ、わからないことがあるんだ。母上はどうして僕を殺そうとしたのかってこと」


 エルストとベルはそれぞれ同時に顎へと手をあてた。


「そうですよね。王妃様がもうすでにエルスト様の魔力を奪ってるんなら、殺す必要はないですもんね」

「それに、魔力を奪うってのは『生きた人間』を食べるって魔法だよね、ベル」

「プロトポロさんはそう言ってましたね」

「もしも本当に母上が僕の魔力を奪ったんなら、母上はどうしてそんなことをしたんだろう? たとえば僕を 嫌っていたとしても、そんな理由で僕の魔力を奪いたくなるものなのかな?」

「王妃様に聞くしか答えは見つからないですね……」

「会いたくないな。城で会ったときは、あんなに嬉しかったのに……こんなに弱気になるなんて、これじゃアギに怒られちゃうな」


 エルストがつぶやいた。「エルスト様」とベルが呼びかけてくる。


「話は少し逸れますけど……その〈人間の魔力を奪う魔法〉みたいに王国が禁止した魔法があるんなら、〈最強の魔法〉だって禁止されてる可能性ありますよね」

「言われてみればそうだね。僕、何も知らずに育ってきたしなあ」

「魔法学園の図書館や王城には何か手がかりがあったかもしれませんけど、今や帝都ですし」


 ベルは膝を抱える。


「そうだ。ねえ。ベルの両親はどうして魔力を奪う方法を知ってたのかな?」


 アギは魔力を奪う魔法について、ベルの父から聞いたと言っていた。しかしその魔法は王国が禁止した魔法なのである。そんなものを、なぜベルの両親は知っていたのか、エルストは気になったのだった。


「パパとママはかつて王都にあった魔法研究所の研究員だったんです。だから知ってたんじゃないでしょうか」

「そうなんだ。でも今となっては魔法学園や研究所みたいな王立機関はなくなっているし、王城にも書庫はあったけど、テレーマが放置してくれてそうにもないし……手詰まりだな」


 エルストは頭を掻いた。


「プロトポロなら何か知ってるかな」


 つまり彼に質問してみようということだ。このとき、エルストはベルに、プロトポロは冒険家であり隠れ家の本棚にある本の著者なのだということも同時に説明した。それを聞いたベルは疑心を抱いた表情を見せる。


「プロトポロさんも何者なんでしょう。冒険家って聞きましたけど、冒険家がわざわざテレーマの支配下にある城に来ますか? なりゆきでここに連れてきちゃいましたけど、あの人ってヤケに物知りだし……冒険家ってそんなものなんでしょうか。今さらですけど、プロトポロさんって怪しくないですか?」


 ベルの言うことはもっともだ。エルストも反論する気はないが、これだけは言おうと思い、口を開く。


「サルバやテレーマみたいな悪い人ではない、と思う」

「何を根拠に?」

「助けてくれたから」


 我ながら情けない声で言ってしまったものだとエルストは反省する。だがベルは、意外にも、エルストの言い分を素直に受け入れる。


「エルスト様がそれでいいんなら、私もそれでいいですけど。とにかく今は王妃様と〈最強の魔法〉についてですね……あ! プロトポロさん、もしかして知ってるかな、〈最強の魔法〉のこと!」

「あ、もしかしたら!」


 エルストとベルは顔を見合わせるなり、弾かれたように下階へ急いだ。


「プロトポロ!」


 そのときプロトポロはアギやマーガレットとともに、床に寝かせた一枚の板と向き合っていた。荒々しい足音をたてながらやってきたエルストとベルを一瞥したのち、プロトポロはいつもの無表情で板に筆を走らせ始める。


「ねえ! きみは〈最強の魔法〉について知ってる?」


 エルストが訊いた。


「最強の……なんだね?」

「魔法。〈最強の魔法〉です!」

「ベル。それからエルストも。落ち着きたまえ。それはあれか、先ほどアギにも訊かれたが、〈相手が誰であっても確実に殺せる魔法〉とやらかね」


 プロトポロは言いながら筆を手のひらに置いた。黒いインク瓶も同じくプロトポロの手中である。


「ふたりとも、無駄やで。このジジイ、それについてはなんも知らへん!」


 板を眺めていたアギが言った。となりには不思議そうな顔を浮かべたマーガレットが座っている。


「おふたりはその〈最強の魔法〉とやらを探してらっしゃるんですか?」

「そうだよ、マーガレット。僕たちにはとても必要なんだ!」


 エルストは腕を振って力説する。だがプロトポロは淡白な態度を崩さない。


「本当に知らない?」


 すがるような口調で言ったエルストに、プロトポロはやはり頷いた。


「そっかあ」

「じゃあ、しかたないですね……」


 エルストとベルはすっかり意気消沈している。


「エルスト、ベル。さっき二階で長いこと話し合っていたようだが、きみたちがいま一番知りたいことは何なのだね?」

「どういうこと?」

「わからないことだらけで道に迷っているように見えるのだよ、エルスト。王妃がエルストを食べた理由。私の素性」

「き、聞こえてたの」

「私は耳がよいのだ。それから〈最強の魔法〉。きみたちはいったい何から解決したいのだ? 疑問をあれこれ並べるだけでは踏み出す一歩も決まるまい」


 エルストはベルと目を合わせた。


「僕が一番知りたいのは〈最強の魔法〉かな」

「私も」


 ふむ、とプロトポロは頷きながら顎ひげを撫でる。


「〈最強の魔法〉はエオニオが使ったと言い伝えられている魔法だ。なら、ここで終わりの見えない話し合いを続けるよりも、エオニオに近づくことが必要なのではないか?」

「エオニオに近づくって……もう死んでる人に近づくなんて無理じゃないですか?」


 ベルは腕を組んだ。「では諦めるかね」とプロトポロが言う。


「べつに死人に会えと言っているのではない。要するに、エオニオが使った魔法の真相に近づきさえすればよいのだ。そのためにはどうすべきかな?」

「魔法の真相……本を読むとか、かな」

「正解。さすがはゾイの花の秘薬について見つけたエルストだ。……ベルとアギはあからさまに本が嫌そうな顔をしているが、きみたちが思う以上に、本というものはとても価値があるのだよ。ベルの怪我が治ったのがその証拠だ」

「本読むとかなぁ、おしゃべりしてたほうがよっぽど楽しいし価値あるやん!」


 ベルがすぐさまアギに賛同したがエルストはそれを無視した。


「より確実に〈最強の魔法〉について調べるとなると、きっと王城の書庫がふさわしいと思う。テレーマが書庫を燃やしていなければ、だけど」

「私もそう思うぞ」

「でもエルスト様。テレーマはサード・エンダーズと繋がってるんですよね。城の中にサルバがいたらどうするんですか?」

「せやせや。ミイラ取りがミイラになるってもんやで!」


 エルストは頭を悩ませる。


「行くか否かはきみたち次第だ」


 プロトポロはそう言い、判断はあくまでも若者たちに任せるのだった。


 翌日、曇り空の朝を迎えた隠れ家では、エルストが今日一番の掃除をしていた。

 キッチンやテーブルを拭き上げ、アギのホウキを借りて床を掃く――無限の魔力をもつ加工済みドラゴンを手に取ったからといって、エルストが魔法を使えるようになるわけではない。ホウキとしての使いかた以外、彼がホウキの使い方を知ることはない。エルストは玄関の扉越しに外を見る。そこでは、大きな桶を活用しながら、アギとともになぜか全身まで泡まみれになり食器を洗うベルの姿があった。エルストは苦笑する。

 屋内のごみを集めていると、エルストは、地下の保管庫への扉が開いていることに気づいた。ぎいぎいと軋む音が聞こえる。マーガレットは家の外にいるから、地下にいるのはきっとプロトポロだろう。もっとも、彼が地下で何をしているのかは知ったところではない。

 掃除を終え、エルストは外の空気を吸いに出た。入れ違いになったベルとアギはいま家の中で食器を片付けている。エルストは、なんとなく、マーガレットの姿を探すことにした。

 彼女の姿は思いのほかはやく見つかった。きのう皆で泥遊びをしていた小さな畑にて、何やらしゃがみこんでいる。エルストは彼女が何をしているのか気になり、声をかけることにした。マーガレットは、あ、エルストさん、とにこやかに応じた。


「マーガレット。それ、ゆうべプロトポロと作ってた板だよね」

「そうですよ」


 マーガレットは片腕ほどの横幅がある板を地面に突き刺していた。ゆうべ、プロトポロが筆を走らせていた板である。エルストはマーガレットの背後から文面を覗き込む。


「『この畑では魔法厳禁』? どういうこと?」


 達筆ではあるが、板――看板にはたしかにそう記されていた。マーガレットが振り向き微笑む。


「私、考えたんです。エルストさんみたいに、もしもこの世すべての人間が魔法を使えなかったとしたら、なにができるんだろうって。それを知るためには、まず『魔法を使わない』ってことを知ろうと思って」

「魔法を使わないことを知る?」


 エルストは首を傾げた。エルストとは違い魔力のあるふつうの人間であるマーガレットが、なぜそんなことを考えたのか不思議でならなかった。


「はい。私はエルストさんがどんな気持ちで暮らしてきたのか……王城にいらしたときも、サムさんと一緒だったときも……そのときの心苦しさとか、悩みとか、わかりたいなって」


 マーガレットはふたたび看板と向き合う。エルストは彼女のうしろに腰をおろした。


「私はエルストさんがどうして魔力をもたないのかは知りませんけれど、『魔法がなくてもできること』がひとつでも多く見つかれば、もしもこの先、エルストさんみたいに魔法を使えない人がこの世に生まれてきたとしても、きっと『大丈夫ですよ』って言ってあげられるんじゃないかって思ったんです。魔法がなくても、大丈夫ですよって」

「マーガレット……」

「だからこの畑では魔法厳禁。『魔法を使わなくても農作には困らないか』の実験です。ふふ。皆さん、昨日は魔法を使わずに種まきしてくださいましたよ。まずはワンステップ、クリアです」


 マーガレットは両手に付着した土を払い落とす。


「エルストさん。ここではとても穏やかな空気が流れていますよね」

「うん。ベルとアギがおしゃべりしていて、それをプロトポロが黙って見ていて、おいしいごはんを作ってくれているマーガレットのそばで僕が本を読んでる」

「まるで二年前の出来事がウソのよう」

「僕も今それを思ってた」


 エルストは苦笑した。そして「聞いて、マーガレット」と語り始める。


「僕、きちんと王国を復興したい。僕のせいで死ぬ人なんてなくしたい。火災も処刑も悲しいことも起こらないような、そんな場所を作りたい。そう思ってる。そしてそれを願っている人は絶対にいる。きみのようにね。僕はそのことにきちんと目を向けたい。もう目はそらさない。だから、きみの前で、王子として自分に誓うよ。必ず王国を復興させることを」


 マーガレットは、喜んだ表情を見せた。やがて、空を覆う雲の隙間からは光が射しこみ始めていた。

 その後、皆で昼食をとり、エルストはベルとともに畑の草むしりをしていた。ベルはアギをとなりに置いている。そのアギが話を切り出す。


「なあなあ。さっき王子が言ったこと、ホンマなん? ホンマに王城に乗りこむんか?」


 アギの言葉どおり、エルストとベルはついさっき、テレーマのいる王城に行くことを決定したばかりだった。アギが「危険やで」と心配そうな顔をエルストに向ける。


「さっきベルも納得してくれたじゃないか。そうだよね、ベル」

「はい、エルスト様。私たちでコッソリと王城の書庫を探る! 命懸けだけどがんばらなきゃ。アギだって私たちについてくるって言ったじゃない」


 雑草をぶちぶち抜きながらベルが言った。


「そりゃベルが行くんならワシも行くのが当然やん。こないだ王子とプロトポロだけについてったのは例外やで。ベルがいるとこがワシの居場所やからな」


 なら話はまとまったじゃん、と言い、エルストやベルは草とりを進めた。


「なんなんや、その『え? もしかしてアギさんだけビビってはるの? ダサっ』みたいなシラケた態度!」

「いくら言おうと寿命の無駄だよ、アギ。それに僕たちは危険を危険と認識できてる。アギはいつもみたいにうるさく――王城では静かにしててくれればいい」

「なんで王子に指図されなアカンねん! あとワシはドラゴンやから寿命の無駄遣いはしたくてもできませぇーん。残念でしたぁ。せやから言いたいだけ言うんや。だって寂しいやん。王城に乗りこんだおまえらがテレーマに刺されてワシの話し相手がおらんようになるのは……めちゃくちゃ寂しいやん! 人間にわかってたまるかこの気持ち!」


 というアギの言い分に「このまえ王城で鼻ちょうちん膨らませながら寝てたのは誰だったっけ?」と返したのはエルストである。


「それはアレですぅ、絶対にベルか王子が助けにきてくれるって確信できてたがゆえの余裕ですぅ」

「睡魔に負けたって正直に言いなさいよ、アギ」

「……負けましたー! 兵士らの足音が子守歌に聴こえたんやもん」


 アギは雰囲気をごまかすために口笛を吹き始めた。


「王城――帝都で僕たちの姿は目立つだろうから、ベルに隠匿魔法をかけてもらって僕たちの姿を消す。王城への隠し通路は僕が案内する。危険なのはアギも一緒だけど、僕たち三人でがんばろうよ」

「がんばって済む問題ならこの世に失敗はないんや、王子。それにワシもがんばらへんとは言ってへんやん! ……まあ、敵に見つからんようになるべく静かにしとくくらいはしないこともないけど」

「ありがとう」


 今度こそ話はまとまったらしい。しばらくすると何かを思い出したように「そういえば」と話を切り出す。


「王城で思い出したけど、王子のかーちゃんはなんで王子があそこにいたことを知っとったんやろな? 王城だけやなく、ルナノワの町でも」


 アギの疑問にはエルストも頭を抱えた。


「ベル、そういう魔法ってないの? 誰かの居場所を探るような魔法」

「探したい相手の私物さえ手もとにあれば、それを活用して人捜しすることはできますよ。エルスト様、何か私物を王妃様に預けたりしてました?」

「そりゃ王城には僕ら王族の私物ばっかりだし、母上なら僕の私物くらい持ってたっておかしくはないとは思うけど」


 母親が子どもの私物を所持するのは不思議な話ではない。「それもそうですね」とベルは相づちを打った。


「ああ、やっぱり、僕はもしかしたら王国に利用されてたのかな」

「……エルスト様は『魔力を奪われるため』に生かされてたってことですか?」

「うん。もしかしたらね」

「だとしたら……クソくらえってレベルじゃないです、どーにも」

「せやせや」


 エルストも、当の息子ながらベルやアギと同感だ。


「けど、なんでそう思うんや?」

「イヤな予感がするんだ。僕と兄上は異母兄弟なんだよ」


 ベルが首をかしげた。エルストは説明する。


「前の王妃は他界してるんだ。もちろん僕は会ったことないけど。だって僕が生まれる前の話だからね」

「エルスト様が生まれる前に死んじゃった前王妃のあとに、王様は今の王妃様と結婚したってことですね」

「そうそう。これって……なんか、裏があるんじゃないかって……」

「そんなこと言って、エルスト様ってば平気なんですか? 自分で言っててつらくならないんです?」

「つらいに決まってるよ。平気なわけないだろ」

「ですよね」

「だけど母上本人に訊きたい。モヤモヤするから、なんかイヤだ。イヤなことはしませんっていう、きみの言葉をマネするわけじゃないけどさ。訊かないのはイヤだなと思う」

「ふふ。わかりました、訊きましょ。私もモヤモヤしますし」

「きみも?」


 エルストは顔をあげた。


「私、そういうの許せないんですよね。親が子どもを好き勝手に扱うっていうか……いいように使うの」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ