超小規模な祭り
自分、なにを隠そう祭りが好きです。
とは言え、うんちくを語れるほどの知識はなく。祭りを比較できるほど、ほうぼうの祭りを訪れてもいない。
たんに、祭りをやっているな、ならばちょっと覗いてみようか、と言う程度の、軽い祭り好き。
そんな軽さで先日も、近隣の介護施設にて行われた祭りに行ってみた。
昼もいくらか過ぎたころ、ぶらりと訪れた祭り会場。施設の駐車場の一画に建てられたテントが数棟。施設職員と近隣住民で構成された屋台の店主たち。
会場を賑わす客は、施設の入居者であるご老人らとその親族と思しき人々。あとは近所の小さい人たち。
誰もが誰かしらと知り合い同士の中、ひしひし感じるよそ者感。これこれ、これが小規模の祭り特有の雰囲気である。
大変居づらい。
しかし、帰るわけにはいかない。
なぜならこの祭り、小さいくせに(失礼)太鼓の演奏があるのだ。自分の今日の目的は、この太鼓。
別段、有名なグループの演奏ではないが、自分は音楽に詳しいわけでもない。
単に太鼓って祭りっぽくてなんか好き、というだけの理由で聞きにやってきた。花が咲いているから寄ってきた蜂、だとかのレベルである。
どこに陣取っても居心地の悪い中、テントの隅に空いているパイプ椅子を見つけて腰をおろす。
そして、始まる太鼓の演奏。
どおん、と打てば、芯までしびれる。
三つ並んだ太鼓がどおん、どん、どっ、速さを増して、打ち鳴らされる。
太鼓の音につられて、ヒートアップしていく心臓の鼓動。
その空間にいるだけで祭りの熱気に巻き込まれ、気持ちが高揚していく。胸が熱くなる。
頭の中までしびれるような太鼓の音に浸りながら、これは演奏ではなく演舞だなあ、と思う。
太鼓を打ち鳴らし、ばちを持つ手をぴしりと上げる。かと思えば、腕ごとばちをゆるりと回してとおん、と弾むように叩く。
ぴしり、どおん。くるり、とおん。
音に聞き惚れ、舞に見惚れる。
頭の中じゅう太鼓の音でいっぱいになるころ、地響きのような余韻を残して演奏が終わる。
次に出てきた小さな太鼓も、また良い音がする。
ぽおん、ぽんぽん。
弾んだ音が、大太鼓にしびれる体の芯を軽くしてくれる。
演者の表情が、先ほどとは打って変わって笑顔なのもいい。明るい曲調に良くあっていて、こちらも楽しくなってくる。
ふとあたりに目をやれば、会場の全員が同じ演舞を見つめて楽しげな顔。
気づけば、あれほど感じていた疎外感はかけらもない。
音だけではなく目でも楽しめる、太鼓。
最後は観客が拍手で曲に参加して、会場じゅうが一体となり盛り上がる。
そして曲は最高潮の盛り上がりを見せ、やがて終わりを迎える。
会場全体を包む多幸感に浸って、この感動を分かち合うべく微笑みながらあたりを見渡せば。
あ、自分、知り合いいないわ。
悲しい現実に引き戻されて、こそこそと帰路に着くのであった。
気がむいたらまた書くかもしれないので、連載中としておきます。