祭りの遊び
祭り好きな自分ですが、実は祭りの遊びをしたことは、数えるほどしかありません。遊びと食べ物を天秤にかけ、食べ物を選んできたからです。
そのため、祭りの遊びに対する憧れだけは、人一倍強い。
祭りの遊びといえば、くじ引き。
屋台の奥にずらりと並べられたおもちゃの数々が、子どものころはとても魅力的に見えたもの。
ゲーム機、モデルガン、大きなぬいぐるみ。
高みに飾られた品々が輝いてみえて、もしかしたら当たるかも、なんて期待で胸をいっぱいにして。
少ない小遣いをはたいてくじを引いてみても、もらえるのは一番手前に並んでいる安っぽいおもちゃばかり。
馬鹿らしさに気づいてくじ引きをしなくなったのは、いつのことだったか。
憧れているけれど未だに挑戦したことがないのは、金魚すくい、スーパーボールすくいにヨーヨー釣り。
金魚すくいは親に勧められたこともあったけれど、すくった後のことを考えて断念。
水槽、エアーポンプ、エサ代などを考えて断る六歳児は、可愛げが足りないと我ながら思う。
スーパーボールは、やっている子ども(ときどき大人)の熱中具合に気圧されて、未挑戦。
ポイを片手に真剣な表情で並ぶ人々は、みな一様に水面の球を見すえて声も発さない。
あの静かな緊張感の中、割って入る勇気が自分にはなかった。
反対にヨーヨー釣りは、とても心惹かれた。
ヨーヨー片手に祭り歩いている子とすれ違ったりなんてすると、うらやましくてたまらない。
けれど、ヨーヨーは割れたらそれっきりなんだ、と思うと、踏み切れないまま今日に至る。
よく見かけるけれど、やってみたいと思わないものもある。
射的は当たる気もしないし倒せる気もしないから、やったことがない。
輪投げも同じく、命中しない自信がある。どうにもノーコンなのだ。
見かけた記憶もあまりないし、やりたいと思ったこともないのが、千本引きだ。
くじ引きとの違いはいまいちわからないが、幼少期の自分が心惹かれない何かがあったのだろう。
ちょっと変わり種として、うなぎ釣りなる屋台を見たこともある。
紙でできたこよりの先に針がついており、それで浅い水槽の中のうなぎを釣るというか、引っ掛けるらしい。そうっとエラに針を引っ掛けるのだとか。
祭りの終了間際が狙い目だと、経験者に聞いた。うなぎが弱っているから、暴れてこよりが切れる確率が減るらしい。
釣れたうなぎはもちろん持ち帰ることが可能。
希望すれば、釣れたうなぎをさばいてもらえるようだった。別料金だが。
数少ない祭りでやった遊びは、型抜きとスマートボール。
型抜きは、小学生になって間もないころに一度だけした記憶がある。友だちと並んでちまちまと型を抜いた。
結果はどうだったのだろう。成功したのか、失敗したのか覚えていないが、地味に楽しかったように思う。
このごろ見かけないけれど、いつかまた挑戦してみたい。
スマートボールをしたのは、最近のこと。
いつものごとく祭りを冷やかしていたら、ふと目に入ってやってみた。
ひとくくりにスマートボールと言っても色々な種類があるらしい。自分が挑戦したのは、景品獲得につながる穴とボールが追加される穴の二種類がひとつの盤上にあるものだった。
はじめに渡されたボールで景品獲得の穴を二つほど埋めたところで、残弾が尽きてくる。
しかし、そこでボールが追加される穴に入れることに成功。増える残弾。
下手な鉄砲でも数を打てばあたる。景品の穴が埋まる。
しばらくするとまたボールが追加され、景品の穴が埋まり、残弾が減ると追加される。
終わらない。
ゲームをはじめて三十分近く経っていた。
終わらない。終わりが見えない。
軽い気持ちで始めたゲームだったが、これほど長引くとは思わなかった。
はじめは楽しんでいたが、いつしかボールを打ちだす機械になっている自分がいた。
だめだ、これでは永遠にスマートボールをプレイすることになる。こんな屋台の軒先で、一生を終えるのか。軽い気持ちで遊んだばっかりに……。
心が疲弊した自分は、そんな阿呆なことを考えはじめる。
なんとか打開せねば。
そう考えた自分は、近くにいた小学生の兄妹らしき三人組に狙いを定め、声をかけた。
「ちょい、きみら。スマートボールやってみない? 楽しいよ」
代打である。
本来ならば許されない行為かもしれないが、自分の長期滞在に屋台のおばちゃんも呆れていたのだろう。好きにしな、と快諾(?)してくれた。
そこからは早かった。
三人兄妹は順番にボールを打ち、順調に残弾を減らしていく。五分も経たず、ボールはすべて打ち尽くされた。
最後のひとつがどこにも入らずに、落ちていくのを感慨深く見送った。
終わった。
ようやく、長い長い戦いに終止符がうたれた。
妙な感動と疲労感に浸る自分に、おばちゃんが景品を選べと言う。
示した先にあるのは、屋台の天井から吊るされたひと抱えもある巨大なぬいぐるみ。かつて、くじ引きであれほど羨望の眼差しを向けていた一画だ。
リラックスしたくまやら、夢の国から来た青い宇宙人など。子どもの背丈ほどもあるそれらを見て、自分の言うべき言葉はただひとつ。
「きみら、どれが好き?」
代打、二回目である。
三兄妹は話し合い、仲良くひとつのぬいぐるみを指差した。
屋台のおばちゃんからそれを受け取った自分は、なめらかに三兄妹の兄にぬいぐるみを渡す。
「お父さんお母さんに聞かれたら、スマートボールに捕まって困っていた人を助けたお礼にもらった、と言うんだよ」
我ながら意味のわからないことを言っているが、兄は素直にうなずく。うなずく兄と手を振る弟妹に、ありがとう、助かったよ、と告げ自分は足早にその場を去った。
本当に助かった。
あんな馬鹿でかいぬいぐるみを抱えて歩くなど、もはや拷問でしかない。
屋台の遊びは、軽い気持ちで挑んではいけないのだと、学んだできごとであった。
この経験を胸に、自分は今後も屋台の遊びへの憧ればかりをつのらせるのであろう。