狂言者と転校生
唯翔の家にはテレビがない。それ以前にテレビを見る時間がない。親からの仕送りはあるもののそれだけで生活していく余裕など唯翔自身にも有栖家にもない。だから唯翔は学校にいる時間以外はほとんどバイトをしている。バイトが休みの日は緋依里と過ごしたりしていた。
テレビも見ないし新聞も読まないから日野が死んだことなんて知らなかった。日野の霊の切り付けられたような傷を思い出して唯翔は思う。ああいう事件は地元のニュースや新聞で取り上げられてもいいはずだ。
緋依里がそういった情報を得るのに興味を持っていることはおそらくないだろう。テレビ欄だけ読んだり、バラエティ番組やドラマを見ることはあっても。
日野礼子に対して二人がどんな思いを持っているのかを二人は話すことなく、無言のままにそれぞれがそれぞれの思いに耽った。
次の角を曲がれば学校の正門が見えてくるという所で二人は自転車を降りた。
「今何時か見てくれないか?」
日野の幽霊に出会って時間をロスし、おそらく既に授業の始まる8時半は過ぎてしまっているだろう。
「えーっとね。8時だよ」
カバンから二つ折り携帯を取り出して、緋依里は言われた通り時間を伝えた。
「じゃあ。今何分?」
苦笑いを浮かべる唯翔。
「47分」
一度閉じた携帯をもう一度開いて答えた。
「じゃあ。もう歩いていこう」
「うん。オッケー」
唯翔は道路側に自転車を手で押して歩き、左隣には緋依里が俯きながら歩く。いつもと変わらないほんわかした口調でありながら、さっきから少しだけ声のトーンが落ちているのは明白だった。
霊が見えるようになった小学生の頃から何度となく霊を見てきていた二人だったが、やはりこういう時はいつも空虚な気持ちになった。特に緋依里は昔からショックを受けやすかった。まして、少しだが関わりのあった人間だったので他の時と比べてショックは大きいらしく、何度となく溜め息のような声を漏らしていた。
何か声を掛けようと思っていた唯翔だったが、未だ気の利いた事を一つも言えないままで、二人とも口を開かない静寂が続いた。
「緋依里ぃぃ!」
その静寂を破ったのは後ろから声を掛けてきた一人の女子高生だった。手を振ってこちらに駆け寄ってくる少女に緋依里は何も言わず手を振り返した。その顔は少しだけ綻んでいる。
「おはよう緋依里」
息を切らしながら満面の笑みで挨拶をする少女は学校内での緋依里のお目付け役、唯翔以外で唯一の友達にして親友の深月眞帆である。
「おはよう眞帆ちゃん」
既に隣にいるのに小さく手を振って応える緋依里。
「あれ? なんかいつもの緋依里らしくない」
腰に手を当て前傾姿勢になり、緋依里の顔をまじまじと見つめる眞帆。緋依里は恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「なにやってんだよ深月」
唯翔が眞帆の肩を押して緋依里から遠ざける。
「なんだよ。ア・リ・スちゃん」
外国の女の子の名前のような苗字を小馬鹿にしてからかった呼び方をする眞帆。
「その呼び方やめろ!」
睨みつける唯翔に対して舌を出して応戦する眞帆。二人の間でそれを見て笑う緋依里。その表情からは完全に暗い気持ちが抜けていた。緋依里の笑顔で唯翔と眞帆の二人もにこやかな表情になる。
「俺は先に行くから」
校門を目前にして自転車を緋依里に預け、カゴから自分のカバンを取り出して早歩きで先を行く唯翔。「後は任せた」と言わんばかりに眞帆を一瞥していった。朝から霊に遭遇してしまった緋依里を心配してのことだろう。
「アリスちゃん。いってらっしゃーい!」
背を向けて前を行く唯翔に緋依里が笑顔で手を振る。
振り返って唯翔は眞帆を睨みつけた。
「なんでアタシを睨むのよ!」
深月眞帆とは中学校で知り合った。中1の時唯翔とクラスがばらばらになった緋依里はクラスで浮いた存在だったが、気が強い性格から孤立していた眞帆と席も近かったことから会話するようになり、しだいに仲良くなっていった。小学生の頃まで唯翔にべたべただった緋依里が初めて唯翔離れをしたのだった。唯翔は緋依里を取られた嫉妬の気持ちか単に好かないのか眞帆のことを嫌っていた。
眞帆は茶色に染めた髪をポニーテールにし、制服を着崩し、胸元は大きく開いている。見た目がギャルっぽく、気が強いため、男女共々から若干避けられている模様。眼が大きく、美形であるから、上級生や大人に言い寄られることは何度かある。そういう事があって緋依里も言い寄られてしまい、何らかの事件に巻き込まれるかもしれないと考え、眞帆とつるんでいることを唯翔は不安になっている。
靴箱で靴を履き替え、教室へと向かう。唯翔は学校に遅刻して登校することは多々あるが、月曜日だけは遅刻することがなっかた。一度だけ遅刻したことがあったのだが、その時は正座で何故か教室に用意された低い机にノートを広げて授業を受けさせられた。鬼山陸馬は全校生徒から恐れられている体育教師なみの筋肉質を保持している生物教師で、実際本校に勤務している体育教師よりがたいが大きく運動ができる。厳つい角刈りに青のジャージ姿が基本だ。
「遅れてすいません」
教室の後ろのスライドドアを開けて謝罪の言葉と共に頭を下げる。怒鳴られると思い、目を瞑って、鬼山の言葉を頭を下げたまま待つ。
10秒ほど待っても何も聞こえてこないので、下げていた頭を上げて状況把握をしようと試みる。
「え。誰もいない」
顔を上げて見えた先の黒板には大きく「一時間目生物は生物教室に移動」の白チョークで書かれた文字。
「そう言えば前の授業で次は実験だから教室じゃないって言ってたような気がする」
しまった、と頭を押さえる唯翔。溜め息をついて教室から出て行こうとした瞬間、教室の窓側の隅にある 掃除用具入れがガタンと揺れた。
勢いよく振り返り、用具入れを怪訝な顔で見つめる。再びガタンと揺れる。今度は二回。誰かが中にいて内側から開こうとしているように見えるが、一向に開かない。
誰かいるのか? まさか鬼山? いやいや、どんなドッキリだよ。
「開けてくれ~」
なんか必死になって焦っている声が用具入れから聞こえてくる。間の抜けた声だった。
何が目的で誰が入っているのか知らないが、唯翔は掃除用具入れまで行って、そのドアを開けた。
中から出て来たのは白衣を羽織ったダンディーな装いの男性だった。
こんな先生この学校にいたっけ? 白衣を着てるから化学の先生か?
「来るのがおせーよ」
唯翔が見覚えのない人物に目を合わせることができないでいると、その人物が白衣に付着した埃を手で払いながら文句をたれた。
「なんでそんなこと言われなきゃ……」
「お前に話がある。有栖唯翔!」
男にいきなり肩を掴まれ、目を丸くする唯翔。男の顔は真摯な目で訴えてくる。
「おっさん誰?」
今の正直な気持ちを率直に吐露した唯翔の肩から手を離して、男は一つ咳をした。
「おほん。いいかちょっと……。いや、相当衝撃的なことを言うから心しとけよ」
「……」
唯翔はどうせしようもないことを言うんじゃないかと冷たい目を浮かべた。
「まぁそんな期待溢れる眼差しを向けてくれるな」
「誰もそんな眼差し送ってないって」
改まったかと思うと面白みのないボケで唯翔をさらに蔑んだ目にさせた。
誰なんだよコイツ。
「冷やかしなら結構なんで」
「冗談だ。今から大事な話をするから」
「さっさとしてください」
唯翔はイライラしてきていて口調は怒気を孕んできていた。
「俺は20年後の未来から来たお前だ。未来では改名して有栖竜翔と名乗っている。魔導士だ」
男はもう一度真摯な目をした。
一瞬、時が止まったかのように沈黙が続いた。
「あ~。つまんねーっす。俺急いでいるんで」
背を向けて教室を出ようとする。
「待って! 待て待て待て! 鬼山は今日、風邪で休んでいる。急いでも意味ないぞ」
その場しのぎで諭しているようにしか聞こえなかった。
「嘘ばっか吐いてないで、未来に帰ったらどうですか」
唯翔は顔だけ男の方を向けて呆れきった声を漏らす。
「そう簡単に帰ってたまるか。俺はお前に用事があるんだ」
「用があるなら早くしてください」
「お前が俺の話を最後まで聴かないんだろ」
竜翔は唯翔を指差した。
「分かりましたよ。黙って聴いときますから」
唯翔は面倒くさそうに身体を前に向き直した。
「俺は緋依里が好きだった」
「緋依里を呼び捨てにしてんじゃねーよ」
黙って聴くという発言を無視して唯翔が若干キレる。学校の先生か誰か知らなかったが年上であることにはかわりなく、容赦ない口ぶりで言い放ってしまたことに気付いて目を逸らす。
「いいから黙って聴け。好きだったが、それを伝えられずにいた。明後日の修学旅行で俺は告白をするつもりだった。だけど叶わなかった。何故なら緋依里は明後日死ぬ運命にあったからだ」
「うざい」
下を向いた状態で唯翔は小さく呟いた。
「ん。何か言ったか?」
「お前。本気で言ってんのか。明後日、緋依里が死ぬって本気で言ってのか!」
依然として下を向いたままの唯翔の表情は窺えないが、さっきよりも強い怒気が孕れた口調で、年上だろうが関係なく自分の感情のまま言い放った。
「ああ、本気だ。明後日、渚沢緋依里は死ぬ」
竜翔は真剣そのものの顔で言った。
「つまんねーこと言ってんじゃねーよ!!」
顔を上げて唯翔は拳を固く握り、男に向かって走りだした。その顔からは多大な怒気が感じられる。勢いよく踏み込んで、男の顔面にその拳は放たれた。
が、その拳は男のもとへは届かなかった。
男は唯翔に殴られる直前に姿を消したのだった。それは時計の小さい方の針が一つ進むよりも速かった。
「消えた?」
確かに男の像はそこにあった。唯翔を挑発したかのような言動をしたあの男は慌てた顔をして、一瞬の間に目の前から姿を消した。
不快な男が目の前から消えてくれたことは唯翔にとって悪いことではなかったが、どういう原理で男が消えていったのかが理解できず、不快感が頭に残った。
廊下を大勢の生徒が歩く音がこの教室に流れ込んできた。1時限目の授業はもう既に終わりのようだ。
学校の屋上の貯水タンクの上に立った竜翔は腕を組んで考え事をしていた。
「明らかに来るのが遅かった。20年前の通りならもっと早く登校していたはずだ。10分程度話したぐらいでクラスメートが戻ってくるはずがない。来る日にちを間違えたか? それとも……」
2年4組の日野礼子が亡くなった。
1時限目の後、全校生徒は体育館に集められ、昨夜の2時頃、トラックに轢かれて事故死したことを明かされた。ざわつく生徒たちとは相反して唯翔は違う思いの胸騒ぎを覚えた。
事故死って言うのは嘘だ。トラックに轢かれた? じゃああの刃物で切り付けられたような傷跡はどう説明できるんだよ。
唯翔は舌打ちをして体育館を後にした。
集会が急遽入ったことにより2時限目はカットされた。
緋依里と眞帆は3、4時限目の美術の時間、席が隣同士で唯翔のことについて話をしていた。
「あんたってさ。小学校の頃からアイツと一緒なんでしょ? 有栖離れとかしたらどうなのよ」
スケッチブックに果物の盛り合わせの絵を鉛筆を使って描きながら眞帆は問いかけた。
「唯くんが私から離れたくないのかもしれないよね」
黙々と鉛筆を走らせる緋依里。おそらくさっきの集会でまた日野のことを考えてしまっているのだろう。
「それ答えになってなくない?」
「うん?」
首を傾げながらも黙々とデッサンしていく。
「可愛いなぁ。チクショー!」
上目づかいでで愛らしい緋依里の表情を見て、眞帆は緋依里の頭をぐしゃぐしゃする。緋依里は突然の行動に驚いて目を瞑って、眞帆のなすがままだった。
「そこ! うるさいですよ!」
年配の女美術教師に注意され、眞帆は首を竦めた。
「まぁ。あんたが有栖のことを好きでいようがいまいが、アタシは緋依里の味方だからね。心配事があったら何でも言いなよ。今日の朝みたいな元気のない顔は見たくないの」
先程よりボリュームを下げて眞帆は笑った。
「ありがとう」
緋依里も笑った。
チャイムがなって3時限目の終わりを知らせる。
「有栖のどこがいいわけ?」
「どこがいいって?」
「どこが好きかってこと」
緋依里は「うーん」と唸って頭の中で考えたが、答えは「別に好きじゃない」だった。
「好きじゃないって……。好きじゃなかったらずっと一緒にいないでしょ!?」
「ずっと一緒じゃないよ。お風呂もトイレも一緒じゃない」
「何でそこをチョイスしたかなー。家も違えば、クラスも違うけど、アタシが見かける時はいつも二人一緒なんだよな。ケンカとかしたことあんの?」
また緋依里は考える素振りを見せた後、「ない」と答えた。
「そりゃあ。あんたの性格からしたらそうよね。でも、泣かされたというか、泣いたことはあるでしょ?」
「ある」
今度は速答だった。
「いつの話?」
「小学校の頃。二人で秘密にして飼ってた猫が死んじゃった時」
「いやいや。そういう悲しくて泣いたとかじゃなくて……」
和気藹々と会話している二人の前に一人の生徒がやって来た。
「すいません。あなた方のお名前を訊いてもよろしいでしょうか」
明るくも畏まった調子で声を掛けてきた少年を二人は知らなかった。
なぜなら彼は今日からこの高校に通う転校生だからだ。同じクラスだが今朝の1時限目に遅刻してきた二人は彼が転校生ということを知らなかった。
「あんた誰? 私と緋依里の大切なおしゃべりタイムを邪魔しないでくれる?」
人見知りしない眞帆は率直な気持ちを棘付きでダイレクトに伝えた。この場合は人見知りも何も関係なく、眞帆が怒っただけだが。
「すみません。貴重なお時間を邪魔してしまいまして。僕は今日からこの学校に通うことになった転校生の千馬弌流と申します。しかしこちら側としましても、お二人と面識を持つ為の大切なお時間が欲しいと思いまして……」
千馬は丁寧な言葉を用いて自身の説明をした。相手の目をしっかり見て話す千馬は女子のように長く伸びた黒髪で、きりっとした顔つきとその礼儀正しさは執事として上手くやっていけそうな感じである。
顔を見合わせる緋依里と眞帆はしばらくして自己紹介をした。
「いいお名前ですね」「緋依里とはどういう字を書くのでしょうか?」「綺麗な銀色ですね」
千馬はたんたんとお世辞か本気か計り知らないが述べていく。しかし、眞帆に向けての言葉は皆無で緋依里の方ばかりを見ている。
緋依里がどう返せばいいのか困っているのを見て、眞帆が手を差し伸べて「もういいでしょ。あっちにいってくれない?」と強く言い放った。
「失礼しました。では、最後にひとつだけよろしいでしょうか?」
千馬はそう言うなり、二の句をすかさず告げた。
「緋依里さん。あなた、霊が見えますよね」
そう言った直後、授業始めのチャイムが鳴った。千馬が少しだけ不気味な笑みを浮かべたのを緋依里は見ていた。
「なんなのよアイツ。緋依里のことばっか褒めやがって。私には魅力的なところが一つもないってか」
鉛筆を動かしながら、愚痴る眞帆。
「眞帆ちゃんって千馬くんのこと好きなの?」
それを聞いて、緋依里が尋ねた。
「馬鹿なこと言わないで!」
眞帆は声を大にして否定した。
「そこ! うるさい!」
再び叱られた眞帆を見て、クスリと笑う緋依里。
これ以上叱られるのを避けたいのか眞帆が緋依里に話しかけることはなくなった。