常夜の町ルナノワ ★
「あのう、プロトポロさん。エルストさん、ここ毎日ああして本棚を漁っていますけれど、どうなさったのでしょうか?」
「さあな、マーガレット。私はだんだん散らかっていく床のほうが気になるがね」
隠れ家の中のダイニングテーブルにて、プロトポロはマーガレットの淹れた茶をすすっている。キッチンに立つマーガレットともども、その視線の先にあるのは本を読み終えては次の本を読み始めるエルストの姿である。
「僕は『どんな怪我でも治す秘薬』を探してるんだ」
二人の会話を聞いていたらしいエルストが言った。
「むかし母上に読み聞かせてもらったことがある。どんな怪我を負ったとしても、瞬時に治癒することができるとっておきの秘薬があるって話をね。それがどの本に書かれていた話だったか思い出せないけど、この隠れ家にあるこの本の数だ。きっと手がかりがあるはずだと思ってさ」
ぺらぺらと喋りつつもエルストの目は本の文字列を辿っている。
「それはベルのためかね?」
「そうだけど……プロトポロ、ほかに誰のためだって言うんだ?」
「誰のため。ふふ。よい心がけだ」
するとエルストは本のページから顔を上げた。
「ねえプロトポロ、あなたはどうして僕を助けてくれたの? 本当に偶然なの? 城の、それも謁見の間に現れるなんて、あなたは只者じゃないよ。あのテレーマが部外者の進入を許すとは思えないしさ。それに、あなたの瞳も水色だ。だけど僕はあなたのような王族は知らない」
「マーガレットのように遠い先祖に王族がいただけだ」
「本当にそれだけ? じゃあどうして謁見の間に?」
「好奇心だよ。暴君テレーマがどんなふうにしているのか気になってね」
「そういえば、テレーマもあなたを知っている様子だったよね」
「きみは気にしたがりだな、エルスト」
プロトポロはこう答える。
「強いて言うならば、私ときみの運命だろう」
「運命……僕に魔力がないのも運命、なのかな。家族が殺されたのも、王都が焼けたのも、サムが殺されたのも、多くの人が死んだのも、ベルが怪我したのも、あなたと出会ったのも、すべて運命」
「だとしたら? 従うかね、運命に」
「ヤだよ」
「ふっふっふ。なら、ぜひそうしたまえ。それもひとつの運命の形だと私は思うが、まあ、それはあくまで私の考えだ」
このとき肩を揺らして笑うプロトポロをエルストは初めて見たが、それよりも、手もとの本を探っていくことにエルストは熱中したのだった。
「――ベル! ねえベル! アギ!」
「エルスト様?」
「おー王子、どないしたんや?」
やがて興奮した様子ではしごを登ってきたエルストにベルとアギは怪訝な目を向けた。すでに日は暮れかけている。柔らかい夕日が部屋を照らしている。
「エルスト様、ゆっくり来てください。足の怪我はまだ治ってないんでしょう?」
「そんなことはどうでもいいんだよ。ほら、この本を見てくれよ」
エルストは仰向けになっているベルの目の前に一冊の本を広げた。エルストが指し示す文面にベルは目を凝らす。
「ルナノワの町? どこですか、そこ」
「そうじゃなくって! ううん、町の名前もだいじなんだけど、ほらここ、読んで。『この常夜の町にはあらゆる病気、怪我を瞬時に治癒する秘薬が存在する』。これだよ、ベル、アギ!」
「いや何がやねん!」
「ベルの怪我を治す薬だよ。それも瞬時に、だよ。これがあればベルだって動ける。そしたら一緒にサルバを殺せる!」
エルストはアギにも文面を見せた。たしかに書いてはるな、とアギは言った。エルストは床に腰かけ、ベッドのふちに背中を預ける。
「ベルが『いいよ』って言ってくれたら、僕、この秘薬を探しに行ってくるよ」
「まさかひとりで行くつもりですか、エルスト様?」
「だってベルは動けないじゃないか。ルナノワの町は峡谷の底にあるんだって。大まかな地図は載ってるよ。この隠れ家の場所と照らし合わせれば行けるはずだ」
「だめですよ、もしサルバに襲われたら!」
語気が強まったベルはつい身を起こそうとした。だがそれはかなわず、すぐに顔を歪めて枕に伏した。
「そのサルバを殺して、サード・エンダーズを潰すんじゃないの? 僕と一緒に潰してくれるんじゃなかったの?」
ベルは黙っている。
「僕はそうしたいし、今できることはなんだってやりたいよ。きみの怪我を治すことができたとしても、きみに怪我をさせた事実は消えない。でもせめてきみの状態が戻るんならって思ったんだ。僕だって、もうきみに庇われるだけの自分はやめたい。だけど……ごめん、そんな簡単な話じゃないね」
本を閉じ、立ち上がったエルストは、もどかしさを噛み締めながらゆっくりとはしごへ歩いていく。そのエルストの背中に、ベルは言葉を投げかける。
「私だってサルバを殺したいです。パパとママを殺したサード・エンダーズを潰したいですよ」
「ベル……ごめん。本当にごめん、僕がきみを巻き込んだせいで怪我をさせてしまって」
エルストはふたたびベルのもとへ近寄った。
「僕はきみの怪我を治したい。だから、きみのために秘薬を探しにいかせて」
そしてそう言った。しばしの間を置き、ベルは頷く。
「わかりました。ルナノワの町に行ってきて……私のために秘薬を持ってきてください」
「……うん! 任せて!」
エルストは嬉しそうにほほ笑んだ。
その数日後。エルストは今、名も知らない土色のドラゴンの上に立っている。足もとからは、ごうごう、びゅうびゅうと風の雄叫びが聞こえてくる。
『常夜の町ルナノワ』のありかとして地図に記されていたのは、見る者におよそ人の足では到達できまいと思わせるほどの深淵であった。いや、正確には、世界を峡谷世界たらしめている太古からのドラゴンの肉体たち――それも褐色の大地と同化しうるほど巨大な――の『すきま』にあたる地点だった。
「この底にルナノワの町があるんやな。けど、どうやって『下りる』んや? 王子は飛行魔法なんちゅーモンも使えへんのやろ?」
「アギは何回、僕に魔法が使えないって言わせたいんだよ」
ところで不思議なのはエルストの頭の上にアギがいることである。
エルストは青いローブの上からアギの赤いマントを羽織っている。剣を携えた上でだ。これはエルストの身を案じたベルが、せめてもとアギを同行させたためである。「アギのマントは頑丈ですから」とはベルの言葉だ。
マーガレットは長期間の旅になることを見越して保存食をこしらえてくれた。エルストは隠れ家からここまで来るのに三日を要したが、その以前に、まともに歩けるだけの左足の回復を待つために八日を費やした。
プロトポロはというと、今エルストのすぐそばに立っている。エルストの、秘薬探しの旅の同行人はアギとプロトポロというわけだ。
「道をつたって下りられるはずだと思うけど」
このすきまは絶壁だが、何も道がないというわけではなさそうだ。人がひとり通れそうな、それも下へ続く道が見える。エルストとプロトポロは荷物を背負ってすきまの下を目指すことにした。
すきまに足を踏み入れて間もないというのに、エルストは底が見えない崖をつたうことに早々と身震いを起こした。すきまの底にある町だというのだから下降の旅となることはなんとはなしに理解していたが、もしも足を滑らせてしまえば最後、すきまを覆う暗闇の海へと放り投げられることは明白だ。エルストはランプを握る手に力をこめた。そのうしろでプロトポロが黙々と歩いている。
「陰湿な雰囲気やな~。いや、王子やプロトポロのジジイのことやなくて、この場所がって意味やで。ふたりとも、そう思わへんか? 気晴らしにウタでも歌おか?」
「たぶん僕の気が散っちゃうから遠慮しとくよ、アギ」
「ちぇっ」
至極つまらなさそうに口を尖らせたアギにエルストが尋ねる。
「アギとベルっていつもそんなにお気楽な調子なの?」
「お気楽なぁ。せやなぁ。ワシはベルが生まれた年からベルと一緒におるし、ベルとはずぅっと一緒に会話してるんや。こんな調子でな。きょうだいみたいなモンかなぁ。ワシらにはこれが普通ってもんなんよ」
もっとも、ベルが赤ん坊のころはバブーバブーしか言わへんかったけどな、とアギはしみじみと言った。
「それ、きっとベルにアギの性格がうつっちゃったってことなんだね……」
「ハァン? なんや聞き捨てならん物言いやな、ちょっと失礼とちゃうか! せぇーっかくワシが同行してやっとんのにィ!」
「ごめん、悪気はなかったんだよ」
「悪気のありなしっちゅーのは受け取る側が決める問題やで! おぼえときや!」
「う、うん」
とにかくアギがベルを大切に思っていることはエルストにもわかった。そして、きょうだいか、と心の中で呟きながら、エルストは死んだ兄のことを思い出していた。
エルストとアギ、プロトポロは丸四日歩き続けた。いつしか地上とは比べものにならない寒気がエルストらを襲ってくるようになっていた。
アギのマントは不思議と温かかった。エルストは、アギ一色を貸し与えてくれたベルに感謝の念を抱いていた。一方、プロトポロはただの麻のマントを羽織っているだけである。エルストは躊躇したすえアギのマントをプロトポロに差し出した。するとプロトポロは、寒くはないから自分のことは気にするな、と言って受け取らなかった。
もうひとつ、エルストらを困らせたのは休息地点、とくに睡眠をとるための場所を確保することの困難さであった。この道は人ひとり通れる幅を維持しながら底へと続いているようではあったが、いかんせん狭い。よってエルストとプロトポロは起立したまま小刻みに睡眠をとりつつひたすら歩いていた。アギだけは気丈であったが、エルストは正気を保つことで精一杯だった。
「ほんとに、こんなとこに町なんてあるのかな」
「引き返すかね?」
うしろからプロトポロの声が聞こえた。エルストは首を横に振る。
「ううん。町があれば秘薬もある。行かないと」
「ないかもしれない」
またプロトポロの声だ。「だけどあるかもしれない」とエルストは反論した。
「無駄足しながら自分の身を危険にさらすのかね? きみは王子だ。なぜ他人にそこまでしてやる必要がある?」
「プロトポロ。きみの言うとおり僕は王子だ。他人あっての王子なんだ」
「一歩踏み間違えてみたまえ。死ぬのだぞ」
「プロトポロ! なんなんだよ、さっきから。きみは僕にぐちぐち言うためにこんなとこまでついてきたってのか!」
エルストは苛立ちながらうしろを向いた。するとそこには――
「うわあ! 誰だ、おまえ!」
エルストのうしろにいたのはプロトポロなどではなく、翼をもったトカゲ――ドラゴンだった。エルストと同じ背丈のドラゴンはエルストの前にじっと立っており、鋭いまなざしを寄越している。
「プロトポロはどこだ? あれ……アギもいないぞ! また、こんな……でも城のときとは少し違う。ここは草原じゃないみたいだけど……」
エルストは自分の頭をさするが、今までかぶっていたはずのアギはどこにもいない。プロトポロの姿もない。現在ここにいるのはエルストと、この得体のしれない真っ黒のドラゴンだけだ。
「なんなんだ? ふたりをどこにやった? おまえ、まさかサード・エンダーズか? 僕がさっきまでしゃべっていたのは誰だ」
「わたしはフロワフレッド。ここの住人だ」
真っ黒のドラゴン、フロワフレッドは、闇夜のように冷たい声で名乗った。
「フロワフレッド。おまえ、いや、きみは見たところ加工済みドラゴンではないみたいだけど……」
「そのとおり。加工されるほど動けぬ体ではない」
「どうして僕のうしろにいたんだ? いつから? 僕はアギっていう加工済みドラゴンと、プロトポロというおじいさんと一緒にいたはずなんだ」
「本当にそうか?」
エルストは言葉に詰まった。フロワフレッドの言うことの意味がわからないのだ。
「どういうこと? たしかに一緒にいたよ」
エルストは慌ててそう答えた。
「夢ではないか?」
「まさか!」
そしてエルストは肩で笑う。
「夢だったらどんなによかったか。あいにく現実だよ。三人でここに来たことも、ベルが怪我をしたことも……城で母上に殺されかけたことも、テレーマがいることも……二年前、僕の目の前にサード・エンダーズが現れたことも、心から残念なんだけど現実だよ」
「わたしなら、すべて夢にしてしまえるぞ」
「えっ」
エルストは訊き返した。
「今おまえが言った出来事すべてを『夢だったかもしれない』と思わせてやることができる。魔法でな」
「そんな魔法があるの?」
「秘伝のな。王国にも伝わっていない、とっておきの魔法だ。特別に、ほんの少しだけ見せてやろう」
そう言ったフロワフレッドの指先から光が放たれ、エルストの視界が一変する。
まばゆい光の向こうでエルストが目にしたのは、王城の広間で自分を呼ぶ母親、父親、そして兄の姿だ。あたたかい陽が射しこむ広間の中央で「遅いぞエルスト」と兄が言う。兄のうしろには食卓が用意されている。おいしそうな匂いがする。「はやくいただきましょう」と母が急かす。そんな自分たちを、父がほほ笑みながら見守ってくれている――。
「母上……父上。兄上!」
たまらずエルストが叫ぶ。家族のもとへ近寄った瞬間、家族は消えた。
「おっと。まだこれだけだ」
フロワフレッドの声だ。気づけば、あたりはふたたび背筋が凍るほどの闇に包まれていた。
「いま見たものが、これからのおまえにとっての『現実』になる」
「冗談だろ?」
「冗談だと思うなら、これ以上は魔法をかけてやれないな。わたしも非常に残念だ。おまえにとっての現実は――」
フロワフレッドは指をまわし、さらにエルストを魔法の中に引きこむ。次にエルストが目の当たりにしたのは、
「兄上!」
二年経とうとも忘れるはずがない、サルバの魔法によって全身が捻れる兄の無残な姿だった。
再度フロワフレッドと対峙したエルストは、眉間にうんとシワを寄せ、両手で顔をおおっている。
「そんな顔をしてしまうのがおまえの現実か? 怪我をした者のために、あるのかもわからない谷底の町に危険をおかして行くのが現実か?」
フロワフレッドは相変わらず抑揚なく言う。
「それがおまえの生きかたなのか?」
「ほかにどうしろって言うんだよ。これが夢なら、いま僕の胸にあるモヤモヤしたどす黒いものはなんだっていうんだ? たとえこれが夢であっても、僕は今ここを進まなくっちゃ自分の気が済まないんだ。すべて夢だったと気づくのは死んだあとでいい。でもその前にベルの怪我を治さなくっちゃ。わかったらさっさと僕の前から消えてくれ、きみがいちゃいつまで経ってもせいせいしないよ!」
エルストがそう言い放つと、フロワフレッドは一歩後ずさりし、「そうか。それがおまえの生きかたか」と答えたかと思うと、次の瞬間には姿を消してしまっていた。
「……王子。王子!」
「アギ!」
エルストの頭上にはいつの間にかアギが戻ってきていた。目の前にはプロトポロもいる。エルストは心から安堵した。
「立ったまま夢でも見とったんか? 王子、いきなり立ち止まったあと、ずっとうなされてたで」
「僕が?」
アギは心配そうに声をかけてきた。エルストは眠っていたらしい。もしかすると、フロワフレッドこそが夢だったのかもしれない。
「……え? 王子どないしたんや、いきなりワシを抱きしめるくらいコワい夢でも見たんか?」
「足場が悪いが、休憩しようか」
プロトポロの提案にエルストは賛成した。エルストは立ち止まったままのかっこうでランプを足元に置き、硬いビスケットにかぶりつく。寒さのせいか、あごから鼻の下から、さらに頬あたりにまでぼうぼうにヒゲが生えているので食べづらい。おまけに、まつげもうんと伸びた。
「ねえ。僕、思ったんだけど、アギはルナノワの町について何か知らないの? ドラゴンって長生きだから、いろんなことを知ってるんじゃ?」
「アホタレっ。ワシは生まれてわりとすぐに加工されてもーたから、自由に身動きとれた期間はほんの五十年くらいや。五十年で得られる知識の量なんてタカが知れとるで」
「ほんのって……五十年っていったら、五百年前の人間の平均寿命だよ」
エルストはついビスケットのくずをこぼした。ぽろぽろとした食べかけの残骸が深い闇に落ちていく。そこへプロトポロが口を挟む。
「町はある」
「え? プロトポロ、今なんて言った?」
「おいプロトポロのジジイ、なんや知っとるんか?」
「ルナノワの町は間違いなくこの下にある」
口もとを指でぬぐったプロトポロがあらためて言った。
「だから、なんであなたがそんなことを知ってるの?」
「エルスト、きみが読んでいた本、あれは私が書いたものだからだ。私は冒険家なのだよ。帰ったら最後のページを見てみるといい」
「ウソーん!」
アギの叫びが深淵に反響した。
それから一日をかけて崖を下ったエルストらを光が照らし始めた。ランプの光とは違う。たしかに真下から届いている明るい光だ。暗き深淵だと思い込んでいたドラゴン同士の肉体のすきまの底に、あたりを柔らかく照らす光があるのだ。エルストは歩みを早める。エルストやアギと違い、プロトポロは表情を崩さずにいる。
「どういうことだろう」
エルストのつぶやきがそよ風に連れ去られていった。長い下り坂を歩き、エルストらはとうとうルナノワの町にたどり着いた。深い崖底に築かれた町は、崖に空いたほらあなを住居としているようだ。白い砂地に畑や井戸もある。エルストはアギのマントを脱いだ。道中と比べ、ここは暖かい。
それにしても町が明るいのはほんとうに不思議だ。ここは地上の光が届かない深さにあるというのに、なぜこれほど明るいのだろう。エルストは光源を探す。すると、道中気づかなかったが、町は薄い膜のようなものに覆われているのが見えた。ドームのように広がっている膜がどうやら光を発しているらしい。
崖の土壁には巨大なドラゴンの絵が描かれている。ツノのある、りっぱなドラゴンの絵だ。フロワフレッドの絵ではないようだが。
住民の姿は見えない。だが、片付け途中の洗濯物や収穫したての野菜などから見て、ここで生活している人間は確実にいるようだ。崖底に吹き続けているのだろう風がエルストやプロトポロの髪とヒゲを揺らしている。細長い町のおよそ中心に草花が咲いている。小さな花畑のようだ。
「なあなあ、もしかして魔法なんちゃう、こんな明るいのは?」
アギの言うとおりだとエルストは思った。魔法以外に考えられない。あの膜の光が、明るさと、それから熱を帯びているようだ。
「ルナノワの町へようこそ」
「キャー!」
悲鳴をあげたのはアギだ。エルストの肩がびくりと跳ね上がった。背後から、しわがれた声の老人に話しかけられたのだった。
「あーびっくらこいたー、おかげで寿命が縮んだわー! いやいやアギさん不老不死のドラゴンやから縮むモンも縮まへんがなー! で、おたく誰やねん」
「それはこちらが聞きたい。坊やたちは何者だね?」
「もしかして、ここの住民のかたですか?」
「そうでなければこんなところになんて人はいないよぉ、金髪の坊や」
エルストはとつぜん現れた老人の姿をまじまじと見る。肌は色白ではあるが見事にシワだらけだ。無造作にヒゲを生やし、頭から全身を布で覆っている。彼は興味津々といった様子でこちらを見つめている。なんだか意地が悪そうな口もとだ。
エルストはごくりと唾を飲んだ。
「はじめまして。僕はエルスト・エレクトラ・エルオーベルングと言います。もう一度聞きますが、あなたは本当にこのルナノワの町に住んでいらっしゃるかたなんですか?」
「ああそうだよ。わしは長老だ。町をまとめている。『フロワフレッドのあいさつ』をくぐり抜けてくるとは、坊やはなかなか根性があるようだねぇ」
「長老さん、フロワフレッドを知ってるんですか!」
エルストは長老の言葉に食いついた。エルストの頭上では「フロワフレッドって誰?」などとアギが言っている。
「ありゃこの町の真上に住むタチの悪いドラゴンでね。ああやって、この町への客人に幻惑魔法をかけてるんだ。あいつの性根は腐っているから言うことも腐ってたろう?」
「それがおまえの現実か、生きかたか……と言ってました」
「ほらね! ひとの人生を試すヤツは根が汚れてるのさ」
「僕、惑わされたままだったらどうなっていたんだろう」
「絶壁から足を踏み外してこの町へと真っ逆さまさ」
ヒエッ、とまたしても悲鳴をあげたのはアギだった。
「逆に言うなら、アイツに惑わされなかったのなら坊やは腐っちゃいないってことだよ」
「そう望みます。ここからは本題なのですが……僕たちはこの町にあるっていう秘薬を探しにきたんです」
「せやせや。ちょっくら治したいコがおってな」
「ほう、あの秘薬か。おや、となりにいるのは、ひょっとするとプロトポロさんじゃないかね。こりゃまたご無沙汰だね。今までどこにいたんだい。相変わらずお国のために生きてるみたいだが」
「今日はただの付き添いだ。彼らに秘薬を渡してやってほしい」
「ああそうだった。ほれ、ちょうどここに少しだけ秘薬の残りがあるんだが……」
長老は懐から袋を取り出し、小さじ一杯ほどの粉を手のひらに乗せた。とたんに甘い香りが漂ってくる。
「坊や。左足、ケガしとるだろ」
「よくわかりましたね。といっても、ずいぶん回復しましたが」
エルストはズボンを捲り上げた。赤黒いカサブタが傷口にこびりついているうえに、カサブタの周囲は青みをはらんでいる。
「このカサブタだな。痛かったろう。じゃあこれを、ほら、お口開けて上向いて~。そらっ。あ~ん」
「ゲフフッ! 粉が……のどに詰まって苦しいよ! ごほっ」
涙目になっているエルストは慌てて水筒を開けた。
「ほれ、足に注目」
長老がエルストの左足を指した。エルストは涙をぬぐいながら己の足を覗き込む。
「うわあ、カサブタが剥がれた!」
「しかも新しい皮膚がキレーにできとるー! 青アザも消えてんで! うーわ、ツルッツル!」
「まあ、こんな感じだ」
すると長老は歳のわりに軽い足取りで花畑へと歩いていった。エルストも急ぎそのあとを追う。プロトポロは腕組みをしながらゆっくりと近づいていく。
「ほらココ。この『ゾイの花』が秘薬の材料になるんだよ」
「ゾイの花?」
長老が掻き分けた草花の中に咲いた、何輪かの不思議な花がある。丸々とした花びらが特徴的だ。茎は緑だが、花びらの色は見る角度によって何色にも輝いている。まるで宝石だとエルストは思った。
「これを煎じた残骸が秘薬になる」
「なんや意外と簡単やな。どのくらい飲ませればええんやろ?」
「傷や病気の程度にもよるが、たいていは一輪でじゅうぶんだよ。一度飲めばすぐ治る。坊やの足のようにね」
「ほんなら長老はん、一輪ちょーだいな!」
「バカを言え。タダでやるもんかね!」
長老がエルストの肩に寄りかかった。エルストは思わず姿勢を崩したが、長老はかまわず、顔をエルストにぐっと近づけ、こう囁く。
「もちろん金なんて石ころもいらない。そんなもの、ここでは無用の長物なのでね。しかし坊やはこの花を『買いたい』のだろ? ん? まさかわしが見ず知らずの坊やに善意でこの花をプレゼントする、なーんて甘っちょろいことを考えちゃいないだろうね。ええ?」
「じゃあ僕は何を差し出せば?」
「寿命だよぉ、坊や。坊やの『十年ぶんの寿命』を差し出しな! つまりこの花一輪は坊やの魔力と引き換えってこった。魔力を抽出する道具ならウチにある。魔力がここルナノワの通貨なのでね。じゃなきゃ、とっとと上の世界に戻ってくんな。部外者が来たことに町の連中が怯えきって、みーんな家に閉じこもったまま出てきやしないんだよ。さあ、どうする?」
エルストは土壁の住居を見た。たしかに人間がほらあなの陰に隠れながらこちらの様子をうかがっている。子どもいる。外に人が見当たらないのはどうやらエルストらのせいだったらしい。
それよりも、エルストにとって重要視すべきなのは自分に魔力がないことである。ちらりと真横をうかがった。長老の食らいつくような目が自分を見ている。アギは頭上で困惑しきりだ。プロトポロは相変わらず静かにしている。