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カマキリを殺したエルストだから

「ありがと、ベル」


 エルストは体勢を整えながらベルに礼を言う。


「おかげで殺されずに済んだ」


 母が自分へ明確な殺意を向けていることくらい、エルストにもわかっていた。


「だけどマーガレットがどうして?」


 そうだ。エルストに、そしてベルやアギ、ミズリンにもわからないのは、マーガレットがなぜ王妃とともにいるのかだ。

 マーガレットは気まずそうにうつむいた。抵抗する気はないらしい。そのかわり、何も答えようとしないが。


「マーガレットには協力してもらっていたのよ」


 そのマーガレットと並ぶように地べたへ座り込んだ王妃が言う。夕日に白く照らされた金髪は、エルストのまごうことなき母のものだ。


「エルスト、おまえの動向と王都の様子、そしてテレーマの動向を探るのをね」

「どういうこと……マーガレット、あなた、私たちを騙してたの?」


 ミズリンの声は震えている。怖がっているというよりは、怒っているようだ。

 彼女が言った『私たち』とはアデルフィアのことである。ミズリンはマーガレットがテレーマに協力していることも知らなかったのだろう。


「じゃあ本当に、エルスト殿下を殺すため?」

「そうよ、ミズリン」

「エレクトラ様……私、知っていますわ」


 ミズリンは一度ぐっと唇を噛みしめたあと、険しい形相をしているエルストを一瞥し、こう述べる。


「エルスト殿下に婚約者がいないのも、魔法学園での授業を受けさせなかったのも、いえ、そもそも国王陛下やエレクトラ様は、エルスト殿下がお生まれになったそのときから、彼を二十歳まですら生かす気はなかったのだということを」

「は?」


 間の抜けた声を発したのはアギだった。ミズリンの言ったことがわからず、目を白黒させている。

 きっとコネリーから聞いたのであろう話をミズリンは続ける。


「ただしエレクトラ様はサムにエルスト殿下を守るよう命令し、二年前、エルスト殿下を王都の外にお逃がしになられましたね。それは……エルスト殿下が『ほかの誰かに殺されてはならない』とお考えになられたからでしょう、ほかでもないエレクトラ様、あなたが」

「ちょ、ちょっとミズリン様、待ってください。王様や王妃様がエルスト様を生かす気もなかったって? サムに命令したって? えっと、サムって山小屋のサムのことですよね……王妃様、説明してくださいよ!」


 ベルは責めるような眼差しで王妃を見ている。


「サムは……」

「エルスト様?」


 ベルのとなりでエルストが怪訝な声を出すものだから、ベルはやや驚いてその顔を見た。


「サムが僕を守ってくれたのは……母上に命令されていたから、なんですか? 母上に命令されていたから、サムは命懸けで僕をサルバから守ってくれただけだったんですか?」


 現在エルストの胸には、サムと過ごした二年間の思い出ばかりがあふれている。

 父のように、兄のように、師のように接してくれたサムは、ただ『王妃に命令されていたから』エルストとそのように接していただけだったのだろうか。エルストはそう考えると、とてつもなく苦しくなった。


「たとえ命令だったとしても……」


 ベルが言う。


「命懸けで相手を守る。その行為に、少しの愛情も無かったなんてことはありませんよ、エルスト様」


 ベルは不思議とエルストの胸のうちを察しているようだった。


「ベル……そうだね。ありがとう」


 動揺する気持ちを落ち着かせたエルストは頷いた。

 彼の背後には、弟を命懸けで守った兄の姿があった。


「でも母上、どうして僕は母上に殺されなくっちゃいけないんですか?」


 エルストは言う。


「サムが僕を守る必要あったんですか? いまミズリン姉様が言ったことが本当なら、母上は矛盾してますよね。二年前、いや二年間、母上はサムに僕を守らせてきた……でも母上は今、僕を殺そうとしている!」

「ホンマや! 殺そ思っとったんならサムなんか必要なかったんやん!」

「え、いや、必要ないっていうのは言いすぎだよ、アギ。そんな言いかたしないで」

「あ、スマン王子。どーぞどーぞ続けて。はよ答えーや王子のオカン!」


 ちょっとアギ黙ろ、とベルがアギの鼻先を撫でたころ、口を開こうとしない王妃にかわり、またしてもミズリンが言う。


「エレクトラ様がエルスト殿下を殺そうとしているのは……」


 そのとき、マーガレットが歯がゆそうにうつむいた。構わずミズリンは続ける。


「エルスト殿下から奪った魔力を使うには、エルスト殿下をあなたが殺さなくてはならないから……それでこそ〈クレボ〉の魔法は成功するから。そうですよね、エレクトラ様!」

「ど、どういうこと、姉様?」


 エルストは眉根をうんと寄せた。


「〈クレボ〉は相手の体を食べることによってその相手の魔力を奪う。そしてその後、その相手を自らの手で殺すことによってようやく奪った魔力を使うことができる。そういう魔法なのです」

「ウ、ウソや!」


 ミズリンの説明に、アギが慌てた形相で異議を唱える。


「ベルのオトン、そんなこと言ってへんかったで!」

「ベルのオトン? ベル・テン……そのオトンというのは、魔法研究員だったベニー・テンのことかしら?」

「し、知ってるんですか、ミズリン様、私のこと」


 ベルが動揺しているのは、自分の出自を知られているかもしれないという不確かな恐怖ゆえだ。


「テンという名に聞きおぼえがあったのよ。私はコネリー殿下から詳しく聞いていたから」


 その恐怖は確実なものとなった。ミズリンが言うと、ベルはうっすらと顔色を暗くした。


「それにベニー・テンは熱心な研究員だとして有名だったわ。王国が民衆に隠した魔法を研究し……これは王国の上層部でもごく一部にしか知られていないけれど、ベル、あなたのような子どもを生み出したとしてね」

「まさか、この少女が……」


 王妃がじっとベルを見つめる。ベルは気まずそうに肩をすくめた。


「因果なものね。そんな子どもがエルスト、よりにもよっておまえと出会っていたなんて……」

「そ、『そんな子ども』って言いかたはやめてください、母上。ベルは何度も僕を助けてくれたんだ。それに……僕やベルみたいな子どもを生み出したのは王国なんでしょう。因果なんてものは王国が作ったんだ」


 そうだ。「悪いのは王国だ」。先ほどベルがチャックの墓前で口を噤んだとき、言いかけたのはきっとこの言葉だったに違いない、とエルストは思う。そしてエルストも、それには同感だ。


 チャックを失ったことも、岩トカゲが倒れたことも、コネリーが命を投げうったことも、テレーマが復活したことも、テレーマが水色の瞳の人間を殺したことも、エルストが左目を売ったことも、ベルが怪我をしたことも、サルバが山小屋を襲ったことも、サルバがサムを殺したことも、王都が滅んだことも、あらゆることが、元をたどれば王国に原因がある。そう、すべて『陸続き』になっているのだ、かつてエルストがアギに語ったように。


 ただし、今回の話題である「悪いのは王国だ」、これはすべての根本的な原因になりうると定めることができるだけに過ぎず、そこから発生した事象にエルストの責任や意思が関連しなかったのかと言えばそうではない。そのことも、エルストは今ならばわかっている。

 そして、以前アギに語った『仕返しの陸続き』とは違い、いま陸続きになっているものは断ち切りたい、そう考える自分の思いが芽吹いていることも、エルストはわかっている。


「……母上。僕は僕の魔力を取り戻したい」


 エルストは奥歯を震わせながらもそう言った。

 エルストのそばでベルが息を飲んだ。ベルの目には、エルストはもう、母親を食べるどころか殺す決意さえ持っているように見えている。

 そしてベルは、そんなエルストをとめるべきか悩んだが、あえて何も言わないことを選んだ。またアギも、今はただ、エルストの姿をじっと見ている。

 ベルとアギが見つめる先――この場におけるエルストは、『食いもせず食われもしない未来』を、自分が母親を食べることで保障したいと、そう願っている。コネリーの言葉を借りるならば、王国の未来を救う。サルバやテレーマもいない、喜びや嬉しさ、たのしさに満ちた未来を作りたいと、そう願っている。


「姉様、そのためには、僕はどうすればいい? 僕が母上に、その〈クレボ〉を使う必要があるのかな」

「えっ? ええ……」


 ミズリンはエルストの浮かべる表情に戸惑いながらも頷く。


「でも、エルスト殿下は魔法が使えないから……私が以前受け取っていたコネリー殿下からの手紙には、まず誰かの魔力をエルスト殿下の体内に一時的に注入し、その誰かが、エルスト殿下の体を使って被魔法対象に〈クレボ〉を使えばエルスト殿下でもエレクトラ様から魔力を取り戻せる、と、そう記してありましたわ」

「……あかん、わからん。つまりどーゆーこっちゃ? ベル、わかるか?」

「うーんと……私が解釈するに、『私がエルスト様のお口から私の魔力を流し入れて、そして私がエルスト様の体を操って王妃様に〈クレボ〉を使えばいい』ってことだと思う」

「すごいわ、ベル・テン、そのとおりよ。さすが宮廷魔法使いね」

「よかったぁ、むかしパパから〈寄生魔法〉の話を聞いてたんだよねー。さすが私! 褒められちゃった」

「ベルを甘やかしたらアカンで、ミズリンのねーちゃん、こいつ魔法学園のテストは万年赤点なんやで! 今のはパパに救われただけや!」


 ちなみにベルとアギの呼ぶ「パパ」とはベルの育ての親ベニー・テンのことなのであるが、とにかくエルストらがこのような会話をしているとき、拘束されたままのマーガレットは王妃に声をかけていた。


「エレクトラ様。本当に……よろしいんですか、これで?」


 マーガレットは今にも泣き出しそうな顔をしている。王妃は無言のまま頷いた。

 やがてエルストがあらたまって王妃と向き合う。


「母上。僕は、あなたをいただきます」


 カマキリを殺した目で、エルストはそう言った。

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