「一緒にサード・エンダーズを潰しましょう」 ★
「それって、まさか『加工済みドラゴン』?」
赤いドラゴンの頭をした帽子はエルストの姿を見つけ、「誰かおるんか!」と叫んだ。
「アギ、ちょっと黙ってて。爆発のことはあとでちゃんと謝るから」
ベルは片手でアギを撫で、もう片手でホウキを握る。
「おお、そーか。謝ってくれるんならエエで、ベル。どーぞどーぞ、続けて続けて」
アギと呼ばれた赤いドラゴンの頭をした帽子はそれ以降おとなしくなった。
「その前に火を消さなきゃね」
ベルは懐から細長い杖のようなものを取り出した。ベルの肘から手首ほどの長さの杖である。
「水よ出てこい。〈ロヴェーショ〉!」
ベルが何やら呪文らしきものを唱えた。するとベルの杖の先に魔法陣が大きく現れ、そこから水が噴き出てきた。水しぶきが地面や枝葉に舞う火を消していく。その様子を、エルストは神業でも目の当たりにしたかのように呆然と魔法陣を見つめている。エルストの握るたいまつの火も、ベルの魔法によって消されてしまったことになど、エルストは気づいていない。「よし」と、ベルはすべての火が消えたことを確認して頷いた。そして杖の先に展開していた魔法陣は消え、かわりに、杖の先端がランプのように光り始めた。エルストがこう言う。
「きみも魔法が使えるんだね……」
「なに変なこと言ってるんですか。誰でも魔法は使えてあたりまえでしょ?」
この峡谷世界の人間はみな魔法が使える。ベルはそう言いたいらしかった。
「僕は使えないんだよ」
エルストが語気を荒くして言った。これにベルは首をかしげた。アギも大げさにまばたきをしている。
「僕は生まれつき魔法が使えないんだ。僕はエルスト・エレクトラ・エルオーベルング。ずっとここに住んでる」
ベルの杖によって全身を照らされながらエルストはとうとう名乗った。すばやく反応したのはアギだ。
「エルオーベルングっちゅーたら二年前に死んだ王族の名前やがな! エルストっちゅーのはたしか第二王子やで」
「あー、そうそう! エルスト様だ! よくおぼえてたねアギ」
「そら、お偉いさんの名前やからな。ぬかりなく記憶しとるで」
「でも王族がここに、ずっと住んでる? 王都を捨てて?」
ベルの表情がだんだん険しくなっていく。
「二年前の……そうだ、ちょうど今日ですよ。二年前の今日のこと! エルスト様、あの夜王都がどうなったか知ってますか? たくさんの人が死んだってこと知ってます? ねえ。なのにこんなところで結界張ってぬけぬけと生活してるんですか? 王族なら国民を守りなさいよ! いま王都がどうなってるか知ってるんですか!?」
「ちょい待てやベル。こんなトコでコイツ責めても何にもならへんやろ」
「だって!」
ベルが目くじらを立てたとき、山の上方から大きな――ちょうどエルストらが立っているところで起きた爆発音よりも、さらに大きな爆発音が響いてきた。
「火!?」
エルストはうろたえる。山の上方付近に赤赤とした炎が立ちのぼっていくのがわかった。なぜ炎が上がっているのか、その理由は不明だが、あそこにはまだサムがいる。サムが危険に晒されていようことは明白だった。
「サムが危ない!」
「エルスト様、どこ行くんですか!」
駆け出したエルストの背中へとベルが制止の声を浴びせた。しかしエルストが立ち止まることはない。ベルにたいまつの火を消されたことはこのときエルストにとって大いなる損失であった。いくつもの草木のトゲがエルストの体じゅうを引っ掻くのだ。
「エルスト様、待って! あなたがこの山にいるんなら……あれはもしかしたらサード・エンダーズのしわざかもしれない!」
「きみはサード・エンダーズを知ってるの?」
エルストの問いかけにはベルとアギは黙っている。だが、杖の光を宿したベルの眼差しが鋭く見えたことから、きっとベルと自分の思惑は同じなのではないかとエルストは予感した。
エルストがベルと出会ったころ、唯一の窓から炎の明かりが射し込む山小屋内にて、壁に強く打ちつけられた巨体があった。サムである。
サムは苦痛に表情を歪ませた。床に崩れ落ちかけたサムはなんとか踏みとどまり目の前の男を睨みつける。サムを壁に投げつけたのはサムに負けず劣らず体格の大きな男だった。男は言う。
「エルスト王子はどこだ?」
「ここにはいない」
サムの答えは間違ってはいなかった。いつの間にかエルストが姿を消していたことにはサムも驚いたが、エルストがここにいないならかえって好都合とも考えられる――この黒衣の大男を前にしたら。
サムは黒衣の大男に殴りかかった。魔法によって黒衣の大男との距離を瞬時に詰め、不意を打ったつもりだった。しかしサムの拳は空振りに終わった。なぜならば、黒衣の大男もまた魔法によってサムのすぐ背後へと移動したからである。
「そうは言うが、この山小屋周辺にあの頑丈な結界魔法を張っていたのは貴様だろう? とつぜん結界が解除されたことには驚いたが……二年間、ずっと不審に思っていたのだ。貴様が結界を張って隠したかったものはきっと亡き王国のエルスト王子だ。違うか?」
「亡き王国。長年、ね」
サムが言うころ、黒衣の大男の右腕から蛇が伸びてきた。その蛇は素早い動きでサムの喉にまとわりつく。
「貴様が王都を襲撃し、国王陛下や王太子殿下を殺害した月日を忘れず把握していたことに俺はすこぶる感心したぞ、サルバ!」
そのときであった。
ベルの使った魔法によってサムのいる山小屋へとワープしてきたエルストが、サムと黒衣の大男の前に現れ、二年ぶりにその名前を耳にしたのは。
すぐ外から射し込む明るい炎の光と、この黒衣の大男サルバ、そして襲撃を受けているのであろうサムのすべての光景を見るなり、エルストはすべてを察し、携えていた剣を抜きとって走り出す。
「エルスト様、無理です!」
エルストの背後では彼とともにワープしてきたベルが制止の声を飛ばしているが、エルストの耳には一切聞こえていない。
「おまえだな、エルストは! 王国の、ただひとりの生き残り!」
サルバはサムから蛇を離したかと思えば蛇を剣へと変貌させ、すぐさま応戦し始める。エルストが振るう剣を、サルバは右手に握る剣で大きく振り払う。その衝撃でエルストの身体がバランスを崩したところへサルバが斬りかかる。だが、エルストが体制を整えなおすまでにそう時間はかからなかった。そしてエルストもまた、サルバの剣を斬り払ったのだった。
しばらくそうした斬り合いが続いた。平静を取り戻したサムがふたたびサルバに殴りかかる。
エルストに加勢するサムを見たサルバは突如エルストの背後に回った。サムもまたエルストの立つ場所へと、短い距離ではあるがワープした。
「ぐっ」
サルバの剣が突き刺したのはサムの巨体だった。「サム!」己の背後で何が起きたのかを知ったエルストは声を荒げた。胸にサルバの剣が突き刺さり、血を流すサムは、エルストをベルのもとへと投げ飛ばす。
「そこの魔法使い! エルスト殿下を連れて逃げろ!」
サムはベルに叫ぶ。
「殿下が死んだら王国は終わってしまう!」
「だからこそエルストを殺すのだ。確実に」
サルバが言いながらサムの胸から剣を抜きとる。その拍子にサムは床に倒れた。
山小屋の外でまた大きな爆発音がした。山小屋に炎が移ったらしく、壁や柱から燃え落ちていく。サルバがエルストを刺殺するべく、その眼前にワープしたのだが――「ムーブ」と唱えながらエルストを庇ったのは、またしてもサムだった。エルストは息を呑む。目の前に、サムの大きな背中が広がっている。その背中からは血が噴き出している。
エルストの腕を誰かが掴んだ。ベルだった。ベルはエルストをここまで運んできたときと同じように、しかし次はここから逃げるためのワープ魔法を短く唱える。
「いやだサム!」
エルストが渾身の力を込めてサムを呼んだ。サムからの返答はなかった。ベルの魔法によってワープする間際、エルストが見たのは――二年前この山で見た王都の燃える光景ではなく、サムを包む大きな炎であった。
ベルがワープ魔法を使い、エルストを連れてきたのは小高い丘の上にある穴ぐらだった。がさつく岩肌が冷たい。おまけに暗い。エルストは歯を食いしばり、剣を握ったまま、そう深くない穴ぐらから外へと這い出る。
夜風が涼しかった。星空がささやかに地上を照らしているとはいえ、やはりとても暗い。
ところがエルストの目にとあるおかしな光が映った。それはニワトリの目くらい小さな小さな光であった。地上にて不規則に点滅している。あれは火だ。
「サム! また僕だけ! どうして僕だけ逃げなくっちゃいけないんだよ!」
エルストは駆け出していた。あの火のほうにサムがいることを確信し、居ても立っても居られなくなった。
「あッ! ちょ、アイツまた死にに行きよるで!」
だがエルストはまたしてもアギに急かされたベルに引きとめられてしまった。ベルはエルストの左腕を掴んだまま頑なに動かない。
「離せよ!」
「離しません。あなた魔法が使えないんでしょ。そんなのでサルバを殺せるわけないじゃないですか。さっきだってあなたはサムって人に『逃して』もらったんです。言っておきますが無駄ですよ。なぜならサルバは殺せない!」
ベルが強く言った。その直後、エルストの腕が力なく垂れる。「殺せない?」エルストが鼻息を荒くしながら訊き返した。
「私はあなたみたいにサルバを殺そうとしてきました。何度も。だけどサルバは死なないんです。いくら焼き殺そうとしたって、殴ったって、剣で刺そうとしたって殺せないんです」
「サルバを殺そうとするなんて、きみはいったい何者なんだ?」
エルストがふたたび尋ねた。アギは黙っている。
「魔法学園の生徒でした……二年前までは。だけど二年前の今日、両親が王都でサード・エンダーズに殺されてからは……」
ベルはここで言い淀んだが、次に言った言葉は、やけに、はっきりとした口ぶりだった。
「私はサード・エンダーズのことを絶対に許さない。両親の仇を討ってやりたい。ううん、討ってみせる。そのために国教の神エオニオ様が使えたっていう、誰が相手でも絶対に殺せる〈最強の魔法〉を見つけて……そして私がサード・エンダーズを潰すんです。必ず」
ベルの手がエルストの腕から離れた。遠くで虫が鳴いている。夜風に揺れる草木の音色も聞こえてきた。エルストはもう、あの小さな火へと駆け出そうとすることはなかった。
「『魔力は先祖からの徳である。魔法は隣人からの愛である。自己は秘め、愛を回すことこそが、人間の幸福を形成する……すなわち自己愛を捨てよ。隣人を愛せよ』……そうじゃなかった?」
エルストが訊いた。これは〈最強の魔法〉を使ったというエオニオ自身の教えだ。するとベルは、髪を風にそよがせながら、
「クソくらえです、そんなの」
そう一蹴した。その言葉でエルストは肩の荷が下りた気がした。なぜかはわからないが、ベルのことは、信じられる気がした。
エルストは改めて小さな火のほうを向く。火はだんだん範囲を広げている。あの様子では山一帯が焼失するだろう。サムもまた――助からないであろう。エルストはこぶしを握る。血が滲むほどに下唇を強く噛み締めた。水色の瞳には火の明かりが灯っている。二年前と今日とを比べると、サルバへの復讐心はより一層、確実に膨らんでいる。
「ベル。きみは魔法が使えるんだよね」
エルストが問う。
「これは頼みだ。ベル、僕の宮廷魔法使いになってくれないかな? もっとも、宮廷勤めにはならないけどさ」
ベルは首をかしげている。エルストは続ける。
「僕のための魔法使いになってよ。僕と一緒に〈最強の魔法〉を探そう。そしてこの手で……僕にも、サード・エンダーズを潰させてくれ」
ベルは思いきり両眉を歪ませた。返事をしようとはしない。そのかわり、頭上のアギが言う。
「お駄賃がっぽりもらえるんやろな? タダ働きは好かへんで」
「あげる。あげるよ。サード・エンダーズを潰したら、そのあとは僕、一生ベルの言うとおりに生きてあげる」
「ハァ? 魔法使えへん無謀王子の人生なんざ要るかいな!」
「僕は国王になる。国王の人生だと思えば高くつくだろ。どうせ両親も兄上もいないんだ。僕しかいない」
「王国は滅んだんでしょ?」
ベルが言うと、エルストはこう強く述べる。
「まだ終わっちゃいない。終わらせるもんか。絶対に! それに、魔法使いだって『寿命』を削りながら魔法を使ってるんだから、僕もきみに何かを与えなくっちゃ公平じゃないだろ。だけど僕が与えられるのは自分の未来とか、そういった時間だけしかないんだ。僕は魔法を使えないから」
エルストがそう言うと、ベルはしばし押し黙ったのち、ゆっくりと頷いた。
「わかりました。私、エルスト様の宮廷魔法使いになります。一緒に……一緒にサード・エンダーズを潰しましょう」
エルストとベルはどちらからともなくこぶしを突き合わせた。エルストはこの日、ベルとともに、両親と兄、それから――身を呈して自分を守ってくれたサムの仇を討つことを心に誓った。