収穫を祝う祭り
秋。収穫の時期。
世間ではハロウィンなる異国の祭りが幅を利かせていますが、日本でも古来より収穫祭は行われていました。
自分の生まれ育ったど田舎でも、秋の収穫祭は伝統行事です。
祭りが行われるのは、決まって中秋の名月。世間では団子を備えて月見をする日。
自分の田舎では、団子ではなくさまざまな食べ物を供える。
家の縁側や軒下にススキを飾り、ろうそくを灯す。その横に竹ざるを置いて、お供え物を乗せる。
そして、地区の子どもたちが家々を回り、その食べ物をもらって歩く。
本来は地域の神さまに収穫を感謝するための祭り。
子どもを神さまに見立てて、収穫物をお供えしていたのだと思われる。
しかし、子どもにそんなことは関係ない。
祭り開始の合図である月が登り次第、公民館を一斉にスタート。ビニール袋を持って、全力疾走。
各自、考えうる最適ルートを駆け抜けて、宝(食べ物)をゲットする。
一番人気があり、競争率の高いお供え物は、茹でたモクズがに。漁業権を持つおじさんがいる一軒限定のレア物。
祭りの数日前から川にかごを仕掛けるため、いくつ並ぶかは誰にもわからない。
熾烈な争いです。
次に人気なのが、お菓子の詰め合わせパック。
田畑を持たない家庭ではお供え物として、袋菓子が重宝される。そんな菓子を数種類まぜて袋に詰めた、魅惑のひと袋。
中身に当たり外れがあるけれど、月明かりとろうそくの明かりしかない中で選り好めるわけもなく。
とにかく、ゲットして置いて損はない代物。
あまり人気はないけれど、地味に好きだったのが握り飯。
赤飯やら栗ごはんで作ったおにぎりは、走行中でも食べられるありがたい食糧。
かぶりつき、飲み込めば、次の家を目指すための活力となる。
もちろん、季節の収穫物を供える家もある。
ふかし芋、茹で栗、まだ青いみかんに、庭でとれた柿。
どれもありがたく、頂戴していく。
手づくりのゼリーをひっくり返さないように慎重に走ったり、田舎のおばちゃんが作るまんじゅうの妙なうまさに感心しながら、夜道を走る。
地区の外れにある家まで駆けていけば、良く来てくれた、と家人が手ずから菓子やジュースで歓待してくれたこともあった。
子どもの足で、休まず駆けて、二時間ほどだろうか。
ろうそくの灯る全ての家を回る。どの家でも、今年の出来はいかがですか、というような文言を大きな声で告げていく。
教わったわけではなく、年長者がしているからそうする。
どの家でも、お供え物をもらうのはひとり一つずつ。
これも、年長者に倣って身につけるルール。
全ての家を回り終えて、帰るころには全身汗だく。
走り続けた体はくたくたに疲れているけれど、なぜかそれが心地よく、手にした袋の重みに口角が上がる。
懐かしい、田舎の秋の収穫祭。
今では物騒になったからと、保護者同伴で歩いてまわるようになった。
それでも続けられていることが嬉しくて、ずっと、この先も続くといいなあ、と思う今日この頃である。